10 幽閉された女王様(7)
静内はやはりバラードを選んだ。絶叫系ではなかった。
「お前疲れているのか」
思わず口にすると、
「いや、嵐の前の静けさと言ってもらったほうがいいかもね」
物騒なことをいう。名倉も頷くだけでそれ以上何もしない。
「さて、今日、本当に確認したいことがひとつあるのよ。関崎」
「まだあるのか」
「先月のことだから記憶にないなんて言ったら怒るよ。杉本さんが関崎のもとへ、最後のお別れに来てくれた時のこと覚えてる?」
小声で名倉が、
「解放宣言の日だ」
強烈なキーワードを囁く。
「ああ、覚えている」
「そのことで聞きたいんだけど。私、杉本さんが生徒玄関でかたくなにあんたのことを待ち続けていたときから、音楽室で話をするところまで見守ってたんだけど。実際どういう話題だったのか聞かせてほしいんだよね」
「音楽室で、向こうから長年の礼を言われた」
「具体的には」
「中学時代から縁のある相手だったが、俺にはなにもできることがなかった。申し訳ないと、そのくらいだ」
「なるほどね。私、あのあと立村くんたち規律委員がたむろっていたので声かけておいたんだけど、来てくれたのかなあ」
「立村は来なかった。ただ疋田が」
「疋田さんって、A組の規律の子?」
「そうだ。合唱コンクールの時、うちのクラスが体調不良者発生のため、最後に「”モルダウの流れ”を合唱したことがあった。その時の伴奏者だ」
「そんなことあったね。A組あの時は大変そうだなって思ったから覚えてる」
「ピアノの伴奏に合わせて俺に歌わせてくれと、立村が疋田に頼んだらしい。疋田はピアノの名手だったので伴奏してもらい、餞に”モルダウの流れ”を歌った。もっともあまり興味はなさそうだった」
なぜ静内は突然細かく尋ねるのだろう。
杉本梨南と縁があったのは確かだし、静内が”人間らしく”面倒をみてやったのも聞いている。きちんと別れの言葉を受取り玄関まで送った。どうしても伝えなければならないことがあると気づき、きちんと伝えた。
「そこでなんだけど、杉本さんに関崎、見送ろうとしていたよね。私たまたま階段側で観ていたけど」
「なぜそこで声かけなかったんだ」
声かけてもらえればもう少しまともに動けたのに。
「いやね、そこでふたり、青ざめてやりとりしてたから大丈夫かなと思っただけ」
一ヶ月前のことだ。すっかり忘れている。静内がいたことも記憶にない。もしいたら、無表情で冷ややかな態度を取った杉本梨南を、玄関まで送り出すことができたものを。一方的に振り払われたのはあまりよい気持ちではなかった。
「いや、大したことを話したわけではない。さっきの話と重なるが、疋田が突然音楽室に飛び込んできたのは立村の指示だった。立村がいうには、俺の歌声を彼女に聞かせてやりたかったんだそうだ。だが俺としては立村がさっさと彼女を奪って連れ帰るのが筋だと思っていた。同時に彼女も、あれだけ名誉とプライドを捨てて守ろうとする立村に対してそっけない態度を取り続けている。それは間違いだと思ったんだ」
「間違い、だとね。それで」
「それで、彼女に伝えた。彼女を命がけで守ろうとしている立村を受け入れてやってほしい。もし受け入れないとしたらそれは人として最低だし、俺は彼女を軽蔑する。そもそも俺はああいうタイプの女子は苦手だ。俺の知る限り彼女のような口調や性格を好む男子は、立村以外出会ったことがない。そのため、数少ない受け入れてくれる相手とうまく行ってほしいということを、俺なりに伝えた」
間違ったことは言っていない。
「関崎が関崎であることを私もよく理解しているつもりなんだけど、つまり、その、あんたは、立村くんとうまく行ってほしいという想いでそう伝えたんだよね。つまりその、立村くんにやさしくしてほしいって」
静内の声が静かすぎる。嵐の前の静けさという言葉が蘇る。
「しかも立村くんを好きにならない限り、関崎は杉本さんを軽蔑するって意味で間違ってないかな」
「その通りだ」
「更に言うと、関崎が知る限り杉本さんを受け入れてくれるのは立村くんだけだよって、伝えたって認識に相違ない?」
「相違ない」
「もっというと、あんた、立村くんが、この学校でどういう評価されているか客観的な視点から認識できてる?」
なんでそんなことを聞くのか。答えてやる。
