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9 English Department DAY(1)

 バイトを済ませた後、乙彦はいつものように学校へ向かった。特に荷物出しで問題もなかったごく普通の朝だった。

 ━━普通でなかったのは俺だけか。

昨夜の電話、二本とも、身体にがっしりと食い込んでくる。

 ━━羽飛の言う通りならば、不穏分子は高校だけではなく大学、下手したら中学、いやいや職員室にも巣食っているってことなのか。

 ━━百枚も赤いアジ文字を刷ってまで、ひとりの女子を攻め立てようとする奴が存在するのか。

 いや、そんなことはあってはならないと首を振って見る。

 ━━名倉と静内は関わっているのか?

 大きく首を振って打ち消した。誰にというわけでもない。あえていえば空に。

 ━━チラシをそもそも刷って古川の靴箱にいれるなんてことが、時系列的にできるわけがない。あいつらが関わっているわけが、そもそもない。

 いつもならしっかり聞き出そうとする。乙彦が王道を歩くのであれば、後始末をしようとするふたり。しかしこの件は絶対に関わっていないはずだ。そう断言する。絶対に。


「関崎、早いな」

自転車置き場で時間を潰すことにした。いつもなら誰かかしら顔を出すはずだ。朝八時ちょうど。立村が現れた。

「おはよう、昨日は連絡助かった」

「中途半端に終わらせてごめん。とりあえず時間ないし今のうちに話していいか。場所を移動してもいいかな」

いつもながらきちんとした身なりだった。ブレザーのみだが、少し袖が長めに見えるのは気のせいか。立村がきちんとした服装にこだわるのは今に始まったことではないが、同年代の男子と比較すると過剰なのではと思わなくもない。

「あのあと、羽飛から電話がかかってきた。正直、聞かせてもらった内容は俺の理解をはるかに超えていた。立村の言葉を正確に理解していなかった自分が情けない」

 まずは正直に本心を伝えた。眠れなかったのだ本当に。目の前に広がっている現実が、乙彦には全く見えず、立村や羽飛の前にはそびえ立っているということ。同じ年齢にも関わらずここまで違うものなのか。まだまだ青大附属の世界を生きていくには虫眼鏡が必要だとつくづく思う。

「羽飛はなんて言ってた?」

「古川が、学校を休むように言われていたにもかかわらず、ふらっと現れたことで職員室が大騒ぎになったということだ」

「やはりな。そうだよな」

 驚くでもなく、立村が頷いた。大きくため息を吐いた。

「関崎が気づかないのは当然だし、だからまだみんな救われているんだから、気にしなくていいよ。俺はたまたま大学や中学に足を運ぶことが多いから、把握する情報の量が多いかもしれない。けど、だからこそ先入観がありすぎて、足元に転がっている真実を見落としているかもしれない。あまり好きな言い方じゃないけど、関崎はそのままでいい」

「ありがとう。俺を認めてくれているのは素直に嬉しい」

 いい言葉だ。ありのままの自分でいいと言ってもらえる。立村は乙彦が水鳥中学のシーラカンスだった頃から知っているはずだ。そのまま理由のわからぬ出世魚状態になっても、未だに同級生として、こうやって励ましてくれる。

「時間がないので話戻すけど、規律委員の先輩がなぜチラシを二年A組女子の靴箱に入れたって言い方したんだろう。なんか気になって仕方ないんだ」

昨日の電話でも同じことにこだわっているのが気になる。ただのそれこそ「やぎさんゆうびん」じゃないかと思うが、あえて飲み込む。

「規律委員会では、いろいろあって俺はあまり評価されていないんだ。自業自得なんだけど。だから南雲が俺を書記に推薦しようとした時、三年の先輩たちから拒否されたって経緯があるんだけど。その後、南雲が副委員長に上がり、どうしてもメモとかが追いつかないから非公式の書記に入ってほしいと言われたけど、顧問の許可がまだ降りてない。たぶん無理だと思う」

「評価されていないってなぜだ」

「中学時代からのいろんな因縁。清坂氏と付き合っていたってこともそうだけど、一番の理由は俺が本条先輩を不幸のどん底に突き落としたからだろうな」

 熱狂的清坂ファンの先輩がやっかむのであればしかたないとも思うが、本条先輩⋯⋯乙彦としてはどうしても先輩と呼びたくない⋯⋯を立村が不幸にしたとは勝手な言い分としか言いようがない。そもそもあやつは不幸なのか? かつて乙彦が、水鳥中学生徒会時代、副会長同士メンチを切りあった総田幸信と共感しているような相手だ。立村が懐いたくらいで道を踏み外すとは思えない。

