第31話 ガールズトーク
生徒会が終わった翌日の土曜日の午後。
一週間の学園生活から解放される週末は、カサンドラにとってご褒美だ。
自室でのんびりと一週間の疲れを癒すのも良いかと思ったが…
今、カサンドラは外出着を纏い街中を歩いていた。
青を基調としたワンピースに、粒イヤリングを着けて大通りを颯爽と歩く。
アレクには「王都の散策に行きます」と言ってきたけれど…
王都の広場前で馬車を降りたカサンドラの足は真っすぐにある場所へ向かって進んでいった。
大通りは平日よりも人通りが多く、道沿いに並ぶ店先からは客を呼び込む声や馬車の車輪が石畳を転がる音が絶え間なく聞こえている。
カサンドラの目的、それは先週デイジーたちとのお茶会で使用したカフェに他ならない。
王都で評判だからと選んだ店だが、思いの外美味しかったのである。
別邸のパティシエにリクエストしても、同じものは食べられないということが分かった。
侯爵令嬢として舌の肥えたカサンドラをも唸らせる渾身のケーキ。
勿論、ケーキの味だけではなくあのカフェの雰囲気も良かったのだと思う。
きっと同じケーキを部屋で食べても、先週のような感動はなかったに違いない。
一週間授業や講義を頑張った自分へのご褒美――なんて言い訳をしながら、カサンドラはヒールの音を響かせて通りを歩いて行ったのだ。
今日は何を注文しようかと心を躍らせながら、カフェに近づくと――
大きなガラス窓の前に、三つの栗色の頭が並んでいるのが見えた。
「……あら?」
見間違えるはずがない。
リゼ、リタ、リナの三つ子である。
三人とも店へ入るでもなく、かといって立ち去る様子もなく、窓の向こうに並べられた菓子をじっと眺めている。
正確には、リゼは少し離れた場所から腕を組んで妹達を見張っており、リナは遠慮がちに窓を覗き込む。
リタだけは今にも額が硝子へ触れそうなほど身を乗り出していた。
リゼは白いシャツにタイトスカート、リタは動きやすそうなホットパンツ姿。
リナは裾が広がるピンクのワンピース――同じ顔なのに全く趣味の重ならない三つ子が並んでいるのは壮観である。
今まで制服姿ばかりだったので、かなり印象が違って見えた。
「いいなぁ!
食べたい、食べたーい!」
ちょうどリタの声が聞こえ、カサンドラはビクっと肩を上下させた。
「美味しそう……」
半分涙目になって、ガラスケースをのぞき込むリタ。
「だから見るだけって言ったでしょ」
そんな妹を見張るリゼは、呆れた声を返していた。
「こんなお店に入ったら、今月のお小遣いなくなるから」
「一個くらいなら大丈夫じゃない?」
「一個食べたら飲み物も頼むでしょ」
「水でいいから!」
「そういう問題じゃない!」
即座に言い返され、リタは不満そうに頬を膨らませた。
「リゼだって食べたいでしょ?」
「そりゃ私だって食べたいわよ!
でも、無駄遣いだって言ってるの!」
リゼがチラチラとショーケースに視線を遣り、クッ、と唇を噛み締めている。
リタの手前我慢しているものの、完全に意識は店内に吸い込まれてしまっていた。
持ち前の鋼の精神で、その誘惑に耐えているのである。
その横でリナは何も言わない。
いつもなら姉二人の間へ入ることが多いのに、今日は妙に静かだと思って視線を追えば、彼女もまたショーケースに並ぶ苺のケーキを見つめている。
祈るように胸の前で手を組んで、大きな青い瞳をキラキラと輝かせていたのだ。
赤い苺の間から白い生クリームが覗き、ガラス越しでも十分に美味しそうに見えるのは確かだ。
リタもリナも、憧れの眼差しで見つめている。
「リナさんも召し上がりたいのですね」
「はい。……え!?」
三人が一斉に振り返った。
『カ、カサンドラ様!?』
「ごきげんよう」
カサンドラが笑いかけると、三人は今まで店先で菓子を眺めていたことを急に思い出したかのように姿勢を正す。
「こ、こんにちは!」
リタは慌てて立ち上がり、両手をわたわたと左右に振る。
「ごきげんよう、カサンドラ様」
リナが恥ずかしそうに目を伏せ、所在なげに頭を下げる。
「こんにちは……!」
