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第9話 華麗なる着地

 午後の予定が始まるまで時間が空いていた。


 食堂を出た生徒達は、そのまま教室へ戻る者もいれば、中庭へ向かう者、友人と廊下で話し込む者と、それぞれ好きなように散っていく。

 午前中の休憩時間とは違い、昼食後は皆の行動もばらばらだ。

 カサンドラも急いで教室へ戻る必要はなく、食後の腹ごなしも兼ねて中央棟を歩いていた。


 先ほどの昼食では、王子が食後にはコーヒーを好むという、ほんの小さなことを知ることができた。

 もっと話せればとは思うものの、今朝までの自分を思えば立派な一歩だ。

 そう考えると、自然と気分も軽くなる。


 廊下を歩いていると、少し先に見知った後ろ姿を見つけた。

 濃いブラウンの長い髪。

 ガルド子爵家の令嬢、デイジーだ。


 廊下の先に佇む彼女が、なんだか妙な動きをしている。


 前を見る。

 目を逸らす。

 また見る。

 少し歩調を速めたかと思えば、すぐに元へ戻る。

 何か声を掛けたそうに口を開きかけ、それもやめてしまった。

 さすがに何度も繰り返されれば気になるというものだ。

。

 不審者さながらの動き、どうしたの!?


「デイジーさん?」


「は、はい!

 カサンドラ様!? ご、ごきげんよう…!」


 思わず背後から声を掛けると、デイジーが驚いて振り返った。

 あまりにもぎょっとした顔で、いつもと雰囲気が違う。

 なんだか気まずそうに、もじもじしている。


 何気なく話しかけただけで、特に用事はないとは今さら言い出しにくい。

 カサンドラは平静を装い、あたかも用事があって声を掛けたように来週の予定を持ち出した。


「来週の土曜日のお茶ですけれど。

 ご予定は変わっていません?」


「え? あ、はい!

 大丈夫ですわ。

 お二人にも確認しましたけれど、予定通りで問題ないそうです」


「それは良かったです。

 来週を楽しみにしていますね」


「お二人も楽しみにしていらっしゃいます。

 王都へ来てから、まだあまりお出掛けも出来ていないそうなので」


「まあ。それなら、少しでも気晴らしになればいいですわね」


 デイジーは嬉しそうに頷いた。

 もっとも、今の彼女の意識は来週土曜日のお茶会という予定より、別のところに向いているらしい。

 返事をしながらも、ちらちらと前方に視線を送っている。


 カサンドラは彼女が先程から見ていた方向へ視線を向ける。

 廊下の先を、一人の少女が歩いているのが見えた。

 ふわふわした栗色の髪を肩口で切り揃えた、小柄な後ろ姿。


 三つ子の一人だ、今日は珍しく姉妹と一緒ではないようだ。


 窓の外を覗いたかと思えば、壁に飾られた絵へ顔を向け、今度は廊下の奥にある何かを見つけて歩調を速める。

 ころころと興味の対象が移り変わっている。

 外から眺めていて全く飽きない、そんな女の子。


 間違いない、リタだ。


「あちらはリタさんですね」


「えっ」


 デイジーが目を丸くした。


「どなたなのか、迷っていらっしゃったのでは?」


「ど…どうして分かったんですか?」


「先程からずっと見ていましたよね」


 不審者と見間違って、つい声掛けしてしまった程には。


「そんなに見ていました!?」


「ええ、かなり」


 途端にデイジーが恥ずかしそうに頬へ手を当てる。


「その……三人とも、ずっと気になっていたんです」


「三つ子だから、ですか?」


「はい!

