286話 姫松の再演
視界が白く染まり、やがて周囲の景色が浮かび上がってきた。
周囲には竹藪が広がり、山道が緩やかに続いている。
「戸上山の麓か」
周囲を見渡せば、姫松に化けた香苗と、おとんに化けた伊代が立っている。
以前と比べると、亀太郎と藤内が居ない。
そして場所も、竹藪ではなく細道だった。
「ここは、大名行列が歩いていた場所だよ。今回は、あたしが出すから、ここに居るの」
姫松の姿をした香苗は、まるで姫松が乗り移っているかのように、人懐っこい笑顔で話した。
「妖狸達は、前に隠れていた場所に居るよ」
「それを総泉寺の老狸どもに、見せつけるわけだな」
「そうそう、説明無しで連れて来たし、絵馬の中では霊体じゃなくて、身体も戻っている。おとんの幻術に掛けられたと、思うかもね」
一樹と香苗は、おとんに化けた伊代を見た。
おとんは、滝にやって来た長兵衛に対して、長い幻術を掛けた。
従兄妹と子供に化け、叔父の家を訪問して、正体を暴こうとした長兵衛に熱湯を掛けさせた。
だが赤子は人の子のままで、叔父が長兵衛を殺そうとしたところに僧を通らせる。
僧が諭して、長兵衛に出家を決意させ、剃髪したところで幻術を解いたのだ。
この場に居合わせる伊代は、おとんのようにクスクスと、小さく笑って見せた。
その様子を見ながら、香苗が力説する。
「あのとき、おとんも居たでしょう。しかも斬られて、すぐに狐火で焼かれて、復活したばかり。同じ場所で身体が戻っていたら、これまで幻術を掛けられていたと思わない?」
「絵馬に引き込まれたと知らなければ、幻術だと思うかもしれないな。」
人は理解不能な事態に陥ったとき、自分の持っている知識で状況を把握しようとする。
老狸が幻術だったと思い込む可能性は、皆無ではないだろう。
「あの時に戻ったと思い込んだほうが、きっと騙し易いよね」
「それは確かに」
「それじゃあ準備が出来たら出発するから、2人は行列の最後に付いてきて」
「あい分かった。姫松に任せるとしよう」
一樹が応じると、香苗は手元に、黄の狐火を浮かび上がらせた。
それが一つ、また一つと増えていき、やがて蛍火のように、山道を漂い始めた。
風が吹くたびに、狐火が揺らめいて、幻想的な光を放つ。
「香苗、感覚を覚えておいて。あたしは小さい頃から、何でも出来た。見た術は、模倣も改良も、思いのままだった。だから、あたしを継承した香苗も、出来るよ」
香苗が化けた姫松の口から、香苗に対する言葉が紡がれる。
同時に黄色だった狐火が、五行の五色に輝き始めた。
木行の青、火行の赤、金行の白、水行の黒、土行の黄。
それらが円で結ばれて、循環を始める。
「五行相生図を作っているのか」
「これは基礎。あたしが使うのは、土行」
五つの光は形を変え、土行を中心として、残りが東西南北に分かれた。
それは戦国時代の土王説で、土行を核として、中心に脾・胃を配当するものだ。
また北西の水行と金行、南東の火行と木行が結ばれて、狐火に陰陽を持たせた。
身体と陰陽を持った狐火が、人の形を成し、細部が作り込まれていく。
「狐火をそのまま変化させるんじゃなくて、紙や人形のような形代にしてから、化けさせるのか」
「そうそう。土行を核にして、そこから繋げるの。練達すれば、地脈の力も使えるよ」
狐火から生まれた人型に、顔が浮かび上がった。
身体には、着物が浮かび上がって皺が刻まれ、草鞋の紐が結ばれる。
腰には刀を差して、手には長い槍を持って、背筋は真っ直ぐに伸びる。黒い陣笠を被り、紺地の羽織を纏い、精緻な槍持ちが生み出された。
ほぼ同時に、槍を持った8人の男達が現れる。
「あなた達は、槍組ね」
並んだ男達は、顔立ちから年齢まで、全員が異なっていた。
若く精悍な男は、堂々と背筋を伸ばして槍を立てている。
壮年の柔和そうな男は、微笑みながら槍を担いでいた。