顔を真っ赤にするリゼという、何とも珍しい光景を目撃してしまった。
三人とも同じ顔をしているはずなのに、こうして並んでいると反応までまるで違う。
それがおかしくて、カサンドラは口元を緩めた。
「皆様も、こちらのお店へ?」
「いえ!」
リゼが食い気味に否定する。
「通りかかっただけです。ね?」
「うん。見てただけなんです」
リタが素直に頷いた。
もじもじと手を組み替えつつ、リナも恥ずかしそうに笑う。
「この辺りでは有名なお店なので、見るだけ見てみようって…
それで、あまりにも美味しそうで」
「あら。そうだったのですね」
「私達には高くて、流石に無理だって説得してたところなんですよ」
リゼは腕を組んで、ため息を一つ落とした。
もっとも、彼女の視線がずっとガラスケースの中のケーキに向かっていたのはカサンドラも分かっているのだが。
つまり店へ入ることも出来ず、三人揃って外から眺めていたということらしい。
カサンドラは改めて店の窓へ目を向ける。
「実は、わたくしも今日は先週いただいたケーキが美味しかったので、もう一度食べに参りました」
「ケーキのために?」
リタが目を丸くした。
「ええ」
「カサンドラ様でも、外に食べに出るんですね!」
えー、とリタが掌を口元にあてて驚きの声を上げる。
「リタ」
リゼが慌ててリタの腕を引き、「失礼でしょ!」と叱責。
「でも、もっとこう……お嬢様って、ケーキ食べたいなら、お抱えのシェフが作ってくれるんじゃないの!?」
「お店にはお店ならではの雰囲気もありますから」
当たり前のことを答えたつもりだったのに、リタは妙に感心したような顔になった。
一体、自分は彼女の中でどんな生き物だと思われていたのだろう。
三人に挨拶だけして、自分だけ店へ入ることも出来る。
けれど、先ほどからリタは名残惜しそうに窓の向こうを見ているし、リナも時折ちらりと苺のケーキへ視線を送っている。
リゼだけがそんな妹達を現実へ引き戻そうと必死になっていた。
彼女たちはこの店に入れるだけの客層を見て「羨ましい」と思うだろうが、「ずるい」とは言わないだろう。
あの学園に通っていて、自他の境界線をしっかり持って立っているのは凄いことなのではないかとカサンドラは思った。
それに――
先週あんなにケーキが美味しかったのは、きっとデイジーたちと一緒にいたからに違いない。
一人で食べるより、誰かと話をしながら食べる方が何倍も楽しい時間に決まっているではないか。
「皆様、お時間はありますか?」
「ありますけど……」
リゼは首を傾げ、カサンドラに答える。
彼女は、二人の妹の腕をがっちり掴んで、店内に入り込まないようにガードしている様子だった。
「でしたら、少しわたくしに付き合っていただけませんか?」
三人の顔が、驚きに変わる。
だが、パァッと顔を輝かせたのはリタだけで、他の二人は怪訝そうに顔を見合わせたのだ。
「わたくし、学園の寮で生活したことがありませんでしょう?」
じーっと、三つ子から穴が開くように見つめられる。
「先日、女子寮について少し気になることがありまして。
実際に暮らしている皆様のお話を、一度伺ってみたいと思っていたのです」
これは決して、嘘ではない。
先週も、そして昨日も女子寮に言及したカサンドラだ。
実際に暮らしているわけではないからこそ、実際に寮住まいの三人の意見を聞きたいと素直に思ったのである。
「寮の話…ですか?」
何故カサンドラがそんな話題をふるのかと、やっぱりリゼは疑わしそう。
警戒心が強いのだろうか。
「お付き合いいただくお礼に、ケーキくらいでしたらご馳走いたします」
途端に、リタがリゼの腕を振りほどき、「わーい!」と万歳の姿勢でその場を飛び跳ねた。
「嬉しい! ありがとうございますー!」
しかしその隣で、リゼの眉間には分かりやすく皺が寄った。
「それは駄目です」
「リゼぇぇぇ!」
もう完全に目がケーキの形に変形しつつあったリタが、発狂寸前の声を上げて姉の腕を何度も揺さぶる。
「カサンドラ様が言ってくれてるんだもん、いいじゃん!