 あんなにそっくりなご姉妹なんて初めて見ましたし、お話ししてみたいなって。

 ですが……」


 デイジーは困ったように眉を下げた。


「お名前を間違えたら失礼ですよね?」


「ああ…確かに、そうですね…」


 それで声を掛けることが出来なかったのか。

 確かに入学してまだ数日だ。

 カサンドラのような事前知識がなく、顔も髪型も背丈も同じなのだから…デイジーが躊躇するのも無理はない。


「大丈夫です。あちらはリタさんで間違いありません」


「本当ですか?」


「ええ。

 リゼさんはもう少し姿勢が良いですし、リナさんは動きが穏やかでしょう?」


 実際、注意して見れば三人の雰囲気の違いは明らかだと思う。

 けれどデイジーは素直に感心したようだった。


「ありがとうございます、カサンドラ様」


 デイジーはペコっと頭を下げ、再度リタの方向に視線をロックオン。

 少しだけ歩調を速め、前を行くリタを追い始めた。

 カサンドラも何となくその後について行くことにする。

 純粋に、彼女とリタの会話が気になったからだ。


 リタは中央棟の階段へ差し掛かったところだった。

 二階から一階へ続く幅の広い階段を、軽い足取りで下り始め、デイジーもその後を追う。


「り…リタさん!」


 名前を呼ばれたリタが、階段の途中で振り返った。


「はい?」


 ちゃんと本人が反応したことで、デイジーも安心したらしい。

 嬉しそうに表情を明るくし、その後を追って階段を一段降りる。


「あの、少しお話しして――」


 そう声を掛けた時だった。



    ゴウッ



 踊り場近くの大きな窓から、ふいに強い風が吹き込んだ。


「きゃあっ」


 デイジーの長い髪が大きく風に煽られる。

 ふわっと浮きかけたスカートの裾を、デイジーは慌てて両手で押さえた。

 その間にも髪は階段の下へ向かって大きく広がってしまう。

 ちょうどデイジーを振り返っていたリタの頬から目元へ、ばさりとかかってしまった。


「ぶほっ!?」


 突然視界を遮られ、リタが反射的に顔を背ける。

 その瞬間、次の段へ下ろそうとしていた足が僅かにずれた。


「あっ――」


 靴底が段の縁を滑る。

 身体が大きく傾いた。


「リタさん!」


 デイジーが咄嗟にリタに向かって手を伸ばしたが、もう届かない。

 リタの足が階段から離れたのが目に入り、カサンドラも思わず息を呑んだ。


 このまま階段を転げ落ちてしまう!


 そう思った次の瞬間だった。


 リタは大きく身体を捻ったのだ。

 片手が手摺へ触れる。

 掴んだというより、ほんの一瞬だけ手をついたように見えた。

 その反動で身体の向きを変え、何段もの階段を飛び越える。

 リタはそのまま一階の床へ両足から降りた。

 膝を深く曲げて勢いを殺し、一歩だけ前へよろめく。

 それでも転ぶことなく、その場に踏み止まった――のである。


「…………」


 カサンドラは階段の上で、真っ青になって立ち尽くす。

 落ちた…はずだ。

 確かに今、階段から落ちたはずなのに。

 リタは一階廊下に、両足で立っている。


 しかも、随分綺麗に。体操競技後を連想させるポーズだ。

 これは10点満点をあげたいレベルの着地!


 当のリタ自身も何が起こったのか分かっていないらしく、両手を広げたまま、呆然としていた。

 まるで猫のような動きだ。


 一階の広い廊下には、午後の授業へ向かう生徒達の姿がまだ何人もあった。

 高い天井には足音や話し声が反響している。

 そんな場所へ突然、人が階段から落ちてきたのだから目立たないはずがない。

 何人かの生徒が足を止め、遠巻きにリタを見ていた。


「リタさん!」


 デイジーが顔色を変えて階段を駆け下りる。

 カサンドラも我に返り、彼女を追った。


「大丈夫ですか!?」


「えーと、はい!

 大丈夫です!」


 リタも慌てて姿勢を直す。

 片足ずつ床を踏み、元気いっぱい腕を動かしてみる。


「ほら、何ともないです!」


「でも、今……!」


「痛いところもないです。本当に!」


 自分が階段から落ちたというのに、リタは必死にデイジーを安心させるよう無事をアピール!

 確かに、見る限り怪我もなさそうだ。

 カサンドラもようやく安堵し、階段の途中でほっと胸をなでおろす。

 手すりに体重を乗せ、呼吸を整えていた。

 すると、その時。


「……おい、誰かに押されたのか?」


 階下から低い声が聞こえた。

 リタの身体がびくりと跳ねる。


 廊下を歩いていたらしいジェイクが、少し離れたところで足を止めていた。

 燃えるような赤い髪に、鮮やかな橙色の瞳。

 ただでさえ大柄な彼が真顔でこちらを見ていると、それだけで相当な迫力がある。


「ち、違います!」


 リタが勢いよく首を横に振った。


「デイジーさんの髪が顔に当たって、私が勝手に足を滑らせただけです!」


「私のせいです!

