第3話 これは何かの呪い?
「カサンドラ様?」
聞き覚えのある声に呼ばれ、カサンドラはようやく、自分が学園の門をくぐったところで立ち尽くしていたことに気づいた。
すぐ傍では濃い茶色の髪を丁寧に整えた少女が、心配そうにこちらを覗き込んでいる。
ガルド子爵家の令嬢、デイジーだ。
「デイジーさん、ごきげんよう」
「大変ご無沙汰しております。
カサンドラ様と同じクラスになれて、とても嬉しく思いますわ」
そう言って彼女は膝を折って挨拶をした。
ああ、そうだ。
――覚えている。
レンドール家と同じ南部に領地を持つ家の娘で、社交の場では以前から顔を合わせてきた。
侯爵家の娘という立場上、顔見知りの令嬢ならいくらでもいる。
けれど王都を主な社交の場とする家とは、元々付き合いが浅かった。
まして王立学園へ集まった高位貴族には、政治的にレンドール家と距離のある家も多い。
そんな中で、ごく普通に言葉を交わせるデイジーは、カサンドラにとって数少ない同年代の知人なのである。
「先ほどからこちらにいらっしゃいましたけれど、どうかなさいました?」
「……いいえ。少し考え事をしていただけです」
何でもないという顔で答えた。
我ながら上出来だったと思う。
実際には、何でもないどころではない。
三年後、自分は学園を追われるらしい。
その後、婚約者である王子は悪魔となり、聖女に討たれる。
そして先ほど目の前にいた三人の少年は、その追放劇の中心人物だ。
しかも、思い出したのはそれだけではない。
二十九歳まで日本で暮らした人生の記憶が、怒涛のようにカサンドラへ押し寄せてきている。
知識や体験がぎゅうぎゅうに脳内へ押し込められているようで、気持ちが悪すぎる。
昨日までの自分の中へ、もう一つの人生が流れ込んできたのだ。
――なに、これ?
デイジーを見れば、以前から顔を合わせてきた馴染みの少女だと思う。
王子の姿を思い出せば胸が高鳴るし、アレクの憎まれ口を思い出せば、きちんと腹も立つ。
これ、ゲームの世界に転生したってことなの?
私、死んだの?
落ち着こうとすればするほど、余計に混乱が増していった。
「カサンドラ様。
あの…お顔の色が、あまり良くないような気が……」
「ご心配なく。入学式に遅れる方が問題です。参りましょう」
「はい! ご一緒いたします」
デイジーと並んで歩きながら、カサンドラは改めて周囲へ目を向けた。
白い石造りの校舎の間を石畳が伸び、そこを歩く生徒達の靴音や話し声が聞こえてくる。
春の風が木々を揺らし、行き交う生徒達の制服の裾をふわりとなびかせていた。
この場所を知っている。
けれど、自分が知っていたのは画面の中の背景だ。
季節が変われば植え込みの花が変わり、夕方になれば窓に橙色の光が差し込むことまでは容易に思い出せる。
それでも、頬を撫でる風がどれほど冷たいのかも、石畳を踏んだ時の硬さも知らなかった。
すれ違った女生徒達が髪型について笑い合う声だって、ゲームの中には存在しなかった。
背景だったはずの場所に、人がいる。
しかも誰もが、自分自身の人生を生きているのだ。
当然のことなのに、今のカサンドラにはそれが不思議で仕方がない。
ここは、本当にゲームの世界なのだろうか。
そう考えずにはいられないほど共通点が多い一方で、画面の向こうには存在しなかったものも多過ぎる。
「カサンドラ様?」
「何でもありません」
どうやら、また立ち止まりかけていたらしい。
三年後を心配する前に、まず今日を乗り切ろう。
