第九話 最悪な1日
ここはモンスターが弱く、出現率もかなり低い山だ。
街からも近く、何かあってもすぐ助けが来る安全地帯。
もっと奥の山に行けば、貴重で種類豊富な薬草が採取できる。
だが、その分危険も多い。
俺一人で入れる山は、ここくらいだろう。
---
今日は雲一つない晴天で、採取には絶好の日和だった。
朝から山に入り、気付けばもう昼に近い。
それでも薬草採取は驚くほど順調に進んでいた。
獣人の嗅覚のおかげで、薬草の場所がすぐ分かる。
たぶん、もう銅貨五枚分以上は採れているはずだ。
この後は薬師の仕事もある。
そろそろ街へ戻らないと、勤務時間に間に合わない。
そう思って立ち上がった、その時。
カサカサ……と、草が揺れた。
「あっ……キラーラビット……」
初級モンスターだ。
……野生、初めて見た。
これ、現実で言うと――
山で野犬に遭遇した感じじゃないか……?
「うわ……威嚇してる……」
俺は獣人ではあるが、戦闘経験はゼロだ。
キラーラビットでも油断はできない。
――それに、この気配。
「……一匹じゃないぃぃぃ!!」
俺は全力で走り出した。
---
走りながらメニュー画面を開き、初期装備のナイフを取り出す。
ないよりはマシだ!
だが帰り道は塞がれている。
山の奥へ逃げるしかない。
必死に走り続けるうちに道は消え、
いつの間にか獣道へ迷い込んでいた。
……誘い込まれたのかもしれない。
行き止まり。
装備はナイフ一本。
相手はキラーラビット五匹。
胸の鼓動が嫌なほど速くなる。
――これはもう通報するしかないか……。
そう思ってメニューを開いた時、
持ち物欄に先日の爆買いで購入したポーションが目に入った。
このゲームは、昔ながらの仕様を残している。
調剤を失敗すると――爆発する。
ポーション同士も、上手く混ざれば上級品。
失敗すれば――爆発。
「……これだ!!」
少し躊躇したが、ポーションを適当に混ぜ合わせ、キラーラビットへ投げつける。
ドォン!!
思惑通り爆発する。
「よし!!」
次々と混ぜては投げる。
混ぜては投げる。
焦りと恐怖で、時間の感覚が曖昧になっていく。
やがて――
《キラーラビット討伐》
の文字が浮かび上がった。
「やった……!! 俺一人で倒した!!」
思わず両手を上げた、その瞬間。
――最後に投げたポーションが、これまでとは桁違いの爆発を起こした。
「えっ……ちょ、嘘だろぉぉぉ!!」
---
爆風に吹き飛ばされ、俺は崖の方へ弾き飛ばされる。
必死に伸ばした手が、大きく揺れる木の枝を掴んだ。
「はぁ……助かっ……」
ボキ……ボキボキ……
「……え?」
見ると、爆風で根元が大きく抉れている。
枝ではない。
木そのものが、ゆっくりと傾いていた。
「待って……待って!!」
必死に別の足場を探す。
だが――掴める場所は、もうどこにもない。
「……っ!」
俺は諦め、崖下へ落ちた。
---
どれくらい落ちただろう。
体が地面に叩きつけられる直前、
必死に受け身を取る。
このゲームは感覚は非常にリアルだが、痛覚は抑えられている。
負傷すると、ブブブ……と部位が振動するだけだ。
それでも、全身が細かく震えていた。
最後は地面に着地――
した瞬間、足首が激しく震えた。
「っ……はぁ……」
ゲームオーバーにはなっていない。
歩くのも、今のところ問題なさそうだ。
安堵の息を吐く。
---
息が整ってから、マップを開く。
山の裏側まで来ていた。
「……マジかよ」
自宅をタップすると、矢印は崖の上を指している。
……登れってこと?
