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第25話 <デイジー>

 現在、王都のお洒落なカフェでカサンドラと同席している少女の名は、デイジー・カルド。

 王国南部に領地を持つカルド子爵家の令嬢である。


 決して裕福でも、特別に地位が高い家でもない。

 カルド家は古くからレンドール侯爵家の庇護を受ける地方貴族の一つだった。


『何としてでも、レンドール侯の娘と今以上の誼を結ぶように』


 入学前、デイジーは父からそう言い含められて王都に送り出されたわけだ。


 カサンドラは第一王子の婚約者、順当にいけばいずれ王妃となる。


 そのカサンドラと娘が親しくなれば、カルド家にとって大きな支えになるはずだ。

 まして自分達はレンドール家の傘下にあるのだから、彼女と良好な関係を築いて損をする理由などない。


 デイジー自身、その理屈は十分理解していた。

 だからこそ、入学前から覚悟を決めていたのだ。


 彼女(カサンドラ)にとって、役に立つ人間でなければならない。


 出来る限り側にいて、出しゃばらず、必要な時には支える。

 父から期待された役割を果たすつもりで、デイジーは王立学園へ入学した。


 もっとも――入学する前のデイジーは、カサンドラのことをあまり好きではなかった。


 華やかな容姿と高い家格を持ち、自分の立場をよく理解している。

 堂々としていると言えば聞こえはいいけれど、下位の家の者にはどこか素っ気なく、上から見られているように感じることも多かった。


 舞踏会や生誕祭で何度か顔を合わせたことはあったものの、親しい友人と呼べるような間柄ではない。


 それでも父は、娘がカサンドラに顔を覚えてもらえるよう慎重に縁を繋いできた。


 濃いブラウンの長い髪に、人形のような青い瞳。

 それなりに良家の令嬢らしく見えるよう装いを整え、デイジーは入学式の日、改めてカサンドラへ声を掛けた。


 ところが、最初から少し様子がおかしかったのだ。


 三つ子の特待生がいると話題に出しただけで、カサンドラは露骨に動揺した。

 何か不快なことを言ってしまったのかと焦ったものの、咎められることもない。


 それどころか、以前会った時とは別人のようによく微笑む。


 下級貴族だからとぞんざいに扱うこともなく、デイジーだけでなく周囲の生徒にも随分と柔らかく接していた。


 もちろん、高位貴族の令嬢である以上、身分の差そのものを無視しているわけではない。

 けれど、その中で出来る限り角が立たないよう振る舞っているように見えた。


 三つ子に対しても、デイジーは驚くばかりだ。


 自分が三つ子に話しかけたいと躊躇していた時、彼女はそんなミーハーな自分を馬鹿にすることもなくむしろ後押しさえしてくれたのである。

 しかもたった一日かそこらで三つ子を見分けるという、神業まで披露してみせた。


 今週から色違いのリボンをしているから間違えることはなくなったものの、ノーヒントで三人を言い当てるなんて!

 人を見る目があるということではないだろうか。


 昔のカサンドラなら、三つ子とは言え庶民に興味など欠片も見せなかっただろう。

 デイジーの好奇心さえ、嘲笑の対象だったかもしれない。



  ――やっぱり、何かがおかしい。



 派閥の中心に立とうともせず、王子の婚約者という立場を振りかざすこともない。


 誰かが噂話を始めれば、やんわりと話を逸らす。

 王子へ近づく令嬢がいても、露骨に不機嫌になることさえなかった。


 カサンドラの失態を恐れ、何かあれば自分が横から支えなければと身構えていたデイジーの方が、完全に空回りしている。

 

