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第30話 儀礼幕の行方

 金曜日放課後の生徒会室には、コーヒーの香りが漂っていた。

 カサンドラは給仕台の前に立ち、頃合いを見てサイフォンの火を外す。


 もう三回目ともなれば、慣れたものである。

 器具の取り扱い自体は最初から馴染みがあり、問題はない。

 それに、生徒会で自分の役割がはっきりしているのは逆にありがたいことでもあった。


 上の器に溜まっていたコーヒーが、濾過布を通りながらゆっくりと下のフラスコへ落ちていく。

 まずは三人分、コーヒーを淹れる。

 その後、急いで残り分のコーヒーを淹れ直すのもすっかり慣れてしまった。


「では、こちらのコーヒーを皆様にお持ちしますわね」


 隣で紅茶を用意していたキャロルが、柔らかな声でそう言う。


「よろしくお願いいたします」


 カサンドラがキャロルを見てにこりと微笑むと、彼女は真っ先に王子の席へとコーヒーを持って行く。

 全く変わらない所作なのだが…


「あら」


 コーヒーを飲む生徒会役員は五名だ。

 あと二人分淹れれば事足りるというのに、間違えて三人分の分量で作り始めてしまったのである。


 まぁ、別に一人前くらいいいか…



 後で片付ければいいのだし、と。

 特に気にすることもなく、サイフォンの火加減を注視していたのだが。


「先週の幕、見つかっていると良いですわね」


 キャロルが少しだけ声を落とし、心配そうにカサンドラに呟いた。

 王子が役員をしている代で問題が起こるのは、役員達にとっても不安材料である。

 クラスメイトとして普段博愛的に全員に優しく接してくれる王子だが、やはり王族は王族。

 彼を煩わせたくないというのは、役員の総意に違いない。


「そうですね」


 聖誕祭で使用する、王家の紋章が入った大きな儀礼幕。

 先週、祭礼用品の棚卸しを行った際、その一枚だけが台帳に記載されているにもかかわらず、どこにも見当たらなかった。


 前年の祭が終わった後に破損し、修繕へ出されたこと。

 その費用が支払われていること――そこまでは分かっている。


 問題は、その後だ。


「キャロル様の方では、何か分かりましたか?」


「残念ながら、あまり」


 キャロルは困ったように笑う。


「詳しくは会議でご報告しますわ」


 そこへ扉が開き、ラルフとジェイクが入ってきたため、二人の話はそこで途切れた。

 その後も役員達が順に集まり、ガヤガヤとにぎやかさが増していく。


 カサンドラも飲み物を配り終えると自分の席につき、議事録を取るための筆記具を整えた。


 シリウスが手元の資料を開いたことで、それまで僅かにざわついていた室内の空気が自然と引き締まる。


「では、本日の会議を始める。

 まず、先週確認した王家紋章入り儀礼幕について、各自の調査結果を報告してほしい」


 カサンドラは筆を取った。


「最初に、修繕を請け負った工房についてだ」


 シリウスが一枚の紙へ視線を落とす。


「工房側には納品記録が残っていた。前年の聖誕祭後に幕を預かり、およそ二週間後に修繕を完了。

 その後、学園へ返却している」


「では、工房に置いたままということではないのですね」


 キャロルが確認する。


「ああ。それだけではない」


 シリウスは机の中央へ一枚の写しを置いた。


「納品書には、学園の受領印も残っている」


 シリウスが机の中央へ滑らせた紙へ、皆の視線が集まった。

 身を乗り出したジェイクが、紙の端へ押された印を覗き込む。


「…学園側が受け取ったってことか」


「少なくとも、工房が幕を持ち帰ったままにしていたということはない。

 正式に学園へ届けられ、学園側の誰かが受け取った。

 そこまでは辿れる話だな」


「誰が受け取ったかは分かるのか?」


 ジェイクはシリウスをせっつくように言葉を続ける。

 もしも学園側が受け取って保管してあるなら、本来あるべき場所にないことはおかしいのだが…


「個人名までは残っていない。

 記録上分かるのは、学園側が受領したということだけだ」


「名前が分からないのは困るな。

 下手したら、受け取った奴がもうこの学園にいないって可能性もあるし。

 …そういうのってフツー、サインじゃねーの?」


「学園には毎週のように多くの物品が搬出入される。

 内容を確認後、まとめて受付が目録に印を捺すそうだ。

 王家の紋章が入った品まで、通常の物品と同じ受領手順だったのは問題だな」


 その流れ作業の中で、どこかに行ってしまった…ということなのだろうか。

 

