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第32話 一寸先は闇


 月曜日の朝。

 カサンドラは普段よりも早い時間に学園へ到着すると、まだ人の少ない廊下を通り、生徒会室へ向かった。


 朝の室内はしんと静まり返っており、窓から差し込む淡い光が整然と並んだ机の上を照らしている。

 その中を一番奥まで進み、王子の机の前で立ち止まった。


 手にしているのは、これで三通目になる手紙だ。

 最初の頃のように、誰かが入ってくるのではないかと何度も扉を振り返るほど緊張することはなくなったけれど、それでも封筒を机の上へ置いた瞬間には妙に胸が高鳴る。


 王子は今日も読んでくれるだろうか。


 実際に手紙の話題に触れることはないかもしれないが、彼が少しでも目を通してくれたらいいな…

 そんな想いから続けることにした作戦、置き手紙。


 いくら王子自身が悪魔と化して破滅する未来を防ぐためとは言え、一方的に彼のことだけ聞きだそうとすれば不審に思われかねないだろう。


 彼と仲良くなりたい、闇落ちする前に彼に内心を打ち明けてもらえる関係になりたい。

 そのために一足飛びに距離を詰めるのではなく、探り探り、婚約者として近づいていく。


 それが根本的解決になるのかは分からないが、正解が分からない今のカサンドラにできる精一杯の努力でもあった。


 何より、カサンドラは彼のことを好きで、知りたいと思っている。

 ならばこうして、自分を知ってもらうという行動に出るのは決してピント外れではない…はず。


 今まで自分に全く興味を示さなかった上に、評判まで悪い婚約者が、突然距離を縮めようとしてきたところで。

 王子がすぐに信用してくれるはずもない。


 ……何はともあれ、月曜日の放課後に会える約束ができたのは、本当に運が良かったと思う。

 僅かな時間でも、二人だけで話ができるのだから。


「早く月曜日になれ」なんて望む学生生活なんて、ありえないと思っていたのだが…

 人生とは、分からないものだ。


 昨日は書斎から星に関する本を何冊か持ち出し、午後の大半を使って読み込んだ。

 季節ごとに見ることが出来る星の並びや、それにまつわる古い物語。


 航海者が星を頼りに方角を知る方法など、最初は王子との会話の糸口になればいいという程度の気持ちだったのに、読み始めてみれば思いのほか面白かった。


 夜になると、実際に自室の窓から空も眺めてみた。


 本の挿絵では簡単に見つけられた星座も、広い夜空の中から探し出すとなると中々難しい。

 それでも目印になる一つの星を見つけ、そこから視線を辿って目的の星の並びを探し当てた時には、思わず嬉しくなってしまった。


 王子も、こうして空を見上げることがあるのだろうか。


 もしかしたら昨夜、自分と同じ星をどこかで見ていたのかもしれない。

 そう思うだけで、胸の奥がむず痒くなる。

 出来れば今日は、王子がどんな星を好んでいるのか尋ねてみたい。


 特に好きな星座があるのなら知りたいし、自分が昨夜見つけたものと同じなら、それだけでも嬉しい。

 勿論、王子が星を好きだと聞いたので本を何冊も読みました――などと必死過ぎる告白はできないけれど。



 ここは、あくまでも自然に。

 昨夜は星が綺麗でしたね、と何気なく切り出して、そこから話を広げていけばいい。

 何度考えても良い作戦に思え、カサンドラは放課後までの時間を少し浮ついた気分で過ごしていた。




 ※




 ようやく待ちに待った放課後を迎え、カサンドラはいつもの生徒会室近くの中庭へ向かった。

 午後の日差しは柔らかく、中庭の中央にある噴水から絶え間なく零れ落ちる水の音が、人気の少ない庭園へ静かに響いている。

 木々には瑞々しい若葉が茂り、風が吹き抜ける度に葉の擦れ合う音と、花壇から漂う微かな香りが流れてきた。


 カサンドラは木造りのベンチへ腰を下ろし、持参した本を膝の上へ広げていた。

 だが先ほどから、同じ行ばかりを眺めている。

 文字は目に入っているはずなのに、内容は全く頭へ残らなかった。


 王子が来たら、どのタイミングで星の話を切り出そう。

 いきなり尋ねるよりは、やはり昨夜の天気から話した方が自然だろう。

 そんなことを考えていると、回廊の方から足音が近づいてきた。


「カサンドラ嬢」


 聞き慣れた声に顔を上げる。