 昨日もそうだ。

 数人の令嬢が三つ子への不満を訴えた時、カサンドラは相手を叱りつけもしなければ、三つ子だけを特別扱いして庇いもしなかった。


 御三家の令息達が身分の低い者にも分け隔てなく接しているのだと話を移し、それ以上誰も文句を言えない形にしてしまったのだ。


 かなり言葉を選ばなければ大事に発展しそうだったにも関わらず、鮮やかな対応で躱して見せた。

 いざと言う時には自分が割って入ろうとタイミングを計っていたものの、カサンドラがあっさりとあの局面を切り抜けたことが信じがたい。


 以前なら、あそこまで自分と直接関係のない者のために動いただろうか。



 物凄く平和なことが俄に信じがたく、こんなはずではなかったという戸惑いに翻弄される日々だ。


 カサンドラに気に入られ、誼を確かなものにして、家の役に立たなければならない。

 けれど、この調子では自分が何をすれば彼女の役に立てるのか、さっぱり分からない。




   ※




 土曜日の午後。


 デイジーは王都の大通りに面した、ケーキで評判の菓子店の奥でカサンドラの隣に座っていた。


 休日の店内は賑わっている。

 磨かれた木の床を給仕達が行き交い、甘いクリームと焼いた生地、それに茶葉の香りが柔らかく漂っていた。


 通りに面した大きな窓から午後の日差しが差し込み、白いテーブルクロスの上を明るく照らしている。


 奥の席は背の高い観葉植物と飾り棚で緩く仕切られており、完全な個室ではないものの、周囲の視線を気にせず話すにはちょうどいい。


 カサンドラは手元のメニューを眺めていた。


 窓から入る光が、肩から背へ真っ直ぐ流れる濃い金色の髪に当たっている。

 ただ座っているだけでも人目を引く華やかな容姿だが、今は翡翠色の瞳をずらりと並んだケーキの名前へ向け、随分と楽しそうだ。


「こちらのケーキは美味しいと評判だそうですね。

 デイジーさんは、いらしたことがありますか?」


「一度だけですが、美味しかったです!」


「でしたら、お二人にも気に入っていただけるといいのだけれど」


「……そうですわね」


 デイジーは頷きながら、自分の濃いブラウンの髪を肩の後ろへ払った。

 その表情は平静を装っていたけれど、内心では全く別のことを考えている。



   ――今日は、私がしっかりしなければ。



 これからやって来るのは、エルナ・ベルティエ男爵令嬢とマリエル・クローヴァー男爵令嬢。


 二人とも王国北部の海沿いに領地を持つ家の娘で、王都との繋がりは決して強くないはず。

 ベルティエ領とクローヴァー領は隣り合っており、家同士の付き合いも長いらしい。


 エルナとマリエルは幼馴染で、今回揃って王立学園へ入学してきたのだとか。

 デイジーが二人と知り合ったのは、入学して間もない頃だった。


 同じ地方出身というほど領地は近くない。

 王国の北部と南部なのだから、学園で初めて顔を合わせたくらいだ。

 けれど、中央に強い縁を持たない家の令嬢同士というだけで自然と話すようになった。


 中央貴族の結束力の前では疎外感を感じてしまうようで、誰にも話しかけられず二人でずっと一緒に行動しているのだと言っていた。


 その話を何気なくカサンドラへしたところ、今日のお茶会が決まったのである。


『では、一度ご一緒にお茶でもいかがでしょう』


 あまりにも軽い調子だった。

 言い出した本人が覚えているかどうかも疑わしいと思ってしまうほどだ。

 何度か約束の確認をもらわなければ、信じられなかっただろう。


 実際に集まる段取りをつけていると、デイジーにはこれが本当にただのお茶だとは思えなかった。

 絶対に、裏があるはずだ――と、どうしても穿った見方をしてしまう。


 正直、カサンドラに対してどういう感情を抱けばいいのか分からないというのが実際のところだった。


 一応、ちゃんと側近として振舞えているとは思うのだけど。

 だから今日、地方令嬢二人を自ら茶へ招く話がこうして実現したことで己を奮い立たせている。




   ――いよいよ、カサンドラ様もご自身の周囲を固めるおつもりなのね。



 と、デイジーも覚悟を決める必要があったのだ。


 デイジーの発言から適当な地方令嬢を見繕い、自分の味方にしようと動く。

 それはカサンドラが真っ先に考えつきそうなことだ。


 学園には様々な家の子女が集まっていて、王都に強い繋がりを持つ者ばかりではない。


 ならば、まだどの勢力にも深く属していない地方の令嬢達へ声を掛けるのは理に適っていると言えるだろう。

 これはきっと、その第一歩なのだ。


 そう考えたデイジーは、今日の自分の役割を言われずとも理解してこの場に座っている。


