第21話「打ち上げ」
社全体の打ち上げは、前回の部の飲み会より、明らかに大きかった。
広い宴会場に、部署の垣根なく席が混ざる。MVPの表彰状は家に置いてきた。私は端の席に座り、最初は水を頼んだ。田村係長が「ムンムン、今日は水以外も一口」と念を押し、白嶺様が遠くの席から一度だけ視線を送る。殺気は出さない。自分にそう言い聞かす。
美咲さんが隣のあたりに座り、「無理しないでくださいね」と小さく言った。玲奈さんが反対側から「今日は人を睨まないでね」と笑い、陽太さんが正面少し斜めに座った。群れる、の大きい版が、また始まる。
乾杯のあと、白嶺様に言われた「一口」を思い出し、私は出されたお酒を、ごく小さく口に含んだ。苦い。水やお茶とは違う。喉の奥が、すぐに熱くなる。二口目は、玲奈さんに勧められるまで行かず、自分でグラスを置いた。顔が、わずかに緩む。視界は大丈夫だ。なのに、肩の力が、いつもより先に抜けていく。少し、酔っているらしい。
「ムンムン、MVPおつかれ。裏方が正面に出る日だな」
田村係長のボケに、私は『正面は、加藤さんが進行していました』と返した。係長は「事実で返される」と胸を押さえた。言葉は正確なのに、語尾だけがいつもより柔らかい。自分でも、それがわかった。陽太さんが、様子を見ながら話しかける。
「昨日の発表、声、少し震えてました? ……あ、失礼だったら忘れてください。僕は、あの拍手、すごくいいなって」
『……戸惑いと、別のものが、同時に来ました。名前の付け方は、まだ途中です』
「名前、ですか」
『喜び、かどうか。まだ、一覧にないので』
陽太さんは真顔で頷いた。笑って流さない。その真顔が、不思議と座りがよかった。美咲さんが「少しずつでいいですよ」と足し、玲奈さんが「ムンムンの一覧、増えると良いわね」と短く言った。白嶺様は、男性社員が近づきすぎない位置にいた。前回の男は、遠目に私を見て、すぐに別の話に戻っていた。殺気は出していない。出さなくても、距離は保たれている。
酔いと呼ぶらしいこの感覚は、浅い。変なことは言わない。なのに、拍手の熱が、胸の近くで長く残っている気がした。途中、白嶺様が席を回ってきて、私の前で止まった。
「水以外、飲んだか」
『……少し、だけ。苦いです。肩が、先に抜けます』
「浅いならいい。今日は、よく座っている」
『はい』
主任の声のまま、短い承認だけ置いて去る。私はグラスの水に口をつけ、酔いを散らした。
終盤、人が減り始めたころ、陽太さんが席の近くに来た。
「ムンムンさん。今、大丈夫ですか」
『はい』
「あの、打ち上げとは別で……今度、二人で食事に行きませんか。業務の話じゃなくても、いいので」
二人。食事。
業務ではない、と自分で言っている。私は、すぐには答えられなかった。楽しさの輪郭が、先日の端に見えた気がしたのと、同じ棚の話に感じる。なのに、手順がわからない。
『……一度、持ち帰ります』
「あ、はい。無理しないでください。メッセージでも、大丈夫です」
陽太さんはそう言って、深く頭を下げた。美咲さんが遠くから、何も言わずにこちらを見ていた。私は『失礼します』と先に会場を出た。酔いは、もうほとんど残っていない。残っているのは、名前を呼ばれた熱と、二人で、という言葉の重さだけだ。
家に帰り、鍵を確認し、彩華様の寝息を見てから、白嶺様に報告した。
『鈴木さんに、二人で食事に行きませんか、と誘われました。業務ではない、と』
白嶺様はソファに沈んだまま、目を開けた。
「行け」
『……は?』
「行け。持ち帰ったなら、答えを出せ。行きたいか、行きたくないか、ではなく、行ってみろ」
『私は、白嶺様を——』
「盾は、夜でいい。昼の食事は、お前の人生だ。ムンムン」
短く、はっきりしていた。怒る声ではない。働け、と言ったときの延長の声だ。私はスマホを見た。陽太さんの名前が、登録したまま光っている。
『……行って、みます』
「そうしろ。細かいことは、また考えろ」
白嶺様は茶を飲み、それ以上は聞かなかった。私はメッセージの入力欄を開き、短い文を打った。
『食事の件、お受けします。日程を、相談させてください』
送信のあと、胸の浅いところが、MVPのときとは違う熱で鳴った。幸せの種類の棚に、「二人で」を、空欄のまま置いた一日だった。




