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3 思い当たるふし(5)

 いったんマイクを握るとお互い打ち解けるのも早い。

 一応、教師でもそれは変わらない。

 演歌オンリーのカセットテープは無視して、ジュースとサイダーを何本空けたかわからないが、どうでもいい話は無視の上、ただひたすら歌いまくった二時間だった。気が付けばもう夜九時近く。さすがにこれはまずい。

「先生、ありがとうございました。親がうるさいので、そろそろ帰ります」

 喉がいがらっぽくなってきたのを境に、乙彦は切り出した。

「もうか? いやなあ、まだいいだろ」

「いえ、春期講習の勉強もしなくてはなりませんし、家に生徒会関係者の連絡がないとも限りません。また立村から連絡が」

 はっと目を見開き、菱本先生は、

「そうだ、あいつな、かぎつけられたらうるさいな。確かにな」

 ひとりで納得している。さほど立村との付き合いについて熱く語ったとは思えず、本当ならば一番心配な古川の今後についても全く触れられなかったのが正直気になる。菱本先生は単にマイクを握りたくて乙彦を誘ったのだろうか。まさかそんなわけないとは思うが、そう邪推したくなる。

「じゃあ名残惜しいが、送ってくわ。カラオケはいいぞこのままで。どうせ明日嫁も歌いたがるだろ」

「あの、今夜は古川と一緒に泊まるんですか」

 念のため確認すると、菱本先生は軽く頷いた。

「古川はベビーシッターでやっていけそうだしな。それに、麻生先生も手筈整えているはずだ。まあお前ら生徒たちは心配しないでいい」

 どこか、詳細を問うてはいけないような口調で遮った。

「じゃあ、車出してくるか。いやなああれだけ騒いで一滴も酒飲んでないってのはいいなあ。しかも直属の教え子じゃないのがまたいいな。関崎、次回からは単なる歌い仲間としてうちに来いよ。さあ盛り上がろう!」

「ありがとうございます」

 いったい何が目的なのか、訳が分からぬうちに乙彦は助手席に押し込められた。親にどう言い訳すべきか。やましいことはしていないが、まさかアカペラ合唱会で燃え尽きたなんて言うのも情けない。菱本先生は一応教師なのだからそのあたり、すべて任せることにした。

 訳の分からない時は流れに任せて様子を伺う。それが青大附属での歩き方。


 車はあっという間に我が家へとたどり着いた。菱本先生は運転がうまい。乙彦の家への道のりは把握していなかったようだが、助手席からかんたんに説明するとすぐ飲み込んでくれる。ありがたいことだ。

「さてと、じゃあお前のご両親にまず挨拶だな」

「すみません」

「古川のことは言うなよ」

 降りる直前に菱本先生から念押しされた。

「見方によったら不純異性交遊を疑われる可能性もないわけじゃなあい。事情が事情だし、お前ら男子が引っ越しの力仕事を申し出たってのならば責められやしない。だが、妙な情報がないに越したことはない」

「はあ」

 確かに女子と何かかしらというのはまずそうだ。

「とりあえず俺が全部いいように説明しておくからお前はそれに従って頷いて置けばいい。繰り返すが俺と関崎とは教師と生徒じゃない、ただのカラオケ友だちだってことだぞ」

 ──カラのオーケストラすらなかったのに。

 しょうもない突っ込みをするのも大人げない。乙彦はそのまま菱本先生の後ろに立った。


「おとひっ、いや、乙彦、こんな遅くまでご迷惑じゃないか。先生申し訳ございません。うちの息子がお世話になったと伺いまして」

 少し不機嫌そうな父が玄関で出迎えた。てっきり乙彦が補導されたかなんかと勘違いしているのかもしれない。やましいことこれっぽっちもない乙彦ならいくらでも誤解を解く自身があるのだが、菱本先生との約束がある以上黙っている。父の背後からちらちらと顔を出すのは兄と弟だ。きっと優等生面した乙彦が久々に雷落とされるものだと期待しているのだろう。

「いえ、あの、初めまして。先ほど奥様とお話させていただいた、青大附属中学で教師をしております、菱本守と申します。本日は夜遅くまで乙彦くんを貸していただき、まことにありがとうございます」

