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第7話 図書室にて、波乱の予感

 午前中の説明も終わりに近づいた頃、担任教師から一枚の履修案内が配られた。


「こちらは来週の選択講義の履修届になります。

 希望する科目を第三希望まで記入し、金曜日までに提出してください。

 定員のある講義は希望通りにならない場合もありますので、そのつもりで」


 手元へ回ってきた案内を開き、カサンドラは思わず目を瞬いた。


 選択講義。

 科目名に、担当講師、曜日と時間、指定教本――さらに履修条件まで細かく記されている。

 カサンドラは用紙を両手でつかみ、思わず凝視してしまった。


 これ、もしかして!?


 ゲーム内にあった、週ごとのスケジュール管理に相当するのではないだろうか。

 知力を上げたいなら勉強、体力なら運動、と画面上で予定を選ぶだけだった。


 けれど現実では、その『予定』一つにも教師がいて、授業があり、教本があり、実際に時間を掛けて学ばなければならない。

 ゲームのシステムが、きちんと現実の制度として存在している。

 妙なところまで辻褄が合っていて、少し驚いてしまう。


 このゲーム、やたらパラメータがあって、授業の種類も多かった。

 授業を受けると上がるパラメータと下がるパラメータがあるので、管理が難しかったのをよーく覚えている。

 そういうシステムと分かっていても、


 「なんで剣術を選んだら魅力と知力が下がるんだー!」


 と理不尽な想いをしたものである。


 満遍なく全ての講義を受けると全然トータルのパラメータが上がらない罠仕様。


 漫然とした適当プレイでは、誰とも結ばれないバッドエンドになってしまう。

 目当ての時期に狙ったイベントを出すのが何より大変だった。

 セーブロードがあったからまだよかったものの、ここは…現実。


 イベント全回収は絶対無理だろうな。

 恋愛を楽しみたいなら、相応の育成のコツがある。 


 ………。

 …………。

 ……私、ゲーム脳すぎる…


 カサンドラは何気なく前方へ視線を向けた。

 教室の窓側に三つ並んだ栗色の頭が、一枚の案内を囲んでいる。

 リゼ、リタ、リナ。

 三人とも、肩口で切り揃えたふわふわとした栗色の髪に、大きな蒼い瞳。

 顔立ちも背格好も同じだ。

 確かに、最初は区別つかないかも。


「あ。これ面白そうー!」


「待ちなさい、リタ。

 こっちと時間が重なってる」


「え? 本当?」


「ここに書いてある。

 それ、前半の講義しか無理だって」


「文字がちっさい!」


「思った以上に細分化されてるのね…」


「全然決められないよー。

 リナはどれにする?」


「まだ迷っているの。

 教本を見てから決めたいわ」


 三人揃うと、同じ顔なのに随分賑やかだ。

 カサンドラは危うく口を挟みそうになり、思い留まった。

 おせっかいという領域を突き抜けている。

 まともに話したこともない侯爵令嬢が突然近づいてきて、履修科目へ口を出してくるなんてホラー体験でしかないのだ。


 理由を尋ねられて、「将来この男性と恋をして聖女になって欲しいからです」などと答えた日には、怖いを通り越して頭のおかしい人。

 第一、三人にはそれぞれ受けたい講義があるはずだし。


 でも…

 効率の良いパラメータ上げ情報を教えたくてウズウズしてしまう。

 これはゲーマーの性なのだろうな。

 カサンドラは澄ました顔で用紙を眺めつつ、心の中で苦笑した。



 ※



 授業は午前中のみだ。

 今日までは午前授業で、明日から昼食と午後も学校で過ごすことになる。


 講義は90分…結構長い。大学を思い出して、若干うんざりする。

 休憩時間が長めとは言え、集中力が持つか心配だ。


 カサンドラは王子と会話するチャンスがないかと前の方の席をしばらく眺めていた。

 やはり彼の周囲には人だかり。

 昨日のこともあり、中々それを割って王子と話そうという勇気が出ない。

 十分ほどチラチラ様子を窺っていたが、ダメだ。

 逆に放課後になったことで、上級生や最上級生もやってきて王子に近づくのは困難である。

 学園内での人気ぶりがわかるというものだ。


 まぁ、王族に会える機会なんて貴族でも滅多にあるものじゃないから必死にもなるだろう。

 これを機に是非とも顔を覚えてもらいたい気持ちは分かる、貴族の地位は一生安泰を意味するものではない。

 王族や御三家との関係性が一族の浮沈を決めるのだから、死活問題でもあるのだ。


 そう、この学園はいわばミニ社交界!