頭の中へ二十九年分の人生を追加されて十分も経たない人間に、それ以上を求めるのは酷というものだ。
幸い、今日は入学式である。
極論、黙って座っていれば時間が過ぎるだろう。
この体験が試験の日だったら、動揺のあまり成績最下位という結果に終わったに違いない。
※
式典が始まってもしばらく、壇上の話はほとんど頭へ入ってこなかった。
校長の挨拶が終われば教師達が紹介され、その後は学園生活についての諸注意が続いていく。
十五年間叩き込まれてきた礼儀作法というものは大したもので、頭の中がどれだけ混乱していても、身体だけは周囲に合わせて動いてくれた。
立つべき時には立ち、礼をして、座るべきところで座り、周囲と一緒に拍手をする。
今まで面倒だと思っていた教育に、初めて心から感謝である。
『続きまして、新入生代表――シリウス・フェル・エルディム』
その名を聞いた瞬間、散漫だった意識が壇上へ戻った。
黒髪の少年が席から立ち上がる。
先ほど校門近くで、こちらを観察するように見ていた少年だ。
彼は淀みのない足取りで壇上へ上がり、新入生代表として挨拶を始めた。
ゲームでも、シリウスは学業に秀でた人物だった。
冷静で理屈っぽく、魔法研究にも政治にも強い。
攻略対象の中では最も難易度が高く、求められる能力値も多かった。
そんな知識が、勝手に蘇ってくる。
けれど実際の彼は、話の区切りで僅かに息を吸い、時折手元の紙へ視線を落とす。
そんな些細な仕草まで、妙に目についた。
シリウスの挨拶が終わると、次に新年度の生徒会長に選ばれている王子が立ち上がった。
明るい金色の髪に、澄んだ青い瞳。
今朝までは、今日この人に会えるのだと浮かれていたずだ。
だがつい先ほど、三年後に彼が悪魔として死ぬことを思い出してしまった。
胸が詰まる。
何故、彼が…?
「本日、この学園へ入学した皆さん。
私もその一人として、共にこの日を迎えられたことを嬉しく思います」
穏やかな声だった。
「これから始まる三年間で、私達は多くのことを学び、多くの人と出会うことになるでしょう」
王子は長々と美辞麗句を並べるわけではなかった。
これからこの国を担っていく者として、学問だけでなく、ここで得る友人や経験も大切にしてほしいと生徒達へ語っている。
ゲームでは、彼のこうした日常の姿はほとんど描かれなかった。
攻略対象ではないから当然だ。
主人公と親しく会話するイベントも少なく、画面の端に「王子がいる」という程度の扱いだった。
だから、全然知らなかった。
実際の彼は、人前で話していても聞く者を急かすようなところがなく、言葉の終わりではほんの少し笑う。
壇上から生徒達を見渡す目も、思っていたよりずっと柔らかかったのだ。
知れば知るほど、最後にあの姿へ辿り着くことが信じられなくなる。
自分は、王子について何も知らない。
それは恐ろしい発見であると同時に、ほんの少しだけ希望でもあった。
知らないのなら、ゲームで描かれなかった何かがあるかも…!?
ぞくりと背筋が震える。
何があれば、この人があそこまで変わるのだろう。
やがて挨拶を終えた王子が席へ戻る。
その直前、ふとこちらへ視線が向いた気がして、カサンドラは反射的に姿勢を正した。
目が合った――ような。
気のせいかもしれない。
それだけで心臓が忙しくなる自分に気づいて、頬が熱くなる。
ありったけの理想を詰め込んだ「王子様」そのものが、実際に目の前を歩いている。
それだけでもドキドキしてしょうがないのに。
しかも、自分の婚約者!?
