7 どんでん返し(5)
今まで名倉をはさんで三人でカラオケボックスにしけこんだことは何度もある。喫茶店だと余計な金がかかるがカラオケボックスだと三人で割ればさほどでもない。学校でしゃべるのが難しい内容を語るためにだけもぐりこんだこともある。だが、
──二人だけというのはない。
自転車を降り、改めて静内の横顔を覗き込む。
いつも行っている店であればすぐそこだ。曲の数も多い。まかり間違っても菱本先生宅のように演歌オンリーのテープしかないということはない。マイクの奪い合いだけであればいくらでも場所はある。
「今日は混んでいるかもな」
「そうね」
いつものようなさらりとした声で静内は答えた。
「でも、ふたりならいくらでも入れそうじゃない。いつもだと名倉を含めて三人だから、中途半端で入り切れないってこともあったけど」
「もっともだ」
答えてみて、目をそらす。三人で部屋を取るとなると、静内の言う通り中途半端な数なので部屋代がそれなりに高くなる。二人部屋もあることはあるが非常に狭い。汽車の席程度の場所しかないこともある。当然、密着することになる。名倉と相談の時はたまに利用したりもするが、男同士移動が非常に大変だった。
「聞いてみるか」
静内が答えの代わりにすぐ受付へと向かった。二言三言やり取りしたのち、
「二人部屋であれば空いてるって。行こう」
一時間歌い放題で三百円。昼間はそれなりに得なのだ。
案内された部屋はやはり狭かった。奥にソファーがちょうど二人分、テーブルもびっちり腹までくる。マイクとレーザーディスクが目の前に迫ってくる。歌う分には悪くない。周囲からは同じく高校生か大学生か、下手なが鳴り声が聞こえてくる。
乙彦が先に入り陣取ると、静内も隣に腰かけた。すでにコートがいらない季節になりつつあるわけでふたりの間に挟むものはかばん類のみ。
「何か頼むか」
「オレンジジュースにする。関崎は」
「コーラでいい」
手慣れた仕草で静内が部屋の受話器を取って注文する。乙彦に向かって歌本を二冊手渡す。
「関崎、あんた歌いたいんでしょ。歌えばいいよ。私はあとでいい」
「わかった」
歌いなれた曲をさっさと選ぶ。リモコンで登録する。同時に曲が流れだす。いつもなら立ち上がってマイクを握るのだが、なぜか今日は声が出なかった。いがらっぽく、喉がむせる。途中で終了ボタンを押した。
「どうしたの関崎、珍しいね」
「静内も何か歌ったらどうだ」
「ごめん、今さ、とてもそんな気分じゃない」
歌本をめくりもせず、静内は届いたオレンジジュースのストローをくわえた。ふうと息を吐く。
「まだ一か月も経ってないのにね、なんでこんなに力抜けるんだろう。不思議」
「確かに。疲れることは多い」
つい同感する。乙彦も一緒にコーラをすすった。冷たい。さっきから妙に火照った身体が落ち着くようだ。喉も楽で、歌とは違う声が出る。
「C組の様子はどうなんだ。俺も生徒会関係者からいろいろ聞いてはいるから、面倒くさいことになっていると予想はしてたが、口出しできないからな」
「関崎に口出ししてほしいなんて思わないよ、別にね。ただ、一時間だけ話を聞いてくれると嬉しい」
「名倉には話しているのか」
乙彦の問いに静内は頷いた。
「名倉とはしょっちゅう連絡取ってる。でもなかなか細かい話は時間がなくてできないよ。生徒会のメンバーがやたらと名倉に張り付いてて、気になることがあっても言葉選ばないとならないしね」
「あいつに生徒会の奴らが張り付いてるのか」
乙彦以外とはあまりつるまない名倉のイメージしかない。静内は笑った。
「一方的に追いかけられているって感じね。ほら、阿木さん、いるでしょ。彼女が何かかしら名倉に媚び売ってて見ているのもうっとおしいよ。他の女子たちも顔しかめているけど全然気にしないみたい」