 卒業して社交界に飛び出る前の、予行演習期間だ。

 単なる浮ついたミーハー騒ぎと言い切れないから、それを邪魔するのも憚られる。

 既に王子と婚約者と言う肩書きのついたカサンドラが彼らの挨拶や会話を邪魔してしまっては、チャンスを潰されたと悪印象を抱かれてしまうかもしれない。


 話をしている人だかりも、決して無秩序に話しかけているわけではなく――生徒同士の身分に合わせた絶妙な立ち位置。

 一見すると分かりづらいが、喋る順番も決まっている。


 貴族間の阿吽の呼吸。

 これに割って入るのは、空気が読めないと言われてもしょうがない。

 昨日の自分は相当目立っただろうな… やらかしたかも?


 カサンドラは後ろ髪を引かれるような名残惜しさを感じつつ、図書室へ向かうことにした。

 目的は、悪魔について調べること。

 とはいえ、


『三年後に婚約者が悪魔になりますので、それを食い止める資料はございませんか』


 などと司書へ尋ねられるはずもない。

 王子の婚約者が、入学早々から悪魔だの呪いだのについて調べ回っている。

 そんな噂が立てば、余計な疑念を招くだけだ。


 自分から悪評の渦に足を突っ込んでいるに等しい。

 誰にも相談できない孤独をかみしめるカサンドラ。


 昨日渡された校内案内図を思い出しながら廊下を進み、二度ほど角を曲がったところで、ようやく重厚な木製の扉が見えてきた。

 上部には金文字で『図書室』と記されている。

 カサンドラが扉へ手を掛けようとした、その時だった。


「あったー! 二人とも! ここが図書室!」


 背後から、明るい声が響いた。

 思わず振り返る。

 廊下の向こうから、見覚えのある栗色の頭が三つ近づいてきた。

 先頭を歩くリタがぱっと顔を輝かせ、そのすぐ後ろでリゼが眉を寄せる。


「リタ、声が大きい!

 静かにしなさいよ」


「まだ中じゃないから大丈夫だって!」


「ただでさえあんたの声ってうるさいからね?

 抑えてちょうだい」


「そんなに声を張り上げるのも良くないわ、リゼ」


 最後を歩くリナが困ったように笑った。

 そんな三人も、扉の前に立つカサンドラへ気づく。


「あっ」


「えーと…!」


 こちらを見て一瞬声を詰まらせたリタに、リナが一歩前に出る。

 カサンドラの名が出てこなかったのを察し、庇ったのだろう。


「カサンドラ様でいらっしゃいますよね。

 ごきげんよう。リナ・フォスターと申します」


「ごきげんよう。

 カサンドラ・レンドールです。よろしくお願いいたしますね」


 カサンドラが微笑むと、三人が揃って頭を下げる。


「リゼです」


「リタです、カサンドラ様も図書室に?」


「私達、選択授業を決める前に、指定されている教本を見ておこうと思ってきました」


 リゼはまっすぐ背筋を伸ばし、淀みなく答える。

 決してやわらかい雰囲気ではないものの、ハキハキした女生徒だ。


「どんな内容か分からないまま授業を決めるのが不安で…」


 リナが続ける。


「それに全部買ってから選ぶなんて無理ですし!」


 リタが元気よく言うと、リゼが彼女の言葉を遮るようにカサンドラに引きつった笑みを浮かべた。


「閲覧用があるか確認しに来たんです。

 あの、妹が馴れ馴れしくてすみません…!

