第6話 昨日より一つ!
自室へ戻り制服から着替えを済ませると、カサンドラは机の上へ一枚の紙を広げた。
本当なら、そのまま寝台へ飛び込みたい。
何も考えず、夕食まで眠ってしまいたいくらいには疲れている。
けれど今日一日で、自分の知っていたゲームとこの世界との違いがいくつも見つかった。
このまま頭の中だけで考えていては、何が確かな情報で、何が自分の推測なのか分からなくなる。
カサンドラはペンを取り、紙の一番上へ書いた。
『㊙ゲーム攻略情報!』
その下へ、覚えていることを順番に並べていくことにした。
まとまらない情報を整理するには、書くに限るのだ。
何より、今自分がこのゲームの情報を覚えているのは直近で攻略したばかりだから!
日を追うごとに、内容の詳細を忘れてしまうという懸念があった。
ゲームの舞台は、今通っている王立学園。
主人公は三年間の学園生活を送りながら能力を伸ばし、カサンドラの妨害を受けつつも攻略対象達との関係を深めていく。
卒業を前にカサンドラの悪事が暴かれ、学園を追放される。
通常の恋愛ルートなら、その後は選んだ攻略対象と結ばれて物語が終わった。
けれど、そこで終わらないルートもある。
三年目に入る頃から王国内で不自然な事故や事件が増え、主人公達が調べていくうちに、その先へ王子の存在が浮かび上がる。
最後には王子自身が、人ならざる悪魔の姿となって主人公達の前に立ちはだかることになった。
人の力では敵わない存在となった王子に対し、主人公は聖女として覚醒する。
聖剣を手に王子を倒し、国を救う。
そこまでは、聖女となるルートなら同じだった。
違うのは、その後だ。
通常なら国を救った『聖女』として、選んだ攻略対象と結ばれて物語は終わる。
けれど攻略対象三人との関係を一定以上に保ち、さらに全ての能力値を高い水準まで育てていた場合だけ真エンドを見れるのだ。
王位継承者を失った王国で、聖女となった主人公が次代の女王に選ばれる。
それが、香織が最後に辿り着いた真エンディングだった。
『Pure White Queen』
ああ、思い出してどっと疲れる。
あの画面を見るために何度スケジュールを組み直したことだろう。
三年間という限られた時間の中で主人公を育てながら、攻略対象達との関係まで維持しなければならない。
どこか一つでも足りなければ、女王にはなれなかった。
ゲームとして遊んでいた頃には、随分と面倒な条件だと思ったものだ。
なんで乙女ゲーで内政ゲーを強いられているのかと思った記憶は数えきれない。
カサンドラは、そこまで書いたところでペン先を止めた。
ゲームの流れは分かる。
分からないのは、その裏側だった。
……肝心なところが抜けている。
王子は、何故あの姿になったのか。
何故、あれほど友人達から信頼されていた人が一連の事件を首謀し、最後には国の敵として立ちはだかったのか。
前世では何周も遊んだ。
恋愛イベントも、能力値を上げる方法も、攻略対象達の好みもそれなりに覚えている。
王子が一年目と二年目には攻略対象達の友人として登場し、主人公にも穏やかに接していたことも知っている。
三年目になれば事件を追って彼の元へとたどり着き――追い詰められ、最後には悪魔となって主人公達の前に立ちはだかることも知っている。
けれど、その二つの姿を繋ぐものがない。
あれだけ信頼されていた人が、何故そこまで変わったのか。
