7 どんでん返し(6)
歌うように勧めても、珍しく静内はマイクを手に取ろうとしなかった。乙彦としても間を持たせるうえで一曲くらいは歌ってほしかったのだが、本人の意思が固ければしょうがない。話に付き合うことになる。
──静内にしては珍しい。
いかにも、女子のような態度を取ることは、静内に限っていえばめったにないことだった。
「ごめん、関崎。今だけは話を聞いてほしいんだ」
もう空になったグラスを前に、静内は切り出した。
「C組の状況についてはもう生徒会に届いているだろうけど、評議委員を決めるに当たっていろいろあったのは事実よ。私か轟さんかどちらがいいかということで、例によって多数決。結局私が三票差でなったわけだけど、それがうれしいとは全然思ってない。本当よ。面倒なだけで何がステイタスなんだか」
静内は気持ちを抑えるのが難しいようで、何度もテーブルを指先で叩いている。
「もっともそれは轟さんも同じみたいで、さっさと規律委員に納まってくれたわけ。それはそれでありがたいことよ。東堂くんが相棒ということで問題はさほどないんじゃないかと思うし、委員会の件は正直どうでもいいんだ」
「東堂がやはり規律か」
やはり定番通りの納まり方をしているようだ。それほど憤りたくなることでもなさそうだが、静内がいらいらしているところみると、それなりに何かがあるのだろう。口を出したいのをこらえるのがつらいところだ。
「そう。規律委員はみな持ち上がりになっているみたいでそれはそれでよし。ただね、この二週間、担任がね」
静内は髪をばさばさ振った。乙彦の頬にあたるくらいに。
「やたらと轟さんに対してきついのよ。また始まった、って感じなんだけど。歴史は繰り返すっていうべきかな。もうあからさま過ぎて恥ずかしくなるよね」
「なんだその、きつい態度とは。野々村先生だろう」
乙彦の中ではいろいろと気になる存在ではあるが、もちろん静内には言えない。促してみる。テーブルを殴りつけるような振りをする静内。思いっきり顔をしかめた。
「一年見ていてやっとあの先生が、女子なんだってことに気づいたわ。教師じゃないわねあの態度。私、ひいきされっぱなしだから何も言わないほうがいいとわかっているけど、でも、もううんざりよね」
「野々村先生がそんな大人げない態度をしているのか」
「そうよ。理由もやっと理解したわよ。去年とおんなじ」
平手でテーブルをばしんと叩いた。
「要は、やきもち。何やってるんだか、あの先生。一応教師でしょ。常識的にそれ許されると思ってるの? ああふざけるなって言いたいわよ! 好きな男子がたまたま生徒だから片思いせざるを得なくって、結局それを別の女子に八つ当たりするなんて、大人のすることじゃないよ!」
「静内、俺には少し頭の整理をする時間が必要だ。もっと端的に言ってくれ」
いや、即座に気づいたなんてことは決して言えない。すぐに静内からレスポンスが戻ってきた。
「あの先生ね、あんたのクラスにいる、ほら、今年も規律やってて、英語の成績万年トップの人」
「名前出さないでもわかる」
「あの人に、みっともないくらい恋焦がれてるの! 誰も気づいていないからあれだけど、去年からの流れでとばっちり食っている私にはいやってほどわかるの。なんであの先生が、清坂さんに冷たかったか、なんであの先生が轟さんにいやみ言ってるか、やっとわかったわよ!」
──静内に気づかれるほどにか!