「前から思っていたんだが、立村はなぜあの本条先輩をそこまで尊敬するんだろう。聞いてはいけないことだと周りには言われているんだが、どうしてもお前のなりたい理想像とは外れているように見えるお方だ」

本条先輩至上主義の立村に尋ねるのは危険だとわかっていても、つい聞きたくなる。

穏やかに立村は微笑んだ。

「それ言われるね、いろんな人に。けど理屈じゃないんだ。本条先輩と出会った時、はじめて完璧という言葉の意味を知った、っていうのかな。もちろん今では承知しているよ。あの人のように完璧にはなれない。自分の背中でひっぱっていけないしどんなことでも教壇の上から指さして仕切っていけない。俺は俺のやり方をし続けるしかないって。でも、本条先輩が認めてくれたおかげで俺がこの学校にいられるのも確かなんだ。それと同時に」

 言葉を切った。

「俺が本条先輩の弟分として、許されない行為をいろいろ行ってきたのも事実なんだ。評議委員会のこともそうだけど、私生活のいろいろなことも含めて。青大附属の、特に委員会関連はそうなんだけど、弟分の不始末は兄貴分の責任なんだよ。霧島がなにかしでかすと俺が出ていくというのはつまりそういうこと。俺はどのくらい本条先輩に守られてきたんだろう、と思う一方で、本条先輩は俺のためにどれだけ恥をかいてきたんだろう、惨めな思いをしてきたんだろう、悔しい思いしてきたんだろう、それは痛いほど感じる。本条先輩はそんなことあまり言わないけどね」

「あまり、というとそれなりには言うのか」

「俺のやらかしてきたことで破裂しそうだった、とは言われたことあるな」

ごめん、と首を軽く振り、

「話それ過ぎたね。要は本条先輩を堕落させたのが俺だということで、先輩たちの一部は俺を嫌っている。規律委員会は清坂氏が活躍した場でもあるし、ファンも多い。どちらにしてもいい感情を持たれることはない」

あっさりとした口調で立村は続けた。

「それで昨日のことだけど、俺がビラを見つけた時、本当は直接先輩なり顧問に伝えたかったんだ。疋田さんだっているしふたりが見てたら嘘じゃないって言い切れる。けど俺が規律委員の先輩たちに説明してもさっき説明した理由で俺が信用してもらえない現状がある。伝えるためにはどうしても、南雲、規律の先輩、顧問など複数人を挟まなくてはいけなかった。人をたくさん挟めば微妙に言葉のニュアンスが変わるし、古川さんが追い詰められているというより、英語科2Aがたまたま誰かの”いたずら”でビラを巻かれているだけと思われている可能性もある。本当は古川さんが狙われていることをはっきり伝えなければならなかったのに」

「自分を責めるな。お前がどんな形にせよ早く発見してくれたから古川を救うことが」

 乙彦の言葉を立村は遮った。

「救ってないよ。救えなかったと思う」

 有無を言わさない口調で言い切った。乙彦も言い返せなかった。


 グラウンドで運動部の連中が走り回っている。陸上部の朝練だろうか。

気持ちよさそうだ。走ってみたいとちらっと思いすぐ打ち消した。

「今日古川さんが来たら、話が変わるかも知れないけど、来ないという前提で予告してきたいんだ」

立村がグラウンドを背にして、じっと乙彦を見据えた。笑みは浮かんでいるが、目を逸らせない感じがした。瞳がねこっぽく見える。気づいているのだろうか。

「詳しいことは今日の朝礼まで待ってほしいんだけど、古川さんが苦しんでいるのを無視するようなイベントの提示があるんだ。こればかりは学校行事なのでしかたない。さらにその内容があまりにもみんなの心をさかなでしそうなもので、正直発表するのが怖い」

「はっきり言ったらどうだ。俺は何を言われても驚かない」

「いや、これは評議委員から言うべき内容だから、藤沖から説明すべきだと思う」

元評議委員長は評議の仕事に対してこだわりが強すぎると、正直思うが黙っていた。

「だから、クラスは荒れる。ふざけるなって怒号が飛び交うかもしれない。けど」

 必死に微笑みを消さないようにしているのがわかる。大きな瞳。立村は本気で語りかけようとする時、いつもこういうきつい目つきをする。

「俺が責任を持ってこの件まとめる。強引なことするかもしれないけど任せてほしいんだ。古川さんが戻ってこれたら、今まで通りの女王様でいられるようにする。だから」

「わかった。立村、お前にまかせる」


 ━━きっとあの合唱コンクールの時も、立村はこの瞳、この眼差しでクラスメートに訴えたに違いない。

 答えに迷いはなかった。


 


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