第4話 クラスメイト
入学式を終えた新入生達は、そのまま各々の教室へ向かうことになった。
カサンドラもデイジーと並んで廊下を歩いていたが、頭の中は先ほど見た三人の少女でいっぱいである。
リゼ。リタ。リナ。
顔は三人ともゲームの主人公と同じで、名前は自分がプレイ時に性格別に使い分けていたもの。
そして現実には、三つ子の姉妹として三人同時に存在している。
考えても答えが出ないことは分かっているのだが…つい同じところへ思考が戻ってしまう。
「とても良い式典でしたね」
何食わぬ顔でデイジーへ微笑みかけると、彼女は嬉しそうに頷いた。
「はい。王子のお言葉も素敵でした!」
「……そうですね」
そこにはあまり触れないで欲しい。
色んな感情が渦巻いたが、壇上の王子をほとんど瞬きもせず見つめていた自覚はある。
まさかあれほど好みにドストライクすぎる造形の顔が、実際に生きて動いている姿を見られるなんて…
眼福なんてレベルじゃない。
デイジーと会話を交わしていると、いつの間にか教室へ到着していた。
カサンドラは内心でさっきの王子の堂々とした姿を反芻し、頬が緩みそうになる。
自分でもそんなに浮かれている場合なのかと疑問に思うけれど、嬉しいのだからしょうがない。
教室の中には既に多くの新入生が集まっていた。
指定された席を探す者、顔見知り同士で挨拶を交わす者、早くも数人で輪を作る者。
皆、入学初日らしく少し浮き足立っているようだ。
まあ、今のカサンドラは足どころか全身が宙に浮いていてもおかしくない大混乱ぶりだけど。
今日は朝から人生が何度もひっくり返っている。
「カサンドラ様のお席は、後ろの方ですね」
「デイジーさんは?」
「私はあちらです」
そう離れてはいない。
席へ向かい、椅子を引こうとしたところで、カサンドラの視線が窓際へ吸い寄せられた。
先ほどの三つ子がいる。
どうやら同じクラスのようだ。
彼女たちと少しはなれた教壇近くでは、ジェイクとラルフが談笑中。
教室の中央寄りにはシリウス。そして王子も、既に数人の生徒から挨拶を受けている。
思わず教室を見回し、奥行を確認。
ゲームの主要人物のほとんどが、一つの教室に集まっているわけか。
偶然と言うには、少々出来過ぎている。
けれど学園側からすれば、王族や高位貴族、特別選抜の生徒を同じクラスへ置くことに何らかの意図があるのかもしれない。
昨夜どころか、ほんの二時間前までの自分なら、きっとそうは考えなかった。
既に少しだけ慎重になっている自分がどこか可笑しい。
もっとも、同じ教室にいるからといって、彼らと同じ立場というわけではない。
王子は王族。
ジェイクはロンバルド侯爵家の嫡男で、幼い頃から剣の才を知られている。
ラルフはヴァイル公爵家の長男。
シリウスはエルディム侯爵家の跡取りで、先ほど新入生代表まで務めた。
いずれもこの国の中心に近い家の子息だ。
…彼らは御三家とも呼ばれ、かなり特殊な立場の生徒である。
そんな中、カサンドラも地方とはいえ侯爵家の令嬢であり、何より王子の婚約者という立場を持つ。
一方、三つ子は特別選抜で入学した平民の少女達。
ゲームの中では「攻略対象と主人公が同じ学園にいる」というだけで済んでいたけれど、現実として見れば随分と不思議な組み合わせである。
身分も育った環境も、持っている常識もまるで違う。
そんな者達を同じ教室へ集めて、本当に三年間何事もなく過ごせるのだろうか。
――いや。
ゲームでは何事もないどころか、散々事件が起きた。
思い出して少し頭が痛くなる。
しかも、その事件のいくつかでは自分が悪役として関わることになるのだ。
カサンドラは指先で机の縁をなぞった。
前世を思い出したからといって、昨日までのカサンドラの評判まで消えるわけではない。
気が強い。高慢。機嫌を損ねると面倒。
心当たりが全くないと言い切れないのが痛い…!
