契約しますか
信頼度47という数字が見えてから3日、レオンは何も試さなかった。
正確には、試すことをやめた。
最初の夜は気になって眠れなかった。ミラへ食べ物を渡したら数字は上がるのか、訓練を手伝えば変わるのか、何か褒めれば上がるのか。考え始めると、自分の行動すべてが数字を操作するためのものに見えて嫌になった。
だから普段通りにした。
朝はガレスと走る。
剣術で打ち倒される。
治療所でリーネに薬草を間違えるなと叱られる。
ミラとは洗濯場で口喧嘩をする。
数字は意識して見ようとしない限り現れなかった。
それがありがたかった。
「今日はお前が決めろ」
出撃前、ガレスが突然言った。
「何を?」
「道順と隊形」
レオンは耳を疑った。
任務は南東の岩場に出た灰牙犬の討伐で、参加する奴隷兵は12人だった。
「俺が?」
「俺は横で見てる」
「正気ですか」
「お前よりはな」
「失敗したら」
「俺が止める」
簡単に言う。
レオンは地図を見た。
近道の谷沿いは視界が悪い。レオンは遠回りでも周囲を見渡せる高台を選んだ。
「前に敵の数を間違えられて死にかけましたから」
理由を聞いたガレスは短く頷いた。
12人を前衛、中央、後衛に分ける。ミラは前方偵察。
レオン自身は中央に入った。
高台へ着くと、ミラが戻ってきた。
「灰牙犬7。岩陰にもう少しいるかも」
「正規兵の報告は5だよね」
「信用する?」
「しない」
ミラが笑った。
少しして全体を確認し、実際には9匹いると分かった。
谷から入っていたら左右から挟まれていたかもしれない。
レオンはガレスを見る。
「どうします?」
「今日はお前が決める」
責任を返され、胃が重くなる。
正面から戦えば勝てる数ではある。
だが負傷者は出る。
岩場の北側には細い裂け目がある。ミラなら抜けられるが、人間が走るには狭い。
「ミラ」
「何?」
「北側から回って、石を落とせる?」
「どの石」
高台の縁にある不安定な岩を示す。
「全部は無理。でも2つくらいなら」
「音を出して、北へ注意を向けたい」
「囮?」
「嫌ならやめる」
「それくらいならできる」
ミラが動く。
レオンは残りの者へ説明した。
音で魔物を北側へ寄せ、南側の開けた場所へ誘導して順番に倒す。
うまくいけば囲まれない。
「失敗したら?」
奴隷兵の1人が聞く。
レオンが答えに詰まると、ガレスが横から言った。
「撤退する。それでいい」
単純な答えだった。
レオンは頷いた。
作戦は途中まではうまくいった。
岩の音で灰牙犬が動き、開けた場所へ3匹ずつ現れた。
盾で受け、槍で止め、レオンたちが横から斬る。
4匹目を倒したところで異変が起きた。
岩陰に隠れていた別の群れがいた。
5匹。
想定より多い。
「下がれ!」
レオンが叫ぶ。
隊列が崩れかける。
そのとき後方から帝国正規兵が1人走ってきた。
「そのまま押せ! 逃げるな!」
監督役の兵士だった。
「数が違います!」
「奴隷兵が5匹増えた程度で騒ぐな!」
「狭い場所じゃ囲まれます!」
「命令だ。1人残して囮にしろ。その間に残りで回り込め!」
一瞬、言葉の意味が分からなかった。
「誰を?」
「脚の遅い奴でいい!」
正規兵が当然のことのように言う。
近くにいた年配の奴隷兵が顔を強張らせた。
レオンの腹の底が冷えた。
軍事的には成立するのかもしれない。
1人を置けば、残り11人が安全に動ける。
農地で自分は1人を置き、22人を救った。
同じではないのか。
違う。
何が違う。
考える。
あのときは選択肢がなかった。
今はある。
「南へ下がります」
レオンが言った。
正規兵が睨む。
「命令を聞いてなかったのか」
「聞きました。でも南側なら幅があります。全員で下がれば隊列を組み直せる」
「時間がかかる」
「死ぬよりいい」
「奴隷が口答えするな」
男が腰の制御具へ手を伸ばした。
左腕の隷属環が熱くなった。
次の瞬間、鋭い痛みが腕から肩へ走る。
「っ!」
膝が落ちる。
「レオン!」
ミラが戻ってきた。
「命令に従え」
正規兵が言う。
痛みで息が詰まる。
レオンは自分の左腕を掴んだ。
怖い。
逆らえばもっと痛くされる。
それでも、ここで誰かを選んで置いていけば、農地で死んだ男とは違う意味になる。
助ける方法があるのに、楽だから捨てることになる。
「全員、南へ!」
声を絞り出した。
正規兵の顔が歪む。
「お前」
「ガレス!」
「聞こえてる! 盾を後ろへ回せ!」
ガレスが迷わず動いた。
他の奴隷兵も従う。
ミラがレオンの腕を掴んだ。
「立てる?」
「立つ」
「強情」
「知ってる」
南へ撤退する。
灰牙犬が追ってくる。
開けた場所へ出たところで隊列を組み直し、盾を前へ、槍を後ろへ置く。
「左2!」
ミラの声。
「槍、左!」
レオンも叫ぶ。
魔物が盾へぶつかる。
横から槍が入る。
1匹ずつ止める。
ガレスの剣が正確に首を裂く。
レオンも目の前の1匹へ剣を振った。
怖い。
それでも足は動く。
最後の灰牙犬が倒れるまで、誰も置いていかなかった。
負傷者は3人。
死者はいない。
戦闘が終わると、正規兵がレオンの胸倉を掴んだ。
「帰ったら懲罰だ」
「分かりました」
「分かってないだろ」
「1人置いていくよりは分かっています」