喜んで一緒に行こうよぉ!」
「お話するだけでこんなお店のケーキをご馳走になるなんて…
それはどうかと思う」
リゼの決然とした態度は、いくら妹二人の歎願があっても決して揺らぐことはないかに思える。
真面目な性格だ、と改めてカサンドラは感心した。
そこで、少し考えてから条件を変えることにする。
「では、ケーキだけ」
「え?」
「飲み物は皆様がご自分でお支払いになる。それでしたらいかがでしょう」
リゼはまだ迷っていた。
横からリタが恨みがましげなうめき声。
「リゼーー」
「分かってるから引っ張らないで」
「苺、食べたいな……」
いつの間にリゼの背後に立ったのか、リナがボソッと小声でささやく。
「リナまで……」
姉妹二人に挟まれ、とうとうリゼが諦めたように息を吐く。
「……飲み物は、自分達で払います」
「もちろんです」
「あと、本当に寮のお話をしますからね」
「お願いいたします」
リタとリナが、二人で両手を合わせてハイタッチ。
なんだか面白いものを見れた気がして、この時点でカサンドラは楽しくてしょうがなかったのである。
こうして、予定になかった四人のお茶会が始まった。
※
店内へ入ると、三人は揃って少し緊張した様子で辺りを見回していた。
大きな窓から午後の日差しが差し込み、磨き上げられた木のテーブルには白いクロスが掛けられている。
壁際には季節の花が飾られ、客達の話し声や食器が触れ合う小さな音が、店内に穏やかな賑わいを作っていた。
カサンドラにとっては一度訪れた店でも、三人にとっては気軽に足を踏み入れる場所ではないのだろう。
それでもメニューが運ばれてくると、リタの緊張は一瞬で消えた。
「あ、私これ! これにします」
「早すぎるでしょ! もっと考えて選んだら?」
メニューを開いて一秒で決まったケーキに、リゼの表情も固まる。
「だって、さっきから狙ってたし」
選んだのは、当然のように苺のケーキだった。
リナも少し迷った末、同じ物を指差す。
即決した二人とは違い、リゼだけは妙に真剣な顔で、いつまでもメニューを眺めていた。
「ねー、リゼ、早く決めてよ」
リタが待ちきれない様子で急かす。
「普段即断即決のリゼなのに、めずらしいわね」
妹たちからのクレームに、リゼは一層眉間の皺を深くしていった。
「ちょっとくらい待って。
もうすぐ決めるから…」
「リゼさん」
「はい?」
「ケーキのお値段は気にしなくて大丈夫ですよ」
「……はい……」
彼女もクリームたっぷりという表現に惹かれ、苺のケーキを何度も凝視しているのだが。
確かに値段が張るものなので、リゼからすれば気軽に頼めない…という事情があったのだろう。
おごってもらうのに高価なものは選べない! という彼女の潔癖さが伺い知れ、カサンドラも興味深くその様子を眺めていた。
別に気にしなくていいのに…なんて、本来自分が言ってはいけないセリフだ。
とはいえ、カサンドラが気にしない金額と、三人にとっての金額は違う。
そこを無理に押しつけるのも違うだろう。
結局リゼが選んだのは、三人の中では一番小さな焼き菓子。
――頑固な娘である。
でも、こういうところが彼女らしいとカサンドラは思った。
飲み物だけは約束通りそれぞれ自分達で支払うことになり、リゼも肩の荷が下りたように好きなものを注文している。
店員が離れていったところで、カサンドラは早速気になっていたことを尋ねる。
…というか、三人に改まって礼を言われる隙を与えたくなかった。
「女子寮のお部屋は、やはり全員一人部屋なのですよね?」
「はい」
リナが頷いた。両耳の上で、青いリボンが静かに揺れる。
「私達も別々のお部屋です」
「ずっと三人一緒に暮らしていたのなら、寂しくありませんでしたか?」
「最初は少し…でも、ずーっと同じ部屋だったので、自分の部屋がもらえて嬉しいです!」
リタが答える。
「全くです。
これでリタに部屋を散らかされることもなくなりましたから」
リゼも深く「うんうん」と何度も頷いた。
姉の本音を知って、リタがショックを受けているように見えるのは気のせいだろうか。
「それぞれの部屋を行ったり来たりできますから、寂しくはありません。
一人になりたい時は一人になれますし、意外と便利です」
先週の男爵令嬢たちも言っていたが、部屋の行き来にそこまで厳しくないのは当人たちにはありがたいことだろう。
彼女たちが楽しく寮生活を満喫できているようでホッとした。
「リゼなんて、勉強してる時に部屋へ行くとすごく嫌そうな顔するんですよ!」
「集中してる時に何度も来るからよ」
「一回しか行ってない時もそうだったじゃん!」
「声を掛ける時間が悪いだけ」
「リゼ、最近一方的に鍵かけること多いよね!?
