折れた角
ゴルド・ヴァンは、レオンの指示に従わなかった。
訓練場で盾兵と組むよう頼んでも、大斧を肩に担いで立ったままだ。列が動き始めると、長い影がその場に残る。
「ゴルド、そろそろ」
「俺は1人で戦える」
低い声で言われ、レオンは足を止めた。
30歳くらいの鬼人は、身長が207cmもあった。赤銅色の肌には細かな古傷が走り、束ねた黒髪の上には右側の太い黒角が残っている。左の角は根元近くで折れており、そこへ視線を向けると深い琥珀色の目で睨み返された。肩から胸へ伸びる大きな傷跡は、開いた革鎧の隙間から覗いている。
彼の手にある斧は、レオンが両手で持つ剣よりはるかに重い。人間の奴隷兵なら2人でも運ぶのに苦労するだろう。
「1人で強いことは分かってます。でも、誰がどこで戦うか合わせたいんです」
「合わせたければ俺を見ろ」
「そうすると後ろの人が」
「俺の後ろへ出るような馬鹿は、先に死ぬ」
周囲で誰かが息を呑んだ。レオンは言い返しかけたが、ゴルドが正面から戦えばそうなるのだろうとも思う。重い斧を振るたびに、周囲の兵士は迂闊に近づけない。
「どうすれば危なくならないか、一緒に考えてもらえませんか」
「弱い奴の命令を聞く理由がない」
ゴルドはそう言うと背を向けた。
残されたレオンへ、ガレスが近づく。
「気にするな。あいつは最初からああだ」
「気にしますよ。出撃で勝手に動かれたら危ないです」
「なら、なぜお前の指示が必要なのか説明しろ」
「説明しても聞いてくれません」
「相手の話は聞いたのか」
レオンは黙った。ゴルドが何を嫌っているのか、自分はまだ知らない。ただ力があるから傲慢なのだろうと、勝手に決めかけていた。
午後、武器庫の裏でゴルドを見つけた。巨大な斧の刃を砥石へ当て、ゆっくりこすっている。
「話せますか」
「忙しい」
「終わるまで待ちます」
「勝手にしろ」
レオンは木箱へ腰を下ろした。斧を研ぐ音が続く。しばらくしてゴルドが顔を上げた。
「お前は俺を従わせたいのか」
「30人で戦うとき、お互いの動きが分かるようにしたいんです」
「命令を聞かせたいんだろう」
レオンは左腕の《隷属環》を見た。帝国兵が制御具へ触れるたび、身体が勝手に従わされる。自分の技能では誰かを強制できないと分かったとき、ほっとしたことを思い出す。
「命令を聞く理由がないなら、聞かなくてもいいと思います。でも、戦場では誰かが合図を出さないと危険です」
「お前の合図に価値があると、どうして分かる」
「……まだ分かりません」
「正直だな」
「ごまかしても、あなたには通じなさそうです」
ゴルドが低く笑った。研ぐ手を止め、折れた角の付け根を触る。
「俺はガランの生まれだ。雇われて戦い、報酬をもらって生きてきた。帝国とも契約した」
「鬼嶺王国の」
「知っているのか」
「本で読みました。戦王を選ぶ国だと」
「本で読んだ程度なら、知った気になるな」
言葉は厳しかったが、声は先ほどより落ち着いていた。
「昔の雇い主は、捕虜になった奴らを殺せと言った。だが俺の契約に、武器を捨てた者を斬る仕事はなかった」
ゴルドは斧の刃を確かめる。
「捕虜には、命は守ると俺が約束した。だから逃がした。雇い主は俺を契約違反に仕立てて報酬を払わず、兵に捕らえさせた」
レオンの目が折れた左角へ向かった。
「帝国の牢で折られた。あいつらには、鬼人の角は大した意味もない飾りに見えたんだろう」
怒りが胸へ広がった。レオンは自分の目を逸らした。ゴルドにとって角がどれほど大切か、知ったふりはしたくない。
「俺はあなたを裏切らない、とは簡単に言えません」
「言われても信じん」
「そうですよね」
レオンは立ち上がった。
「だけど、誰かを危険にさらす前に教えてほしいんです。あなたが何をできて、何をされたくないのか」
ゴルドはじっと見た後、斧を担いだ。
「なら、見せてやる」
翌朝、訓練場の中央で、レオンは木剣を握っていた。向かいには訓練用の大斧を持ったゴルドが立っている。刃を潰してあるとはいえ、柄が身体へ当たるだけでも痛そうだった。
「本当にやるの?」
ミラが脇から聞いた。
「戦い方を見せてもらうだけだから」
「絶対転がされると思う」
「俺もそんな気がしてきた」
ゴルドが顎を上げた。
「来い」
レオンは左へ回り込んだ。王宮で教わったように、長い武器には懐へ飛び込めばいい。だがゴルドは半歩動いて斧の柄を差し込み、レオンの木剣を押し上げた。
その直後、足を払われる。
背中を打ちつけ、肺から息が抜けた。
「痛っ……」
「遅い」
立ち上がって再び挑む。今度は右へ回るが、柄で胸を押され、また倒れた。繰り返すうちに、相手の速さだけが理由ではないと分かってきた。ゴルドは大斧を大きく振るより先に、足と柄で間合いを支配している。