 柱の向こうから現れた王子は、明るい金髪を午後の光に透かしながら、穏やかな足取りでこちらへ歩いてきた。

 カサンドラは膝の上の本を閉じ、立ち上がる。


「王子」


「待たせてしまったかな、カサンドラ嬢」


「いいえ。

 わたくしが少し早かっただけです」


「それなら良かった」


 いつものように柔らかな笑みを向けられただけで、胸の内側がふわりと温かくなる。

 王子はカサンドラの前まで来ると、ふと思い出したように続けた。


 まだ、自然な会話ができているとは思わない。


「…それは、歴史の本?」


 カサンドラが慌てて閉じて横に置いた本をチラリと見て、王子は意外そうな声を出した。


「は、はい。

 アンナ以前の時代が、興味深くて…」


「そうなんだね。

 確かに、数々の有名な英雄譚は戦乱期に書かれたものが多い。

 …君がこういった時代に興味を持っているとは知らなかったから、少し意外だったよ」


 カサンドラは歴女と言うほど、歴史に深い造詣があったわけではない。

 だが、この世界特有の三国志や戦国時代の話に通じるところがある、と面白がっていた部分もあるので…

 王子に感心したように褒められても、苦笑いしか浮かんでこなかった。


 まぁ、確かに学園の御令嬢でこの時代の歴史本を読んでいるカサンドラは、レアな存在かもしれないが。

 王子の反応から察するに、彼もその周辺の歴史に興味があるのかな、と感じる。


 とはいえ、西方統一以前の国同士の争いを王子相手に嬉々として語るのもどうなのだろう。

 カサンドラはそれ以上話を広げるのを止めた。


 そもそも、今、カサンドラにはずっと温めている切り札の話題があるのだ!


 王子の声が途切れ、周囲が静寂に包まれる。

 カサンドラはそっと背筋を伸ばした。


 今だ!

 昨日から何度も頭の中で考えていた通り、出来るだけ自然に口を開く。


「そういえば、王子。

 昨夜は夜空をご覧になりましたか?」


「夜空?」


「はい。

 昨日は雲も少なく、星がとても綺麗に見えましたので」


 そこまで言ってから、王子の顔を窺う。

 まだ不自然ではない。

 昨夜、本当に星を眺めたのだから嘘でもない。


「わたくしも少し眺めていたのですが、星座というものは書物で見るのと実際の空とでは随分違いますね。

 探していた星を見つけるまで、思いのほか時間が掛かってしまいました」


「……そう、なんだ」


 あれ?

 少し微妙な表情になった?


 王子を間近にしたカサンドラは、その僅かな反応の違いに内心で焦りを感じた。


「はい。

 最近少し興味が湧きまして」


 本当は、ジェイクから王子の行動を聞いて、

 そこは黙っておいて――


「王子も、夜空をご覧になることはありますか?」


 ようやく本題へ辿り着いた。


 これなら自然だったはずだ! そんな期待を込めて王子を見る。

 けれど、返ってきた反応はカサンドラの想像とは少し違っていた。


 王子はすぐには答えず、僅かに視線を伏せた。

 ほんの短い沈黙だった。

 それでも、今迄体験した王子との「会話」の中では妙に長く感じられる時間。


「確かに、星空は美しいね。

 だけど……」


 彼は少し迷ったようなそぶりを見せた後、ゆっくりと口を開く。

 次に彼の口から出てきた言葉に、カサンドラは息が止まりそうなほどの衝撃を受けた。


「私の母上と弟が、過去に事故で亡くなってしまったことはカサンドラ嬢も知っていると思う」


「は、はい。

 勿論存じております」


 知っています、と言いながら心の中は竜巻荒れ狂う大海原だ。

 完全に心が遭難している。喉がカラカラだ。



 そう、そうだった……!

 この世界の王子のご家族……!


 ゲーム本編では王子の家族のことは一切出てこなかった、国王陛下がエンディングで主人公に王冠を譲るシーンで見たかな程度。

 イベントで何度か国王の名や存在は確認できたくらいの影の薄さ。


 この世界、『カサンドラ』の十五年間の過去の中に記憶として確かに残っているのを引きずり出す。

 今から数年前に第二王子と王妃が共に地方領訪問を行った山道中、馬車が落石事故に巻き込まれたという発表があったのだ。


 お二人は、そのまま深い霧の谷底へ……

 その後遠い川下の滝壺で、彼女たちの亡骸が発見されたという。


 カサンドラだってこの世界で生きていたのだ、当然王子の家族事情くらいは分かっている。


 だが、何故今急に、夭逝された家族の話を…?