酷くない?」
「……一人でゆっくり考えたい時間があるのよ」
勿論個室には鍵がかかっているし、プライベートは守られているようだ。
三人が次々に言葉を重ねる。
カサンドラはその様子を眺めながら、思わず笑った。
「お部屋の造りは、皆様同じなのですか?」
「基本は同じだと思います」
リゼが答えた。
「家具も学園の備え付けですし」
「では……」
カサンドラの頭に、見慣れた光景が浮かんだ。
ゲームの中で何度も見た、主人公の部屋だ。
週間予定を決める時も、休日を過ごす時も、時折イベントが起きる時も、いつも同じ背景が画面に映っていた。
「扉を開けた右側にクローゼットがあって、窓の近くに机。
その反対側にベッドが置かれているのですよね」
三人が黙った。
「……?」
カサンドラも黙る。
リゼが、ゆっくりとこちらを見る。
「カサンドラ様」
「はい」
「寮に入ったこと、ありませんよね?
なんで知ってるんですか?」
「……」
しまった! と、カサンドラは内心で大いに焦る。
リタまで不思議そうに首を傾げているではないか!
「机が窓際なのも合ってます」
「ベッドの位置もです」
リナまで確認してくる。
「……学生寮なら、使いやすい家具の配置というものがあるのではないでしょうか」
我ながら苦しい。
「クローゼットの位置まで分かるんですか? 凄いですね!」
「……合理的な位置ですから」
「私たちに寮の話を聞かれるくらいですもの、きっと事前に色々と調べて下さったんですね」
リナがにっこり微笑んで、嬉しそうに言葉をかけてくれた。
不思議そうに首を傾げていた二人も、なるほど、と納得してくれたようだ。
危なかった。
まさか、ゲームの中でいつも見ていました、なんて正直に言えるはずもない。
主人公の部屋は一つしかなかったから、家具の配置まで覚えている。
けれど今、その同じ造りの部屋が三つ存在しているのだ。
「でも、中は結構違いますよ!」
リタが言った。
「そうなんです、リタは整理整頓が苦手だから…
週末、リナが整理してあげてるんですよ。
世話が焼けますよねぇ」
はぁ、とリゼがうんざり顔で真実を暴露する。
「そんなこと言わないで!?」
「リタは買ってきた物をすぐ机の上に置くから散らかるのよ。
お洗濯が終わった服は、ちゃんと畳まないとダメよ?」
今度はリナまで、困ったように笑う。
「私ばっかり言われるの酷くない?
リゼだって本を目いっぱい机に積んでるじゃん!
いつ雪崩が起きてもおかしくないって」
「必要な本だから。
それに…本棚がすぐにいっぱいになって、収納しきれないのよね…」
なるほど、寮の固定家具では生活スタイルによっては収納が難しいという事か。
特にリゼは図書室でよく本を借りているようだし、私物の持ち込みも多そうだ。
さらに古書店で色々仕入れてくるとすると…
寮の床に穴が開かないよう祈るのみである。
話を聞いているだけでも、三人それぞれの部屋の様子が目に浮かぶようだった。
同じ場所に机があり、同じ場所にベッドがあり、同じクローゼットが置かれているけれど、暮らす人が違えば、当然その中身も変わっていくわけだ。
本が積み上がった部屋。
小物が増えていく部屋。
布や裁縫道具が綺麗に並べられた部屋。
ゲームの背景には存在しなかった物が、それぞれの部屋には積み重なっているわけだ。
それを思うと、少し不思議な気持ちになった。
いつの間にか三人の表情から、それまで残っていた僅かな緊張が消えている。
やがてケーキが運ばれてきた。
リタは一口食べた瞬間に目を輝かせ、先ほどまでの会話など忘れてしまったかのように頬を緩ませる。
「美味しい……!」
なんて幸せそうに食べるのだろうか。
リタの周囲に、色とりどりの花が生まれては消え、生まれては消えていく幻影が見えた。
「良かったですね」
「はい!」
リナも幸せそうに苺を口へ運んでいる。
リゼだけは、
「本当にいいんですか」
と、まだ言っていた。
「もうお二人とも召し上がっているのですから、諦めてください」
カサンドラが胸元に手を当てて微笑を浮かべると、
「……はい」
ようやくリゼも焼き菓子へフォークを入れる。
三人とも嬉しそうだ。
誘って良かったと、カサンドラも素直に思った。
寮の食事から休日の過ごし方へ。
そこから選択授業や最近あった出来事へと、話題は特に決まりもなく移っていった。
こうして時間を気にせず三人と話していると、学園の中で会う時以上に、それぞれの違いがよく見える。
時間が経つのを忘れてしまうほどの、楽しい時間。
生徒会室でキャロルと話している時も楽しいけれど、王子や御三家が揃う場所では、やはり完全に気を抜くことは出来ない。
相手が主人公だとか三つ子だとか関係なく、カサンドラはニコニコと微笑みが絶えることがない。
――休みに着る服などの話になった時のことだ。
「そういえば」と、リナがリタへ目を向けた。
「リタ、あの上着…いつラルフ様にお返しするの?」
リタのフォークがぴたりと止まる。
「……えっ…それは…」
「そういえば、まだどのような方法でお返しするか結論が出ていませんでしたね」
カサンドラは首を傾げたが、すぐに思い出した。
リゼまで呆れたようにリタを見る。
「いい加減返したら?