ゲームで描かれたほど酷いことをした覚えはない。
それでも、自分の言葉一つで周囲が気を遣い、使用人や下位の令嬢が萎縮していた場面ならいくつも思い出せる。
それこそ今朝の侍女への態度は偉そうだったし、印象最悪だろうな。
…カサンドラはそういう生活を営んでいたのだ、今まで。
ここで突然「皆さんと仲良くしたいのです」と三つ子や皆にスススと近づくのも、それはそれで警戒されそうだった。
急がない方がいい。
まずは普通のクラスメイトとして、変な敵意を向けない。
それくらいから始めればいいだろう。
カサンドラは腰を下ろし、正面を向いたまま、こっそり三つ子へ視線を向けた。
見れば見るほどよく似ている。
同じ色の髪で同じ輪郭、同じ大きな瞳。
それなのに、どの子が誰なのかは不思議なくらい簡単に分かった。
手元の資料を早速読み込んでいるのがリゼ。
どうやら学園マップのようだ。
広いから、確認しないと迷うのは分かる。
物珍しそうに教室のあちらこちらを見ているのがリタ。
確かに、平民の彼女たちには見慣れない置物もあるだろう。
好奇心旺盛というのが一目でわかる。
興奮して落ち着かないリタを穏やかに制しているのがリナ。
リゼの広げる学園マップに視線を落としながら、リタのフォローも忘れない。
三つ子という共通点より、それぞれの個性の方が先に目へ入ってくる。
ゲーム通りなら、三年後には自分と対立する相手だ。
もっと複雑な気持ちになるものかと思っていた。
ところが実物を目の前にして最初に浮かんだのは、全く別の感想だった。
――かっ…可愛い。
いや、本当に可愛い。
何周もあの主人公と一緒に学園生活を送った。
試験前には能力値が足りるか心配し、選択肢を間違えれば頭を抱え、恋愛イベントが上手く進めば画面の前で喜んだ。
攻略対象以上に長い時間を見ていたのは、間違いなく主人公の方だ。
嫌いだったなら、何周も同じゲームを遊んだりしない。
だからなのか、今のカサンドラには「将来の敵」という警戒より、長く見守っていた相手が本当に動いているという妙な感動の方が強かった。
リタが何かを言うと、リゼが即座に突っ込む。
彼女たちの傍で、リナがクスクスと笑う。
声までは聞こえないのに、三人の表情だけで会話の調子が何となく分かる。
可愛いなあ、と完全に気を抜いて眺めていたところで――リナと目が合った。
「…………」
まずい。
あまりにもガン見してしまっていた。
かといって、ここで慌てて逸らすのも不自然!
カサンドラは侯爵令嬢として培ってきた平静を総動員し、何事もない顔を保ったのだ。
リナが少し驚いたように瞬き、隣の二人へ何かを囁く。
リゼとリタもこちらを振り返った。
三人揃って目が合う。
え、何、これ、どういう状況!?
僅か一秒が、永遠にも感じられる無言の時間…
すると、ぺこりと頭を下げられた。
反射的にカサンドラも会釈を返す。
それだけだった。
けれど三人がほっとしたように笑い、再び姉妹同士の会話へ戻った後、カサンドラは心の中でそっと頭を抱えた。
――何、今の。三人揃ってお辞儀した。
可愛過ぎる。
癒やされている場合ではないのは分かっている。
ゲームでは主人公へきつい言葉を投げるカサンドラを見て、「なんでそんなこと言うの」と何度も思った。
ところが今は、そのカサンドラ本人である。
こちらの何気ない態度で彼女たちを怖がらせたり傷つけたらどうしようと背筋がヒヤッとする。
だからこそ、先ほど三人へ会釈を返せたことに、カサンドラは密かに安堵した。
ほんの一瞬のやり取りでも、最初の印象はもうゲームと違うはず!