 カサンドラが二人へ何か話を持ち掛けるなら、間に立って安心させる。

 二人が戸惑うようなら、自分から言葉を添える。

 必要なら家同士の関係についてもさりげなく補足する。



   ――大丈夫。きっと上手く橋渡ししてみせる。



 内心で気合を入れているデイジーとは対照的に、カサンドラはメニューを閉じて窓の外へ目を向けた。


「あら」


 彼女の美しい翡翠色の瞳が入口の方へ動く。


「お二人がいらしたみたいですね」


 デイジーもそちらを見る。


 給仕に案内されて、二人の少女が店内へ入ってくるところだった。


 前を歩くエルナは、髪をきちんと編み込んで後ろへまとめ、淡い色のリボンで留めている。

 背筋を伸ばして歩いているものの、こちらを見つけた途端、その表情が僅かに強張った。


 その半歩後ろを歩くマリエルは、肩へ落ちる髪を片側だけ小さな髪飾りで留めている。

 エルナより表情が顔に出やすいらしく、カサンドラと目が合うと明らかに緊張した様子で唇を引き結んだ。


 どちらも華美な装いではない。

 丁寧に仕立てられた外出着ではあるものの、王都の令嬢達に比べれば装飾は控えめだった。


 カサンドラが席を立つのにつられ、慌ててデイジーも立ち上がる。


「ごきげんよう」


「ご、ごきげんよう、カサンドラ様」


「本日はお招きいただき、ありがとうございます」


 二人の背筋が見事なほど揃って伸びた。

 声まで少し硬い。


 デイジーはその様子を見ながら、胸の内で小さく頷く。



  ――やっぱり緊張している。

    ……まぁ、当然よね。



 ここは自分が上手く間を取り持たなければ、とデイジーの情熱の炎がメラメラと燃え上がる。

 皆に気づかれないよう平静を装いつつ、彼女たちをなだめようとしたが…


「そんなに畏まらなくても大丈夫ですよ、どうか楽になさって」


 ところが、デイジーが口を開くより先にカサンドラが困ったように笑った。


「今日はただ、お茶をご一緒したかっただけですもの」


 デイジーは隣でにこにこと微笑みながら、内心で大きく頷いた。



   ――まずは警戒を解くのね。



 なるほど…と、デイジーは密かに感心した。


 いきなり本題へ入るより、まず相手を安心させた方がいいのは確かだ。


 四人が席に着くと、給仕が注文を取りに来た。

 カサンドラが勧めるまま、それぞれ好きなケーキを一つずつ選ぶ。


 ほどなくして白磁のポットから紅茶が注がれ、薄い湯気と一緒に花のような香りが広がった。

 続いて、四人の前へ一皿ずつケーキが運ばれてくる。


 白いクリームと赤い果実を生地の間に挟んだものや、淡い色のクリームを何層にも重ねて小さな果実を飾ったもの。

 艶やかなチョコレートで表面を覆ったものまである。

 白い皿に載った色とりどりのケーキは、眺めているだけでも楽しくなるほど華やかだった。


 デイジーの前にも、ふんわりとした生地に薄い色のクリームを重ねたケーキが置かれていた。


 エルナは膝の上で一度指を組み直してからカップへ手を伸ばした。

 マリエルも隣の様子を窺うようにして、目の前のケーキへそっと視線を落としている。


 緊張のあまり肩が小さく強張っていて、デイジーも心配になるほどだ。

 そして、良心もズキズキ痛み始める。


 こんな怯える小動物のような少女を、派閥に勧誘していいのだろうか。


 一度カサンドラを旗に立てるとすれば、御三家側の令嬢の目も厳しくなるだろうし、平穏な学園生活を送れないかもしれない。


 自分が彼女たちの存在をカサンドラに伝えたばかりに……。


 そんな風に一瞬の引っかかりを感じたデイジーは完全に出遅れた。

 最初に話を振ったのはカサンドラになる。


「お二人は北方のご出身なのですよね?」


「はい」


 エルナが答える。


「ベルティエ領とクローヴァー領は隣り合っております」


「まあ。それなら、お二人は以前から?」


「幼い頃からお互いの家を行き来していました」


 今度はマリエルが答えた。

 自分達のことを尋ねられたからか、先ほどまで固かった表情が僅かに和らいだように見える。


「父同士も付き合いがありますし、冬になると行き来が難しくなるので、春から秋の間によく顔を合わせていますね」


「冬はそんなに厳しいのですか?」


「雪もですが、海からの風がとても強いのです。

 冷たい風がびゅうびゅうと吹きますので」


「王都へ来て、一番驚いたのは風が静かなことです」


 エルナがそう言うと、マリエルも何度も頷いた。


「夜が静か過ぎて、最初は眠れませんでした」


「逆ではありませんか?

