3 思い当るふし(4)
電子レンジで温めた上で魚焼き機で焼くというやり方はあまりいいもんではなかった。菱本先生……いまだに名乗りなし……はまともに料理することがあるのだろうか。すべて奥さんに任せているのではないだろうか。何はともあれ炭寸前のピザをありがたくいただく。スモークチーズや柿の種、手焼きせんべいがどっさりならんでいるので腹は膨れる。
「てなわけでだ。どうだ、一曲歌うか」
「いえ、時間がもったいないので話を進めたいです」
演歌オンリーのカラオケマシンには手が伸びない本音はやはり隠す。菱本先生も特にこだわることなく、
「そうか、そうだな。じゃあまずは酒のつまみでも食いながら話すか」
「ただ、酒は飲まないでいただけるとありがたいです」
帰りは車で送ってもらわないと、道がわからない。そこまで読んだかどうかはわからないが、菱本先生は機嫌よくサイダーを開けた。
「生徒相談室よりはのんびりいけるからな、うちだとな」
「古川からもいろいろ聞いていると思うんだが」
切り出した菱本先生は、乙彦にまずさきいかを食べるよう促した。
「関崎は立村のことをいろいろと気にかけてくれているようなんだな」
「気に掛けるというか、普通の友達です」
まずはそういうことにしておく。菱本先生も頷きつつ続ける。さきいかのしょっぱみが口に広がり、なかなか噛み切れず、しゃべりづらい。
「まあ、さっきも聞いたが、中学時代から付き合いが続いていたというしな。そうか。で、実際同じクラスに入ったところ、あいつが妙な態度をとったということか」
「理由はわかってます。今はなんでもありません」
すでにけりがついたことでもある。
「まあそういうことならいいんだがなあ。古川が言うには、立村が引っ込んでいるのを関崎ががんばって引き出そうとしてくれていると。めんどくさい奴なのに、こまめに声かけしてくれていると。さらに言うなら、さまざま手を尽くして立村を委員会活動に戻そうとしてくれていると、間違いないか」
「間違いはないです」
嘘ではない。菱本先生の言葉は正しい。
「僕はできる限り立村を、かつての立場に戻してやりたいと思っています」
「かつての立場、とはなんぞや」
「青大附中評議委員長まで勤めたあいつが、人間関係の行き違いでクラスの隅っこに追いやられているのがやりきれません」
「そう思うのか? 関崎、本当にそう思うか?」
「はい、僕が青大附高を受験しようとした時、全力でサポートしてくれたのが立村でした。そのあと行き違いのようなものはありましたが、単にあいつが俺を立ててくれていただけです」
「立てた、のか?」
何度も首をひねり、そのたびにさきいかが減っていく。負けずと乙彦も片手にさきいかを数枚押さえる。
「ごたごた続きだったと聞いてます。青大附中の評議委員会は」
少し話の向きを変えてみる。
「僕が知る限り、青大附中の評議委員会と生徒会との間でぎすぎすしたやり取りが続き、立村が調整に失敗して委員長を降りたと聞いています。やり方は間違っていたのかもしれませんが、それでもあきらめずに最後まで努力を続けてきたことは、それだけでも評価に値します」
「ちょこっと話が違うが、まあいっか、続けろよ」
「僕も水鳥中学生徒会の役員としてやり取りしてきましたが、立村は下級生の突き上げにもめげず、一生懸命交流会を成功させようと全力尽くしていました。他中学だからわかるものもあります。あいつがいなかったら、交流会は成功していなかったと思います、絶対に!」
ここで思いっきりサイダーを飲む。オレンジジュースは甘すぎていけない。
「そうかあ」
腑に落ちない顔で、それでもつまみはどんどん減っていく。今度はスモークチーズの袋に指を突っ込む。
「まあ、外から見ていたらそう感じなくもないか。それで現在なんだが、正直どう思う? 立村は、クラスでうまくやっていけそうか?」
「いけると思います。状況は少しずつ変わってきています」
ここは言い切った。頭の中に響く『モルダウの流れ』。
「先生はご存じですか。合唱コンクールの際に立村が伴奏を担当したこと、古川、話してませんでしたか」
「聞いた聞いた。あの時もかなりもめたらしいなあ」
身を乗り出してくる。知っているなら話は簡単だ。
「関崎も指揮者担当したと聞いているんだが、いろいろあったようだしな」
「はい、いろいろありました。たまたま僕がいない間に合唱コンクールの指揮者が必要となり、立村は代理でそれを担当してくれました」
「伴奏する奴がいなくなったってことか」
「違います。別の、伴奏得意な女子を指名して即興でやらせました。あとで聞いて僕は、あいつがようやく本領発揮したと理解しました」
熱くなりそうだ。奇跡とは本当にあるものだと、合唱コンクールの際につくづく感じた。古川もあの場を見ているはずなのだが、どうも菱本先生にはきちんと伝わっていないようで歯がゆい。
「そうか、あいかわらず立村は暴走気味なんだな」
「ですがああしないと誰も動きません」
「英語科の評議は誰だった?」
いきなり菱本先生が問いかけた。即答した。
「元青大附中生徒会長だった藤沖です」
「ああ、あいつか、そういうことか」
大きくため息をつく菱本先生。乙彦の顔をまじまじと見つめながら、
「英語科は人材不足なのかもな」
藤沖が聞いたら激怒しそうな言葉をつぶやいた。