納得だ。阿木がどれだけ名倉に熱をあげているのか生徒会関係者で知らないものはない。肝心要の名倉は乙彦の知る限り、初恋の君のことだけを考えているようだが。陥落の可能性は非常に低いと思う。そのことを話すと、
「そうかな。わかんないけど。でも、あれだけ積極的に迫られて、嫌な気持ちはしないんじゃないの。私、男子の気持ちは想像するしかないけど」
憮然とした口調で言う。
「静内から見てどう見える。名倉は、よろめいているように見えるか」
「見えないよ。表向きは無視しているね。でも、これからどうなるかわからないよ。関崎はどう考えてるの」
同じく、問題なさそうだとは思うのだが、静内の言う通りこれから心変わりがあるかもしれない。否定はできない。
「あくまでも個人的な見解だが」
前置きした上で乙彦の意見を伝えることにした。
「いくら積極的に女子がアピールしてきても、俺が興味を持たない限りはたいして何も感じない。それが本音だ。好意を持たれて嫌な気持ちがしないわけではないが、こちらが苦手とする相手にはノーサンキューだ。名倉も俺とそう変わらない感覚の持ち主だからそういうもんじゃないのか」
「そうか、関崎はこういう顔して結構もてるんだよね。忘れてた」
失礼なことを静内は拍手しながら叫んだ。
「俺は何もしていない。誤解するな」
「わかってるよ、一方的に迫られているだけなんだってことは、はた目からみてよくわかってるよ。女子があらゆるところから吸い付けられて行って、跳ね返されているだけなんだってね。だから、A組の評議の人に呼ばれて行ったのも、たぶんそういう流れなんだろうなって思ったから、私はただ同情したよ」
──やはりそこに行きつくのか。
静内が知りたがっている様子はびんびんと伝わってくる。
藤沖の言葉を通じて、乙彦が古川こずえの家に呼び出されてなんらかの時を過ごしたらしいというところまでは把握されている。
別にやましいことはなにひとつない。本来なら全部洗いざらい話したいところなのだが、いかんせん古川の家庭事情が流動的な現在、関係のない第三者に口を滑らせるわけにはいかないのだ。
──名倉が阿木に迫られているのを見ているから、俺も同じパターンと勘違いされているのかもしれない。種明かしができないのが面倒だ。
それだけではない。静内はあの杉本梨南が乙彦を追いかけて学校に現れた時、わざわざ取り次いでくれた経緯もある。宇津木野のラブレターについては立村以外知らないし、清坂の告白については今のところ内密にされているはずだ。確かに乙彦がこの学校に入ってから、人生始まって以来の色恋日和を過ごしているのは確かだが、決してそれには飲まれていないと断言できる。夢にすら、出てこない。
──夢、か。
不意に蘇る、艶やかな夢のかけら。
ついさっきのうたたねで、身体ごと揺さぶられたあの夢。
思い出した途端、感覚がまた蘇る。部屋が暑すぎて、身体が火照る。
隣の静内を横目で見る。
──まさか。
ゆっくり呼吸を整える。まだ熱さがひかない。
──静内も、まさか、俺に、気があるのか?
絶対に普通の精神状態であれば思いつかない発想をしてしまう自分を乙彦は恥じた。理由はわかっている。あの夢のせいだ。忘れた頃不意に襲ってくる、夢の中の、真っ白い水仙の花。なかったことにしようと目をふさいでも瞼の奥から突然、浮かんでくるあの姿。
──関崎乙彦、正気に戻れ! いい加減にしろ!
心で喝を入れ、マイクを握りしめ、とにかく歌えそうな曲を探すことにした。声を出せばあの記憶を忘れていられる。血迷って親友のひとりを色恋沙汰の登場人物に巻き込まないですむのだから。隣の静内は乙彦の気持ちを知ってか知らずか、疲れたようにため息をついている。