 リタさん、申し訳ありません!」


 ジェイクはデイジーへ一度視線を向ける。

 それからリタへ戻す。

 それを何往復かしている間、ようやくカサンドラも階段を降り切った。

 ジェイクとリタの体格差は大きく、正面で向かい合っていると威圧感しか感じない。


「怪我はないか?」


「ありません!」


 リタは食い気味に叫ぶ。


「……マジで?」


 ジェイクは目を丸くする。

 そしてもう一度階段の上に視線を上げようとして…

 カサンドラと目が合う。


 一瞬だけ怪訝そうに眉を寄せたものの、ジェイクはほっとしたように息を吐いた。


「それならいい。

 急に目の前に人が落ちてきたから、吃驚した」


「へ?」


 思わずリタは間の抜けた声を出す。


「念のため、医務室行っとけよ」


 ジェイクはそのまま歩き出す。

 軽くひらひらと手を振って自分たちの前を通り過ぎようとした。

 が、数歩進んだところで、ふと足を止めた。

 もう一度、リタを見る。


「……」


 その視線が一度、リタの足元へ落ちた。

 それから顔へ戻る。

 ほんの僅かに眉が上がっていた。


「な、何でしょう?」


 リタの声が緊張している。


「……いや」


 廊下に響いていた彼の靴音が次第に小さくなっていく。

 騒ぎが収まったと分かったのか、足を止めていた生徒達もそれぞれの行き先へ戻っていった。

 カサンドラはデイジーの横で、遠ざかる背中を見送った。

 まだ心臓はバクバクと暴れている。


「…………」


 ジェイクの姿が完全に見えなくなるまで、リタもまたその場から動かなかった。


「はぁぁぁぁ……」


 カサンドラとデイジーが反射的にリタに視線を向ける。


 魂そのものがぬるりと口から出てきたのかと思うほど、大きな溜息がリタから漏れた。

 彼女の全身から一気に力が抜け、近くの壁へ背中を預ける。

 そのままずるずると身体を沈ませたリタは、先程までの元気が嘘のように憔悴していたのである。


「リタさん?」


「怖かった……」


 心の底から疲れ切ったような声だった。


「ジェイク様、別に怒っていませんよ?」


「ほんとですか!?

 目の前に…って、要はあの人の通り道を邪魔したってことですよね!?

 そんなことして、私、処されませんか!?」


 壁にもたれたまま、リタは両頬を覆ってがたがたと震えだす。


 『処されません。』


 デイジーと声が重なった。

 ジェイクを何だと思っているのだ。


「怖かったぁぁぁ…! 大きいし、顔も怖いし、ずっとこっち見てるし!

 また怒られるかと」


「ああ…」


 それを聞いたカサンドラは、思わず遠い目をしてしまう。

 昨日しこたまシリウスに叱られたのは、リタにとって忘れられない出来事だろう。

 もうリタの中で御三家のイメージがそっち方面に固まっているに相違ない。


 まぁ、本気で御三家を敵に回せば、ただでは済まないのも事実だ。

 怒らせないに越したことはあるまいが。


 『カサンドラ・レンドール!』


 ビクッ、とカサンドラの肩が跳ねる。

 ゲームで見た断罪事件のジェイクが脳裏を過ぎり、息が詰まった。

 少なくとも、侯爵令嬢であるカサンドラを公然と追及できる程度には、彼らの家が特別な立場にあることは間違いない。


「なんで御三家と同じクラスなんでしょう…

 私、無事に卒業できる気がしないですー」


 頭上にどんよりとした雲でも背負ったように、リタは顔を覆った。



 えええー!?


 ジェイクは別に何も悪いことしてないのに!?

 あまりにもひどい第一印象が形成された!


 …理不尽が過ぎる!


 もっとも、カサンドラには、最後にジェイクが見せた顔の方が気になった。


 昨日はシリウスがリゼの答案に興味を示した。

 今日はジェイクが、リタの妙な着地に目を留めた。

 どちらもゲームに存在した場面ではあるけれど、こんなやり取りはなかった。

 こちらからゲーム通りに動かすつもりは毛頭ない。

 けれど、自然に彼女達と攻略対象との接点が生まれるのなら悪いことではなかった。


 ――ジェイクとリタ。

 この組み合わせで自然に進んでくれるなら、大変ありがたい話なのだが……


 ちらりとリタを見る。


「はぁ、やっと落ちつきました!

 もうあの人とお話する機会もないですよね、うん、大丈夫です!」


 ……早速、雲行きが怪しい。


「あの……」


 遠慮がちな小さい声が聞こえ、カサンドラはデイジーへ意識を戻した。

 申し訳なさそうな顔で立っている。


 そういえば、階段落下事件ですっかり忘れていたが、彼女はリタへ話しかけるためにここまで来たのだった。


「本当にごめんなさい、リタさん」


「だから大丈夫ですって!」


 リタもようやく壁から身体を離して、両手をぶんぶんと横に振った。


「それより、私に何かお話があったんですよね?

 えーと、お名前…えーと…」


 流石にクラスメイトの名前を全員覚えるのは無理だろう。

 デイジーは制服のスカートの裾を軽くつまみ、膝を折る。


「デイジー・ガルドと申します。

 カサンドラ様と同じ、レンドール地方出身ですわ」


「デイジーさん、ですね。

 こんにちは!」


 つい先ほどまでジェイクを怖がって震えていたとは思えない切り替わりの早さである。

 デイジーは少し照れたように頷いた。


「その、私、三つ子のご姉妹が珍しくて!

 お話ししてみたいと思っていたんです」


「そうだったんですか?

 わー、嬉しい!」


「でも皆さん、本当にそっくりですよね。

 お名前を間違えたら失礼だと思って、なかなか声を掛けられなくて」


「そんなに分からないものなんですか?」


 リタが自分の髪へ手をやる。


「村に住んでた時は間違われたことなかったから、新鮮かもです」


「私にはまだ難しくて……」


 デイジーが困ったように笑う。


「三人一緒の時は、何となく雰囲気が違うような気もするんです。

 でも一人で歩いていると、急に自信がなくなってしまって」


「リゼとリナも? 見分けつかないですか?」


「はい」


 デイジーは真剣な表情で、一度頷いた。


 名前を間違えたくない人にとって、姿かたちが同じ三つ子は鬼門らしい。


「そうですかー」


 リタは少しだけ首を傾げたが、すぐにあっけらかんと笑った。


「なら何か考えないとダメですねー」

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