「いや藤沖もよくがんばってくれています。ただあの時は、立村が場を仕切ったと聞いています」
「だが本来は評議が仕切るべきだろう。関崎がいなかったのは運が悪かったがな。いやあ、そうするとかなりクラスはすかすかで、これから古川がどうなるかによって、えらいことになるってわけだなあ。関崎、まあ飲め。歌いたくなったら歌ってもいいんだぞ」
──だから、古すぎる演歌オンリーは無理なんだ。
残りのさきいかを確保し口に放り込んだ。
「そうだ、関崎」
不意に明るい口調で菱本先生が語り掛けてきた。
「お前なんで、青大附高受けようと思った? ちょっと気になるんでな。せっかくだし教えてもらえないか?」
全く想像していない問いだった。あわてて口の中のさきいかを飲み込んだ。しょっぱすぎて喉が渇く。サイダーは炭酸でつらいのでしかたなくオレンジジュースに切り替える。
「端的に言うと、青大附中入試でしくじったからです」
「落ちたってことか」
「はい。満点取っていたつもりなんですけど、なぜか落ちてたんで」
嘘ではない。自己採点した時には確実に受かっている自信があったのだ。何か答案でろくでもないミスをやらかしたに違いない。
「落ちてた?」
菱本先生が言葉を選ぶようにして、ゆっくり問いかけてきた。
「前のことなんでよく覚えてないんですが、とにかく合格発表の時に名前なかったんで、不合格だと思います」
「学校に点数問い合わせたりしなかったのか?」
「先生がしてくれたかもしれませんが僕は聞いてません」
無理に聞き出すこともなかった。気が付けば小学校時代の仲間たちと公立の水鳥中学へ進学し、陸上部の先輩たちに嫌がらせされたり、生徒会では総田をはじめとする軽い連中と口喧嘩を繰り返し、いろいろやらかしてはいるけれどもなんとか無事に卒業できた。まんざら悪くはなかった中学三年間、今でもあの頃の同級生たちとは一緒にはしゃぐことができる。乙彦にとっては、今思えばそれはそれでよかったと思っている。
「そうか、で、あきらめられずにもう一度チャンス到来というわけか」
「はい。正直経済的にやっていけるのかって不安もあったんですが、受験してみて僕なりに決着をつけたかったってのもあり、受け直してみました。募集人数が少なかったんでどうだろうと正直思わなくもなかったんですが、受かりました。よかったです」
「よかったよなあ。んで、今はどうだ? 楽しいか」
何度も、耳タコになるくらい聞かれた言葉だ。自信を持って言い切る。
「はい、心底楽しい日々を過ごしてます! 親には悪いんですが、学校側でバイトも許可してもらいましたし、麻生先生をはじめ会う先生みな、僕をものすごくサポートしてくれます。もうびっくりするくらいにです。こういったらなんですが僕はこの学校にきて、一度も上の人たちと接して嫌な思いをしたことがないです。言いたい放題言いまくってるのに、不思議です」
本当にその通りだと思う。乙彦のスタンスは中学時代から変わっていない。理不尽なことは先輩であっても盾ついて、結局陸上部を追い出された。同じく生徒会役員の時も総田ばかりが評価されて乙彦は「シーラカンス」「堅物」などと揶揄された。それが今はどうだ。同じようなことを言い放ったところで、会う連中……例外は同学年……みな乙彦を丁重に敬ってくれる。神のような存在である結城先輩も乙彦を高く評価してくれる。唯一先輩として乙彦を敵視するのはひとり、立村の兄貴分である本条先輩だけだ。
「そりゃあな。大事にするわな」
まじまじと乙彦を眺めた菱本先生は、すっくと立ちあがりカラオケマシンに近づいた。歌本とカセットテープを取り出して、
「やはりこれは年長者から行かないとうそだよな。関崎、まずは俺の美声を聞いてみろ!」
そこまで言ったところで曲を探し始める。
「しかしねえなあ」
「何がですか」
乙彦ものぞき込む。
「俺の歌えそうな曲」
思わず顔を見合わせる。沈黙が続く。見つめあう。
「そっか、そりゃあねえよなあ!」
「演歌ばかりですから」
ぷっと吹き出す。笑いが移りそうだ。吹き出さずを得ない。
「関崎、そっか悪かった! 若者向けじゃあねえなあ」
「大丈夫です。アカペラで歌えます。マイクがあればいけます」
「まじか? 本気か?」
さすがに先生に対して恥をかかせるわけにはいかない。
「そうかあ、じゃあまず校歌いくか! うちの学校は校歌が中学から大学まで同じだから、安心して歌っていいぞ。もう覚えただろう」
「もちろんです!」
菱本先生は乙彦のグラスにオレンジジュースをなみなみと注ぎ、自分のにはサイダーを入れた。
「まずは乾杯といくか!」
「よろしくお願いします!」
──そうだ、このパターンなんだ、俺が青大附属に合格してからは。
曲なしで合唱しつつ、ふと乙彦は自分と菱本先生を上から俯瞰しているような気分にとらわれた。場所と菱本先生を入れ替えれば、麻生先生をはじめとする先生たちみな、同じように乙彦へ接してくれる。怖いくらいフレンドリーに、心から応援するかの如く。たとえ、初対面であってもかわることなく。みなが関崎乙彦の名を知っている。みなが乙彦をもてなしたいというかのようにふるまう。
──外部生だからか? いや違う。静内たちは違うぞ。
なぜ、と自分に問いかける間もなく、菱本先生が気分よく次の曲を提案してきている。乙彦はいったん考えをマイクの中に保留した。