 なんというか、知識で知っている事と現実感の無さに乖離があるせいだろうか。


 元々この世界に対しての事前知識を持ってはいるが、それ以前の『カサンドラ』が体験した記憶がまるで映像フィルムを通してみるような感覚だ。


 『当時のカサンドラ』の記憶が脳裏に蘇る。


 王妃や王子と言われても実際に会ったことがあるわけでもなかったし、声をかけてもらったことがあるわけでもない。

 話として知っている、遠い王都の王城の話。


 可哀そうだなあ、痛かっただろうなぁ、と思い彼らの死を悼んだ。

 国葬に参列したのは両親だけで、自分はお留守番だった。

 

 深窓の姫君とはそういうものなのだと、遠ざけられて。

 レンドールと王都はあまりにも遠く、一度大きな衝撃を受けた後…それ以降カサンドラの生活に影響がなかったのだ。



  ――愕然とする。



 カサンドラにとっては、この世界の王妃や第二王子が身罷られたことは実感のない、遠い世界の話……だから……

 記憶としては確かにあるのに、実体験として乏しい。

 このチグハグな感覚が、カサンドラの精神を迷走させる。


 国葬に参列した両親の沈鬱な顔を覚えている。

 黒い布を纏った館の姿も覚えている。ああ、覚えている。




   あれは…確かに現実だった!




 悪寒がぞわぞわっと全身を這いずっていく。




「夜空を見上げていると、母上達の姿を思い出すんだ。

 自分でも、まだ引きずっていると思うけれど、それで励まされることも多い。

 ……だからなのかな。つい、星に目が行ってしまう」


 一気に家族を二人も喪い、悲しみに暮れる王子。

 彼が夜空に母親達の姿を見出し想いを偲ぶ……

 その寂し気な背中を想像したら、切なさが心の最奥からこみあげてくる。

 


 王子が一人で夜空を見上げているのは、星が好きだからなんて単純な理由じゃない。




「そ、そうだったのですね……

 わたくし……」



 そして分かってしまった。




    ジェイク! これ、完璧地雷じゃないか!!!




 もしもここが日本だったら、五寸釘を持って丑の刻参りに出かけかねないくらいの恨み骨髄である。

 彼が余計な情報をカサンドラにもたらしたせいで、王子がこんなにも憂い顔で寂しい表情を……と、頭の中が大混乱だ。

 

 自分は取り返しのつかない失言をしてしまったのではないか?

 掌に汗がまとわりつく。


 目の前にリセットボタンがあったら、即座にロードしていただろう。

 だが、現実世界にそんな都合の良い機能はないのである。


「こういう話を誰かにすることは、ほとんどないんだ。

 だから、勿論カサンドラ嬢のせいではないよ。

 ただ……少し、母上達のことを思い出してしまって」


 自嘲気味に、王子は視線を伏せる。

 多分ジェイクも悪気があったわけではないのかもしれないが、とんでもない地雷原を歩かされたものである。

 ロマンティックな動機とは懸け離れた彼の”習慣”。


「大変申し訳ありません!

 不快な想いを抱かせましたこと、どうかご容赦ください!」


 カサンドラの頭は真っ白になっていた。

 ただ反射的に、彼に対して只管頭を下げる。


 自分に都合のいいことばかり考えて浮かれていた自分が心底恥ずかしかった。


 ジェイクに対する物騒な怒りに支配されたものの、彼が悪いわけではないのだ。

 彼が嫌がらせでこんな情報を提供するような人には見えない。

 カサンドラ一人が馬鹿を見て空回るならまだしも、王子の心情を知って罠を設置するような男ではない。


 思い至らなかった自分が悪い。

 王子のことを知りたいと言いながら、誰かから与えられる情報ばかりに飛びついて、肝心なことを考えようとしなかった。


 でもこんなのあんまりじゃないか。


 折角彼との心理的距離が近づくのではないかと期待していたのに、微塵に粉砕されてしまった。

 王子に悲しい顔をしてほしかったわけじゃない。

 


「いいや、こちらの勝手な事情だからね。

 星空はとても綺麗だと私も思うよ」



 ――それを話題にした会話をする事が、心に痛いだけで。



 彼の声なき声の台詞が幻聴となりカサンドラの良心を深く抉る。

 

 こんなつもりではなかった。

 少しでも共通の話題や、彼に興味を持ってもらえるような話が出来ればと思っただけだ。



 俯き、言葉が出ない。

 不可抗力とは言え、彼に悲しい想いをさせてしまった……!






「風が出てきたね。

 そろそろ帰ろうか」





 次の約束なんて、どの口で取り付けられるというのか。






 ※






「姉上? 姉上、どうされたのですか?」



 扉の向こうから聞こえるアレクの声にさえ、今は返事をすることが出来なかった。


 その晩、カサンドラは夕食も摂れずに部屋に引きこもった。

 誰の声も聴きたくないと、耳を塞いで寝台の上に丸くなる。



 今は笑えなくても、

 明日はちゃんと笑ってあいさつしないと。



 ………始まる前から、終わるわけにはいかないのに。




 アレクの心配そうな声に、応えることもできない情けない自分。




 これは自分の、明確な失態。

 ”頭になかった”なんて、言い訳に過ぎない。


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