「青大附属中学、ですか」

 父が怪訝そうに首をひねる。今まで学校対応をするのは母の役割だから、把握できていないのかもしれない。そもそも、乙彦は青大附中の試験をしくじっているわけだから、あまりいい印象がないのかもしれない。

「驚かれるのもごもっともです。あの実は、僕の教え子の一人が急な引っ越しのためどうしても男手が必要になりました。たまたまその教え子の親しい友だちが関崎くんということもありまして、あえて今回無理をお願いした次第です」

「急な引っ越しですか。それは大変ですな」

 怪しんでいる。菱本先生が畳みかけるように言う。

「詳細は明かせませんが、さまざまな家庭の事情がある子どもたちが多いため、なかなか難しいところではあります」

「いわゆる、夜逃げですか」

 単刀直入に乙彦の父が問う。菱本先生が両手を何度も握りしめつつ、

「お察しいただければ」

 あいまいにごまかそうとする。

「いろいろ難しい事情があるようですな、お宅の学校は」

 酒飲んでいるのだろうか。父は決して酒癖が悪いほうではないと思うが、それでもずいぶんと菱本先生に突っかかりかげんだ。どう割り込むかが問題だ。

「息子をお送りいただき恐縮です。この子は親もあきれるくらいの堅物なので、何か間違いを犯すとは思っておりませんがやはり、それなりの年頃ですのでご迷惑をおかけしないとも限りません。ですが、なぜ、青大附高ではなく、附中の先生が。少々気になりますな」

「ごもっともです」

「ご存知かもしれませんが、乙彦は青大附中の入試で残念な結果に終わっておりまして、私もこれまで何度か、御校の先生がたとお話させていただきました。菱本先生とおっしゃいましたか。多少私も言葉を荒げざるを得ないことがありましたので、もしやご存知なのではと心配しましてな」

 ──おい、父さん、何菱本先生に絡んでるんだよ。そもそも今そんな話持ち出してどうするんだ!

 どうみても素面に見えるのだが、どうもいつもの温厚な父には見えない。後ろにいる兄弟たちに目で合図するも見事に無視されてしまった。第一母が隠れているのがおかしい。

「父さん、今日は先生の家でごちそうしてもらって、カラオケ歌って帰ってきただけだから、もういいだろ。俺もちゃんと説明しなくて悪かったと思ってるし」

 さすがに見かねて乙彦も割り込む。父は乙彦を見もせず、

「子どもは黙ってなさい」

 遮りまた菱本先生に差し向いで続けた。

「もちろん、試験は水物ですからいろいろあります。私も自分の息子を買いかぶっていただけなのかもしれません。ただ、四年以上前のことですが、乙彦の試験控えを見た限り満点だったと思わざるを得ないのですよ」

「申し訳ございません」

 神妙に頭を下げる菱本先生。哀れだ。なんとかせねばと思うのだが、父の穏やかな中にもあふれてくる怒りにどう対応すればいいかわからない。

「面接で何か試験官の方に失礼なことでも言ったのかとも思ったのですが、息子の話を聞く限りそうでもないらしい。なんでですかね。しかも、あとあと耳にしたところによると」

 なおも父が声を荒げようとするのを、今度は菱本先生が深々と頭を下げた。

「その件、責任を持ったお答えができず、誠に申し訳ございません! また当時対応したであろう者が失礼なことを申し上げたようで、重ね重ね失礼いたしました! 今、私にできますことは、せっかくのご縁で青大附高に見事合格した乙彦くんを、中学教師の立場からもぜひに応援させていただきたいというそれだけです」

 ずいぶん言葉がごちゃごちゃだ。相当父にびびっているに違いない。

「父さん、菱本先生とは今日初めて会ったんだよ」

 なんとかせねばならない。あとで怒鳴られるかもしれないがまずは割り込む。

「その、難しい事情があるクラスの奴の引っ越し手伝いして、その帰りに菱本先生の家でピザ食って、そのあとカラオケマシン貸してもらって歌ったってそれだけだから。ほんと何父さん、失礼なこと言うんだよ。そもそも、俺は青大附中に恨みも何もないって何度も言ってるだろ? 水鳥中学行って結局楽しかったし、雅弘と三年間同じ学校だったし、それでいいだろ?」