 こっち行くわよ、リタ!」


 リゼはリタを引きずって、そそくさと図書室の中へと消えていった。

 怖がられているのだろうか…

 ちょっと、いや、かなりショックかも。

 だが、彼女たちと一緒に調べ物をするほど仲がいいわけでもない。

 気を取り直して、目的の書籍を探すことに意識を切り替える。


 図書室は想像以上に広かった。

 高い天井から吊るされた幾つもの光石灯が、整然と並ぶ書架を柔らかな光で照らしている。

 天井近くまで届く本棚には革張りの分厚い書物が隙間なく収められ、古い紙と木材の入り混じった独特の匂いが漂っていた。

 壁際には大きな窓が並び、お昼前の陽射しが磨き上げられた床に長い影を落とす。

 中央には重厚な閲覧机が幾つも配置され、奥の方で時折、頁を捲る微かな音だけが聞こえてくる。数人の生徒が本を読んでいるのが遠目に見えた。


 司書のいる場所が本棚の向こう過ぎて見えないのだが…

 とりあえず、目的の書架を探そう。


 古い魔法史。

 魔力災害。

 人間の精神や身体へ影響する呪術。

 過去に現れた危険な魔物。


 そうした広い範囲から、ゲームで見た王子の状態へ繋がりそうなものを調べるしかない。

 随分遠回りだが、他に方法を思いつかなかった。


 カサンドラは数冊を閲覧机へ運び、一冊ずつ頁を捲っていく。

 けれど、読めば読むほど分からない。


 そもそも悪魔という単語自体が見当たらない…というか。

 いや、あったとしてもほぼ神話の出来事扱い。


 おとぎ話や英雄譚でしか聞いたことがない概念だ。


  ――これは本腰を入れて探さないとダメかも?

 本だけに…と、心の中でダジャレが流れた次の瞬間。


 どさどさどさっ!

 静かな図書室には、かなりよく響いた。

 まるで自分の心の声に突っ込みを受けたような気になって、カサンドラの肩がビクっと大きく跳ねる。


「きゃっ!」


「リタ!」


「だから持ちすぎだって言ったでしょう!」


 聞き覚えのありすぎる声。

 カサンドラは思わず本から顔を上げ、音のした方へ足を向けた。


 少し離れた書架の前で、本が盛大に床へ散らばっている。

 その中心にしゃがみ込んでいるのは、予想通りリタだった。

 栗色の髪は先ほどまでより少し乱れ、大きな蒼い瞳をまん丸にして床を見つめている。


「だって気になるものがいっぱいあったから…」


「一度に全部持つ必要ないでしょ?

 あんたねぇ…」


「大丈夫だと思ったんだってば!」


「二人とも、早く拾いましょう」


「そうね、ほら、リタ。

 早く起き上がって」


 リゼとリナも慌ててしゃがみ込み、本を拾い始める。

 よく見ると、履修用の教本だけではない。

 途中で気になった本まで次々手に取ったらしい。


「これ、どこから取ったんだっけ?」


 リタが一冊を持ち上げる。


「待って、勝手に戻さないで。番号を見れば――」


「こっちじゃない?」


「違うでしょ!

 適当にしないの、リタ!

