第12話 初めての生徒会
波乱に満ちた入学式典から、今日でようやく一週間!
金曜日の放課後は一週間の緊張から解き放たれ、足取り軽く教室を後にする生徒も多い。
だが、カサンドラには週の最後に大切な仕事が残されている。
カサンドラは指定された生徒会室へ、開始時刻より少し早く到着した。
――生徒会のメンバーは、基本的にその年度の有力貴族が順に選ばれるものらしい。
今年は王子が入学してくるということで、王子を中心にしたメンバーが選出されている。
そこにカサンドラの名があるのは、王子の婚約者だから。
要は慣例のようなものだ、次期王妃の存在を除くことはできなかったのだろう。
かなり緊張するが、入りたいと言って入れるものではないので――大変光栄な話に違いない。
初日から遅れてはいけない、とカサンドラは急いだ。
それはもちろん本心だが、それだけが理由かと問われれば、少々答えに困る。
他の役員が来る前なら、王子と少しくらい話ができるかもしれない。
ほんの少しだけ、そんな期待もあった。
「失礼いたします」
扉を開いて室内に入る。
生徒会室は教室よりもひと回り広く、壁際には役員それぞれに割り当てられた机が並んでいた。
中央には全員で会議を行うための大きな長机が置かれ、その周囲には書類棚や本棚が整然と並んでいる。
奥には飲み物を用意するための給仕台もあり、大きな窓から差し込む午後の日差しが、磨かれた机の上を明るく照らしていた。
――期待していた金色の髪は見当たらない。
代わりに、部屋の奥に設けられた給仕台で、一人の女生徒が茶器を並べている。
こちらに気づいた彼女が顔を上げ、柔らかく微笑んだ。
「まあ、ごきげんよう。
カサンドラ様ですか?」
まさに深窓の令嬢という言葉が似合う少女だった。
他の令嬢とは纏う雰囲気が違い、カサンドラでさえ気後れするほどだ。
「はい、初めてお目にかかります。
カサンドラ・レンドールです」
「初めまして、お会いできて嬉しいですわ。
私はキャロル・セル・マディリオンと申します」
カサンドラより一学年上の令嬢だ。
マディリオン侯爵家といえば、ヴァイル家と繋がりの深い有力貴族だったはず。
淡い灰色を含んだミルクティー色の髪、薄い菫色の瞳。
緩くウェーブのかかった髪も相まって、まさに正統派美少女といった風貌だ。
カサンドラのような険のある顔立ちとは違い、ただただ見惚れるばかりである。
「ああ、ちょうど良かったですわ。
今、飲み物の準備を始めようと思っていたところなのです」
見ると、給仕台にはティーポットと茶葉の缶、それに見覚えのあるガラス製の器具が置かれていた。
上下に分かれた硝子器に細い管、布製の濾過器、小さなランプ。
コーヒーを淹れる器具のサイフォンだ。
この世界にはコーヒーマシンなどない。
手間はかかるが、これを使えばちゃんとしたコーヒーを淹れることができる。
カサンドラが興味深そうにサイフォンを見ていると、キャロルは説明を始めた。
「会議中は、使用人をなるべく室内へ入れないことになっていますの。
お湯や道具までは用意してくださいますけれど、飲み物は役員で準備するのが慣例なんですよ」
もしかすると、カサンドラが意外そうな顔をしたのを、給仕のような真似をすることに不満があると受け取ったのかもしれない。
「そうなのですね」
カサンドラは若干笑みを引き攣らせ、頬に手を添えた。
「私達は紅茶で構わないとして、コーヒーをお飲みになる方の分をどうしようかと思っていたのですけれど……」
先輩のキャロル一人に全てを任せてお客様状態なんて、許されるはずがない。
「でしたら、コーヒーはわたくしが淹れます」
カサンドラが何の躊躇いもなく答えたことで、キャロルが目を瞬かせたのだ。
「カサンドラ様が?
こちらの使い方はご存じでいらして?」
「はい、問題なく扱えます」
言ってから、カサンドラは少しだけ遠い目になった。
正確には、カサンドラが得意なのではない。
前世の自分が得意だった。
今どきお茶汲み係は流行らないというのに……
だが毎日のようにやらされていれば、嫌でも上達する。
コーヒー狂が高じて職場にサイフォンまで持ち込んできた上司のことが、当時は恨めしかったものだ。
まさか異世界の王立学園で役立つ日が来るとは思わなかった。
人生って分からない。
「カサンドラ様にコーヒーのご準備をお任せしてもよろしいですか?