いくらなんでもヤバいわよ、時間が空いたら返しづらくなるし」
「返すつもりだってば」
リタは慌てた様子で頭を抱える。
「この前リタの部屋に入ったら、男子生徒のジャケットを羽織ってるリタがいて…
目を疑ってしまいました」
リナがクスクスと笑いながら、紅茶を口にする。
普通に部屋に入って、リタがそんな恰好をしていたら誰だってびっくりするだろう。
「そ、それは…大丈夫です!
その後、ちゃんとリナに綺麗に洗ってもらいましたから」
「あんたねぇ…」
まさかのリタの行動に、リゼの表情が引き攣る。
でも、リタの気持ちは分かる。
もしも自分が王子の上着を預かったら……
………自分の部屋でこっそり袖を通したくなる誘惑にかられることだろう。
流石に、恐れ多すぎて実現できないとは思うけれど。
リタは途端に居心地悪そうに身体を縮めた。
「このままずっと持っておく方が良くないし、早めに返した方がいいんじゃない?」
リゼの言うことはもっともなのだが。
フォークの先で、ケーキのクリームをほんの少し掬うリタは、うーん、と難しい顔だ。
「借りた時、本当に助かったから。
ちゃんと自分で返して、お礼を言いたい!」
リゼとリナが黙った。
「でも、いざ会うと緊張して……」
「いつ返すの?」
リゼが追撃する。
「次!」
「何の次?」
「次にちゃんとお話出来そうな時!」
「待ってたら卒業するんじゃない?」
「そんなことないし!」
さっきまで純粋にケーキを喜んでいたリタが、恋愛のことで顔を真っ赤にしてリゼに食ってかかる様子も味わい深い。
「もし、わたくしにできることがあれば仰ってくださいね」
「ありがとうございます!
でも、頑張って自分でお返しします!」
リタはそう言って、最後のケーキ一かけらを口に頬張った。
かさばるものを毎日持って通学できないだろうし、かといって一対一で改まって返すというのも…
そのシーンだけを見れば告白のようだし。
誰もが見れる場所で返せるようなものでもないし、タイミングをはかるのは難しいだろう。
上手いこと、理由をつけてリタと二人きりにさせてあげられればいいのだが…
カサンドラはラルフと仲が良いわけでもない。
ただのクラスメイトだから、ある意味でリタと同じ立場である。
ゲームの中のカサンドラは悪役令嬢。
その影響がどんな風にこの世界で及ぶのかも分からないのだ。
主人公と攻略対象の恋愛に直接かかわるのは良くない、という認識があるので余計にもどかしさを感じてしまう。
「ああ、美味しかったぁ」
リタは幸せそうな顔のまま、改めて店内を見回した。
午後の日差しが窓から差し込み、白いクロスの上でティーカップの縁を明るく照らしている。
近くの席では若い男女が向かい合って話をしており、店員が運んできた菓子を楽しそうに分け合っていた。
それを見たリタが、ふっと頬を緩める。
「でも、こんなお店でラルフ様とデート出来たらいいなぁ……
そして、別れ際に上着をお返しして…」
「は?」
リゼが露骨に眉を寄せた。
「急に何言ってるの」
「だって素敵じゃない?」
リタはもう完全に想像の世界へ入っているらしい。
「向かいにラルフ様が座ってて、二人でケーキ食べながらお話するとか!
