1 境目の春期講習(20)
用が特段あるわけではないのだが、最近の出来事がてんこ盛りすぎることを考えると、情報収集のために生徒会室には行っておいたほうがよさそうだ。
「おっはよー!」
扉を開くと、名倉がすでに席でインスタントコーヒーをすすっている。隣には満面の笑顔を見せている阿木と、長い髪を垂らしたまま弁当を食べている泉州もいる。
「珍しい面子だな」
「気楽よ気楽。名倉くん、おかわりいる?」
乙彦には軽く挨拶のみ。ちらと様子を伺うも、名倉は特段嫌がりもせず阿木のサービスを受けるがままだった。もっとも、礼は言わない。いつものパターンなので慣れっこのようだ。
乙彦は泉州の隣に座った。濃いコーヒーをこしらえて飲んだ。
「お昼食べてきたんだね」
「いい天気だからな」
まかりまちがっても、古川こずえの今後について藤沖と語り合って来たとは言わない。
「ほんと、こんな日こそ、どっかでぱあっと騒ぎたいよねえ」
外を眺める泉州。横顔はコマーシャルによく出ている欧米系のファッションモデルを思わせる。少なくとも高校生のムードではない。
「他の連中はどうした?」
外部生と比較的馴染みよしメンバーのみというのは不可解だ。
「元評議の皆様たちで相談あるみたいよ。当然私たちは蚊帳の外。ただ生徒会とは関係ないみたいね」
「関係ない関係ない、それでいいじゃないの」
阿木も答える。名倉は黙ってされるがままである。
「戻ってくるのか?」
「かばんはあるから戻ってくるでしょうよ。それにしてもねえ、関崎聞いた? 杉本さんって子の話」
知らないという訳にはいかない。コーヒー飲みながら頷いた。
「阿木ちゃん、あの杉本さん、中学ではものすごい悪の権化にされてるよね。他人事だけどあれは可愛そうだよねえ」
ちらと、名倉の表情が動いたように見えた。あえて知らんぷりを通した。
「そうそう、私も気になってさ、中学の後輩ちゃんに聞いてみたのよ。そしたらもう、すごい騒ぎ。杉本さんはもともと札付きで有名とかいわれてて、去年の修学旅行のとき、自分が旅館でおねしょしちゃったのをごまかそうとして大騒ぎになったとか、生徒会長だった佐賀さんにやきもちやいてちょっかい出して先生に楯突いて、それで学校追い出されたんだとか、極めつけは佐賀さんを陥れるために霧島くんをそそのかしてリンチしたとかもう言いたい放題。とどめにお父さんが横領やらかして捕まったとか、もうこれだけ聞くと稀に見る悪女よね」
呆れたように阿木は言い立てる。
「高校ではみんな大嘘だってことわかってるのに、中学内ではこれが事実なんだって。どうしよう? 笑っちゃうよね」
「大嘘なのか?」
初めてここで、名倉がつぶやいた。すぐにふり返り、阿木が説明に入る。
「そうよ、そりゃ、佐賀さんと折り合いが悪かったのは確かだし、杉本さんのお父さんが逮捕されたのも事実だけど、少なくともおねしょしたのはあの子じゃないよ。生徒会にいたほら、あの、ヘアバンドしてた子、渋谷さんとかいう子。前はずいぶんきいきい騒いでいたけど、修学旅行以来学校休んたり自殺未遂したりして、それでしょぼんとなっちゃってて」
「嘘という証拠はあるのか?」
名倉がまた問う。乙彦は息を殺している。隣で泉州が様子伺いしているのを感じるがうっかりしたこと口走ることはできない。一応、関係はしている。
「さあ、そこまではわかんないけど、どちらにしても杉本さんに罪をおっかぶせて、全部ちゃらにしたことは確かでしょ。死人に口なし。生きている人間が正義」
泉州がしみじみつぶやく。
「小春ちゃんも手紙であの子のこと心配してたよ。いらない人間には容赦しない学校だからね、あの渋谷って子も今は後ろ盾あるし、学校としても嘘八百ちりばめて守らねばならないだろうし。となると、悪の根源はすべて杉本さんってことになるね。可愛そうだけど、そうなるね」
乙彦は何も言えなかった。
去年の一学期終わりに起きた騒動を忘れてはいない。
噂よりもなによりも、杉本梨南を守るために走り回っていた立村の死にものぐるいの表情と、ことがすみたったひとり視聴覚準備室でへたり込んでいた姿が今でも思い出される。
──また蒸し返されたら、立村はどう出るのだろう。
杉本がいる頃であれば容易に想像できる。しかし、今は。