「もういいだろ」
ガレスが止めたとき、レオンは5回目の転倒から起き上がるところだった。
「ありがとうございます。よく分かりました」
「何が分かった」
ゴルドが尋ねる。
「正面から勝てないことです」
「それは最初から分かってただろ」
ミラが呆れる。
「なら次、あたしがやる」
彼女は木製の短剣を2本受け取り、軽く跳ねてから構えた。
ゴルドは斧を肩へ載せる。
「小娘、怪我をするなよ」
「そっちこそ」
ミラの身体が低く沈んだ。最初の踏み込みで右を狙うと見せ、すぐ左へ抜ける。重い斧が風を切ったが、彼女は大きく跳ねず、半歩ずらして避けた。
次の瞬間、斧の外側から腕へ短剣を当てにいく。
ゴルドは柄を引き、刃を止めた。
「速いな」
「重いくせに器用だね」
「褒め言葉として聞いておこう」
ミラは返事の代わりに踏み込んだ。片方の短剣で柄を押し、もう片方を脇腹へ滑らせる。ほとんど当たりかけたが、ゴルドは腰を捻ってかわした。
レオンは息を呑んだ。ミラの動きは以前から速かった。しかし着地した足が滑らず、次の動作へ入るまでが少しだけ滑らかに見える。《テイマー》の契約が、彼女の技量を邪魔せず支えているのだろうか。
ただ、ゴルドの懐へ深く入りすぎた。
「もらった」
ゴルドの左手がミラの手首を掴んだ。引き込まれて体勢を崩し、背中を押さえられる。
「降参!」
ミラが叫ぶと、周囲から笑い声が上がった。ゴルドはすぐ手を離す。
「以前より強いな」
「次は勝つ」
「楽しみにしておこう」
ミラが悔しそうに頬を膨らませる。レオンは2人の動きを思い返した。
ゴルドは強く、接近されても簡単には崩れない。ただし大斧を大きく振ると、左右の空間を味方が空ける必要がある。ミラは速く、敵の注意を横へずらせるが、掴まれれば巨体には勝てない。
「ガレス、ゴルドの左右へ槍兵を置いて、必要なときだけ下がってもらうのはどうでしょう」
「なぜだ」
「斧を振る場所を残せるし、横から来る敵は槍で止められます。ミラが動く空間も作れます」
ガレスが頷いた。
「試す価値はあるな」
レオンはゴルドへ向き直った。
「一緒にやってもらえませんか」
「お前は俺を前に立たせたいのか」
「はい。でもあなたが疲れたら交代できるようにしたいです」
「ふむ。いいだろう」
思っていたよりあっさり承諾された。
「ただし、俺に合わなければ言うぞ」
「言ってください。分からないまま続ける方が困ります」
「本当に妙な奴だ」
ゴルドは笑った。レオンは嬉しくなり、つい顔が緩んだ。
槍兵たちを呼んで隊列を組み直すと、ゴルドが思いきり斧を振った。隣の盾兵が驚いて身を引き、後列の槍が絡まる。
「止めてください!」
レオンは間隔を広げさせ、ネマが短い木杭を地面へ打って立ち位置を示した。今度は斧が通る。ところがゴルドが後退すると、槍兵の足元が空いてしまった。
「難しいですね」
「戦場で地面に杭は打てんぞ」
ガレスが言う。
「なら、声で知らせます」
「声が聞こえんときは?」
「……合図も決めます」
ミラが手を上げた。
「あたし、横を走るなら斧を振る前に教えてほしい」
「分かった」
ゴルドは短く頷いた。人の動きを合わせるには、誰か1人が強いだけでは足りない。レオンはその当たり前のことを、泥まみれの訓練場でようやく実感した。
夕食時、ゴルドは大きな椀へスープを注ぎ、軍票で買った黒パンを並べていた。その量にレオンが驚くと、ミラが笑う。
「鬼人は体が大きいからな。あたしと同じ量ならすぐ腹減るよ」
「配給は足りてます?」
「足りん。だが施しはいらんぞ」
自分のパンを差し出しかけていたレオンは手を止めた。
「まだ何も言ってません」
「顔に書いてある」
ゴルドは低く笑い、パンをちぎる。
「まともな肉が手に入ったら一緒に食え。それならいい」
「ぜひ」
「ずるい、あたしも」
ミラが口を挟み、ゴルドは「お前は俺に負けた」と返した。「肉と模擬戦は関係ないだろ」と抗議するミラを見ながら、レオンも笑った。
同じ食卓へ座れるようになったからといって、ゴルドが命を預けてくれるとは限らない。それでも明日の訓練で何を話せばいいか、昨日より少し分かるようになっていた。
食事のあと、レオンはゴルドのもとへ行った。
「もう1つ聞いてもいいですか。《鬼神》はどのくらい続くんです?」
ゴルドは面倒そうに手を振った。
「長くは使えん。あとは戦えば分かる」
「使い終わった後は?」
「疲れる。見れば分かる」
それ以上は話してくれなかった。レオンは、あれほど強いなら多少の疲れは問題ないだろうと考え、そこで聞くのをやめた。気になったことを残したまま眠りにつくのは落ち着かなかったが、明日の訓練で確かめればいいと思った。