「それなら、学園の中に戻ってきていたのは確かだろうね。

 中身がないのに印を捺すはずがない、と考えて」


 ラルフが納品書へ目を落としたまま言う。


「少なくとも、事務局で現物の確認があったはずだ」


 シリウスが頷いた。


「問題は、その後だ」


「学園側にも確認してもらったよ」


 王子が続ける。


「修繕へ出したことと、費用を支払った記録は残っている。

 工房から納品されたことについても、受領印がある以上、学園側では否定出来ないそうだ」


「では、備品庫へ戻した記録はありますの?」


 キャロルが尋ねると――

 王子は手元の書類を一度確かめてから、静かに首を横へ振った。


「工房から受け取った後、誰がどこへ運んだのか。

 備品庫へ戻されたのか。

 それとも別の場所へ移されたのか。

 その記録が見つからなかったんだ。

 確かに学園まで届いたのに、そこから先が分からないということだね」


 学園内に存在する保管庫の数は多く、今から全てをひっくり返して探すのはおよそ現実的ではないと思うが…

 きっと日が暮れてしまうだろう。


「受領後の記録を付け忘れただけという可能性もある」


 シリウスは淡々と答える。


「当時の管理方法が細かくなかったのなら…

 受け取った物を一時的に別の場所へ置き、そのまま台帳への記入を忘れたことも考えられるが」


「あ、別の場所は一通り見たぞ」


 ジェイクが続ける。


「聖誕祭の警備配置確認で来てた連中に手伝ってもらってさ。

 職員立ち会いで保管庫は一通り見た。

 ――似た大きさの幕がないかも見てもらったけど、なかったぞ」


 ジェイクが言うには、学園内の保管庫という保管庫を、騎士たちにも手伝ってもらって全て確認したらしい。

 一体どれだけ時間がかかったのか、想像したら背筋がぞっとする。


「……あれだけ確認して見つからなかったのだから、学園内にあるとは考えたくないですねー」


 ジェイクと一緒に捜索を続けていたという最上級生のマクスウェルは若干うんざりした様子だ。

 思い出しただけで疲れたと言わんばかりに、椅子の背へ身体を預ける。


 カサンドラが知らない内に大掛かりな話になっていたようだ。


「大勢に動いてもらって申し訳ないね。

 話を聞いて、私も驚いたよ…」


 王子も微苦笑を浮かべ、ジェイクたちを労う。


「あー……まぁ、見つからないと落ち着かないしな…

 人手がいるなら、そういうのに慣れた奴らの方がいいだろ?」


 こういう時、頼める人手がすぐ近くにいるのは強いなと、カサンドラは純粋に感心した。

 ただ、これで明らかになったのは少なくとも、備品が保管されそうな場所にはどこにもなかったということだろう。


「やはり、どこにもないのですね…」


 キャロルが細い吐息を落とし、全員の顔を順に見渡した。


「昨年度の祭事担当だった方々へ伺いましたけれど、幕が破損して修繕へ出したことは覚えていらっしゃいました。

 ただ、戻ってきた幕を直接見たという方はいらっしゃらなくて」


 最上級生の役員二人も、前年の役員へ確認していた。

 卒業している元生徒をわざわざ訪れて直接聞いたらしい。


 けれど結果は変わらないようだ。


 修繕へ出したことは知っている。

