第40話「日課」
隣に移ってから、朝の形が少し変わった。
自分の部屋で起き、自分の鍵を閉め、壁一枚のドアを叩く。白嶺様はだいたいソファに沈んだままで、彩華様が先に飛んでくる。茶を温め、短い報告をして、カイシャへ向かう。守る対象はすぐ隣にいる。一番に守ると言われた想いは、カバンの中のスマホと、自分の名前の通帳と、会いたいと送った文の続きにある。
『行ってきます』
「行ってこい」
『はい』
社内では、いつも通りだ。二十六度。備品の表。田村係長のスベるボケ。ムンムン呼び。陽太さんとは廊下で短い言葉を交わし、週末の話は社内では深くしない。美咲さんは給湯室で「顔色、いいです」とだけ言い、玲奈さんは「新居はどう?楽しいって顔してる」と笑い飛ばす。引っ越したことは、必要な人にだけ伝えた。同居の完全な中身は、美咲さん以外には渡していない。
陽太さんからチャットが来る。
「今週も、会いたいです。無理のない日で」
『はい。私も、会いたいです。日程を、相談させてください』
送信しても、顔は熱い。なのに下書きで止まることは減った。恋という二字の中身が、少しずつ歩幅に合ってきた。拒否しなかった夜の続きが、日課の外にもある。
退勤後、また隣のドアを叩く。
白嶺様は部屋着のまま横になり、彩華様が私の膝を確保する。だらしなさは、引っ越し後も健在だ。私は今日の数字と、陽太さんとの短いやり取りと、係長がまた事実で返された話をする。白嶺様は半分しか聞いていない顔で、全部聞いている。
「日課、続いているな」
『はい。壁の向こうに、戻りすぎないように、しています。自分の鍵も、閉めています』
「それでいい。お前は、もう影ではない」
『……はい。席も、会いたいも、隣も、自分の、です』
彩華様が眠そうに目を擦り、白嶺様の腕に戻す。私は自分の部屋に帰り、内側から鍵を閉じる。壁の向こうで白嶺様が動く気配がする。届く。なのに、今夜の床は自分の床だ。一歩前進の感触が、日課になるとしみに近い。しみでも、消したくない。
夜は、特別な事件のないまま終わった。
会社に行く影が、ちゃんと昼の席に座り、夜は自分の玄関を閉めて、それでも隣に顔を出す。
それでいい、と白嶺様は言った。
私は、その言葉を自分の一覧の上の方に置いて、電気を消した。




