役立たずのテイマー
辺境へ来てから7日が過ぎた。
朝に走り、ガレスに剣を叩き落とされ、治療所や倉庫の仕事を手伝い、夜になると倒れるように眠る。その繰り返しで、レオンはようやく兵舎の空気に慣れ始めていた。
慣れたと言っても、快適になったわけではない。
朝は寒い。
食事は薄い。
寝台は硬い。
隣の男はいびきがひどい。
それでも、何時に起き、どこで水を汲み、食事をどこで受け取り、装備をどこへ返すのかが分かるだけで、不安は随分減った。
その日、久しぶりに出撃命令が出た。
任務は北側街道沿いの魔物駆除と、放棄された荷車からの物資回収だった。
前回より危険度は低いと説明されたが、レオンは額面通りには信じなかった。灰牙犬20匹と言われて実際には倍近くいたばかりだ。
「今日は俺の右から離れるな」
装備を整えながらガレスが言った。
「前回も似たようなことを言われました」
「前回は離れた」
「理由がありました」
「今回は理由を作るな」
「努力します」
「その返事、信用できん」
少し離れた場所で、ミラが包帯の上から革の脚当てをつけている。
傷はかなり治っているが、全力で走るのはまだ止められていた。
「ミラも行くの?」
「偵察補助」
「脚は」
「リーネにも聞かれた。あんたら、あたしの母親かよ」
「心配してるだけ」
「余計なお世話」
そう言いながらも、以前ほど刺々しくはない。
城門前へ集まると、同じ中隊の奴隷兵が30人ほどいた。
その中の若い人間の男がレオンを見つけて近づいてきた。
「なあ、元王子」
名前を覚えられていないらしい。
「レオンでいい」
「お前、天賦技能は何なんだ?」
突然の問いに少し身構えた。
辺境では他人の技能を根掘り葉掘り聞かない者が多い。戦闘で必要なら共有するが、技能はその人間の価値や弱点に直結するため、初対面で聞くのは失礼とされる。
「何で?」
「王族って珍しい技能持ってんだろ。昨日賭けになった」
「賭け?」
別の男が笑った。
「《剣聖》か《王威》か、もっと変なのかってな」
レオンはため息をついた。
隠してもいずれ知られる。
「《テイマー》だよ」
数秒の沈黙。
それから笑い声が上がった。
「テイマー?」
「ここじゃ大当たりじゃねえか!」
「その辺の魔物を従えれば、俺ら戦わなくて済むぞ」
悪意だけではない。
半分は冗談だ。
それでも、胸の奥に冷たいものが落ちた。
王宮の訓練場が蘇る。
鎖につながれた幼い軍用獣。
見物する兄たち。
何度命じても何も起こらず、最後には笑い声だけが残った。
『犬1匹使役できないのか』
『それでもテイマーか』
『王家の面汚しだな』
レオンは無意識に右手を握った。
「使えないんだ」
笑っていた男が止まった。
「何?」
「1度も成功したことがない」
「冗談だろ?」
「本当」
「じゃあ、何で《テイマー》なんだよ」
「俺が知りたい」
自分から言うと、思ったほど傷つかなかった。
笑い声は少し続いたが、出発命令が出ると皆それぞれの持ち場へ散った。
歩き始めてしばらくして、横から声がした。
「本当に1匹も?」
ミラだった。
「君まで聞くの?」
「気になる」
「1匹も」
「犬も?」
「犬も」
「鳥は?」
「試した」
「虫」
「それは試してない」
「じゃあ虫専門かも」
「そうだったら嫌だな」
ミラは口元を少し上げた。
「笑わないんだね」
レオンが言う。
「十分面白いけど」
「そうじゃなくて」
「他人の技能笑ったって、あたしが強くなるわけじゃないだろ」
簡単に言われ、少し驚いた。
王宮では天賦技能が人間の価値そのもののように扱われていた。
王族ならなおさらだった。
「技能って絶対正しいのかな」
ミラが前を見たまま言う。
「どういう意味?」
「《テイマー》って出たから、みんな魔物を従わせるもんだって思ってるんだろ。でも、あんたの技能が同じとは限らないんじゃない?」
レオンは返事をしなかった。
考えたことがなかったわけではない。
ただ、鑑定結果は《テイマー》だった。
他に手がかりはなく、使えないなら自分が悪いと思うしかなかった。
「使い方が違うってこと?」
「知らない。あたしテイマーじゃないし」
「期待させて終わるんだ」
「自分で考えろ、王子様」
「元だよ」
「知ってる」
ミラは前へ出た。
その後ろ姿を見ながら、レオンは妙にその言葉が残るのを感じた。
技能は絶対なのか。
正確には、鑑定された名称の意味を、自分たちが勝手に決めているだけではないのか。
考えているうちに、前方から停止の合図が出た。
荷車が見つかった。