 工房には返却済みの記録があり、学園の受領印まで残っている。


 それなのに、その後の幕を見たという者がいない。


 ラルフが指先で納品書を軽く叩いた。


「工房から学園へ届いたところまでは確実。

 でも、そこから保管場所へ戻るまでの間が分からない――

 これ以上捜索しても、出てくる見込みは薄いだろうね」


「ああ」


 シリウスが短く答えた。


「現時点で確認出来たのはそこまでだ。

 …というか騎士団にまで手伝わせて『ここにありました』なんて話は笑えんぞ」


「そんなことになったら俺が困る」


 ジェイクは大袈裟にため息をついた。

 確かに、騎士団の手を使って見落としがあったというのは、たとえ有志の話ではあっても外聞のいいものではなかろう。


 カサンドラは小さく頷きながら、議事録へ内容を書き留めていく。


 ――だが、それとは別に何とも言えない違和感を覚えるのだ。


 届けられなかったのなら分かる。

 返却記録を工房側が誤っていたのなら、それもまだ理解出来る。


 けれど受領印まで残っている以上、幕は確かに一度、学園側の手へ渡っているはずなのだ。


 そこから先だけが、綺麗に抜け落ちている。

 騎士団の手を借りて捜索しても、どこにもないなんてことがありえるのだろうか。


「ラルフ。

 新しい儀礼幕を用意する場合については?」


 シリウスが話を進める。


「その件なら、もう話を通してあるよ。

 先週末、ギルド長に事情を説明して相談したら、ご厚意で職人の手を空けておいてくれるとのことだから。

 発注をすれば、聖誕祭に間に合うように準備してくれる段取りになってる」


 ラルフが会計資料を開いた。


「王家の紋章を刺繍する必要があるから普通の装飾幕より手間は掛かるけれど…

 組合が協力を申し出てくれたから、間に合わないなんてことはないかな」


 ラルフはいつもの涼しい笑顔でそう笑ったが、隣に座るジェイクが頬杖をついて胡乱な視線になる。


「そりゃお前が一声かけたらなぁ。

 断れる工房なんかないだろ…」


「聖誕祭は王族をはじめ、多くの賓客を招待することになっている。

 生徒会、ひいてはアーサーの面子にも関わることだ。

 ここはギルド側の厚意に甘えさせてもらう。

 滞りなく進めることが優先事項だ」


 シリウスもしれっとした表情だ。


「本当はどこかで見つかれば一番良かったんだけどね。

 まだ正式な発注はしていないけれど、見積もりとおおよその納期は出してもらっているよ」


 ラルフは資料を一枚、机の中央へ差し出した。

 紙が机の上を滑り、順番に視線が金額へ落ちていく。

 誰一人として表情を変えない。


 カサンドラも他の役員達と一緒に、示された金額へ目を通す。


「……こんなもんか」


 ジェイクが記された額を一瞥して「ふーん」と呟く。


 ジェイクだけではなく、この場にいる誰もが全く平然と受け入れている儀礼幕の値段。

 カサンドラだけなのだろうか、内心で戸惑いを隠せないのは…



  …下手したら、普通の労働者が一年間働いて得る額と同程度の金額なのだけど…



 誰も何も突っ込まないけど平気なの!?

 このとんでもない額を普通に受け入れているけど!