 背表紙見ながら…」


「――静かにしてもらいたいのだが」


 低い声が飛んだ。

 三人がぴたりと止まる。

 カサンドラも反射的に声のした方へ目を向けた。


 書架の向こうから現れたのは、昨日、新入生代表として壇上に立っていた少年だった。


 シリウスだ。

 艶の少ない真っ直ぐな黒髪は几帳面に整えられ、前髪の下から覗く瞳も黒い。

 細い縁の眼鏡を掛けた端正な顔立ちは、同年代の少年にしてはどこか大人びて見えた。

 背も高く、姿勢もまっすぐで、何も言わず立っているだけでも近寄り難い雰囲気がある。

 そこへ眉間の皺まで加われば、なおさらだ。


「ここは図書室だ。

 大声を出す場所ではない」


「……す、すみません!」


 リナが真っ先に頭を下げた。


「あ、あわわ…

 ごめんなさい。静かにします」


 リタも続く。

 ここで終わるのだろう。

 カサンドラはそう思った。

 確かに注意されても仕方がない。


 ところが…


「それだけか?」


 終わらなかった。


「え?」


 リタが顔を上げる。

 シリウスは床へ散らばった本へ視線を落とした。


「本は学園の備品、いや財産だ。

 これだけ積み上げれば落として価値を毀損する可能性があることくらい分かるだろう。

 第一、角が潰れたり頁が折れたりすれば、次に使う利用者が困る」


「はい……」


「元の場所が分からなくなったものを適当に棚へ戻さないように。

 分類番号を確認するか、司書に預けるべきだ。

 違う場所へ戻せば、彼女たちの負担が増える」


「……ハイ、ゴモットモデ…」


「そもそも一度にこれだけ持つ必要など――」


「シリウス様」


 リゼが口を挟んだ。

 声音は丁寧だった。

 けれど、先ほどまでとは明らかに違う。


「妹が失礼しました。

 本人も反省しておりますし、落とした本はこちらで全て元通りにします!」


「当然のことだ」


「ですから、この辺りで許してもらえませんか?」


「…………」


 シリウスが一度瞬いた。

 リゼはまっすぐ、そんなシリウスの顔を見つめている。

 初対面の御三家子息相手に臆せずこの物言い。


 精神力が鋼でできてるのかこの娘!?


「リゼぇ…ごめん…」


 自分の窮地に助け舟を出してくれたリゼに、リタは手を組んで感謝を向けた。


 これ以上シリウスも言いたいことはないだろう、さっさと切り上げればいいのに。

 カサンドラはハラハラと見守るしかない。


 だが、シリウスの興味は…何故か、リゼに移ってしまう。


「リゼ…そうか。

 お前がリゼ・フォスターか」


 リゼの表情が僅かに変わった。


「なんですか?」


 流石に名指しされ、リゼも訝しそうな表情。


「入学試験の最終問を解き切った数少ない一人だと聞いている」


「…………」


 リゼの動きが止まる。


「答案、見たんですか?」


「直接見たわけではない。

 教師達の間で話題になっているのを聞いた」


「話題?」


「ああ。やや複雑だが…

 公式を使えば数行で済む問題を、その生徒は考えられる条件を一つずつ潰して答えまで辿り着いた、と」


 リゼの指先が、抱えていた本の背を僅かに強く押した。

 いや、次第にメリメリと音を立てそうなくらい食い込んでいる!

 それなのにシリウスは気づかない。


「相当な計算量になったはずだ。制限時間も厳しかった。

 …最後まで解き切ったと聞き、純粋に驚いてな。

 しかも、総合得点は私と同じだったそうだ」


 眼鏡の奥の黒い瞳には、皮肉も侮りもない。

 本当に感心している。


「大したものだと思う」


 ――あ。


 カサンドラは思わず瞬いた。

 もしかして、これ。

 リゼとシリウスの初遭遇イベントだ!

 思い当たった途端、胸の内が妙にざわついた。


 図書室、勉強…しかもシリウスの方からリゼへ興味を示している。

 ゲームでは、主人公と攻略対象の間には決まった接触イベントがいくつもあった。

 ならば、主人公が三人になっていても、相性の良い相手同士なら、こうして自然に接点が生まれるのではないか。


 ――流石主人公! 何もしなくてもイベントが起こるものなのね。


 少しだけ安堵する。

 ここで互いに、秀才として意識し始めて――


「どうもありがとうございます」


「…………」


 あれ?

 リゼの声が、明らかに低い。

 表情をチラと伺ったが、ちっとも笑っていない。

 むしろ、先ほどより機嫌が悪くなっているような。


「リゼ?」


 リナも彼女の変化に気づいたらしい。


「何でもないわ、早く片付けましょ」


 リゼはそれだけ答えて口を閉ざし、くるっとシリウスに背を向ける。

 けれど、さっきのシリウスを見る蒼い瞳には、どう見ても好意とは正反対のものが浮かんでいた。

 シリウスも面食らったようだ。


「……?」


 何故そんな顔をされるのか、本当に分かっていないらしい。

 いや、カサンドラにも分からないのだけど。


 ――え?