ゲームでは事件を追う主人公側の視点しか描かれず、王子自身が何を考えていたのかは最後までほとんど分からなかった。
「ファンタジーとはいえ、乙女ゲームですものね」
主人公と攻略対象の恋愛が中心なのだから、当然と言えば当然なのだろう。
けれど今の自分に必要なのは、ゲームでは背景に押し込まれていた方だ。
カサンドラは紙へ線を引き、新しい項目を作った。
――王子自身を知る。
――悪魔について調べる。
まず、この二つだ。
王子本人にいきなり未来のことを尋ねるわけにはいかない。
『三年後、あなたは悪魔となり国を滅ぼそうとします』
などと言おうものなら、信じてもらえないどころか、自分が警戒されかねない。
もしも本当にその予定があろうものならカサンドラの身が真っ先に危険である。
それに何より、あまりにも信じがたい。
本当に王子自身が進んであの結末を選ぶのだとしても、今の段階でそれを決めつける根拠はないのだ。
今日会った王子と、ゲームの最後に見た王子は、あまりにも違いすぎた。
ならばまず、悪魔という存在について調べるしかないだろう。
建国史や古い伝承、過去の災害の記録。
この世界には、ゲームでは説明されなかった情報が残っているかもしれない。
王立学園なら、蔵書も相当な数あるはずだ。
「安直ですけど、図書室に行ってみましょう」
そこまで書いたところで、カサンドラの手が止まった。
紙の端には、三人の少女の名前も書いた。
そこには、リゼ、リタ、リナの三人の名前が並んでいる。
ゲームでは、主人公は一人だった。
必要な能力値を積み上げ、攻略対象達との好感度を調整し、条件を満たせば聖女となる。
さらに全てを高い水準まで仕上げれば、最後には女王にまでなれるポテンシャルを秘めた女の子。
けれど、ここにいる主人公は一人ではない。
同じ顔をした三人の少女が、それぞれ別の人間として生きている。
今日実際に会ってしまえば、もうゲームのようには考えられなかった。
仕草も、表情も、話し方も違う。
誰かに操作されるための主人公ではなく、リゼにはリゼの、リタにはリタの、リナにはリナの人生がある。
ゲームなら、効率のいい授業を選べばよかった。
好感度が上がる選択肢を選べばよかった。
目当ての相手とのイベントが起きるように予定を組めばよかった。
でも現実の彼女達に、この授業を受けて、この人を好きになって、この通りに生きてと、自分が決めていいはずがない。
だが、そうはいってはいられない重大な懸念事項が一つある。
聖女になれる組み合わせは、相性が良いお相手の時だけだ。
そうでなければ、卒業式のダンスパーティで一緒に踊って恋人になってエンディングという流れになる。告白するかされるかの差分はあれど、聖女にはならないわけで…
…もし、聖女にならないまま――王子が悪魔になっちゃったらどうするの?
ぞわっと背筋が寒くなる。
ノーマルEDでも王子の不穏な行動はあったし…
その後世界が滅びました、なんて最悪の結末ではなかろうか?
冷や汗が頬を伝った。
だがそれに気づいたところでカサンドラは主人公ではないのだから、どうにもできない。
「……こちらは、保留……」
うーん…
三人に何もしてもらわなくていい、と決めたわけではない。
本当に聖女の力が必要になるなら、いつか向き合わなければならない。
ただ、今の自分は何も知らなさ過ぎる。
知らないまま彼女達の人生を動かすなんてできるわけがない。
カサンドラは三人の名前の横へ、小さく書き足す。
――遠くから見守る!