 もちろん、以前のカサンドラなら、動揺もせず受け入れていただろう。



 ――お金の価値というものを知ってしまった現在、いくらレンドールも裕福な部類の家と言っても、この額は震えるのですが。



「予備費で対応出来る範囲だから。

 聖誕祭には間に合わせるから、そこは心配しないで欲しい」


 何という頼もしいラルフの笑顔。


 カサンドラは儀礼幕の実物を見たことがないからピンと来なかったが、これは相当凝った作りなんだなぁ…と悟った瞬間である。


 ラルフが資料を片づけようとしたところで、王子が静かに片手を上げた。

 ジェイクのぼやきも、キャロルの小さな笑い声もそこで止まる。


「金額の多寡に関わらず、生徒会の予算で補填してそれで終わりには出来ないと思う。

 ただ、聖誕祭には間に合わせなければならないから――発注自体は進めようか。

 費用負担については、学園側との協議で決めればいい」


 王子が常識的な反応を示してくれ、カサンドラは顔に出さずとも心の中で何度も賛意を示していた。

 なくしちゃったから生徒会の予算で補填しておいて、という範疇の話ではない。


 今までイメージしていた「応援の幕」とは全く違うだろう実物を想像し、空恐ろしい気持ちになった。


「それから今回の件を踏まえて、備品台帳の様式も変更するよう提案してくる予定だ」


「どのようにです?」


 キャロルが尋ねる。


「修繕へ出した日と返却予定日だけでは足りない。

 返却日、受領した部署、それから実際に保管場所へ戻した者まで記録する。

 ――個人名のサインは必須だな。

 少なくとも、生徒会の備品についてはそのような形にするよう交渉するつもりだ」


「そこまで残しておけば、今回のようなことが起きても追いやすくなりますね」


 カサンドラも思わず口を挟んだ。


「学園に搬入された後の確実な所在が分からなければ、意味がないからな」


 シリウスもその件に異論はなかったようで、すぐに決まった。


 カサンドラは議事録へ書き加える。


 ――騎士団の有志による保管庫捜索にも関わらず、実物は行方不明。

   新規儀礼幕の発注を決定。

   旧儀礼幕については、紛失したものと見做し、学園側と協議する。

   備品台帳については、返却後の受領及び保管記録を追加。



 結局、王家紋章入りの儀礼幕は今どこにあるのだろう?



 想像以上に高額だから、誰かが盗んで解体して素材をお金にしても、不自然な話ではないだろう。

 王家の紋章が刺繍されているからそのまま使えなくても、素材に分解しただけで十分な価値がある。


 ただ一つ、先週よりはっきりしたことがある。

 幕は確かに学園へ戻ってきていた。


 その後、どこかで消えている。


 何ともすっきりしない結果ではあるけれど、残っている記録から分かることには限界がある。


 今年使う幕は新しく用意することになったのだから、少なくとも聖誕祭そのものに支障は出ないだろう。


「ここから先は学園側の管理に関わる問題だね。

 王家の紋章が入った品でもあるし、所在についての調査は学園長へ正式に引き継ごう」


 王子の言葉に、カサンドラもほっと肩の力を抜いた。

 生徒会で確認出来る範囲は、これで一通り調べ終えたことになる。

 ここから先は、学園側に任せるしかない。


 その後はいくつかの連絡事項を確認し、予定していた議題は全て終了した。


「本日の議題は以上だ。

 他に確認しておくことは?」


 シリウスが資料を閉じて室内を見回したものの、誰からも声は上がらない。


「では、今日はここまでにする」


「お疲れ様でした」


 その言葉を合図に、あちこちで資料を閉じる音が重なり、誰かが長く息を吐いた。

 先ほどまで張り詰めていた空気が、ようやく普段の放課後へ戻っていく。


 最上級生の役員二人はすぐに帰り支度を始め、ビクターが王子とシリウスへ礼儀正しく声を掛ける。

 そのまま、マクスウェルと一緒に生徒会室を出ていった。


 カサンドラも議事録を整え、筆記具を片づける。


 これで今日の仕事は終わりだ。――そう思っていたのだけれど。


「コーヒー、お替り」


 ジェイクの声がした。

 顔を上げると、空になったカップを片手にこちらを見ている。


「……?」


 カサンドラは思わず首を傾げた。

 突然何を言い出すのかと思ったからだ。


「まだ一杯分くらい余ってるだろ?