 これ、イベントではないの?

 というか、何故リゼは褒められて怒っているの?


 ゲームならここで好感度が上がるところではないのか。

 画面の右上に、小さな音符でも浮かびそうな場面なのに…


 現実には音符どころか、何やら不穏な空気が漂っている。

 カサンドラはその様子を遠目にし、内心穏やかではなかった。


「あっ」


 リタが小さな声を上げた。

 姉とシリウスの間に流れる妙な空気へ気を取られていたのだろう。

 床へ落ちた本を抱えて立ち上がろうとして、一歩後ろへ下がる。


 その背中が、ごん!と書架へぶつかった。


『えっ』


 その場にいた全員が上を見る。

 ぐらり。

 棚の端へ寄っていた本が傾いた。


「あっ、ちょ――」


 ばさばさばさばさっ!


「きゃあっ!」


「リタ!」


 今度は先ほどとは比べものにならない量の本が、ばらばらと床へ降り注いだ。

 リタは頭を抱えながら、その場へしゃがみ込む。


「大丈夫!?」


「だ、大丈夫……」


 幸い、大きな本が直撃したわけではないらしい。


 だが床一面、酷いありさまだった。

 本、本、本。


「…………」


 シリウスは絶句し、事態を把握した次の瞬間…


「お前は一体、何をやっているのだ!」


「ひぃっ」


 リタの肩が跳ねた。


「今しがた注意したばかりだろう!

 その上今度は書架まで揺らして ――」


「シリウス様、少々宜しいでしょうか」


 カサンドラはすかさず口を挟んだ。


 このままでは三つ子のシリウスへの印象が地を這ってしまう!

 ――いや。


 別にシリウスルートへ誘導したいわけではないのだが…

 昨日そういうことはしないと決めたばかりだし。


 でも、このまま第二次説教が始まるのはさすがに可哀想!


「カサンドラ!?

 何故お前がここに?」


 シリウスはこちらの姿を一瞥し、お化けでも見たかのようなぎょっとした顔になる。


 私が図書室にいるのがそんなに意外だとでも?

 失礼な!


「リタさんも十分分かっていらっしゃいます、もう宜しいでしょう」


 カサンドラはにこりと笑った。

 出来るだけ穏やかに。

 けれど、これ以上続けさせるつもりはないという意思だけは、しっかり込める。


「シリウス様があまり厳しく仰るものですから、リタさんも随分緊張して失敗を重ねてしまったようですし」


「――私のせいだと?」


 眼鏡の奥の黒い双眸が、カサンドラの姿を捉えている。


「そこまでは申しておりません」


 笑顔は崩さない。


「ですが…

 このままではリタさんが焦って、また何か倒してしまうかもしれないと、わたくし心配でなりません」


「…………」


「お片付けは、わたくしがお手伝いいたしますので」


 そして、ほんの少し首を傾げる。


「シリウス様にもご用事がおありなのでしょう?