 静かな方がぐっすり眠れそうですが……」


 カサンドラが目を丸くする。

 だがマリエルは恥ずかしそうにはにかんで、話を続けてくれた。


「波と風の音がないと、何だか落ち着かないんです」


「まあ……やはり住み慣れた場所が一番ですね」


 カサンドラが本気で感心したように声を漏らした。


 その拍子に長い金髪が肩から滑り、彼女は何気なくそれを背へ払う。


 デイジーはその様子を見ながら紅茶へ口をつけた。



   ――まずは故郷の話から距離を縮めるのね。



 悪くない。

 むしろ自然な流れだろう。


 領地の話や家同士の関係へ繋げられる。

 そこから派閥の話に持って行けるはずだと、デイジーは予想した。


「そういえば、お二人は今どちらから学園に通っていらっしゃるのですか?」


 カサンドラが紅茶の入ったカップをソーサーに戻し、二人を見渡す。


「あ、私は……その、王都に親戚もいませんし、頼れる人もいないので……。

 寮から通っています」


「私も……です」


 彼女たちは恥ずかしそうにうつむいて、そう答えた。


 貴族令嬢なら、カサンドラやデイジーのように王都の別邸や親戚の家から通う者の方が多いのだ。


 だが、彼女たちは伝手がないから寮に住んでいる。

 そして、自分で全ての身支度を整え、大勢と一緒に生活を共にするわけで……。


 王子を始め基本的に寮通いが通例の男子生徒とは事情が違い、女生徒が寮に住んでいるのはかなり肩身が狭い話なのである。


「まぁ! お二人とも寮にお住まいなのですね」



   ――!?

     か、カサンドラ様ぁ!?



 デイジーは驚きのあまり、手にしていたフォークを勢いよくケーキへ突き刺してしまう。


 柔らかな生地が潰れ、挟まれていたクリームが僅かに横へはみ出した。

 けれど、今は自分のケーキを気にしている場合ではない。


 二人の劣等感を刺激してどうしようというのか。

 それは心象が良くないのでは!?


 カサンドラが突然嬉しそうに声を上げ、デイジーは心の中で絶叫した。


「ええ、そうです……」


 案の定、彼女たちは恥じ入って声まで小さく…


「わたくし、寮での生活に憧れているのです」


『ええ!?』


 思わず三人の声が重なった。


「もし寮に一緒にお住まいなら、お友達とずっと一緒にお話もできるのでしょう?

 例えば、こっそり同じ部屋でお休みになったり……」


「えっ、どうしてお分かりに!?

 確かに、そんな日も多いのですが」


「あ、でも、寮母さんにはご内密にお願いいたします。

 夜、お話をしに部屋を訪れると、そのまま……ええと……」


 もちろんです、と微笑んだカサンドラは――しみじみと、憂いを帯びた表情に変わって言葉を放つ。


「今住んでいる家は、故郷にいる時以上に見守られていますから……。

 あまり自由な行動もできません。

 デイジーさんもそうではありませんか?」


「――分かります。

 私、親戚の家にお邪魔しているのですが、叔母様の目が厳しくて」


 ついデイジーも真顔になって頷いてしまう。


 確かに、自分で何でもしなければいけないが、その分監視のない寮生活の方がのびのび生活できるのかもしれない。

 今まで女子寮に対してあまり良い印象を持っていなかったことは否めないが、一気に彼女たちが羨ましくなってきた。


「特に、ご親友同士一緒だなんて、毎日楽しいでしょうね」


 心にもないことなら、すぐに相手に見透かされるだろう。

 だがカサンドラの瞳は確かにきらきらと輝いて、それが本心だということが伝わってくる。


「寮のお食事は、お口に合いますか?」


「はい、とても美味しいです!