 もらっていいか?」


 ジェイクは給仕台に残ったフラスコへ視線を遣り、悪びれもせずすぐに言い直した。

 そういえば1人分多く抽出していたことを思い出す。


 本当にコーヒー好きだな、この人。


「……少々お待ちください、温めます」


「サンキュー」


 残して捨てるよりはいい。

 カサンドラがカップを受け取って給仕台へ向かうと、キャロルも自分のカップを手に立ち上がった。


「私も紅茶を淹れ直そうかしら」


「キャロル様も、まだお帰りにならないのですか?」


「ええ。今日は急ぎませんもの。

 宜しければカサンドラ様もいかがですか?」


「ぜひいただきたいです。

 キャロル様に淹れていただく紅茶は、とてもおいしいですから」


 二人で再び給仕台へ向かう。



 ビクターとマクスウェルが帰った後も、男性陣四人は席を立つ様子がなかった。


 ジェイクとラルフは何かを話し、シリウスは先ほどまで使っていた資料を整理している。

 王子も机の上の書類をまとめていた。


「そういえば、ジェイク」


 王子が顔を上げる。


「随分ゆっくりしているようだけど、週間訓練報告書を提出に行かなくていいのかな?

 先週は大変だったようだけど」


 ああ、そういえば、と。

 ジェイクとその一瞬、目線が合ってしまった。

 彼は気まずそうな顔をし、すぐに目を逸らす。


 先週はカサンドラが週報の書き直しの手伝いをして、図らずも貸しを作ったという流れだったのだが…


「毎週金曜日は生徒会だろ?

 遅くなる場合も多いし、バルガスに土曜日提出にしろ! って交渉してきたんだよ。

 ――これから寮に帰ってから書くわ」


「ああ、それが合理的だね」


「そもそも生徒会があって時間に遅れたっつってんのに、めっちゃ疑われるし…散々だ」



『日頃の行いが悪いだけでは?』



 それまで聞いているのかいないのか分からなかったラルフとシリウスが、同時にジェイクを振り返る。

 額に青筋を浮かべるジェイクが、むすーっ、と口を閉ざしてしまった。


 

 カサンドラはコーヒーを注ぎながら、思わず吹き出しそうになってしまう。

 雰囲気だけなら、普通の男子高校生のような明け透けな関係なのだけど。


 皆、生徒という立場でありながら校外での活動も頑張っているのだなぁ、と改めて認識させられる。

 主人公の目線では見れなかった彼らの現実を知って、大変興味深い。


「どうぞ」


 カサンドラは温め直したコーヒーをジェイクへ渡す。


「……悪いな」


 相変わらず不機嫌そうに眉根を寄せているジェイクを横目に、カサンドラはキャロルの隣へ戻った。


 同じ部屋にいるものの、六人が一つの輪になっているわけではない。


「カサンドラ様、紅茶を淹れましたわ。

 どうぞ」


 男性陣四人はそのまま席に残り、カサンドラとキャロルは少し離れた場所でお茶を飲んでいる。


 互いの声は聞こえるし、必要なら話しかける。

 今はまだ、それくらいの距離だった。


 温かなカップへ口をつけたところで、人心地着く。


 正式な議題も終わった今なら、先日調べた件を報告しても構わないだろう。

 キャロルに「美味しいですね」と微笑んだ後、再度席を立って男性陣の方を振り返る。


 向こうの方ではまだ小さな話し声が続いているようだ。

 カサンドラはカップを受け皿へ戻し、裾を整えてから席を立った。


「王子。少々宜しいでしょうか」


「構わないよ、何かあっただろうか」


 声を掛けると、王子はすぐにこちらに反応して顔を上げてくれた。


「先日お話しされていた寄付金の使い道についてなのですが」


 そう話を向けると、王子の表情が僅かに明るくなる。


「もう調べてくれたのかな?

 ありがとう」


「過去の議事録を、確認出来る範囲で見てみました」


 元々は王子とラルフが話していたことだった。


 今年は例年より寄付金が多く、まとまった額を何に使うべきか。

 その話を聞いたカサンドラが、過去に同じような例がなかったか調べてみると申し出たのである。


「何か参考になりそうなものはあった?」


 ラルフも興味を持ったらしく、椅子ごとこちらへ身体を向けた。

 紅い双眸がこちらを映す。


「大口の寄付があった年はいくつかありました。

 図書室の増築や閲覧席の追加、医務室の設備更新、それから実技棟の大規模な改修に使われた例もあります」


「やっぱり施設関係が多いようだね」


 ラルフは大きく頷いた。


「そうですね。

 ただ――新しい建物を造る案も何度か出ていたようなのですが、実際には見送られていることが多かったです」


「理由は?」


 資料をまとめていたシリウスが、手を止めて尋ねた。


「維持費です。

 建設そのものは寄付金で賄えても、新しい施設を増やせばその後の管理や修繕に掛かる費用は学園側が負担し続けなければなりませんから」


「妥当だな」


 シリウスが頷く。


「一度きりの寄付金を使って、恒常的な支出だけを増やすのは好ましくない」


「どうせ金なんか有り余ってんだろ?