「男子からの評価は高いが女子受けが異常なほど悪い。それが原因で、後期評議委員長選ではクーデターで降ろされ羽飛にクラスの全権を奪われたと聞いている。英語に限っては万年トップだが理数系が壊滅しているので成績は良い方でない。ただあれは本人の努力ではなくて、もともとの問題と聞いている。責めることはできない。一言でいうと女子には見下されているが男子からは仕事ができて思いやりのある、よい友だちだ」
「ほお、そう、女子受けね」
声がひらたくなってくる。子どもの頃いたずらして怒られる直前の母の声に似ている。
「じゃあ聞くけど、現時点で立村くんと関崎、どちらが一般受けしていると思う? あいつは良いやつなんだってのはなしで」
「俺は中学時代シーラカンスと呼ばれていた。青大附高で突然高い評価を受けてしまったが実際はただの融通聞かない堅物だ。立村のほうが人当たりもいいし、本来であれば俺よりも評価されてしかるべき」
静内は遮った。ストップ、とは言わない。
「だから違う、あんたの言い分だと、今はなぜかわかんないけど関崎のほうが女子受けするってことでしょう。あんたが一生懸命杉本さんに押し付けようとした立村くんは、お世辞にも頭は良くないし、語学はできるけどそれ以外の成績がよくないし、男子受けはいいかもしれないけど女子にはばかにされているし、評議委員長からクーデターで引きずりおろされたみっともない男子、って認識だよね」
「いやそれは立村に対して失礼だ。俺は水鳥中学にいた頃からあいつのことをよく知っているが」
「だからあんたの本音で全て答えは出ているの!」
静内はカラオケ曲本を乙彦に向けて投げつけた。仁王立ちした。後ろで名倉が同情を込めて
乙彦を見つめる。が止めようとしないのはなぜなのだ。
「静内、落ち着け。何があった」
カラオケ曲本をしっかり両腕で受け止めた。静内を見上げると、半端ではない激昂の色がちらついているのだけ確認できた。何がまずいのか、いやどんな地雷を踏んだのかわからない。きちっと言い返すが正しい。が、しかしまずは理由を聞こうと思う。
「俺はただ事実を述べただけだ。静内が怒るようなことはないはずだ。説明してもらえればちゃんと答える。いったい何があった」
「関崎、あんたは本当に関崎なんだね」
今日、なんど言われただろうこのセリフ。俺が俺で悪いかと言いたいが、静内の気迫に押されてしまう。他の部屋の歌声が一瞬途切れたように感じたのは気のせいか。
「あのね、あんたが杉本さんに言ったこと、小さな親切大きなお世話って奴だよ」
「俺が彼女に何を言った。俺はただ、あれだけ想ってくれている立村を選んでやってほしいとただそれだけを伝えたかっただけだ。あいつは本当に、名誉も何もかも捨てて彼女に尽くしている。それなのに彼女はうっとおしい兄貴分のような扱いしかしない。端で見ているが、あれは男としてあまりにも惨めだ。最後の最後なんとかしてやりたいと思うのは友として当然のことだ」
「はあ、友として当然ね。気に食わない女子だからお下がりとして格下の友だちに譲ってやるよ、みたいな俺様ムード漂いまくりじゃない」
「お下がりとは失礼だ。さすがにそれは違う。そもそも俺はそういう付き合いを一切していない」
「お下がりってのはね、あれだけ関崎のことを一途に慕っていた杉本さんに無理やり格下の立村くんに押し付けたってことよ」
「あいつは格下じゃない、人間として」
続いて静内が投げつけたのは、乙彦のカバンだった。きっちり受け止めた。
「大切な友だちだと思っているのはよくわかるよ。今までの経緯で理解した。けどね、よく聞きなさいよ。あんたが立村くんを良い友だちで、杉本さんにふさわしいと思っていたとしても、周囲の人たちは違うのよ。さっきあんたがぜーんぶ話してくれたよね。立村くんは女子受けが悪くて、委員会関係でも悲劇的な展開があって、英語以外はあまり賢くもなくて、まあひとことでいうと女子に嫌われている。青大附高でちやほやされている関崎よりはるかに格下って目で観られている相手よ。そしてその認識は杉本さん、彼女も持っているはず」
「だがあいつはそんな奴じゃない。本当にひたむきで努力家で、彼女以外の、それこそ英語劇などのクラス活動も含めて滅私奉公するタイプなんだ」
静内は舌打ちし、しゃがみ込み、乙彦と目線を合わせた。
「さっきの古川さんの話に戻すけど、あの人これから予定では、品山高校に転校する予定なの。これ以上ごたつかなければね」
「いきなり話が飛ぶのはなぜなんだ」
「黙って聞きなさいよ。品山高校と聞いてぱっと浮かんだイメージを答えてみて」
