7 どんでん返し(2)
疋田のくりくりした瞳が改めて教室内を見渡す。
「おいおいいきなり何言い出すかと思ったら、立村におんぶとだっことくるのかよ、ったく疋田も少し頭冷やしたほうがいいぞ、なあ」
麻生先生があきれたように疋田へと語り掛ける。
「なんでですか。結構冴えた方法だと思ったんですけど」
「第一当の藤沖がひとりでいいと言ってるだろ? 困っているなら話は別だがなあ。それにだ。疋田も最近ピアノの出前レッスンなんかしちゃってなあ。ありがたいことだが、練習の時間あるのか? そっちが心配だぞ」
軽くからかうように語り掛ける。去年の後期から規律委員を務めるようになり、学校行事にも積極的にかかわるようになった疋田だが、もともとは音大を目指すストイックな生徒だったはずだ。それもこれも例の合唱コンクールがきっかけで、何かが目覚めてしまったらしい。引き金をひいたのが立村で、乙彦が生徒会に入った後釜として規律委員に復活した。この半年で何かが起こったと考えても不思議ではない。
「練習の時間、もうたっぷりありますよ! だって私、部活やってないし。帰ったら即ピアノだし。それにピアノの出前だって練習の一環なんですよ。先生知らないんですか? 教えることだって勉強なんですよー!」
「これは一本取られたな。なんて言ってる場合かおい。ったく疋田、その乗りどこで学んできたんだ? さてはお笑い番組見すぎてるんじゃねえのか」
「テレビは見ませんよ。だってそれこそ練習の時間も友だちとしゃべる時間もなくなるし、ねえ」
テンポよくかけあいを続けていく疋田。
──疋田とは、本当にこんな奴だったんだろうか。
思わず乙彦も自席で首をひねる。もう一度立村の様子を確認する。
怖いほど落ち着いているように見える。
──まさか、立村、今この場で動いたか?
古川のマンションで乙彦が立村と二人きりになった時に少しだけ話題になったことはある。クラスの女子をまとめてきたのが古川であり、その当人がクラスから消えた場合後釜は誰なのかを。立村は名前こそ出さなかったが、疋田の可能性に乙彦が言及した時は否定しなかった。つまり、それなりに考えてはいるということと解釈した。
──口に出すとこんがらがるから、今は言わないとか言ってたな。
本人がしゃべってもこれだけこんがらがるのだからしょうがない。だが立村は疋田の思惑を承知していたのだろうか。
「先生、提案です」
考えるより先に自分の手が挙がっていた。
「なんだ関崎」
「規律委員で疋田さんが評議の補佐に回った場合、本当に立村が助ける気持ちあるのかを確認したいんですが」
立村が乙彦をぎょっとした目で見返してきた。
「俺も去年の前期に規律委員やってたんで、おおよその内容は把握しているつもりなんですが、評議とかけてやれる内容かどうかによって変わってくると思います」
「できるわけないだろう」
一方的につぶやくのは藤沖だ。
「規律はせいぜい朝夕の週番と持ち物検査、時間があれば体育大会のグッズ作り、あとは『青大附属ファッションブック』機関誌発行。このくらいだ。それでもふつうにやるなら大変なことだが、評議委員会はクラスのまとめ役だけじゃない、生徒会とのやりとり、遠足や宿泊研修時の打ち合わせなどなどとにかく細かな仕事が多い。とてもだが慣れてない奴がかけもちできるようなもんじゃない」
評議とは、ひとりでできる仕事だが慣れてない奴が手を出すとろくでもないことになると言いたいのだろう。もっともだ。
「あっそっか」
あっけらかんと疋田が答えるも、即言い返す。
「でも、それ古川さん全部やってたよね」
「俺とふたりでだ」
「いや違うよ。女子から見た限り、全部古川さんが仕切ってたよ。陰ではいろいろやってたのかもしれないけど、古川さん、自分の入ってる図書局に行く暇もないくらい忙しかったみたいだよ。つまり、ひとりでもできなくはないけどすっごく大変だってことだよね、藤沖くん」