 それくらい学園が負担すればいいのにな」


 ジェイクがぼやく。


「学園の財政問題については我々の関わることのできない領域だ。

 無責任なことを言うな」


「じゃあ、お前なら何に使うんだよ」


 ジェイクが挑発するように聞くと、シリウスは少しも迷わなかった。


「魔法実技棟の建て直しだな」


「それなら剣術実技棟も建て直した方が絶対いいって」


 ジェイクが思わず身を乗り出す。


「魔法実技棟には特殊な結界設備が必要だ。

 今の設備も少し古くなっている。

 この間アーサーに確認してもらったが、不具合でわずかに作動が遅れたという報告があるからな。

 建て直した方が長期的には効率が良い可能性がある」


「さっき維持費がどうとか言ってただろ」


「既存施設の建て替えなら、単純に管理対象を増やすわけではない」


 シリウスが立て板に水のごとく話を続けていると、王子が「まぁまぁ」とシリウスの肩を叩いた。


「建て直すというのは簡単だけれど、魔法実技棟を一度閉鎖しなければいけないよね。

 長期休暇の期間だけでは終わらないだろうし、その間の代替場所の確保の問題がある。

 結界設備が整って指導が可能な場所なんて、この辺りだと宮廷魔導士の修練場くらいしかないよ」


「…確かに、それはそうかもしれないが…」


「その点、剣術の実技だったら別の場所を用意するのは難しくないしな」


 フフン、とジェイクが得意げに言ったが…


「僕は第二音楽室の新設に一票入れるけれど…

 どの道、僕たちが在学中に使用できるかは分からないよね。

 二年後に完成したら早い…と言ったところだろうし」


 ラルフの冷静な言葉に、カサンドラも頷いた。

 学園の設備をポンと建てると言っても、色々上の方でしがらみがあるだろうし。

 学園側の考えもあるわけで…


 すぐに自分たちが使えるとは限らない。


「そうだね、私たちが過ごしている特別寮でさえ、入学時期に合わせられるよう数年前から話を進めていたと聞くし。

 あくまでも、今後の学生たちの役に立つ施設を、また皆で考えよう。

 正式には聖誕祭が終わってから、ビクター達も含めて改めて考えないとね」


 男子達がまだ実技棟の話を続ける横で、キャロルがカップを口元へ寄せたまま、そっとカサンドラへ顔を傾けた。


「カサンドラ様は、何か使い道を思いつきました?」


「わたくしは…」


 特に画期的なアイデアがあるわけではなく、小さく首を横に振る。

 するとキャロルは、頬に手を当ててニコニコ笑った。


「私、学園の中に大きな談話室があったらいいなと思いますの。

 派閥や身分などに関係なく、どなたでも自由に出入りして歓談ができたら素敵だと思いません?」


 目をキラキラと輝かせるキャロルが眩しくて、カサンドラも大きく頷いた。

 中庭にベンチや四阿があるけれど、そこまで大きな交流スペースではないのだ。


 ふと、カサンドラの脳裏に先週話をした地方令嬢のことが思い起こされる。



「カサンドラ様?」


「……女子寮を今よりも住みやすくできれば良いと思いました」


 誤魔化すのもおかしな話なので、正直に小声でキャロルに告げる。

 男子寮の話が出てきたので、オリジナリティがあるわけでもない。


「まぁ、それは良いですわね。

 実際に暮らしている方でなければ分からない不便もありますもの」



 キャロルは良い方にとらえてくれて、感心したように何度も頷いてくれたのである。

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