 こちらのことはどうぞお気になさらず、ご用事をお済ませください」


 柔らかい言葉。

 丁寧な声音を意識的に心がける。


 敵対したいわけでもない、邪魔をしたいわけでもない。

 頼むから第一印象をこれ以上下げないでほしいという魂の叫びに従っただけだ。


「分かってもらえたのなら、それで良い」


 シリウスもさすがに、この気まずい状況を脱する判断をしたらしい。


「…だが…」


 それでも彼は一度、三姉妹へ視線を向ける。

 リタは床に座り込んだまま縮こまっている。

 リナはその横で本を拾っている。

 そしてリゼは――


「…………」


 黙ったまま、シリウスを見ていた。いや、睨んでいる。

 怒っているのは間違いなさそうだ。


 だが何に怒っているのか、シリウスにも全く見当もつかないようで…


 彼は一瞬、言葉に詰まった。

 結局、それ以上何も言わず、眼鏡の位置を指で直す。


「――本は必ず分類番号を確認して戻すように」


「はいっ! はいはい!」


 リタは全身を震わせ、何度もコクコクとうなずいた。

 最後まで一言多い。

 カサンドラは苦笑しそうになるのを堪えた。

 シリウスはなおも納得しきれない様子だったが、そのまま踵を返す。


 遠ざかっていく背中を見送り、その後ろ姿が完全に書架の向こうへ消えた瞬間。


「…………はぁぁぁぁ」


 リタが盛大に息を吐いた。


「こ、こここ怖かったぁ……

 問答無用で牢屋行きかと思った」


「一回牢屋に入って頭冷やすのもありじゃない?」


 リゼの表情はすぐに通常モードに戻っている。


 あれ? もしかしてさっきの怒気は見間違い?


「酷いっ!」


 リゼはそう言いながらも、妹の頭や肩に怪我がないか確かめている。

 リナもほっとしたように笑った。


「カサンドラ様、ありがとうございました」


「本当に……助かりました」


 リタが床へ座ったまま、ぺこりと頭を下げる。

 カサンドラも腰を屈め、一番近くに落ちていた本を拾った。


「これだけありますから。

 皆で片付けましょう」


「えっ、カサンドラ様が?

 いいですいいです、そんなことさせられないです!」


「わたくしが手伝うと言って、シリウス様を送り出したのですもの。

 ここで帰ったら嘘になってしまいます」


「あ……す、すみませんっ!」


 リタが申し訳なさそうに眉を下げた。


「次からは、一度に持てる分だけにしてくださいね」


「はい……」


「絶対だからね、リタ、分かった?」


 リゼがすかさず重ねる。


「分かってるってば!

 もう図書室には来ない!」


「なんでリタはそう極端なの」


「二人とも、手を動かしてね」


 のんびりした雰囲気とは裏腹に、リナはテキパキと片付け中。

 その手際の良さには驚くほどだ。

 そういえば、さっきからあの冷たい空気の中でも、リナだけは一度も手を休めていなかった。


 カサンドラはリナに負けじと、本の背へ記された番号を確認する。

 リナも一冊ずつ棚の位置を探し、リゼが同じ分類のものをまとめていった。

 最後の一冊を棚へ戻した頃。


「カサンドラ様」


 リゼが改めて頭を下げた。


「今日は助けていただいて、ありがとうございました」


「いいえ。大したことではありません」


「でも、本当に助かりました」


 リナも笑う。


「私達だけでしたら、まだシリウス様に注意されていたかもしれません」


「絶対そうなってた」


 リタが即答した。


「まだ一時間くらい続いてたかも!」


 彼女は自分の体を両手で抱え、うわっ、と肩を震わせる。


「流石にそれは――」


 ない、と言い切れなかった。

 四人で顔を見合わせ、小さく笑う。

 三つ子と積極的に関わる予定はなかったはずなのに、まさか最初の共同作業が本の片付けになるとは予想外。


「では、また明日」


「はい」


「また明日、カサンドラ様」


「ありがとうございました!」


 全く、とんだハプニングがあったものだ。

 情報収集の成果はゼロだったが、珍しいものも見られた。

 不思議と、無駄足だったという気はしない。


 三人が並んで図書室を出ていく。

 その背中を見送りながら、カサンドラはふと思う。

 そういえば、シリウスとリゼのあれは、本当にイベントだったのだろうか?

 ゲームなら、実力を認められた主人公が嬉しそうに笑って、好感度が上がっても良さそうなものだった。


 なのに現実のリゼは褒められた瞬間、明らかに不機嫌になった。

 何故?



   ――分からない。



 おかしい。


 シリウスとリゼって、相性が良かったはず。

 リゼってシリウスルートでしか聖女にならなかったのに、とてもそうは見えない。

 同じ状況のイベントはゲームに確かにあった。

 図書室でリゼとシリウスが出会うのは何度も目にした光景だ。

 でもこんな流れではなかったことは間違いない。




     うーん…?

     これ、むしろ「リゼの」好感度が下がってない…?

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