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第17話「食い扶持」

午前、田村係長が席の後ろで伸びをした。

「やっと給料日だね。ムンムンも初だろ。振込、確認した?」

『振り込み、ですか』

「お給料。会社からお金が口座に入る日。通帳か、アプリで見れるやつ」

私は画面を見た。キーボードの奥に、そういう数字があるらしい。

「わからなかったら、入社の手続きを手伝ってくれた人に聞いてみ。紹介者、いたろ?」

『……はい』

係長はそれ以上深く聞かず、自分の席に戻った。給料。口座。通帳。単語は聞こえる。意味の手順が、わからない。紹介者——白嶺様のことだ。同居の話は、していない。社内でそれを知っているのは、美咲さんだけだと、私は理解している。


退勤後、家で白嶺様に報告した。

『田村係長に、給料日だと言われました。振り込み、と。通帳、がわかりません』

白嶺様はソファから手を伸ばし、引き出しから薄い通帳を出した。表紙に、月村無月、とある。

「就職のとき、私が作った。名前も、口座も。会社にはこれを出してある。今日、数字が入っているはずだ」

『白嶺様が、用意したのですか』

「働かせるなら、受け取る場所も必要だろ。開けてみろ」

言われた通りに開く。日付と、金額の列。前回より、大きな数字が増えていた。私は指でその行を押さえた。

『これが、食い扶持、ですか』

「お前の労働の対価だ。会社が、月村無月に払ったお金」

『では、白嶺様に、渡します』

通帳を差し出す。白嶺様は受け取らず、掌で戻してきた。

「いらない。受け取れ。自分の分だ」

『私の、食い扶持は、白嶺様と彩華様の——』

「違う。生活のことは、また別でいい。それはお前が昼に座った分だ。渡すな」

短く、はっきりしていた。私は通帳を胸の近くに置いた。数字が、自分の名前の下にある。借り物ではない、と白嶺様は言う。実感は、まだ薄い。

「使い方も、知らんだろ」

『……はい。何に、使うものか』

「まずは、自分の連絡手段を持て。今まで仮のものを使わせてただけだ。スマホの契約に行く」

『スマホ』

「電話と、メールと、地図が入っている板だ。カイシャでも、あっただろ」

あった。皆が触っている。私のは、まだない。白嶺様は髪を結び、外出用の靴を履いた。彩華様の着替えを済ませると、私を店へ連れていった。社内の誰にも、この日のことは見えない。美咲さん以外には、我が家の距離は知られていない。


携帯ショップは、光と説明の量が多い場所だった。

店員がプランを話し、白嶺様が必要なものだけを選ぶ。私は署名欄に、月村無月、と書いた。通帳と同じ名前だ。端末を渡されたとき、画面が点いた。自分の番号が、紙に書いてある。

『これも、私の、ですか』

「そうだ。給料で払え。残りは、通帳に置いておけ。使い方は、徐々に覚えろ」

店を出ると、夜の風が冷たかった。私は通帳と、小さな端末をカバンに入れた。白嶺様に渡そうとして、拒否された数字。自分の名前で契約した板。どちらも、以前にはなかった。

『白嶺様。ありがとう、ございます』

「礼はいい。次は、自分で残高を見ろ。わからなくなったら聞け。」

『はい』

家に戻り、鍵を確認し、彩華様を抱き直す。スマホの画面に、初々しいアイコンが並んでいる。私はそれを、備品の表と同じように、正確に覚えようとした。

食い扶持は、自分で稼げ——。

数字は、確かに入っていた。

使い方は、まだ棚卸しの途中だ。

それでも今夜は、通帳を白嶺様に渡さずに、自分のカバンの中にしまえた。

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