「⋯⋯遠い」
「中学三年の受験前、青大附高か青潟東を受けたいと相談したけど、学校の先生からそれは無理、あんた、品山高校しか受からないからそっちにしなさいとか言われたとしたらどうする」
「いやさすがに、水鳥中学エリアからは通学範疇ではないような」
「青潟東西南北の学校に進めない、工業も商業も他の職業科も行けない。行けるのは品山高校のみ、そう言われたとしたら関崎、どう思う」
「さすがに俺もそこまで成績落とすことは」
脳天直下、曲本でぶん殴られた。
「そうだよ。今本音言ったね関崎」
静内の声音が明らかに変わった。
「ここまで成績落とさない”だよね。言っとくけど、品山高校ってのは決してレベルが低いわけじゃない。ただ品山地区を中心とした人たちしか通わない学校なんだよ。地域の歴史とか民俗的な部分とかいろいろあるけど、特殊な文化や風習など色々ある場所なんだよ。だからその地域に向けての教育が特化している分どうしても、一般的な普通科の授業とは異なるところがあるらしいんだ。私も聞きかじっただけだからね。つまりいわゆる底辺高じゃないの。けど、受験指導の時、青潟の中学生はどうしても遠方だからとか品山という街のイメージから、”ここまで成績落とさない”という気持ちにどうしてもなる学校なんだよ。わかる関崎。事実はどうかわからないけど、少なくとも今あんたは、品山高校を自分が進学しようとする学校には含めてないってことだよ」
静内はスカートをひろげるようにヤンキー座りで乙彦を見上げた。気合、という言葉しかない。いつもなら助け船を出してくれる名倉もミラーボールを眺めているだけ。
「わかった? 関崎が杉本さんに言ったことはそういうこと。杉本さんはしょせん立村くんレベルの人間としか釣り合わない、ってこと。もちろん私が今言ったように品山高校はいろんな特別プログラムがあって、地域の研究をしたい人には魅力的な学校だと思う。でもそこまで説明する人、普通いる?いないよね。一般的には学力底辺高校と決めつけられている、そういう学校があなたふさわしいですよと言われたのと一緒」
━━なぜ、こんなに、わかりやすいんだ。青潟の学校評価で比較されると。
乙彦の中で、がたぴしとなにかが崩れていることがする。
━━俺がなにか取り返しつかないことしたということか。まさか。
「あんたはね、立村くんという、一般的には底辺に見えてあんたからはとても魅力的な友だちを勧めた。本当に立村くんと杉本さんは釣り合っていると思ったからだよね。けどね、立村くんがあなたにふさわしいなんて言われて、喜ぶ女子なんていないんだよ。杉本さん含めて。仮に杉本さんが立村くんを好きだったとしても、青大附高イメージの関崎だけは絶対に言ってはいけなかったんだよ」
━━俺が青大附高イメージ? 立村が品山高校イメージ? いや、静内の言う通り学力レベルで学校を評価してはいけない。だが、しかし。俺は、まさか。許されないことを言ってしまったのか、あの葉牡丹の彼女に。
違うと言いたいが、静内の怒りらしきものは乙彦にびんびんと伝わってくる。言い訳が出来ない。
「しかも、あの子約束を大切にする子なんだよ。ということは、関崎にきらわれないようにするには無理してでも立村くんを好きにならなくてはならないと思い詰めてしまう子なんだよ。一生懸命関崎にふさわしくなろうって無理して努力してきたのに、そんなの無駄、あんたは底辺が一番って、王子様から見捨てられたんだよ」
立村にも同じことを言われた。眦釣り上げて、生協の目立たないテーブルにて、思いっきりテーブルを叩いて怒鳴っていた。あの時は何言ってるんだと流せたが、今は。
「たとえどんなにそれが正しいことだったとしても、関崎、あんただけは絶対にそれ言っちゃいけなかった!」
静内を黙らせたいわけでもなく逃げ出したいわけでもなく。
ただ、取り返しがつかない言葉を発してしまったことだけは、身にしみた。
言い訳でではない。自然と頭が下がった。
「悪かった。これは全面的に俺が馬鹿だった」
「わかればいいのよ、さ、次歌うね」
ぶあつい曲本をひったくるようにして、静内は新しい曲をカラオケマシンに登録した。
やっとヘビメタの名曲のサビが流れた。
「関崎、この曲を歌うために、静内はここまでずっとバラードで通していた」
けたたましい絶叫で始まる曲を聞きながら、乙彦はただ呆然と静内を眺めていた。




