2 明け渡しカウントダウン(23)
いや、考えてはいけない。ありえないことだ。そう言い聞かせても立村は次から次へ覆すような言葉を口にしているではないか。
──あの杉本とどんなかたちなわからないが、きっちりと話をして自分の気持ちを整理し、そこから先に進もうとしている、そう考えれば悪いことではない、たぶんそうなのだろう。相手が教師でさえなければ。
古川も、乙彦の話をきいてかなり驚愕していたようだし、これは大変なことになると考えていいのではないか。つくづく今後古川の力を借りることができないのは痛い。
──吹っ切れるのは良いことなのだが、第二の更科にしてはまずい。いやそこまでは進んでいないだろうが、今、精神状態が空っぽの立村にとって、わらをもすがる思いで野々村先生に近づいているなんてことはないのか? ピアノの稽古でそれなりのつながりがあるとすれば半年以上経っているはずだ。気持ちとして、杉本から野々村先生に切り替わる可能性はなくもないか。
「関崎、何か俺変なこと言ったか?」
やさしい表情で立村に問われた。つばをしっかり飲み込んだ。今の妄想を立村に知られるわけには絶対に行かない。別の話をしなくては。
「いや、なんでもない。ただ」
嘘をつきたくないのも確かなのでそれなりの言い訳をする。
「立村は随分、春休みの間に変わったなとは、正直思う」
「変わったって、俺のどこが」
「付き合いやすくなったと言えばいいのか、そんなところだ。壁がなくなったという気がする」
まだごまかしているところもあるけれど、嘘ではない。立村は考え込むように首を傾げ、
「まあ、色々あったからな、この一年は」
つぶやいた。どうやら自覚はあるようだ。
「平の立場でいられるから楽というのもあるよ。脳天気な一年生でいられるしさ」
「霧島のことでは色々苦労も多いようだが」
「ほんと、あいつは手に余るよ。けど去年の今頃、霧島は俺のこととことん軽蔑して嫌っていたはずなのにな。それ思うと確かに変わったのかもしれないって気はするよ」
たしかに霧島の、立村に対する懐きっぷりは半端なものではない。霧島が立村を大きく変えたというのはあるのかもしれない。だが、
──違う、そうじゃないだろう。
乙彦なりの違和感がまだ残っている。
ついつぶやいた。
「生徒会室でもみなしゃべってたな。お前もしかして、経験したんじゃないかってな」
「経験? なにそれ、誰そんなこと言ってた?」
ぽかんとした顔で立村はつぶやいた。
「難波、更科、羽飛、そのあたりだ。お前のことをよく知っている奴らがそう言うくらいなんだから、かなり目立っているぞ」
不意に立村が思い当たったように、額に手を当てた。
「あいつら、いったいなに考えてるんだか」
「思い当たる節。あるのか」
「あるわけないだろ!」
凍えたが荒々しく吐き捨てて、
「関崎、それいつ頃の話だろう?」
すぐにトーンを変えて聞いてきた。
「学校始まってすぐだが」
「人のこととやかく言いやがって!」
「立村、落ち着け。悪いが俺も、そう思わざるを得ない」
「関崎?」
仕方のないことだ。本心を述べる。
「経験云々ではない。お前が春休み以降、人が変わったように明るくなったのは外から見ていて誰でもわかる。特に色々あったことを知っているものとしては、非常に目につく。おそらくあいつ等も同じ意味合いでそう話しているのだろう」
「人のことをまたなんで」
憤懣ならざるとばかりに目つきが変わる立村に、乙彦は畳み掛けた。そうせざるを得ない。
「俺としては、たいへん望ましいことだと思っている。こうやって話ができるのもありがたい。だが、誤解を招かぬよう気をつけたほうがいいと、忠告はしておく。どういう事情があるかは問わないが、今までのお前を知っているものからしたら、憑き物が落ちたようにやりたい放題し始めているようには見えるからな」
立村は無言で玄関扉を見やった。
「誰か来るな」
ごまかしたわけではなさそうだった。確かに、外からばたついた足音がかすかに聞こえてきた。