街道脇へ横倒しになり、車輪が片方外れている。周囲に人影はない。
ガレスが地面へ屈んだ。
「血は古くない」
「襲われた?」
「たぶんな」
ミラが鼻を動かす。
狼耳がわずかに揺れた。
「魔物の臭い。3……いや、5匹くらい。西の茂みにいる」
レオンには何も分からない。
ガレスは当然のようにミラの情報を採用した。
「盾持ち前へ。槍はその後ろ。荷車から離れすぎるな」
奴隷兵たちが動く。
レオンもガレスの横で剣を抜いた。
茂みが揺れた。
出てきたのは、灰牙犬より小型の黒い魔物だった。4本脚で、背中に硬い棘が並んでいる。
「棘ネズミだ!」
誰かが叫ぶ。
本で知っている。
名前ネズミとついているが、小さな猪ほどもある。
1匹が突進してきた。
盾役が受け止める。
後ろから槍が突き出される。
レオンはガレスの言葉を思い出し、前へ出すぎない。
前回なら、何をすればいいか分からず立ち尽くしていた。
今は少なくとも、周囲を見る余裕が少しある。
右から別の1匹が回り込んだ。
「右!」
声を上げる。
近くの男が気づき、盾を向ける。
棘ネズミがぶつかる。
レオンは横から剣を振った。
刃が首筋へ入る。
浅い。
魔物が暴れ、剣を持っていかれそうになる。
「引くな、押せ!」
ガレスの声。
レオンは両手で柄を握り、体重をかけた。
刃が深く入った。
棘ネズミが崩れる。
前回ほど身体は止まらなかった。
怖くないわけではない。
手も震えている。
ただ、怖いまま動けることが分かった。
5匹を倒したところで、荷車の確認が始まった。
積まれていたのは食料と薬草、それに矢束だった。多くは無事で、奴隷兵たちが分担して持つ。
そのとき、少し離れた林から悲鳴が聞こえた。
別班だった。
「行くぞ」
ガレスが走る。
レオンたちも続いた。
林の中では、倒木の向こうで3人の奴隷兵が魔物に囲まれていた。
1人は脚を負傷している。
ガレスが人数を確認する。
「正面から行くと挟まれる。ミラ、左に回って気を引けるか」
「走るなって言われてるんだけど」
「全力じゃなくていい」
「後でリーネに言いつける」
そう言いながら動いた。
レオンは負傷者を見る。
助けたい。
前回なら、自分から走っていったかもしれない。
だが今回は止まった。
「ガレス」
「何だ」
「あの倒木の後ろまで引かせたら、2人で運べます」
ガレスが一瞬だけこちらを見る。
「続けろ」
「ミラが左から注意を引く。右側の2匹をこっちで止めて、動ける2人に負傷者を運ばせる」
「誰が右を止める」
「俺たち」
「お前も入ってるのか」
「俺も剣は持ってます」
ガレスの口元がわずかに上がった。
「やってみろ」
命令を飛ばす。
完璧にはいかなかった。
ミラの足が予定より遅く、魔物が1匹こちらへ流れた。レオンも受け損ねて腕を浅く切られた。
それでも負傷者は回収できた。
全員で林を抜けたとき、レオンは肩で息をしていた。
「前よりまし」
ミラが言った。
「何が?」
「動き」
「褒めてる?」
「調子乗るからやめる」
ガレスが横から言った。
「助け方も前よりましだ」
レオンはそちらを見る。
「本当ですか」
「自分で背負わなかった」
言われて気づいた。
前回は助けると言えば、自分が運ぶことしか考えていなかった。
今回は人を動かした。
たったそれだけだ。
それでも、少しだけ違う。
「人を救いたいなら、お前が全部やろうとするな」
ガレスが歩きながら言った。
「お前1人でできることなんて大したことない」
「ひどい言い方ですね」
「事実だ。だから周りを使え」
使う、という言葉には少し抵抗があった。
だが意味は分かる。
自分だけでできないなら、誰かに頼ればいい。
城へ戻ると、装備の返却前に血と泥を落とすよう命じられた。レオンは井戸端で剣を洗い、刃こぼれを布で拭った。
「そこ、錆びる」
横からミラが指を差す。
「また先生?」
「放っといたら次の戦闘で折れる」
言われた通り油を薄く塗る。戦うだけでなく、戻ったあとに武器を整えるところまでが生き残るための仕事なのだと分かった。
「今日は前よりましだったな」
ミラが何気なく言う。
「さっきも聞いた」
「2回言ったら本当だと思えるだろ」
「じゃあ、ありがとう」
ミラは答えず、尻尾だけを小さく振った。
レオンはその仕草を見ながら、役立たずと言われ続けた《テイマー》のことを考えた。
誰かを使う。
誰かを従える。
それがテイマーだと思っていた。
だが、もし最初から思い込みが間違っていたのなら、自分は何を見落としてきたのだろう。
答えはまだ出なかった。




