9 English Department DAY(2)
二年A組英語科の教室のメンバーはほぼいつも通りの区分けがなされていた。
「おはよう関崎、昨日、内川くんと会って話をしたんだ」
あいかわらずほよんとした弟顔の片岡が満面の笑顔で話しかけてきた。
「内川か、どうしてた」
「部活に入ろうかどうしようか迷ってるんだって。本当は自分で時代劇研究会作りたかったんだけど、まだ新入生だろ。もう少し友だち増やしてからにしろって言われてるんだって」
「当たり前だ。まだ四月終わってないんだぞ。あいつも先走りやすい奴だ」
あの、伝説の水鳥中学生徒会長だった内川が、いろいろあったのち公立の青潟南高校に合格した。さすがに青大附属高校は手が届かなかった⋯⋯高望みし過ぎの感もあるが⋯⋯とはいえ、ここにいる片岡を兄貴分として慕いつつ懸命なる努力をしてきたのは乙彦もよく知っている。この教室にいる片岡と、内川が崇める「片岡先輩」とは大幅にキャラクターが違うのだが、あえて何も言わずにいる。相性良すぎる義兄弟を愛でるのもまた楽しい。
「部活動どういうところいいでしょうとか聞かれているんだけど、関崎おすすめあるかなあ」
「委員会活動にまずは燃えたらどうだ」
口にして気づく。青大附属と公立とは委員会活動の重みが違う。慌てて訂正する。
「そうだ、演劇部はどうだろう。あいつ、忠臣蔵・松の廊下を父母のみなさまの協力を得つつワークショップ形式で演じた兵だ」
片岡も大きく頷いた。イメージがわいたらしい。
「そうだね、演劇部進めてみようかな。けど青大附属には演劇部ないんだね」
「ないわけじゃないらしいが」
演劇をやりたい生徒はいるらしいが、外部の劇団や地域グループに参加するため学校での活動は行っていないと聞いた。一方で、乙彦と同じ代の外部生で、演劇同好会を作っているという噂も耳にしたことがある。同好会レベルだと学校の補助はもらえないはずなので、ほとんど埋もれている状態らしい。静内と名倉以外の外部生とはそれほど付き合いもないので情報も得られない。
かいつまんで片岡に説明したところで、藤沖が現れた。汗をかいている。
「今日も応援団か」
「ああ。だがな、厳しいな」
カバンを机に置いてため息を吐く。
「新入団員のやる気が感じられないんだ。朝の練習は遅刻する。同期との私語も多い」
「今年何人入ったんだ」
「最初は十人。だが、今は三人」
入団一ヶ月も経っていないのに減り方が激しい。
「正直これは俺がまずかった」
舌打ちをし片岡に話しかける。ちょっと困った顔をする片岡だが、乙彦の顔をみてにやっと笑う。
「放課後、集まるのに時間がかかりすぎた。集合時刻通りに集まらないとどうしても一、二年の間で私語が増える。多少は友情構築のためしかたないところもあるんだが、いわゆる委員会の義兄弟的なのりになることもあって、それはよくないと指導した。先輩後輩はしっかり上下関係が必要だ」
━━委員会の義兄弟、か。
ついさっき話をしていた立村と、その兄貴分たる本条先輩の姿が思い浮かんだ。
本条先輩の前では、あの立村も「妬きもち妬きの甘ったれ」に早変わりするのだとか。
いちどその姿をとくと拝見し、学食のハンバーグランチを奢らせるくらいのことはしてみたい。
「秩序は必要だな」
乙彦も共感し頷くと、藤沖は額の汗を拭い呟いた。
「団員二次募集が必要だ。時間がいくらあっても足りないな」
話の途中で麻生先生が現れた。評議の役割たる号令を藤沖がかけるのを、乙彦は空席見やりつつ待った。
━━やはり来なかったか。
「やあやあ、お前らも今日は静かだなあ。んで、今日の朝礼だが」
麻生先生が言いかけた時、乙彦の左後ろから声がとんだ。女子だった。
「すみません。今日、ロングホームルームを通じて決めたい議題があるんですけど」
「どうした森宮」
「六月末に行われる予定の英語科デーについてなんですけど、全然話が出てこなくって気になって仕方ないんですけど、藤沖くん、聞いてる?」
━━なんだその”英語科デー”ってのは?
