第17話 攻略法は伝授します
カサンドラの返事を聞き、三人の表情から目に見えて緊張が抜けていった。
中でもリタは立ち直るのが早く、胸元で両手を握ると期待に満ちた顔で一歩身を乗り出す。
「身の程知らずっていうのは分かってます!
でも、何とかお近づきになれないでしょうか!?」
その問いに、カサンドラはすぐ答えることが出来なかった。
応援すると決めたことに迷いはない。
けれど、好きな人が出来たのなら後は本人達に任せればいい、と笑って送り出せるほど簡単な組み合わせでもないのである。
ゲームでは、主人公の性格によって伸ばしやすい能力に違いがあった。
勉強を好む性格なら学力に関する値が伸びやすく、身体を動かすことが得意なら体力や運動能力を高めやすい。
礼儀作法や家事に向いた性格であれば、そちらの能力を伸ばすための行動を選ぶことにも苦労しなかった。
一方で、攻略する相手によって求められる能力は違う。
つまりゲームで言う『相性が良い』とは、単純に性格がお似合いという意味だけではない。
主人公が自然に伸ばしやすい能力と、相手との関係を進めるために必要な能力が噛み合っているということだった。
その意味では、リゼならシリウスが最も進めやすく、リタならジェイクとの相性が良い。
リナはラルフとの道が一番無理なく進められるはずだった。
ところが、現実の三人が選んだ相手は見事にそこから外れている。
聖女の話は一旦置いたとしても、かなり厳しい現実が待ち受けているのだ。
カサンドラの脳裏に、かつて見た攻略掲示板の光景が蘇る。
発売直後、まだ攻略情報が出揃っていなかった頃には、相性の悪い相手を選んだプレイヤー達の悲鳴が毎日のように書き込まれていた。
『満遍なく能力あげるの無理ゲー!』
『スケジュールの選択順間違えたら上昇分が消える!』
冗談めいた書き込みの裏では、実際に何時間も進めたデータを泣く泣くやり直した者も少なくなかった。
一定の時期までに必要な能力へ届かなければ発生しないイベントがあり、後から不足に気づいたところで取り戻せないこともある。
一週間に選べる講義は、一日に二コマずつで五日間――合計十コマ。
十コマもあるのだから余裕がありそうに見えるが、相性の悪い相手を狙う場合、その使い方を誤れば後々まで響いてしまう。
好きなものを受けながら、空いたところで必要な能力も上げればいいという考えでは、間に合わない可能性が十分にあった。
自分だってシリウスを攻略した時には、休日のランダムイベントまで含めて、どこでどの能力を補うか頭の中に攻略手順を組み立てていた。
必要ならセーブ&ロードも辞さない覚悟で。
……漫然と好きなことだけしていれば攻略出来るゲームではない。
それは身をもって知っている。
だからといって、三人が何を学ぶかまで自分が好き勝手に決めていいわけではないし…
カサンドラ自身、本当ならそこまで介入したくはなかった。
けれど、自分だけが知っている。
適当に組んだスケジュールが後になって――取り返せない失敗へ変わることがあると。
それを知りながら何も言わず、数か月後に手遅れだったと気づかせる方が、よほど無責任ではないだろうか。
カサンドラは三人を見回し、先ほどまでより少しだけ真剣な声音で問いかけた。
「皆様、本当にその方々とのご縁をお望みなのですか?」
「はい!」
リタは迷うことなく答えた。
その隣ではリゼも真剣な顔で頷き、リナも静かにこちらを見つめている。
「でしたら、先に申し上げておきます。
少々苦手なことにも挑戦していただくことになりますし、時には取りたい講義を諦めていただくこともあるかもしれません。
それでもよろしいですか?」
「お願いします!
私、なんでもやります!」
やはり最初に答えたのはリタだった。
左右の黄色いリボンを揺らしながら勢いよく頭を下げる姿を見て、リゼが僅かに眉を寄せる。
「……カサンドラ様のおっしゃる通りにすれば、ジェイク様とお話し出来るようになるのでしょうか」
「必ずとは申し上げられません。
ですが、今のまま何も知らずに過ごすより、可能性はずっと高くなると思います」
あのゲームの世界と同じ法則で動くなら……。
少なくとも、『これ』が正攻法とも言えるのだ。
カサンドラがそう答えると、リゼは数秒黙ってから小さく頷いた。
「……分かりました。
私もお願いします」
「私もお願いします。
出来ることがあるのなら、やってみたいです」
リナも続き、三人の意思は揃った。
三人がカサンドラの言葉を疑わないことに、逆に驚いてしまう。
…だって、元のゲームでは彼女たちの邪魔をする側の立場だったはずだ。
それがまるで助言キャラのような立ち位置になるのだから、変な感覚である。
自分の行動次第で、こうも反応が変わるのか。
なら…
きっと王子との関係だって変わるはず!