乙彦は大きくため息を吐くしかなかった。
こうやって秘密はばれていく。
静内の話を聞き続けたほうがよさそうだ。乙彦は黙って耳を傾けた。集中していれば余計な妄想にとらわれることもない。目を閉じていれば、頭の中によぎる妖しい夢も押し殺せる。
「私がこの学校に入ってから、清坂さんと比較される形でしょっちゅうひいきされていたのは知っているよね。おかげで評議委員を外部生のくせに押し付けられるはめになりまず最初のとばっちりがそれ。なんでだろうって毎日不思議に思っていたけど、いじめられているわけでもないし、清坂さんはさっさと生徒会に捌けてくれたからもういないも同然。気にすることはなかったんだ」
すごい言い方だ、「捌けてくれた」とは。
「最初はあの先生も潔癖な性格だから、いろんな意味で軽い感じの清坂さんのことを嫌っていたんだろうとは思っていたのよ。私も、一度別れた相手と平気な顔していちゃいちゃ歩くような女子の感覚が理解できなかったし。いろいろ言い合いもしたけれど、結局はクラスで身動き取れなくなって、生徒会に逃げ出してって人だから、どうでもいいよ」
──そういう見方もあるのか。
最初から静内は清坂に対して、ライバル意識というよりも目下感を持っていたのかもしれない。今、生徒会長として奮闘している姿を間近で見ている乙彦としては少しかばってやりたい気持ちもある。一方で静内の気持ちに同感したいところもある。クラスから逃げた、それは正しい。
「でも、名倉や他の人たちからいろいろ噂を耳にして、私なりに観察していたら、清坂さんがいなくなった後、それこそ今もあの先生はターゲットを見つけてねちねち嫌味をぶつけてるわけ。理由は、やはり轟さんの卑屈な態度が鼻につくのかなとかいろいろ考えてみたけれど、ちょっと新しい情報を聞きつけたのよ。あの人、立村くんのファンで長年尽くしてきたんだってこと」
──ここでもか。
静内にも届くくらいだから相当有名な話なのだろう。もっとも立村は轟に対して友だち以上の感情は抱いていないようだ。杉本梨南以外に目を向ける余裕は今までであればなかったはずだ。
「振り返ってみると、清坂さんも立村くんと中学時代付き合ってきていた過去がある。つまりふたりとも立村くんと接点がある。さらにいうとふたりとも、何かあると立村くんに近づいて誕生日プレゼントしたり一緒に歩いたりしているわけよ。野々村先生の目の届くところで、ね」
「俺は知らなかったがそうなのか。清坂がそれというのは有名だがな」
「そう! この共通点に気づかなかった私もぼんやりさんだけど、まさかそんな大人げないことをするとは思わなかったわよ。轟さんの歯並びのことをさりげなく触れて、矯正をしないで過ごしたのは家庭の問題だみたいなことをちくっと言ったり、古本を拾うのは窃盗だとか、そうそう、奨学金は身も心も清らかな人以外受け取れないとか。思いつく限りの嫌味たらたら。聞いている私のほうが情けなくなるわよ。こんな人をこれから一年間、担任として仰いでいくのよ。将来について相談するのよ。親呼んで三者面談もするのよ。家庭訪問もするのよ。そんな汚い人が私の担任だという現実、どうすればいいと思う? 関崎! もうマイクなんて持たないで聞いてよ!」
──ここまでひどい状況だったのか。
マイクで一曲歌って逃げようとした乙彦のたくらみを一発で見抜いた静内の鋭さ、ただ脱帽するしかない。どさくさに紛れて静内は乙彦の手をきつく握った。揺さぶった。同時にほんのわずか、身体が乙彦に触れた。柔らかいぬくもりのようなものだった。一瞬ですぐに離れたけれども、無理やり押し込めていた炎に油を注がれたような気持ちになる。椅子にべったりくっつき乙彦はマイクを武器の代わりに握りしめた。
「静内、状況は把握した。正直今俺もこんなひどい状況だとは思わなかったので驚いている。で、名倉は、それ知ってるのか」
しどろもどろになりつつも尋ねると、静内は頷いた。
「もちろんよ。あんたより先に話したよ。でも奴も知ってたみたいだけどね。別ルートで情報を把握したみたい」
──よりによって名倉もしっぽをつかんでいるのか!
万事休す、力が抜けた。