 ……ああ、でも魚料理は……苦手かもしれません」


「やはり北の海で獲れたてのお魚が一番美味しいものですから」


「北方では、どんな魚が獲れるのですか?」


 話はそのまま魚へ進んだ。


 エルナが地元でよく食べる魚の名前を挙げると、マリエルが調理法まで補足する。

 カサンドラは興味深そうに聞き入り、王都ではあまり見かけないと驚いていた。


 会話が弾むにつれ、最初はほとんど手をつけられていなかったケーキも少しずつ減っていく。


 マリエルはクリームの乗ったケーキへ慎重にフォークを入れ、一口分を小さく切り分けた。

 口へ運んだ途端に表情が緩み、もう一度同じ場所へフォークを伸ばす。


「マリエルったら、食べすぎじゃない?」


 エルナが小さく笑う。


「えっ……でも、このお店のケーキ、美味しくて……」


 頬を僅かに赤くしながら答えるマリエルの皿は、いつの間にか半分ほど空いていた。


「確かに、地元にはこういうお店がないから。

 甘いものは王都の方が好きかもしれません」


「ええ、こちらのお店、わたくしすっかり気に入ってしまいました。

 皆さんとご一緒できて嬉しいです」


 カサンドラも自分のケーキへフォークを入れた。


 柔らかな生地を一口分だけ切り分けると、間に挟まれた白いクリームがふわりと覗く。

 それを上品に口へ運び、ふふ、と楽しそうに笑った。


 そんな何でもない会話が続く間に、エルナの肩からも少しずつ力が抜けていった。


 最初は膝の上に置いたままだった手も、今では自然とフォークへ伸びている。

 皿の上のケーキを少しずつ口へ運びながら、マリエルの話へ笑って相槌を打っていた。



   ――まあ、まだ最初ですものね。




 デイジーは自分に言い聞かせた。


 急ぐ必要はない。

 まず緊張をほぐし、打ち解けてもらうのが先だ。


 けれど紅茶が半分ほど減り、ケーキの皿まで随分と寂しくなっても、話題は一向に派閥関連の方向へ向かわなかった。


 本当に他愛もない世間話が続き、デイジーは心の中で大慌てだ。


 確かに話は楽しい!

 彼女たちの話は知らないことばかりで興味深いし、二人の仲の良さを羨むくらい!


 だが、これでは本当にただの令嬢同士のお茶会ではないか?


 デイジーは青い瞳を一度カサンドラへ向け、それからカップの中へ戻した。



   ――……あれ?



 そろそろ何かあると思うのだけれど。


「学園には、もう慣れました?」


 カサンドラが尋ねる。


 デイジーは内心で勢いよく姿勢を正した。

 ピーン、という擬音語がデイジーの脳内に響き渡る。



   ――来た! 来ましたわ! ここが私の腕の見せどころ!



 王都で困っていることを聞き、それを助ける形で信頼を得る。

 きっとそういう流れなのだ。

 カサンドラはよく相手の心理を理解している!


「授業は、何とか」


 マリエルが少し曖昧に答えた。


「授業は?」


「その……王都の方々のことが、まだよく分からなくて」


 マリエルの指先が、カップの取っ手を所在なさげになぞる。


「分からない……ですか?」


 カサンドラが心配そうに、二人の表情を窺っている。


「どなたがどのお家と親しくて、どのお家がどちらの派閥で……というのが」



   ――そう、それです! まさにそれー!



 デイジーは思わず心の中で身を乗り出した。


 やっと本題に入れる!

 今日の目的に繋がる話ではないか。


 ここでカサンドラが、自分達の側へ来るよう誘い、もし二人が戸惑うようなら、自分が補足する。


 いつでも動けるよう、デイジーはさりげなく二人の表情を窺った。


「ああ」


 カサンドラは納得したように頷いた。


「それは仕方ありませんね」



   ――え?