「だが、規律しかやっていないお前に古川の代理をすることは絶対無理だ。古川の場合目に見えないところで準備したり声かけしたりとかなり面倒なことをひとりでやっていた。俺はある程度どういうことかわかるから代わりにこなすことはできる。多少負荷が増えてもなんとかなる。むしろ余計なことを何も知らない奴に押し付けられる方が迷惑だ」
藤沖は意地でも古川の代理を押し付けられたくないと突っぱねている。
──俺が同じ立場でもそうするだろう。
一方で、立村の言い分も聞きたい。改めて口をはさんだ。
「もし疋田さんが評議の手伝いをした場合、しわ寄せがくるのは規律委員の立村のほうだと思うんだが、正直、どう思う」
立村が物憂げに立ち上がった。
「委員という仕事を丸ごと引き受けるのではなくて、その仕事内容を棚卸するところから始めたほうがいいんじゃないかな。そのうえで、疋田さんが手伝えることは手伝うなり、正式な評議委員でないと難しいことであればそれは藤沖に任せるなり、いろいろできると思う」
「棚卸か」
「そう、藤沖が今話した評議委員の仕事内容を整理すれば、規律だけじゃなくて他の委員会でも代行できることが見つかると思うんだ。今、古川さんが学校に来ていないのは事実だし、その間にもやるべきことはたくさんあるからさ。たとえば」
遠慮がちに、それでも乙彦と藤沖二人に向かい、
「規律の場合だと朝夕の週番は外せないから、その時間帯に行う仕事は受け付けられない。たとえば評議だとたまに朝一で集まって打ち合わせたりすることあると思うけどそういうのには参加できないってことになる。あと委員会関係も、普段の会議は同じ曜日同じ時間帯に重なるからそれも出られない。ただ、クラスの中を調整したり遠足の打ち合わせを行うというのであれば、規律委員会の状況にもよるけどなんとか手伝えそうなところはある」
声がしっかりしたものに変わっていく。みな静まり返る。
「古川さんがいつ学校に来るかにもよるけど、正式に代行を立てるよりも、仕事自体の適材適所を見極めて割り振るのが一番いいような気がするけど、どうかな、関崎」
「それでやっていければいいが、もし万が一、長引いたらどうする」
立村の答えはあっさりしていた。
「五月の宿泊研修が行われた後で最終的に判断すればいいよ。それまでに古川さんが来ればなによりだし、来なかったら来なかったでまた相談すればいいし。どちらにしても藤沖にだけ負担がかかるのはきついと外野からも思うんだ。むしろこの機会をきっかけに、評議委員自体の仕事を分配して動きやすくするほうが楽じゃないかな。同じことは規律委員にも言えることであって、せっかくの機会だから俺も仕事棚卸してみるよ。そうすれば負担がどのくらいになるか見当つくし、疋田さんがもし両方の仕事をしなくてはならなくなった時に、どのくらいなら俺が背負えるか見えてくるからさ」
教壇そばで疋田が、窓際の席で江波と吹奏楽の一団が音の鳴らない拍手を送っていた。苦虫すりつぶしたような顔の麻生先生が、
「もういい、帰りが遅くなる。とりあえずは明日の朝もう一度話し合おう。おい藤沖、号令かけろ、お前が評議だからな」
言い返せないまま藤沖は「起立、礼」の号令をかけ、そのまま何も言わずに教室を出て行った。一方で立村は疋田に近づき、
「これ、見ておいて。意見あるなら明日聞くよ」
なにやらメモを渡し、素早く荷物をまとめた。腕章を取り出し、そのまま静かに教室から姿を消した。
「立村、何置いてった」
「規律委員会の仕事内容だって。あの間すごい勢いでメモしてたみたいよ」
江波と肩を寄せ合い疋田がメモをじいっと見入っていた。