そして彼女たちの切実な表情がカサンドラの胸中に重なる。
本来であれば手が届かない相手を好きになって、仲良くなりたい、近づきたいという気持ち。
「何か」に縋らないと精神が保てないのだろうな。
一縷の望みを必死で掴む。
カサンドラは王子の婚約者であり、ジェイクやラルフ、シリウスとも同じ食卓につき、自然に言葉を交わしている。
平民である三人からすれば、高位貴族の彼らを自分達より遥かによく知っているように見えるのだろう。
その信頼がゲームの知識に向けられているのだと知られたら、三人は一体どんな顔をするのだろう。
少しだけ胸が痛んだが、だからこそ半端なことは言えない。
「……分かりました。
では皆さま、お覚悟なさってくださいね」
三人の顔に僅かな緊張が戻った。
カサンドラも一度息を整え、頭の中でゲームの知識を現実の学園生活へ置き換えていく。
この世界に、本当に目に見えない能力値が存在するとは限らない。
けれどゲームで特定の能力を要求されたことには、それなりの理由があるはずだ。
剣を学ばなければ、剣を扱う者達の訓練へ参加する機会はない。
馬に乗れなければ、遠乗りへ誘われたところで一緒には行けない。
礼法や舞踏を知らなければ、高位貴族の集まる場へ出ても自由には振る舞えない。
学問で良い成績を収めれば、教師や優秀な生徒と関わるきっかけが増える。
ゲームでは、そうした現実の積み重ねを分かりやすく数字へ置き換えていただけなのかもしれない。
そう考えれば、攻略知識も使い方次第では十分役立つ……はず!
カサンドラは最初にリゼへ向き直った。
「まずリゼさん。
次の申請では、体術と剣術を優先してください。
二学期からは、それに加えて馬術も取ると良いですよ」
「えっ」
予想通り、リゼの顔が露骨に曇った。
「わたし、運動はあまり得意ではないんです。
出来れば座学を多く取りたいのですが……」
「座学をやめてくださいという意味ではありません。
ですが、ジェイク様とのご縁を本気で望まれるのでしたら、身体を動かす講義を全く避けて通るのは難しいと思います」
「でも、剣術まで……それに、馬術?」
リゼは耳元の赤いリボンへ無意識に触れながら、いかにも気が進まない様子で視線を落とした。
「ジェイク様は遠乗りがお好きなのですよ」
「……遠乗り?」
その一言で、リゼの視線が戻った。
「ええ。
もし馬に慣れて、一緒に走れるくらいになったなら……いつかジェイク様から遠乗りへ誘われることがあるかもしれません」
「ジェイク様と……遠乗り」
「勿論、そこまでわたくしがお約束出来るわけではありませんよ」
「分かっています。
でも、馬に乗れて困ることはありませんし……将来のために身体を鍛えておいて損になることもないですよね」
「そうです、その意気です」
「……では、運動の講義を増やしてみます」
先ほどまでの渋り方は何だったのだろう。
分かりやすい変化に笑いそうになったものの、カサンドラはどうにか表情を崩さず頷いた。
次にリタへ視線を移す。
「リタさんは、礼法と舞踏を増やしてください。
それから、音楽の講義も大切です」
「……礼法ですか?」
今度はリタが、見るからに嫌そうな顔をした。
「歩き方とか、お辞儀とか、食事の作法とかですよね?」
「それだけではありません。
ラルフ様とのご縁を望まれるなら、社交の場へ出るための礼法だけでなく、舞踏や音楽の素養も必要になります」
「舞踏……。
音楽もですか!?」
舞踏の一言に反応したのを、カサンドラは見逃さなかった。
「星灯祭でも、踊る機会はございますもの」
「ラルフ様も参加します?」
「勿論です」
「じゃあ、ラルフ様と踊れるかもしれないんですか!?」
「そこまでは保証いたしません」
「でも、可能性はありますよね?」
「可能性でしたら、ございます」
「やります!」
返事があまりにも早い。
「礼法も舞踏も、いっぱい取ります!」
「いっぱい取ればよいというものではありません!」
思わず強めに言うと、リタが目を丸くした。
一つの能力だけを上げ続ければいいのなら、あのゲームはあれほど多くのプレイヤーを苦しめてはいない。