そのうち、普通に話してみたい。
どうして三人なのかという謎とは別に、リゼとリタとリナが実際にはどんな子達なのか知りたいと思った。
※
担任教師が教室へ入り、初日の説明が始まった。
授業日程、施設の利用方法、生活上の規則、選択講義の説明。
配られる紙の量が多く、前世(?)の記憶を思い出したばかりでなくても混乱しそうな情報量だ。
それでもカサンドラには、家庭教師から学んできたこの世界の知識がある。どうにも今の自分の感覚に馴染めない習慣も多いが…
知識として、しっかり押さえているのは僥倖だ。
学園特有の制度を除けば、内容自体に難しいものはなかった。
ふと前に視線を遣ると、三つ子は三人で同じ資料を何度も見比べている。
この学園へ入るために試験を突破したのだから、学力が足りないわけではないが…
貴族の子弟なら事前に知っている前提が、彼女達にはないのかもしれない。
ゲームでは、主人公が困るたびに攻略対象が手を貸すイベントがあった。
現実では、ああいう小さな「分からない」が積み重なっていたのかもしれない。
画面では数行で終わった出来事の裏側が、少しずつ見えるような気がした。
説明が終わり、教師が教室を出て行く。
「カサンドラ様」
帰り支度を始めたところで、デイジーが近づいてきた。
「三つ子の方達、どなたがどなたなのか全く分かりませんね。
お声をかけたいのに、お名前を間違えそうで話しかけられません…!」
「そう…ですか?」
思わず聞き返す。
「同じお顔に見えます。
まさか、カサンドラ様は分かるのですか?」
「リゼさんは一番きちんとしていて、リタさんはよく動くでしょう。
リナさんは雰囲気が柔らかいですから」
「まだお話もしていないのに!?」
デイジーが目を丸くした。
しまった、普通はそこまで分からないものなのに…!
「……見ていれば、何となく」
「すごいです、カサンドラ様!
私も見分けられるようにならなければ!」
「お話ししてみれば、すぐだと思いますよ」
適当に笑って誤魔化す。
その時、前方からざわめきが聞こえた。
王子の周囲へ、既に多くの生徒が集まっている。
男子も女子も関係ない。将来王位を継ぐ可能性が最も高い人物と同じ学年になったのだから、少しでも顔を覚えて欲しいと思う者が多いのは当然だった。
カサンドラは鞄を持ったまま、その光景を目を細めて見つめる。
今朝まで、今日こそ王子と話せると楽しみにしていた。
ところが入学早々とんでもない記憶を取り戻し、気づけば一度もまともに声を掛けていない。
このまま帰る?
明日にする?
いや。
明日になれば、また同じように人が集まるだろう。
王子なのだから、待っていれば勝手に二人きりの時間が出来るとは限らない。
それに今は、ただ好きだから話したいだけではなかった。
知りたい。
全く触れることのできなかった彼の背景。
何を考え、何を好み、何を嫌うのか。
ゲームではほとんど描かれなかったこと、全部。
「デイジーさん、今日は先にお帰りになってください」
「何かご用事が?」
「ええ。少し」
デイジーを見送った後、カサンドラは小さく息を吸った。
人が多い。
ものすごく入りづらい。
けれど、自分は正式な婚約者だ!
挨拶くらいして何がおかしい。
そう自分へ言い聞かせながら歩み寄ると、こちらに気づいた生徒達が少しずつ左右へ道を空けた。
別に退けと命じたわけではない。
ただ「少しよろしくて?」と声を掛けただけである。
ちなみに、王子へ近づく自分を見た周囲の反応も気になった。
驚いたように目を見開く者。
会話を止める者。何事もないように一歩下がる者。
婚約者が王子へ話しかけるだけなのに、妙に空気が動く。
これまでの自分が、それだけ「機嫌を損ねたくない人間」として扱われていたということなのだろうか。
それとも…嫌われてる…?
まだ何もしてない、入学初日なのに?
王子を助ける以前に、まず自分が周囲から好意的に思われていない状況を何とかしなければいけないかも。
あああ…やることが増えていく。
入学初日から抱えるには重すぎる。
そんなカサンドラの胸中を置き去りに、カサンドラの体は王子のいる教室前方へとたどり着く。
二人を隔てるのは、机一つ分の距離。
自分を避けるように動く生徒たちの様子は、まるで海が割れたようだ、などという馬鹿な感想を抱く。
王子がこちらを見た。
澄んだ青い瞳と目が合う。
心臓がうるさい。
今朝までなら、それだけで舞い上がっていた。
今は、そこへもう一つの思いが重なっている。
この人を知りたい。
そして出来ることなら、あの未来から助けたい。
カサンドラは王子の前まで進み、背筋を伸ばした。
「王子」
彼は穏やかに目を細める。
「カサンドラ嬢」
名前を呼ばれただけで、せっかく固めた決意の半分くらいが飛びそうになった。
――やっぱり近くで見る方が、ずっと綺麗。
未来を変える以前に、まともに会話できる!?
私……彼の後光で蒸発しない!? 大丈夫!?