それで十分だ。
今夜、答えを出す必要はない。
最後に残ったのは、王子だった。
今日、初めてまともに言葉を交わしたわけだが、結局、何が好きなのかも普段どんなふうに過ごしているのかも、まだ分からない。
それなら、調べ物と同じだ。
知らないなら、これから見ればいい。
王子を知る。
悪魔について調べる。
三つ子と無理に関わろうとしない。
未来の知識を、絶対の答えだと思わない。
カサンドラは並んだ四つの項目を眺めた。
少なくとも今は、これ以上考えても答えは出ない。
「……とりあえず、こんなところでしょうか」
書き出してみれば、やるべきことは思っていたより単純だった。
答えが見つかったわけではない。
けれど、何も分からないまま怯えているよりはましだ。
紙を折り畳み、机の引き出しへしまう。
そして寝台へ向かいかけたところで、ふと足を止めた。
王子を知ると、そう書いた。
ならばまずは明日、今日より少し早く学園へ行ってみよう。
人が集まる前なら、もう少し話せるかもしれない。
王子が先に登校していないと無意味だが、それは行ってみないと分からない。
今週末の生徒会に向けて、もしかしたら早めに準備を始めているかもしれないし。
「王子とお話できる……!!」
我ながら、実に分かりやすい。
結局一番楽しみなのはそこなのではないか。
そんな自覚には、気づかなかったことにした。
※
昨夜は早めに寝て、今朝は侍女に起こされる前に自分で目を覚ました。
自力で起床し、準備を始めたことで侍女たちがざわざわしていたような気がするが、我が家の侍女たちは自分をどれだけだらしない存在と思っているのだろう。
家を出る時にはアレクから「随分気合が入っていますね」と笑われてしまったが――
そっちも聞こえなかったことにした。
一々反応したら負けである。
まだ人影の少ない校舎へ入り、生徒会室へ続く廊下へ真っ先に向かう。
途中、見覚えのある金色の髪を発見した瞬間、内心で小さく拳を握ってガッツポーズ!
いた!!
「王子、おはようございます」
「おはよう、カサンドラ嬢。
今日は早いね」
昨日と同じ穏やかな笑み。
それだけで一瞬、何を話そうとしていたのか飛びそうになる。
危ない。
今日は、ただ顔を見て満足するために早起きしたのではない。
「王子もお早いのですね」
「今日はこれから、他の生徒と会う予定があるからね」
「お、お忙しいのですね……」
しまった。
既に王子の朝にはアポイントが入っている。
すぐにでもここから去っていきかねない!
何か少しでも話をしたいと気ばかりが焦る。
ここから王子自身について何か聞けないだろうかと考えていた時、廊下の向こうから学園の使用人らしい女性がやって来た。
両腕に大きな籠を抱え、前が見えづらそうに歩いている。
王子に気づいた女性が慌てて端へ寄ろうとした。
「申し訳ございません、王子」
「そのまま先へ。
大丈夫だから」
王子の方が先に壁際へ身体を寄せた。
「重そうだね。
無理に避けなくていいよ。
足元に気をつけて」
「は、はい……!」
女性が大きく動揺している。
分かる、分かるよその気持ち。
そんな優しい言葉をかけられたら心臓が止まりそうになるでしょう。
とカサンドラは内心で激しく同意した。
足早に進もうとした女性だが、籠の脇に差していた箒が一本、ずり落ちかける。
カサンドラは反射的に手を伸ばした。
だが、それより先に王子が受け止める。
「これも中でいいのかな」
「は、はい。
ありがとうございます」
箒を籠へ戻し、女性が通り過ぎるまで身体を引く。
「朝早くからありがとう」
「きょ、恐縮です……!」
女性は真っ赤になって何度も頭を下げ、足早に去っていった。
カサンドラは、その背中と王子を交互に見る。
「王子は、いつもあのようになさるのですか?」
「あの……とは?」
首をかしげる王子。
その仕草も一枚の絵画のようだ。
「使用人の方にも、あのようにお礼を?」
「きちんと仕事をしてくれているのだから、礼を言うのは普通だよね」
何でもないことのように答える。
殊更に良いことをしたという意識すらないらしい。
今のカサンドラなら、その考え方自体はよく分かる。
昨日、突然蘇った前世の記憶があるからだ。
けれど、王子にはそんな記憶などない。
生まれた時から王族として育ち、人に仕えられる立場で生きてきたはずの人が、自分から使用人へ道を譲り、働いてくれてありがとうと自然に口にする。
それを『普通』だと言うなんて。
……本当に、こういう人なんだ。
王子について、昨日より一つ知った。
それなら次は、もう少し踏み込んでもいいかもしれない。
「王子は――」
「アーサー!」
今度こそ何か聞こうとしたところへ、廊下の別方向からよく通る声が飛んできた。
振り返れば、こちらへ早足で向かってくる生徒がいる。
燃えるような赤い髪に、鮮やかな橙色の瞳。
新入生の中でもひときわ背が高く、きっちりと制服を着ていても、鍛えられた体つきは隠しようがない。
整った顔立ちではあるものの、王子のような繊細で華やかな美しさとは違い、太めの眉と意志の強そうな目元が精悍な印象を与えていた。
黙って立っていれば、同年代とは思えないほど近寄りがたい。
ジェイクだった。
ゲームでも大柄な体格と赤い髪はひどく目立っていたが、こうして王子の隣に並ぶとなおさら大きく見える。
「お前との約束があるって、ビクターが待ってるぞ」
そんな迫力のある外見とは裏腹に、王子へ向ける口調は驚くほど気安い。
「……もう?