ミニゲームのように、手足をかける場所に〇が表示されていた。
普段なら余裕だ。
だが今は、体力がかなり削られている。
「……最悪だろ……」
それでも通報はしたくなかった。
ここまで頑張ったんだ。
「……登るか」
決意して手をかけた瞬間、足首が激しく震えた。
ブブブ……ブブブ……
バランスが取れない。
「……くそ、やっぱ負傷してるのか」
---
幸い、薬草は大量にある。
簡易調剤で初級ポーションを作り、足首に使用する。
《回復まで3時間》
……初級だもんな。
空を見上げると、日差しは少し傾き始めていた。
採取していた時間を考えると、もう午後に入っているはずだ。
採取した薬草も消えた。
銅貨も水の泡だ。
「……なんて日だよ」
絶望しながら座り込む。
三時間。
この場所で、ただ待つしかない。
時間が、やけにゆっくり流れていく。
――ログ整理じゃなく、本当に寝るか。
ゲーム内でログインしたまま寝る人は多いらしいし。
精神的に、相当疲れていたのだろう。
目を閉じた瞬間、俺は深く眠りに落ちた。
---
「おい、起きろ」
……声?
夢か?
こんな山奥に人がいるわけがない。
耳を塞ぐ。
その瞬間、手を強く掴まれた。
「おい!! 起きろ!!」
「……っ!」
目を開く。
「……エルヴィス……?」
---
「なんでじゃない。お前、無断欠勤しただろ」
「え」
「昼を過ぎても来ないから、店が騒ぎになっていた。イオリも心配していた」
……確かに。
休暇申請もしていない。
誰にも連絡していない。
メニュー画面には大量のメッセージが届いていた。
「……ごめん」
力なく謝る。
急いで全員に無事を報告した。
---
「それにしても……どうやってここに?」
「この程度の山なら、二時間もあれば回れる。それに俺は鼻が利く」
時計を見る。
一時間三十分しか経ってない。
……規格外すぎる。
その凄さに感心する――
それに対して俺は…………
結局みんなに迷惑をかけた自分が、不甲斐なくて。
涙が零れた。
「……本当に、手のかかる奴だな」
呆れたように言いながらも、エルヴィスは隣に腰を下ろした。
俺が泣き止むまで、何も言わずに。
---
気付けば、またおんぶされていた。
「……登れるのか?」
「無理です」
「……そうか」
回復まで残り一時間。
ここにいるわけにもいかない。
大人しく運ばれる。
---
その時。
「あっ、そうだ!! エルヴィス、これ」
背中から花を差し出す。
月光花。
希少種で、市場でも滅多に出回らない高価な花だ。
「……どこで手に入れた」
「崖から落ちる途中、服に引っかかってた」
「……」
「これ、やるよ」
「は? 貴重品だろ。家賃にもなる」
「礼だよ。屋敷に泊めてくれたし、助けにも来てくれた」
花を揺らして見せる。
それでも受け取らないエルヴィスに、俺は続けた。
「それにさ。光るもの、好きだろ?」
「……は?」
「イオリさんが言ってた。子供の頃、大好きだったって」
その瞬間。
エルヴィスの耳まで真っ赤になった。
「仕方ないだろ!! 本能だ!! 狼の!!」
「え、じゃあ今も好きなんじゃ――」
「好きじゃない!!」
---
今日は最悪な一日だったはずなのに――
笑いが止まらない。
初めておんぶされた時は、気まずかった。
でも今は――
この大きくて硬い背中が、妙に安心する。
「冗談だよ。本当に礼がしたいだけなんだ」
「……」
「俺の気が済まない。受け取ってほしい」
真剣に言うと。
「……分かった」
とエルヴィスは承諾した。
---
その瞬間、安心した俺は――
エルヴィスの背中で爆睡してしまった。
歩けるのに。
おんぶされたまま。
しかも、いびきをかいて。
街に着いた頃には――
今度は俺が真っ赤になっていた。
ちなみに、リリアがエルヴィスの背中で眠っている間、エルヴィスも同じ山中でキラーラビットの群れに遭遇しています。もっとも、こちらは足を止めることすらなく、一蹴してそのまま普通に歩いてました。
キラーラビットが出現した理由は、山が平和すぎたためです。中〜上級モンスターが存在しないことで、生態系のバランスが崩れ、結果的に数が増えてしまったようです。
その後、エルヴィスが冒険者ギルドに働きかけて大分数を減らしたよ。