…ラルフ様は紅茶の方がお好きなので、私が淹れますね」
「はい、勿論です」
カサンドラは先日、王子がコーヒーを好むという話を聞いたばかりだ。
食後に飲むのが好きだと言っていたのだから、少なくとも嫌いではないだろう。
彼のためにコーヒーを準備できることが凄く嬉しかった。
王子のためと思えば、やる気もみなぎってくる。
キャロルが紅茶の準備を始める横で、カサンドラもサイフォンへ手を伸ばした。
5人分を一度には淹れられないので、二回に分けることにする。
まず下のフラスコへ湯を入れ、外側についた水気を布で拭う。
上の器には湿らせた濾過布を取りつけ、鎖の先を引っ掛ける。
小さなランプへ火を灯すと、青みを帯びた炎が硝子の底を静かに熱し始めた。
「……本当に手慣れていらっしゃるのね」
隣で茶葉を量っていたキャロルが感心したように言う。
「そんなに珍しいでしょうか」
「私も何度か教えていただきましたが、カサンドラ様は道具を迷わず扱っていらっしゃるから」
「ありがとうございます」
詳細を説明することもできず、カサンドラは微笑んでキャロルに答えた。
彼女のキラキラした視線はサイフォンに釘付けだ。
やがてフラスコの中で、小さな気泡が浮かび始める。
カサンドラは上部の器をしっかりと差し込んだ。
間もなく、熱せられた湯が細い硝子管を伝い、するすると上へ押し上げられていく。
この光景は何度見ても面白い。
湯が上がりきったところで、挽いた豆を入れる。
木匙を使って静かに全体を馴染ませると、香ばしい匂いがふわっと立ち上る。
「良い香りですわね」
「ええ」
ここまでは順調だ。
後は時間を見て火を外し、下へ落ちきるのを待つだけ。
カサンドラはサイフォンの様子を見つめながら、
おいしくなーれ、おいしくなーれ、とフラスコ越しに念を込めておく。
全くの無駄だと分かっていつつも、止められなかった。
カサンドラがサイフォンに集中していると、生徒会室の扉が静かに開く。
「もう来ていたんだね」
聞き慣れ始めた声に、カサンドラの肩が跳ねた。
振り返ると、王子が立っていた。
――王子!
さっきまで同じ教室で授業をしていたはずなのに、何度彼の姿を見てもドキドキする。
動いて喋っている、しかもその声が自分に向かっているというだけで心臓の鼓動が高鳴るのだ。
「ごきげんよう、王子」
声が裏返らないよう、慎重に挨拶する。
「カサンドラ嬢、キャロル嬢も。
二人とも早いね」
「飲み物の準備をしておりましたの」
キャロルが穏やかに答える。
「ありがとう。
二人に任せてしまって申し訳ないね」
「これくらい構いませんわ」
アーサーがこちらを見る。
「コーヒーはカサンドラ嬢が?」
「はい。わたくしが――」
その瞬間。
視界の端で、サイフォンの中のコーヒーがぐらりと揺れた。
――いけない。
カサンドラは慌てて器具へ向き直った。
火を外さなければと、カサンドラは再びコーヒーの抽出作業に戻る。
「……?」
カサンドラの真剣な表情に、王子は小首を傾げる。
「少々お待ちくださいませ」
ランプを外す。
加熱を止めると、間もなく上の器に溜まっていたコーヒーが、濾過布を通って下のフラスコへ吸い込まれ始めた。
ごぽ、と音を立てながら液面が下がっていく。
良かった、順調に進んでいるようだ。
カサンドラは真剣な顔でそれを見守る。
そうしてしばらく経ったところで、ハッと我に返った。
一体自分は何をしているのだろう。
今日こそ王子と話したいと、朝から楽しみにしていたのではなかったか。
その王子が今、すぐ後ろにいるというのに、その機会を不意にしてコーヒーを見ている!
いや、でも美味しいコーヒーを飲んでほしいという気持ちは本物だ。
ここでうっかり失敗したら目も当てられない。
「コーヒーを淹れるのを近くで見たのは初めてかもしれない」
背後からアーサーの声がした。
カサンドラは動揺のあまり、飛び上がりそうになる。
未だかつて…といっても一週間の短い期間だが、王子の方からカサンドラに近づいてきたことがあっただろうか。
いや、ない。
「火を外す時を間違えると、味が変わってしまいますので…」
「そうなんだね」
王子から話しかけてもらっているという事実が、未だに信じられない。
ここで振り返ったら王子の顔が近くにあるのだろうか。
だが、サイフォンから目を離すわけには…
ようやくコーヒーが落ちきった。
カサンドラはほっと息を吐き、上部の器を外す。
今度こそ!
カサンドラは勢いよく後ろを振り返った。
「王子、あの――」
しかし王子は既に自分の席に着き、これからの会議で使用する資料を眺めている。
完全にタイミングを逸してしまった!