それで『美味しいね』って…! 夢みたい」
両手を頬へ添え、うっとりと目を細める。
「絶対楽しい……」
二人のやり取りに、リナが困ったような笑みを浮かべた。
「その気持ち、ちょっと分かるかも」
そう言いながら、リナも自分の皿へ視線を落とす。
苺の赤い果肉をフォークで小さく切り分けながら、少し考えるように首を傾げた。
「でも…
シリウス様は、こういう甘い物はお嫌いかも。
そもそも、カフェに一緒に来るなんてありえない話だけど」
独りごとのようにつぶやく彼女の言葉に、カサンドラは危うく声を上げそうになった。
――違う。
シリウスは、むしろ甘党である。
あの冷たい印象の外見に反して甘い菓子を好み、静かな場所でお茶を飲む時間も嫌いではない。
ゲームの中でも、意外な一面として描かれていたはずだ。
だから少なくとも、甘味の店へ誘うという点だけなら、リナの想像はそれほど的外れでもない。
「……カサンドラ様?」
リナが不思議そうにこちらを見る。
「いいえ、何でもありません」
カサンドラは微笑み返した。
シリウス様、実は甘い物がお好きですよ、と言いたい自分がいるが必死で耐えた。
本人がいないところで勝手に好物を言いふらすのもどうなのだろう。
まして自分がそれを知っている理由は、この世界で本人から聞いたからではない。
攻略情報として知っているだけなのだ。
画面越しの情報は、取扱注意。
「ジェイク様は…どう、なのかな」
今度はリゼが、皿に残った焼き菓子を眺めながらぽつりと呟いた。
「こういうの、食べるの?
うーん…イメージ湧かない」
リタがすぐさまにやりと笑う。
「一緒に来たいの?」
「そういう意味じゃない!」
リゼは即座に否定したものの、すぐにまた皿へ視線を落とした。
「ただ……これだけ美味しいんだから!
ジェイク様も食べるのかなって思っただけ」
――食べない。
カサンドラは心の中で即答した。
ジェイクは甘い物が大嫌いだ。
しかも菓子だけではなく、果物まであまり好まないという筋金入りである。
もしもジェイクとこういう店へ来たところで、楽しそうにケーキを選ぶ姿はまず想像出来ない。
プレゼントに甘いものをあげた時のビミョーな反応が脳裏にフラッシュバックした。
そこまで嫌がらなくていいじゃん、と画面の前で突っ込んだのが懐かしい。
その点何をあげても受け入れてくれるラルフは…
いや、あれはあれで、当たり外れが分かりづらくて難しかったか。
何はともあれ、もしジェイクがこんな場所に来るとしたら…
恐らくコーヒーだけで済ませるか、甘くない軽食があればそちらを選ぶだろう。
シリウスが甘党だということも。
ジェイクが甘い物も果物も苦手だということも、伝えられる情報ではあるのだが。
好きな相手のことを知りたいと思っている二人へ、ゲームで得た個人情報を横から与えてしまうのは何か違う気がした。
カサンドラはにこにこと笑みを浮かべながら、何も言わず紅茶へ口をつける。
自分で知っていけばいいのだ、きっとその方が楽しい。
シリウスが意外にも甘い菓子を好むことを知って、リナが驚いたり。
ジェイクへ菓子を勧めて思い切り嫌そうな顔をされ、リゼが面食らったり。
そんな些細なことを一つずつ知っていくのも、きっと相手を好きになる楽しさの一つなのだろう。
――そこではたと気づく。
カサンドラは、カップを傾けたまま動きを止めた。
その想いは、今のカサンドラと全く同じものだと気づいてしまったのだ。
王子がコーヒーが好きってことを知って、大発見をしたと思ったし。
ジェイクから教えてもらった夜空が好きだという話も、次に会った時の話題にできると思って嬉しかったし。
知らないことを一つ一つ知って幸せを感じるのは、恋する女の子の特権なのかもしれない。
「カサンドラ様?」
リタの声に、はっと顔を上げる。
三人が不思議そうにこちらを見ていた。
「どうされました?」
「……いいえ」
カサンドラは小さく首を横へ振った。
「少し、考え事をしていただけです」
――近くの席のカップルが、やたらと視界の端にチラつく。
王子と一緒に、こんな時間を楽しめたら――
どんなに幸せな事なんだろう、と想像しただけでドキドキして止まらなくなった。