初めて聞く言葉だ。藤沖、片岡、そして他の連中も首を振っている。
「かなり前にそういうイベントあったよね。私、小学校の時、英語科デーで英語しか使えない喫茶店に入って無理やり日本語でケーキ注文したことあるよ」
「そうそう、弁論大会も一緒にやってて、小学生の部に参加したけど四位だった。いやあんめちゃ昔のことだけど悔しさ蘇ってきちゃった」
「けど最近”英語科デー”やってねえだろ。去年はなかったし俺たちが入学してから全くそんなの見たことなかったよな」
小学生時代の思い出が耳に入ってくるということは、少なくとも六年以上前のイベントだと推測する。同時に今朝立村が話していた「イベント」はこの”英語科デー”のことかもしれない。立村は入口近くの席から、いつものように存在感なく語り手を見つめている。
語り手の女子、森宮の姿を改めて観察してみる。
四角いメガネにショートカット。年上に見える。もっというならこの学校の女教師と言っても過言ではない。予餞会の教師上演劇「ローエングリン」のエルザ姫を演じた野々村先生の先輩には見える。
吹奏楽部ではホルンパート担当、合唱コンクールでソプラノパートで頑張って声を張り上げていたということのみ覚えている。吹奏楽派閥にもちょこちょこと顔を出すことが増えている女子の一人だ。
藤沖はもっさり立ち上がり、
「申し訳ないが俺は聞いていない。詳しく教えてくれ」
軽く頭を下げて答えた。女子たちがざわめいた。
「ちょっと待ってよ、すでに評議委員会とかで上がってないわけ」
「てか噂聞いてるよね」
「吹奏楽部では大騒ぎだけどね」
女子たちは”英語科デー”についておおよその情報を把握しているらしい。
さすがに担任が知らないということはないだろう。
乙彦は手を上げ、麻生先生に質問することにした。生徒同士より、確実なソースを持ち合わせているであろう担任に質問するのが一番早いし正確だ。
「麻生先生確認したいんですが、そもそも”英語科デー”とは何ですか。外部生の立場で教えてもらいたいと思います」
内部生同士の会話ではなく、外部生という異物として質問すれば、どちらの立場でもわかりやすく答えてもらえるはずだ。麻生先生はぱちぱちと手を打ちながら答えた。
「関崎が知らないのも無理はないなあ。英語科デーというのは、今から七年前まで行われていた、英語科クラスが一丸となって各クラスごとイベントを主催するというものだったんだ。今、誰か言ってたな、喫茶店とか弁論大会とか。その他ゴスペル合唱や、英語劇、英会話教室などなど、まあいろいろやったもんだった」
すべて過去形なのが気になる。
「だがな、英語科だけだといまひとつ盛り上がりに欠けるという声も上がってきてだな、六年前から学校祭ひとつにまとめたってわけだ」
英語科だけでイベントを行うのはいろいろコスト的にも問題があったのだろう。
「だが、最近になりこの英語科デーを復活させたらどうかという意見が教師間でも出てきた。青大附属の英語科がもつ専門性をもっと多くの人たちに知らしめて、優秀な中学生たちにぜひ受験アタックしてもらいたい、そういう声が上がってきた」
「先生それはわかってます。いいんです。時間がないので先行きますよ」
森宮が割り込む。
「詳しくは今日六時間目のロングホームルーム使いたいんですけど、肝心要の私たち二年A組英語科に、その予定が入ってこないのはなんでですか。あ、これも理由は六時間目で良いです。私たちが吹奏楽部経由で得た情報によりますと、その英語科デーは六月末。中間テストが終わったあとって聞いてるんです。あと二ヶ月あるかないかですよね」
麻生先生が慌てて森宮に手を振る。
「ああ悪かった森宮。実は六月末というところまでは決まってるんだ。しかし、今評議が揃っていない状況だろう。それなら時間をたっぷりとれる宿泊研修の時にまとめて話し合おうと思っていたところなんだ。遅くなって済まない。忘れていたわけじゃないんだ」
森宮は小さめの四角いメガネをかけ直し、さらに麻生先生を詰めようとした。クラス全員が静まりかえっている。
「次の授業がつかえているので先に進めます。吹奏楽部で情報上がって来たのが二週間前、これは急がないとまずいってことで、クラス有志で骨組み作っておきました。もちろん反対意見もあるとは思いますが、出たらその時考えます。とりあえず二年A組女子および一部の男子のみんなにも意見聞いて、納得してもらえるって感触はあります」
森宮はちらと入口の席に目線を飛ばし、
「英語劇をやりたいんです。私たち。すでにやりたい台本も見つけてます。キャストも今ここでOKもらえたらほぼ決まります。部活動や委員会への影響も最低限ですみます。先に結論言いますね」
━━まさか。
なにかぞわっとするのは乙彦一人だけか。
「何、英語劇か。あれは大変だぞ。簡単なセリフだけでも舞台に立つと頭真っ白になるからな。俺も何度か見てきたが、あれで感動させるのは骨だ。言葉と身体の演技が繋がらないから別のものにしたほう良いんじゃないか。それこそイングリッシュカフェとかゴスペルとか、すぐにできるものにしたほうが」
隣で藤沖も頷いている。いいのかお前音痴だろうというのをこらえる。
片岡が口を半開きにしている。
もうひとり、反応を伺おうとした瞬間、森宮が言い放った。
「”The Great Gatsby”、グレート・ギャツビー、といったらひとりしかいませんよね、内部生ならみんな知ってるはず」
全員の視線がなぜか入口の隅に向かった。乙彦も視線を追った。
「立村くんに、脚本、演出、そして主役、すべて任せたいというのが、二年A組演劇チーム有志の強い希望です。受けてくれるよね、立村くん」
━━まさか、あの、内気な立村が受けるわけがない。いくら吹奏楽派閥の推薦であっても。
隣で藤沖と片岡が「あいつら勝手に何考えてるんだか」「あんなつまんない話をなんで」呟くのが聞こえる。麻生先生が、「いや、いきなり決めるのはまずいだろう。まずは六時間目まで待とう。結論を早まるな森宮」と慌てている声が聞こえる。
乙彦も自分の心に響く声を聞いた。
━━絶対に断る。交流会の時も自分が評議委員長なのに天羽を全面に立たせたあいつが。球技大会の卓球決勝戦で目立ちたくないがためにわざと勝利を譲るような、そんな立村が、よりによって演劇の主役なんて受けるわけがない。確かにこれはクラスが荒れる。やりたくないことを、女子受けが悪いとされる立村が押し付けられるのは、一種のいじめだろうこれは。なんとかしなくては。立村のためにも俺が立ち上がってやらねば。
挙手しようとした手が滑り落ちた。信じられない返事が乙彦にもはっきり聞こえた。
「承知しました」
席についたまま立村が発した言葉に、自然と吹奏楽連中および女子全員の拍手がやさしく響いている。男子で呆然としているのは、乙彦と藤沖、片岡、あと麻生先生の四人だけだった。