「仕方ない、のでしょうか」


 エルナが不安そうに尋ねる。


「ええ。入学してまだ二週間も経っていませんもの」


 カサンドラは紅茶のカップをソーサーへ戻した。


「わたくし達も、北方のお家同士の関係を全て把握しているわけではありません」


「それは……そうですけれど」


「クローレス王国は広いですし、様々なお立場の方が集まっています。

 これから知っていけばいいのではないでしょうか」


 デイジーは黙ってカサンドラを見る。



  ――そこからどう繋げるおつもりなのかしら。



 まだ分からないが、きっとこの後だ。


「知らないうちに、失礼なことをしてしまいそうで…

 あまり他の方と交流もできなくて」


 マリエルはしょんぼりと肩を落とす。


「そのお気持ちは分かります」


 否定しないところが、いかにもカサンドラらしい。


「ですから分からない時は、どなたかに尋ねればよいと思いますよ」


「誰かに……?」


「デイジーさんもいらっしゃいますし」


「えっ」


 突然名前を出され、今度はデイジーが目を丸くした。

 思わず顔ごと視線がカサンドラへ向く。


「もちろん、わたくしでも構いません」


 当の本人は、デイジーの動揺など気づいていない様子で続けた。


「何か困ったことがあれば、声を掛けてください。

 もっとも、偉そうに言っているわたくしも、まだ全てを把握しているわけではございません。

 わたくしに分からなければ、分かる方を探します」



  ――なるほど。



 デイジーは一瞬納得しかけた。


 まずは相談相手として信頼を得て、そこから徐々に関係を深めていくということなのだろう。


 随分と慎重なやり方だ。

 けれど相手は地方から出てきたばかりなのだから、それくらいの方が――。


「…………」


 エルナとマリエルが顔を見合わせた。


 エルナの編み込んだ髪の先で、淡いリボンが小さく揺れる。

 マリエルも何か言いたそうに唇を開きかけ、また閉じた。


 デイジーは二人の様子を見て、今度こそ自分の出番だと判断する。


 必要なら、カサンドラが二人を気に掛けていることを自分から説明しよう。

 しかし、その前にエルナが口を開いた。


「あの……カサンドラ様」


「はい、何か?」


「今日は、その……」


 エルナが隣を見ると、マリエルも意を決したように小さく頷いた。


「カサンドラ様は、私達に何かお話がおありだったのではないでしょうか?」


「お話?」


 カサンドラが首を傾げる。


 デイジーは内心で小さく息を呑んだ。



  ――来た。



 ついに本題だ。まさか相手の令嬢から水を向けられるとは。


「レンドール侯爵家から、ですとか……」


「え?」


「その、ええと……派閥のお話など……。

 あ、私達、地方から来たばかりで、そういうお話に疎くって、ええと……」


「何か理由がおありなのでは、と思ってしまって」


 カサンドラがきょとんとした表情で押し黙った。


 デイジーはカップへ伸ばしかけた手を止める。


 レンドールの名前で勧誘するなら今! というところだが……デイジーも反応に困ってしまう。

 カサンドラが「本当に意味が分からない」という顔をしているからだ。



  ――え?



 今度はデイジーの方が混乱した。


 そのつもりで二人に声を掛けようとしたのでは!?


「もしかしてお二人とも、そのようなことを気になさっていたのですか?」


 カサンドラは何度か目を瞬き、頬に片手を当てて小首を傾げている。

 口元に手を当て、本気で驚いているのである。


「だって」


 マリエルが困ったように眉を下げた。


「侯爵令嬢でいらっしゃるカサンドラ様が、わざわざ私達をお茶に誘ってくださるなんて……」


「何か理由があると思っちゃいます……」


 エルナも続ける。



  ――そうですよね!



 デイジーは心の中で強く同意した。


 自分もそう思っていた!

 というより、今の今まで確信していたのだ。


 カサンドラは気まずそうに、一度目を伏せる。


「……申し訳ございません」


「え?」


「そこまで緊張させていたとは思いませんでした」


 困ったように苦笑する。


 華やかな顔立ちがそうして柔らかく崩れると、先ほどまで緊張していた二人まで少し拍子抜けしたような表情になった。


「デイジーさんから、王都へ来たばかりのお知り合いがいると聞いたので、せっかくなら一度お会いしてみたいと思っただけです」


「それだけ……ですか?」


「それだけです」


 即答だった。


 それを裏付けるかのような今までの会話内容が、一気に思い起こされる。


 ケーキを食べ、故郷の話を聞き、寮生活を羨ましがり、魚の話にまで興味津々だった。

 どこを思い返しても、そこに政治的な思惑らしいものは一つもない。

 デイジーは何も言えなかった。



  ――本当に、ただのお茶だったの? え? ほんとに?



