表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
369/373

62 塩にぎりの朝 宿泊研修三日目(2)

賑やかに皿洗いが終わり、気がつけば八時半近く。立村がコーヒー、小折が紅茶、そしてどちらかが糀町のためにハーブティーを用意した。それぞれをサーブしつつ、ゆったりとした朝礼の時間と相成った。

「さてとだ。2Aの宿泊研修だが、波乱万丈とはいえ、無事に幕を下ろしそうでやれやれだ。特に昨日は朝からしっちゃかめっちゃかだったが……最後は大団円。皆の者、お疲れであった!」

麻生先生の言葉に、皆が深く頭を下げる。

「でだ。今日はこの後、2Aオリジナル『吹鳴演舞すいめいえんぶ』が朝九時から行われる、というわけだ。帰りはどうせお前ら、学校になんか寄らねえだろ。普段着で帰ろうや。それとチェックアウトは十時だが……まあ色々あったってことで、今日は十一時まで延長させてもらった。オーナーさん御夫婦もこれからご挨拶にいらして、その後『吹鳴演舞』を堪能したいとのことだったんでな。糀町、頼んだぞ。今日はお前がスターだ」

「よろしくお願いいたします!」

立ち上がり、糀町るりが一礼した。


「そして何といってもだ。この芸術的なひとときを、俺は何としても記録に残したい。一昨日話に出ていた通り、雪村と萌崎。そして交流チーム代表の藤沖と片岡。この二組に、秋菊亭の素晴らしい部分を文集なり、もしくはガイドブックなりに残してほしいんだ。やり方やフォーマットは任せる。立村が結州のお友達にガイドブックを送りつけるそうなので、何としても青潟を観光都市として見てもらえるような『凄いもの』をぜひ完成させていただきたい。これは俺の勝手な願いでもある」

雪村と萌崎が、背筋を伸ばして頭を下げた。

続いて藤沖が立ち上がり、

「交流グループの威信をかけて、作り上げます!」

と気合高らかに言い放った。乙彦にはどこか浮いているようにも思えたが、あえて気にしないことにした。藤沖が機嫌良くなったことだけでも、今回の合宿には意味があるのだ。


「んでだ。ひとつ、みんなに残念なお知らせをしなくてはならねえ」

悲しそうな口調で麻生先生が呟いた。

「実は、時間的に館内の見学が難しいことに気がついちまった。ほら、これから『吹鳴演舞』をやるだろ。そのあと、これだけ散々散らかしたんだから、俺たちは掃除をしないといけない。それがたった一時間で終わるかって問題なんだよ」

確かに言われてみればその通りだ。特に昨夜は五十人近いお客様がいたのだから、散らかり具合は半端なものではないだろう。

「そこで。見学は今回パスする代わり、秋のクラス合宿でもう一度ここに来ねえか、ってことになった。同じところじゃつまらねえって意見もあるかもしれねえが、いやいや、ここの町の面白さは、たった二日間だが十分満喫することができたろ? しかも料理班によると、ここから少し歩けば朝市だってある。多少柄は悪いがな、社会勉強には良さそうだ。英語劇もきっと大成功しているだろうし……秋になったらまた新しい企画も始めるだろ? 有志チームよ」

先生が目線を向けたのは「ぶたかん」森宮に対してだった。森宮もガッツポーズで応える。

「もちろんです! 学校祭、音楽発表会、その他もろもろ行事てんこ盛りですから! 作りますよ、もちろん!」

「その調子だ。そうすると今回は『春の部』、そして次回は『秋の部』だ。さらに言うと、『秋』といえばここの建物の名前……片岡、言ってみろ」

「ええと……『秋菊亭しゅうぎくてい』」

「そうだ、今聞いたろ? 『秋』なんだよ。『菊』なんだよ。……ってことは何だ。関崎、言ってみろ!」

勢いよく問われ、乙彦は思ったことをそのまま口にした。

「秋の、菊、です」

「そうなんだよ、みんな! そういうことなんだ。ここの建物の『旬』はな、秋の菊が咲いてる時なんだよ。それを見ねえでどうするってんだ!」


大広間に「ほおっ」と感嘆の吐息が広がった。乙彦もそれに続いた。

そうだ、自分で口にしてみて初めて気がついた。この建物は、秋の菊が咲き誇る頃を最も美しく過ごすために建てられたもの。

──秋。菊が咲き誇っている時期に、もう一度この建物で過ごしてみたい。

はっきりと、そう思えた。


「そういうわけで。まず糀町にお着替えタイムを用意した後、九時にガーデンへ集合だ。椅子は自分たちで持っていけ。だいたい二十分はかかるよな。終わったらすぐに掃除だ。いいな、わかったな、時間厳守だぞ。……じゃあ、いつもの行くか。江波!」