聞いていた時間より早いね」
王子は上着から懐中時計を取り出し、文字盤へ目を落とした。
なんてエレガントな所作なのだろう。
「そりゃ、お前を待たせるわけにはいかないだろ。
めっちゃ緊張してずーっと置物状態でさぁ…シリウスが鬱陶しがってるから、早く来いよ。
よくわからんけど、お前に礼があるんだってさ」
ジェイクは片手をポケットに突っこんだまま、肩を竦める。
ビクター、という名前を記憶から手繰り寄せる。
確か、生徒会のメンバーの一人だったはずだ。
ジェイクはこちらへ気づくと、一瞬だけ目を丸くした。
「……って、カサンドラもいたのか」
「いましたけれど」
「悪いな。
アーサー、借りるぞ」
「あの……生徒会室へ向かわれるのでしたら、わたくしもご一緒してよろしいでしょうか。
ビクター様にご挨拶を申し上げたく……」
一応、カサンドラも王子の婚約者ということで、生徒会のメンバーの一人だ。
というのは建前である。
単純に、王子と少しでも一緒にいたかった。
「彼とは個人的な話もあると思うからね。
週末の生徒会では全員で顔を合わせる機会を設けるつもりだし、挨拶ならその時でも遅くないよ」
王子はそう言って、にこっと微笑んだ。
――違う、ビクターを紹介して欲しいんじゃない!
「さ、さようでございますか……」
思わずこちらの笑顔がひきつる。
ジェイクと一緒に離れていく王子の後ろ姿を見送りながら、カサンドラは内心で悔しさを滲ませた。
せっかく二人きりで話せると思っていたのに。
去り際の二人の会話が、微かに届く。
「ビクターもなー、あいつも寮住まいだろ?
直接話にくればいいのにな」
「流石に私達のいる棟には入って来られないからね……」
「はー。
警備厳しくてめっちゃウザいよな」
「夜中に抜け出そうとするジェイクが悪いのでは?」
「……!」
「…………」
昨日の王子は、『誰に対しても同じように丁寧な人』に見えた。
それは今も変わらない。
ただ、その丁寧さが単なる王族としての作法ではないことを、少しだけ知れた気がする。
どれも、本当に小さなことだ。
だからこそ、誰かに見せるための振る舞いには思えなかった。
カサンドラは、ゲームの最後に見た彼を思い出す。
黒い靄に覆われ、国を滅ぼそうとした王子。
今の彼との距離が、あまりにも遠すぎて全然結びつかない。
その間に何があるのか。
今度こそ、そこを見落としたくなかった。
思っていたほど長くは話せなかったけれど、不思議と昨日ほど落ち込まなかった。
昨日より、ちゃんと王子のことを知れた。
カサンドラは遠ざかる二人の背中を見送り、ようやく肩の力を抜く。
一拍置いて、次なるミッションへとやる気を漲らせた。
さて。
次は放課後、図書室だ。