今後訪れる惨劇を思い出せば、一体どんな感情になればいいのか分からない。
感動すればいいのか、嘆けばいいのか。それとも絶望すればいいのか。
とにもかくにも今のカサンドラにできることは、食い入るように彼の姿を目に焼き付けることだけだった。
※
式典が終わり、生徒達が一斉に立ち上がる。
その時だった。
「あら。あの方達……」
隣のデイジーが小さく声を漏らした。
視線の先には、三人の少女が並んでいる。
式典が終わってようやく周囲へ目を向ける余裕が出来たのか、三人もそれぞれ講堂の中を見回していた。
髪の色も顔立ちも背丈も同じなのに、纏う雰囲気は少しずつ違っている。
一人は背筋を伸ばして周囲を警戒するように眺め、もう一人は物珍しそうに講堂を見回している。残る一人は、そんな二人の様子を見ながら穏やかに笑っていた。
カサンドラはひゅっと息を呑んだ。
その顔を知っている。
ゲームの主人公だ。
何周も何周も操作した少女と同じ顔が、三つ並んでいた。
だが、それはおかしな話である。
「……三人?」
「珍しいですよね。三つ子だそうです」
「三つ子……!?」
ゲームの主人公は一人だった。
性格を決める選択肢によって口調や得意能力が変わることはあっても、同じ主人公が三人同時に存在するゲームではない。
なのに目の前には、本当に三人いる。
「今回、特待生として入学されたと聞いております!」
デイジーは興味津々らしい。
「お名前は、確か……リゼさん、リタさん、それからリナさんだったとか」
「…………」
――はぁ?
危うく声を上げるところだった。
リゼも、リタも、リナも、全部知っている名前だ。
このゲームは主人公の名前をデフォルトから変更し、自由に設定出来る仕様だった。
そして香織は、選ぶ性格に合わせて名前まで変えて遊んでいたわけで…
勝ち気で負けず嫌いな主人公にはリゼ、快活で行動的な主人公にはリタ、穏やかで控えめな主人公にはリナと名付けていた。
どれもゲームのデフォルト名ですらない。
自分が勝手につけた名前だ。
しかもゲームの主人公と同じく、三人は平民出身の特待生としてこの学園へ入学している。
…どういうこと?
ひょっとすると、ゲームにあった主人公の性格差分が、この世界では三人の別人として存在しているのだろうか。
馬鹿馬鹿しい考えに思えるのに、他に説明のしようがない。
「……偶然?」
思わず零した声は、周囲のざわめきに紛れた。
顔が同じだけなら、まだ似た人物がいたのだと無理に納得出来たかもしれない。
三つ子であることだって、この世界独自の事情なのだと考えられる。
けれど、名前まで一致していることが解せない。
三人それぞれの雰囲気まで、自分が選んでいた性格と似ている。
ここまで来ると、偶然で片づける方が無理だった。
「カサンドラ様も気になります?」
「少々興味深いですね」
大嘘である。
可能なら今すぐ三人を捕まえ、出生から今日までの経歴を詰めよって真顔で聞きたいくらい気になる。
もちろん、そんな真似はしない。
やったら社会的に終わるから絶対できない。
デイジーは三つ子そのものが珍しいだけらしく、楽しそうに彼女達を眺めていた。
「本当にそっくりですね。
ご家族ならすぐ見分けがつくのでしょうか」
良家の令嬢でも、年ごろの女の子らしい反応が微笑ましくもある。
カサンドラの方は、既に三つ子の見分けはバッチリだ。
まぁ、トータルで何時間も見続けていた人物だし。
背筋を伸ばしているのがリゼで、周囲をきょろきょろと見ているのがリタ。そして二人をなだめるように笑っているのがリナだ。
まだ話したことすらないのに、プレイ時の記憶と重なって見える。
やがて三つ子の姿は人の流れに紛れ、見えなくなった。
主人公が、三人……か。
カサンドラはその姿を見送りながら、小さく息を吐く。
自分にはゲームの知識がある。
だからこの絶望的な状況でも、何か一つくらい役に立つものがあるのではないか。
さっきから混乱した頭の片隅で、そんな期待に縋っていた。
なのに学園へ入った初日から、主人公の人数すら違っている。
これでは攻略本を持ってゲームを始めたと思ったら、タイトルは同じなのに中身だけ別バージョンだったようなものではないか。
勘弁してほしい。
ただでさえ、自分の追放と王子の死という大問題を抱えているのに、これ以上謎まで増やさないでくれ。
どうやら自分が直前まで遊んでいた乙女ゲームの世界は、画面の中に用意された張りぼてではなく、それぞれの人間が生きる自律した『世界』のようだ。