「礼法だけを上げれば済むわけではありません。
舞踏も音楽も含め、他の講義との兼ね合いを見ながら進める必要があります。
険しい道になると思いますよ」
「は、はい!」
返事だけは素晴らしい。
すでに頭の中では、星灯祭でラルフと踊っている自分を想像しているのかもしれなかった。
最後にカサンドラはリナを見る。
「リナさんは、算術や歴史などの主要科目を増やしてください」
「勉強ですか?」
リナは意外そうに首を傾げた。
「私は、裁縫や調理の講義を中心に取りたいと思っていたのですけれど……」
「少なくとも一年目は、どうか勉強を優先なさってください。
そうしなければ、間に合わなくなる可能性があります」
ゲームでは、一年目の成績が一定値を超えていれば、進級時にシリウスから生徒会へ推薦されるイベントが発生した。
この機会を逃してしまえば、その後一年間は彼のイベントが進まなくなってしまう。
出来ることなら、一年目のうちに条件を満たしておきたい。
「それは、シリウス様のためですか?」
「ええ。
シリウス様は学業でも非常に優秀ですし、先生方から頼られることも多い方です。
成績を上げていけば、先生方から何か役目を任される機会も増えると思います」
リナは黙って聞いている。
「どのくらいの成績が必要でしょうか」
声はいつも通り柔らかいのに、先ほどまでよりはっきりしている。
「かなり上位を目指していただくことになると思います。
簡単ではありませんよ?」
「分かりました。
では、頑張ります」
あまりにも素直に決めたので、今度はカサンドラの方が少し驚いた。
その横で、リゼとリタは特に意外そうな顔をしていない。
「リナがそう言ったなら、本当にやると思います」
「一回決めたら、なかなか変えないもんね!
鉄の意思!」
「もう、二人とも」
リナだけが少し恥ずかしそうに笑っている。
普段は穏やかで、姉二人の後ろから見守っているように見えるけれど、自分で決めたことには案外頑固なのかもしれない。
そんな一面を知れたことが、カサンドラには少し面白かった。
そこでふと、今日から始まる選択講義のことを思い出した。
「そういえば皆様、今週はどのような講義を選ばれたのですか?」
三人が顔を見合わせる。
最初に答えたのはリゼだった。
「わたしは算術と歴史、それから法制関係を多めにしています」
予想の範囲内だった。
「私は色々ですねー。
体術も入れてみましたし、面白そうな講義も取りましたし!」
リタは楽しそうだが、ゲームの仕様を知るカサンドラには嫌な予感しかしない。
「私は礼法と裁縫、調理が多いです。
歴史も少し選びました」
聞き終えたカサンドラは、思わず黙った。
リゼとリナは、それぞれ自分の得意な方向へ素直に寄せている。
リタは興味を引かれたものを広く選んでいるらしい。
どちらも何ひとつおかしくない。
まだ何も知らない状態で講義を選ぶなら、自分が得意なものや興味のあるものを中心にする方が自然だ。
問題は、このまま来週も再来週も同じ選び方を続けた場合だった。
一週間に選べる十コマのうち、攻略に必要な講義をいくつか確保したとしても、二、三コマくらいは本人達の好きなものを選んでもらえばいい。
カサンドラも最初はそう考えた。
けれど、選択した行動によって別のパラメータが下がる仕様を思い出す。
せっかく何週もかけて積み上げた能力が、何気なく選んだ別の講義によって少しずつ削られてしまうこともあった。
先ほど思い出した攻略掲示板の悲鳴が、今度は妙な現実味を伴って頭の中へ戻ってくる。
カサンドラは思わず難しい顔になったらしい。
「……カサンドラ様?」
リタに呼ばれ、はっとした。
「いえ。
出来れば十コマのうち二、三コマ程度は、皆様のお好きな講義をそのまま選んでいただこうと思ったのですが……」
「思ったのですが?」
三人が揃ってこちらを見る。
「選ばれる内容によっては、そちらにも口を出すことになるかもしれません」
「なんでもやりますって言いましたけど、思っていたより本格的ですね……」
リタの顔が少し引き攣る。
けれど、すぐに両手を握り直した。
「でも、やります!