「同じ学園に通うのですもの。

 お顔を知っていれば、何かあった時にもお声を掛けやすいでしょう」


 カサンドラはそう言って紅茶へ手を伸ばす。


「わたくしはたまたま生徒会に所属していて、助けて下さる方もいらっしゃいます。

 ですが……慣れない土地で学園生活を始めるのは、心細いこともおありでしょう。

 どうかこれからも遠慮なくお声を掛けてくださいね」


 デイジーが驚愕することに、本当にそれだけの理由だったらしい。


 派閥へ誘うためでもなく、レンドール侯爵家と繋がりを作らせるためでもない。

 地方の家を自分の側へ取り込もうとしているわけでもない。


 ただ、王都へ来たばかりの二人を気に掛けていた。


 もっと高圧的な態度で、逃げ場をなくすつもりで彼女たちを呼んだと思っていたのに全く違う。


 確かにちょっとおかしいとは思っていたのだ。

 もし派閥の勧誘と言うことなら、カフェではなくレンドールの別邸に招待する方が良い。

 オープンな場所で話をしているのは、相手を委縮させないカサンドラなりの気遣いだった…?


「何か困ったことがあった時は、抱え込まないでくださいね。

 わたくしでお力になれないことなら、生徒会の皆さま方にも相談できますから」


「……はい」


 エルナが答える。


 先ほどまでとは違い、その声はずっと柔らかかった。


「ありがとうございます」


 マリエルもほっとしたように笑う。


 その顔には、店へ入ってきた時の強張りはもうほとんど残っていない。


 デイジーだけが、まだ少し呆然としていた。



   ――????



 橋渡しをするつもりだったし、二人が迷えば説得しようと思っていた。


 カサンドラのために、何とか二人をこちら側へ引き込まなければとまで考えていたというのに。

 当の本人は、そんなことを欠片も考えていなかったというのが、かなり恥ずかしい!


 デイジーは誤魔化すようにカップを持ち上げた。

 紅茶は最初より少し冷めている。


 目の前の皿には、先ほど勢いよくフォークを突き刺した跡の残るケーキがまだ少し残っていた。


 デイジーはそれを一口分だけ切り取り、何事もなかったような顔で口へ運ぶ。

 甘いクリームの味はちゃんと分かるのに、頭の中は未だに混乱したままだ。


 かなり内心で空回ってしまったけれど、不思議と落胆はしなかった。


 こんなに他人を気遣える人ではなかったのだけど……。


 彼女の変わりように驚きを禁じ得ない。





   ※




「では、また月曜日に」


 店から出てきたカサンドラが、二人に笑い掛ける。


 午後の光を受けた金色の髪が、歩みに合わせて背中で揺れた。


「はい。カサンドラ様」


「本日はお誘いいただき、ありがとうございました!」


 エルナとマリエルは、もう緊張した様子もなく挨拶を返していた。


 エルナとマリエルは肩を並べて大通りへ歩き出した。

 柔らかな午後の日差しの下、馬車が石畳を行き交い、軒先の花々が風に揺れている。

 しばらくして二人は同時に振り返り、楽しそうに笑ってこちらへ手を振った。

 来た時の強張った面影は、もうどこにもなかった。


 今日のお茶で、何か大きな関係が生まれたわけではない。

 それでも二人は、来た時よりずっと自然な顔でカサンドラと話している様子が見れたのだ。

 たったこれだけのことだけど、十分なのかもしれない。


 少なくとも、カサンドラ自身は最初からそのつもりだったのだろう。

 カサンドラは、自分の知っている彼女とはまるで違っている。

 もう、そう信じるしかないではないか。


 でも何故急に、こんな風に変わってしまったのか…

 理由を考えると、原因は一つしか思いつけなかった。







   ……王子だ……!







 カサンドラの王子を見つめる視線には、いつも憧憬が混じっている。

 すごく慕っているのだということは、デイジーの目からも明らかだ。


 まさか、王子に相応しい人間になれるよう、心を改められたということ?

 カサンドラ様が!?


 雷に打たれたような衝撃だったが――


「デイジーさん」


「は、はい!?」


 店の外でエルナとマリエルを見送った後、カサンドラに声を掛けられてドキッとした。



「――今日は良い天気ですし、少し通りを見て回りませんか?」



 自分の記憶にあるような、棘の含まれた上から目線の誘いじゃない。

 振り返りざまに微笑む彼女の自然な所作に、同性なのになぜか「お姉さま…!?」と変な感情が飛び出してきた。


 同い年なのに、何故だろう。


 父に言われたから側にいるのだと、ずっとそう思っていたはずなのに、今はそんな言いつけを思い出すまでもない。

 カサンドラの力になりたいと思っている自分に気づいてしまった。



「はい! 喜んでお供します!」



「……?」



 あまりにも勢いの籠もった返事に、カサンドラは頭上に疑問符を浮かべたのである。

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