「承知! ほんとの僻地、2Aなめんなよ!」

「So we beat on, boats against the current, borne back ceaselessly into the past.(我らは漕ぎ続ける、流れに抗う舟のように。絶え間なく過去へと押し流されながらも)」

とうとう麻生先生も「調教」されてしまった2Aのスローガン。これでいつもの2Aの朝が始まった。


皆が椅子を持ち、庭へと出たところで、どこに座るかをまず考えた。昨夜は保護者たちが溢れる中だったので、どうしても隅っこに行かざるを得なかったのだ。今日こそしっかり真ん前で観たい。同じことを皆考えているようで、建物を真正面に捉える芝生の上に、どこに椅子を置くべきか悩んでいた。

「まあ人数少ねえし、どこでもいいんじゃね?」

「そうだな。じゃあ隣行くか」

乙彦の隣には直中じきなかが、その隣には江波が来た。本来、乙彦は「管理班」扱いされているはずなのだが、なんとなくどこの派閥にいても構わないと思われているようだ。それはそれでありがたかった。一方で、藤沖と片岡がいつも麻生先生にひっついているのもどうかとは思うが。

「いやあ、それにしても清々しい五月晴れだ!」

「本当だ、本当だ。掃除が残ってるとはいえ、この宿泊研修は完全燃焼したな、まじで」

「俺も、こんなに楽しく過ごせるとは思ってもみなかった」

乙彦が心からそう告げると、直中がまた周囲を集めて言った。

「俺は絶対に、『青潟銭湯マップ』を完成させるぞ! みんな、おすすめの銭湯があれば教えてくれ。協力してくれよな!」

しつこいくらいに訴えている。その気持ちはよくわかる。同時に、ここのサウナ……岩盤浴にもう一度行きたい気持ちも大いにある。

「夏休み前に、また有志で二箇所くらい銭湯回りツアーをしようぜ。食事はコンビニのすき焼き弁当で決まりだ。飲み物は露店のぶどうジュースで完璧だな」

「なんという美味そうな組み合わせ。極楽ツアーだな」


男子が集まると、結局は食べ物の話で盛り上がる。結局、食べ物が美味しいことこそが正義であり、それ以外のことは些細な出来事にすら思えてくる。そう考えると、古川の母が大量に食材を持ち帰った一件は、下手をしたら一大事になるところだったのだ。

この合宿は、実は崖っぷちだったのかもしれない。そう思わなくもない。それを見事に解決した2A料理班には、なにか勲章をあげなくては不公平だろう。

女子たちの様子を伺うと、特になにか不穏なことが起きている様子もなかった。皆、穏やかに語り合いながら、女子同士で椅子を並べ合っている。人数が八名という少数であることも影響しているのだろうか。他クラスのような面倒そうな派閥争いは、ここにはないように見えた。


「さて! お待たせいたしました、みなさま! これより始まりまするは、青潟大学附属高校二年A組英語科のみなさまの御前で演じます、『吹鳴演舞すいめいえんぶ』! 本日は糀町壱組こうじまちいちぐみの末席を飾ります、“流星”たる糀町るいが務めさせていただきまする! 本来の演舞とは異なる形ながらも、必ずや皆様の御心に留まるものがあるとの信念に基づき、ふつつかながら全ての舞を、我が身ひとつで演じさせていただきまする。何卒みなさま、お目汚しをば!」

やがて糀町が、昨夜とは異なる凛とした口上を述べた後、真っ赤な振り袖姿で両手をバッテンにしてしゃがみ込んだ。

朝の光の中、その姿はどこか儚く、それでいて愛らしく見えた。夜の光の下ではどこかへ飛んでいってしまいそうな危うさを感じたが、青空の下では、確かな生命力が溢れていた。

ただここで、このメンバーと一緒に、この舞をしっかり見届けられる。それが何よりも嬉しい。

乙彦はカメラを取り出し、ひたすら踊り続ける糀町るりにピントを合わせた。白いさらしを振り回し、これでもかというほどに跳ね続ける姿を、レンズ越しにただ追った。


「関崎。あとで写真、焼き増ししてもらえるか……」

直中がじっと糀町の姿から目を逸らさず、ぽつりと呟いた。

その言葉が何を意味しているかがわかるくらいには、乙彦もこの一年で経験を積んできたつもりだった。

「承知した」

それだけ答えて、乙彦はひたすらシャッターを切り続けていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