お願いします!」
リゼとリナも揃って頷いた。
カサンドラだって、何から何まで管理したいわけではない。
好きなことくらい自由に学んでもらいたいし、自分が知らない興味や目標だって三人にはあるはずだ。
それでも、失敗する可能性を知っているのに黙って見過ごすことは出来なかった。
本人達が本気で望み、助けを求めてくれた以上、中途半端に口を出す方が無責任である。
「では、次の申請をなさる前に、一度予定を見せてくださいませ。
わたくしに分かる範囲で、必要なものと避けた方がよいものを一緒に考えましょう」
「はい!」
三人の声が重なった。
これでいい。
誰を好きになるのかを決めるのは三人自身だ。
けれど、その相手へ辿り着くために自分の知識が役立つのなら、出し惜しみする理由はない。
「カサンドラ様って、本当に恋愛に詳しいんですね」
突然、リタが感心したように言った。
「…………」
カサンドラは返事に詰まった。
「確かに。
王子ともご婚約されていらっしゃいますし」
「ジェイク様達とも、自然にお話しなさっていますものね」
リナとリゼまで、何の疑いもなく納得している。
三人の中では、どうやら自分は随分な恋愛経験者になっているらしい。
――知識と実践は別物です!
カサンドラは思わず心の中で絶叫した。
変な表情になっていたのだろうか、三人がきょとんとした顔でこちらを見ている。
「……何でもありません」
カサンドラは誤魔化すように顔を逸らした。
他人のことなら、これほど簡単に考えられる。
何を学べばいいのか、どのような場所へ行けば接点が増えるのか、どの時期までに何を準備しておくべきなのか。
ゲームで何度も試したことだから、失敗例まで含めていくらでも思い浮かぶ。
なのに、自分のことになると何一つ分からない。
王子への手紙を机へ一通置いただけで、朝からずっと心臓が落ち着かない。
しかもゲームには、カサンドラが王子を攻略するためのルートなど存在しなかった。
他人の攻略法は分かるのに、どうして自分の婚約者だけ攻略方法が分からないのだろう。
そんなことを考えているうちに、午後の講義が始まる時刻が近づいてきた。
四人は中庭を離れ、それぞれが選んだ講義室へ向かった。
※
午後最後の講義が終わると、カサンドラは教本を閉じた。
教室のあちこちで椅子を引く音が重なり、生徒達が次々と帰り支度を始める。
本当なら今すぐ席を立ちたい。
けれど、それではまるで放課後になるのをずっと待ち構えていたようではないか。
実際、その通りなのだけれど。
カサンドラは出来るだけ普段通りに見えるよう、教本の端を揃え、筆記具をケースへ戻し、鞄の留め具まできちんと確認してから席を立った。
急いでいません。
私は別に、急いでなどいません。
誰に対する言い訳なのか分からないことを心の中で唱えながら、教室を後にする。
本館から渡り廊下を抜け、西棟へ向かう。
放課後になると、こちらへ向かう生徒の姿はぐっと少なくなり、一歩進むたびに背後の話し声や笑い声が遠ざかっていった。
生徒会室の前を通り過ぎ、そのまま中庭へ出る。
午後の日差しは少し傾き、手入れされた植え込みの間へ柔らかな影を落としていた。
石畳の脇では若い葉が春風に揺れ、その隙間から零れた木漏れ日が足元で細かく形を変えている。
思った通り、まだ誰もいない。
予定していた時刻より、ほんの少し早かった。
カサンドラは中庭へ数歩進んだところで立ち止まり、周囲を見回した。
座って待った方がいいのだろうか。
けれど王子がやって来た時に慌てて立ち上がるのも、いかにも待ち構えていたようで気恥ずかしい。
だからといって最初から立ったまま入口を見ているのも、今か今かと待ちわびていたことが丸分かりではないだろうか。
そんなことを考えているうちに、もっと根本的な疑問が浮かんだ。
本当に、王子は来てくれるのだろうか。
昼食の時にも、王子は何も言わなかった。
手紙をまだ読んでいないのかもしれないし、読んだ上で今日は都合が悪いと判断したのかもしれない。
それなら仕方がない。
自分で『ご都合が悪ければ、どうぞお気になさらず』と書いたのだから。
分かっているのに、誰もいない中庭を見ていると胸の奥がじわじわと落ち着かなくなる。
「――……皆さまの恋に関しては、あのように偉そうに言えますのに…」
思わず独り言が漏れた。
当然、返事をする者はいない。
ここで入口ばかり見つめていても、時間が早く進むわけではない。
カサンドラは小さく息を吐き、鞄から図書室で借りた本を取り出した。
近くの石造りの腰掛けへ座り、膝の上でそっと表紙を開く。
王子の未来を変えるためにも、この国の歴史や事情をもっと詳しく知らなければならない。
今読めばいいのだと自分へ言い聞かせ、カサンドラは文字を追い始めた。
けれど、一頁を読み終えるより先に、ほんの僅かな物音がするたび、視線は何度も中庭の入口へ向かってしまうのだった。