しかも同時に、生徒会室の扉が開く。
「やあ、早いね。
今日は宜しく」
颯爽と、穏やかな笑みを浮かべながら入ってきたのはラルフだった。
その後ろにはシリウスもいる。
「……」
彼は特に言葉もなく、普段通りの表情で自分の席に向かう。
その後は最上級生の役員二人も続けて入り、先ほどまでの静かな空気の面影はなかった。
カサンドラは、開きかけた口を静かに閉じる。
「カサンドラ様、準備はできまして?」
「3人分出来上がりました。もう一度淹れますね」
「では、私が皆様にお持ちしますわ」
「ありがとうございます」
チラ、と時計を見ると定刻まであと10分。
急いで残りの人数分のコーヒーを用意することにした。
自分が淹れたコーヒーを、王子が飲む…という緊張がカサンドラを襲う。
だが、まだ全員が揃っていないせいなのか、彼は湯気の立つコーヒーを机の上に置いたままだ。
皆が揃うまで、自分だけ先に飲むつもりはないらしい。
飲んでください!
熱い内に……っ!
カサンドラの願いは叶わず、会議が始まるまで王子のカップからコーヒーが減ることはなかった。
かなり残念である。
※
「…定刻になったな」
シリウスが壁時計をチラリと見上げて、静かに呟く。
カサンドラは新しく淹れたコーヒーを配り終え、自分も席に着いた。
キャロルの淹れてくれた紅茶の香りがかぐわしい。
「ジェイクがまだだね」
ラルフが、自分の隣の席を見る。
どうやらそこがジェイクの席のようだ。
「はぁ…初回から遅刻か」
シリウスはいら立ちを隠せない様子で、眼鏡の位置を指先で直す。
「では予定通り、第一回生徒会役員会を開催――」
シリウスがジェイクを待たずに始めようとした数秒後、けたたましい音を立てて扉が開かれる。
「悪い! 遅れた!」
ジェイクが少し急いだ様子で入ってくる。
「……。」
シリウスは視線だけを横に向け、ジェイクを睨んだ。
慌てて席に着こうとする彼を見たラルフは、何も言わず自身の襟元を叩く。
長い指で、とんとん、と。
「何だよ」
ジェイクが自分の胸元を見る。
「あ」
ネクタイが緩んでいたのに気づき、すぐに結び直した。
「何かあったのかい?」
気遣う声のラルフに苦笑いのジェイク。
「ちょっと色々。」
ちょっとなのか色々なのか。
言葉の使い方がおかしいジェイクは、ラルフに「サンキュ」と小さく礼を言って隣に座った。
「ジェイク。後で話は聞かせてもらう」
「はーい」
シリウスの声に、ジェイクはうんざりした返事を返し――ようやくメンバー全員が揃ったのである。
「では、始めようか」
王子の声で緩んでいた空気がすぐに引き締まったのを感じる。
室内が静かになり、開けていた窓から、夕方の風がカーテンを僅かに揺らした。
カサンドラも書記としての務めを果たすべく、筆記具を用意しペンを持つ。
「今日は最初の集まりとなる。
自己紹介からだ――互いに名前くらいは知っていると思うから、簡単で構わない」
副会長のシリウスの進行で会議が執り行われる。
生徒会役員になるメンバーともなれば、名前を知らないわけがない。
王都でも有名な家出身の生徒である。
もっとも、カサンドラは王都の社交にほとんど参加していないので先輩の三人は初めて見る顔だ。
この凄いメンバーの中に自分が入っていることが今更ながら信じがたいと思ってしまう。
アーサーから順番に、名前と学年を告げていく。
カサンドラの番が来た。
「一年、カサンドラ・レンドールです。
今年度、書記を務めさせていただきます。
どうぞよろしくお願いいたします」
挨拶が一巡する。
「では、カサンドラ。
今日から記録をとってもらう。
引継ぎはされていると思うが、翌週の月曜日までに議事録を提出するように」
シリウスの淡々とした声に、「はい」と頷く。
常に堂々としていて、場を仕切ることに慣れているシリウスには持ってこいの役職だろう。
カサンドラは筆を取った。
「まずは今年度の予定を確認。
細かな内容については、その都度話し合うつもりだ」
シリウスが資料を開くと、皆もそれに続いた。
ページをめくる音が静かな室内に重なる。
一年間に予定されている学園行事について、シリウスが順に確認していく。
事前に知らされていた内容とは言え、生徒会として動く機会が多いと感じる。
それから時間を割いて、行事ごとの大まかな流れや、準備を始める時期についても共有することになった。
まず最初に大きな準備が必要になるのは六月。
「これからしばらく、アンナ聖誕祭の準備期間ですわね」
キャロルは祭礼行事担当の役員なので、事前に用意すべきことが沢山あったようだ。