「乙彦、これは大人の問題だ。お前は部屋に行ってなさい」

 またも乙彦をあしらおうとする父。しかし引っ込んだらせっかく送ってくれた菱本先生がかわいそうだ。上がるわけにはいかない。

 父の話はまだ終わらない。

「菱本先生、あなたを責めているわけではありません。乙彦のことを買ってくれてこれからも目をかけていただけるというのであればそれはそれでありがたいことです。だからといって四年前のことをなかったことにしようと、懐柔なさろうとするのであれば、それは少しお話が違うのではと、念のためお伝えしたかっただけです。菱本先生、わかっていただけますか」

 迫力、眼力、はんぱでない。菱本先生の足が一歩後ろに下がり気味なのがすべてを物語っている。

「お父様、あのそれでは」

「立ち話で終わることではないですし、そもそも菱本先生は当事者ではなさそうです。今夜はこのあたりにしておきましょう。ですが、せっかく中学とのご縁ができた以上、私もこれからはしっかりとお話する機会を待ち望んでおりますよ。ご理解いただけましたか」

「は、はい。あのですね、そのことも含めてなのですが」

 青くなったり赤くなったりしている菱本先生もようやく態勢を立て直したのか、後ろに引いた足をきっちり揃えた。

「乙彦くんから今日、無理に時間をいただいたのは、私の教え子たちの多くが全力で彼を応援したいと話していたからでもあります。外部入学で苦労してきたにもかかわらず、今やクラスになくてはならない存在であるとか、もちろん生徒会役員も勤めているとか」

「それはそれ、今は今、過去は消えません」

「いやそれは確かにそうなのですが、私が申しあげられることは、今後なんらかの問題が生じたとしても彼を傷つけるようなことはないよう、心を配ってまいりたいというそれだけでございます!」

 ──なんらかの問題ってなんだよそれ。

 口に出かけたが父がすぐに突っ込みを入れる。

「その、問題とは」

「さまざまなことが、これからもしかしたら起こるかもしれないという仮定の意味でございます! もちろんそれが杞憂であることを信じておりますが、またなにか失礼な対応など私どもで、あの、しでかして、あのしまった場合においても、私たちは全力で乙彦くんを守っていくという、それだけでございます!」

「乙彦を守る、ですか。ずいぶんと大げさなことだ。私はただ、うちの息子が四年前に受験した時、不合格となった具体的な根拠を知りたいだけです。しばらく連絡を控えていたのは忘れたわけではないのですよ」

「ごもっともです、ええ本当にごもっともでございます!」

 なんだか堂々巡りであるが、父もようやく落ち着いたのか、言葉を柔らかくして、

「いや、失礼いたしました。今までお話しさせていただいた諸先生のみなさまが、どうも腑に落ちないことばかりおっしゃるもので、私も少し気分を害しておりまして、ついつい言葉が過ぎてしまいました。申し訳ございません。もちろん、乙彦を大切に育てていただけるというお言葉はありがたく受け取らせていただきます。今後何かあったとしても、中学のみなさまも含めて味方に立っていただけるとのことでもありますので、少し胸のつかえが取れました。恐れ入ります。ですが」

 ──なんだよ父さん、まだ続くのかよ。思いっきりしかめっ面になりそうなのを堪えつつ、乙彦は父が沓脱に降りてゆっくりと菱本先生の肩に手を置き送り出すのを見送った。

「関崎、またな。また歌おうな」

 引きつり笑顔を浮かべつつ、菱本先生が去っていく。


 のぞき込んでいて誰一人助けに来ない家族たちに、乙彦はまず尋ねた。

「父さん、酒飲んでないよな」

「飲んでないわよ。さっき先生からお電話いただいたでしょう? あの時父さんがねえ」

 ダッシュで二階に引っ込んだ兄と弟を尻目に、母がため息をついた。

「『中学の教師が絡んでくるということは、例の件をなかったことにしたいだけだ。ここいらできちんとお灸を据えよう』とか言い出してね。お母さんだと口先で丸め込まれるからって、ずっと奥に引っ込んでろって言われちゃったのよ」

「俺、あの先生にごちそうしてもらったんだけど」

「カラオケもしてきたんでしょう。あんた好きだからねえ。おとひっちゃん、もういいから早く上がって風呂入りなさい。お父さんも一晩寝たら忘れるから、あまり気にしないでいいからね」

 追い立てられるように下着とパジャマを押し付けられ、仕方なく乙彦は風呂場へ直行した。

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