また痛覚刺激を入れられるかと思ったが、ガレスが間へ入った。
「任務は達成した。死者もなしだ。報告するなら好きにしろ」
「元中佐風情が」
「元だから気楽なもんだ」
2人が睨み合う。
正規兵は舌打ちして離れた。
帰り道、レオンは隷属環の痛みが残る腕を押さえていた。
「1人残せば楽だった」
ミラが言った。
「うん」
「前は1人置いてきたのに」
胸に刺さった。
「農地のときは、あの人を運べば他の人を助けられなかった。今日は全員で逃げる道があった。助けられないのと、助けられるのに捨てるのは違うと思った」
「そのせいで全員死んだかも」
「怖かったよ」
「それでもやったんだ」
ミラの声が少し変わった。
レオンは答えず歩いた。
しばらくして、彼女が言った。
「王子様」
「元だよ」
「知ってる」
「じゃあ何」
ミラが前を向いたまま言う。
「……あんたになら、背中預けてもいいかも」
レオンは足を止めた。
視界に光が浮かぶ。
今度はすぐに文字になった。
《対象:ミラ・ファング》
《種族:狼獣人》
《年齢:18》
《信頼度:51》
その下に、新しい文字が現れる。
《契約条件を満たしました》
《契約を申請できます》
心臓が強く鳴った。
50。
条件。
契約。
《テイマー》が、ミラを対象としている。
「ミラ」
「何」
「話がある」
「嫌な言い方」
要塞へ戻ったあと、処罰は腕への痛覚刺激と3日間の雑役追加で済んだ。死者を出さず任務を達成したため、正規兵側も大きく追及しにくかったらしい。
夕方、レオンはミラを兵舎裏へ呼んだ。
ガレスにも相談しようか迷ったが、まず本人へ話すべきだと思った。
「俺の《テイマー》が反応した」
ミラの耳が動く。
「何に?」
「君に」
沈黙。
「……は?」
「俺にも分からない」
「待て。あたし魔物じゃないぞ」
「知ってる」
「狼獣人」
「知ってる」
「それでテイマー?」
「だから俺にも分からない」
ミラの目が険しくなった。
「どういう効果」
「契約できるって出てる」
「使役?」
「表示にはない」
「命令を聞かされる?」
「分からない。でも、本人の同意が必要みたいだ」
「断ったら?」
「何もしない」
「本当に?」
「本当に」
レオンは表示されている内容をそのまま説明した。信頼度が50を超えたこと、本人の同意がなければ契約できず、強制する表示もないことまで隠さず話した。
ミラは腕を組んだ。
「気持ち悪いな」
「俺もそう思う」
「人の信頼が数字で見えるんだろ?」
「見ようとすれば」
「最悪」
「うん」
「否定しろよ」
「俺も最悪だと思ってるから」
ミラが少し吹き出した。
それから真顔になる。
「契約したい?」
問われて、レオンは考えた。
技能を使ってみたい。
15歳から役立たずと言われ続けた《テイマー》が初めて反応した。
何が起こるのか知りたい。
でも、それ以上に。
「君が嫌ならしたくない」
そう答えた。
「何で」
レオンは左腕の隷属環を見せた。
「自分が強制されるのが嫌なのに、技能だからって君に同じことしたくない」
ミラはしばらくレオンを見ていた。
「じゃあ、やる」
「いいの?」
「嫌になったらやめられる?」
レオンが意識すると、表示が変わる。
《契約は双方の意思により解除可能》
「やめられるみたい」
「なら試す」
「怖くない?」
「あんたが1番怖がってるだろ」
否定できなかった。
レオンは意識を集中した。
《契約を申請しますか》
心の中で肯定する。
ミラの前にも何かが見えたらしい。琥珀色の瞳がわずかに見開かれる。
「これか」
「見える?」
「契約を受諾するかって」
「嫌なら」
「しつこい」
ミラが手を伸ばした。
「やるって言っただろ」
彼女が受諾した。
淡い光が2人の間を走り、胸の奥がわずかに温かくなった。隷属環のように何かへ縛られる感覚はない。
ミラが自分の手を開閉する。
「何か変」
「痛い?」
「違う。軽い」
彼女は数歩走り、地面を蹴った。
跳躍はわずかだが以前より高く、着地した本人がいち早く違いに気づいた。
「何これ」
レオンの視界に表示が浮かぶ。
《契約成立》
《信頼度:51》
《契約者基礎能力上昇》
それだけだった。
レオン自身の身体には何も起こらない。
「少し強くなってる」
ミラが湾曲刀を抜き、軽く振る。
「前より動きやすい」
「俺は何もしてない」
「してるだろ。契約した」
「でも、俺が君を使えるわけじゃない」
ミラが刀を収めた。
「これ、テイマーっていうより」
彼女がレオンを見る。
「あんたが、あたしを強くしてるだけじゃない?」
その言葉に、昔の記憶が蘇った。
『私は、お兄様が誰かを従えているところなんて想像できません』
セレスティアが笑っていた。
レオンは自分の左腕を見る。
黒い《隷属環》がある。
自分は誰かに従わされている。
けれど、自分の《テイマー》にはミラを従わせる力がない。
むしろ信頼されなければ始まりすらしない。
「変な技能」
レオンが呟く。
ミラが笑う。
「持ち主に似たんじゃない?」
「それ褒めてる?」
「さあ」
夕方の鐘が鳴った。
レオンは15歳の日以来、初めて自分の天賦技能を嫌いではないと思った。
役立たずではなかったからではない。
誰かを無理やり従わせる力ではなかったことが、少しだけ嬉しかった。