彼女の手元にある資料だけが、ひときわ分厚い。
手元に用意していた資料を開き、議題はアンナ聖誕祭の話題になった。
聖誕祭といえば、クローレス王国建国の祖、初代女王アンナの生誕を祝う祭典である。
およそ百五十年前、女神ヴァーディアに選ばれた聖女アンナは、当時西方を脅かしていた悪魔を退けたと伝えられている。
その後、彼女を中心に各地の国や勢力がまとまり、現在のクローレス王国が生まれた。
救国の聖女であり、建国の女王。
この国でアンナの名を知らない者は、まずいないだろう。
そんな人物の聖誕祭ともなれば、当然ながら規模も大きい。
王宮からも来賓が訪れ、聖アンナ教団の聖職者を招いて祭礼を行うほか、生徒会でも催事を執り行うのが慣例となっているのだそうだ。
レンドールでも聖誕祭の時期は毎年忙しい。
「昨年度からの引き継ぎにも目を通しております。
まずは、今年使用する祭礼用品を確認しておく必要がありますわ」
「祭礼用品?」
頬杖をついたまま、ジェイクが訊いた。
「式典で毎年使用するものがありますの。
保管されている品を台帳と照らし合わせて、今年も問題なく使えるか確認いたします」
「それは毎年やっているのかな?」
ラルフの問いに、キャロルが頷く。
「はい、そうですわ。
ただし例年、準備を手伝ってくださる生徒にお願いすることも多いそうです。
確認した結果を祭礼担当が受け取る形ですわね」
「そうなんだね」
王子は少し考えるそぶりを見せた。
あまり発言をしない彼が口を開くと、皆の視線が自然とそちらへ向く。
「今年は、最初の一度だけでも私達で備品を確認するというのはどうだろう」
キャロルが顔を上げる。
「役員全員で、ですか?」
「そう。
これから私達が管理するものなら、何があるのか一度くらい自分達の目で見ておいた方がいいと思うからね」
特別なことを言う調子ではなかった。
シリウスも資料へ視線を落としたまま頷く。
「現物を知らないまま報告だけ受け取るのでは、判断に困る場合もある。
私はその案に賛成だ」
「八人いるなら、確認するだけならそれほど時間も掛からないだろうしね」
ラルフも迷う様子なく賛同した。
「俺はどっちでもいいぞ、やるならやるし。
現品確認ってことなら、荷物運びは俺とマックスがやるしな」
最上級生の役員、マクスウェル先輩。
ロンバルド派の貴族ということだが、カサンドラはあまり馴染みのない男性だ。
荷物運びを当然のように任されるあたり、彼もしっかり体を鍛えているのだろう。
……さすが武闘派一門。
「――念のため確認するが、去年はどのような形で確認作業を行ったのだ?」
昨年から生徒会役員を務めている最上級生たちによれば、ほぼ丸投げに近い状態だったようだ。
わざわざ高位貴族の子女が面倒な作業を行うという慣習がないのか、実務は他の生徒に任せていたのだとか。
自分達の関わる備品類なのに、何も知らないのは据わりが悪い。
王子の言うことも分かる。
少なくとも、座って報告を受けるだけではなく、自分の目で確かめたい人なのだろう。
この一週間で見てきた彼の姿からは、そんなふうに思えた。
「では、次回は皆様で確認いたしましょう」
キャロルが資料へ何かを書き込んだ。
「台帳はこちらで用意しておきます。
保管場所も確認しておきますわね」
「お願いするよ、キャロル嬢」
「お任せください!
ふふ、備品倉庫に入るのは初めてでドキドキしますわ」
アーサーが他の役員へ視線を向ける。
「三年生のお二人も、それで構いませんか?」
二人とも異論はないようだった。
「では、来週時間をとって確認を行う。
皆もそのつもりで」
シリウスはこれでお開きという雰囲気を出しながら、最後にジェイクへ視線を向けた。
「来週は遅刻しないように。
やむを得ない場合は連絡を忘れるな」
「はいはい、気をつけるっての」
あのシリウスに睨まれて平然としているジェイクには恐れ入る。
あんな真顔で諭されたら、小さな子どもなら泣いてしまいそうだ。
気にせずスルーできるのは、友人ゆえの気安さか。
カサンドラは今日の会議の進行内容を記録へ書き留める。
来週は備品の確認…そして。
――会議参加者――遅刻一名。
一応、忘れないように端にメモをする。
初めての生徒会活動は、特に問題なく終えることが出来た。
王子とは、結局ほとんど個人的な話を出来なかったのが心残りである。
ふと、長机の王子の席に残されたカップが目に入った。
――空だ。
なんだかそれだけで嬉しくなる。
カサンドラは空になったカップを集めながら、次はもう少し話せればいいと思った。