槍持ち達は、それぞれが自然な姿勢で立っており、微かに体重を片足に掛けていたり、槍を肩に担ぐ角度が違っていたりする。
生きている人間が持つ、細やかな個性まで再現されていた。
「打ち出の小槌も使おうか。あたしは術でも出来るけど、こっちのほうが楽だし」
香苗が手を振ると、打ち出の小槌が現れた。
その持ち手を握った香苗が、虚空で小槌を振る。
『変化』
小槌が淡く輝くと、槍持ち達の装備が変化した。
槍が伸び縮みし、木肌が滑らかになり、小さな傷が刻まれる。
刀のほうも、鞘の蒔絵の模様が異なり、柄糸の巻き方にも差が生じた。
陣笠の形も、縁の反り具合や笠の深さが、一人一人異なっている。
「そこまでやるのか」
一樹は、感心に呆れを混ぜた声を上げた。
細かい傷や、刀の柄糸など、一体誰が見るだろう。
すると姫松の顔をした香苗が、一樹を質した。
「料理、舞台、大工、陰陽師。どんな仕事でも、拘りが無い人の技って、底が浅いよね?」
「おう、悪かったな。続けてくれ」
拘るにしても、
一樹が降参すると、香苗が術を再開した。
「次は、小槌を呪力に溶け込ませたまま、手を振るだけでやってみようね」
小槌を消した香苗の右手が、サッと振られる。
すると新たな炎が浮かび上がり、弓を持った4人の男達に化けた。
弓組も、やはり全員が別人だった。
背負った箙の大きさや年季、擦れた跡、さらに矢の本数や矢羽根の色までも異なっている。
立て続けに手が振られて、今度は火縄銃を抱えた5人の男達が、続々と姿を現す。
男達の容姿や年齢はバラバラで、火縄銃の装飾や細かな傷、手入れの具合も異なっていた。
「次は、犬だよ。細かい姿ではなく、知っている犬を思い浮かべながら、それを狐火に籠めるの。その犬は、どんな動きをするかな」
そう言いながら手が振られると、今度は3人の犬追者が現れた。
その足元には、7頭の犬が、尾を振りながら主人の傍に寄り添っている。
犬達の毛色、毛並み、大きさは、それぞれ異なっている。
時折鼻を鳴らしたり、耳を動かしたりして、完全に犬の動きをしていた。
「まるで本物の犬だな」
「うん。籠めた呪力が尽きるか、核を消すまで勝手に動くよ。慣れてきたら、こんな感じ」
今度の香苗は、手を振らなかった。
香苗の視線の先に、一瞬だけ狐火が生まれる。
そこから仕掛け網を担いだ網持ち4人が、一瞬で現れた。
網持ち達が所持する網は、それぞれ異なっている。
新しく編まれた網は、縄が白く、編み目が整っていた。
古い網は、縄が灰色に変色し、所々に綻びがあった。
担ぎ方も、慣れた者と、やや重そうにしている者と、違いがあった。
「まるで召喚術だな」
「まだまだ。もっと早くやってみようか」
今後は、狐火すら見えなかった。
網持ちの後ろに、いきなり5人の荷運びが現れた。
大きな荷物を背負った男は、やや前傾姿勢をしている。
小さな荷物を背負った男は、背筋を伸ばして立っていた。
荷物を縛る縄の結び方も、一人一人違っている。
「今は、どうやったんだ」
「あはは、どうやったんだろうね。ねえ、後ろを見てみて」
一樹が道の後ろを振り返ると、そこには3頭の馬が並んでいた。
毛並みの色は、栗毛、黒毛、芦毛とすべて異なっている。
馬の背に積まれた荷物も、それぞれ異なっていた。
「ねえ、ほら、今度は前を見て」
振り返った一樹の前に、馬に跨がった侍が現れていた。
立派な陣笠を被り、腰に刀を差している。
その刀は、見事な拵えで、鞘の蒔絵が美しく輝いていた。
そして香苗が化けた姫松の姿は、どこにも居ない。
一樹が周囲を見渡すと、馬上の殿が、姫松の声で話し掛けてきた。
「こっちだよ。もう馬に乗っているよ」
「はあっ。姫松自身が、殿に化けたのか?」
殿を見上げた一樹が、呆気に取られた声を漏らした。
「姫松。お前、ここまで変化が上手かったのか」
「二尾のあなたが驚くなら、総泉寺の老狸も化かせそうだね」
「そうかもしれん。しかし驚いた」
狐狸の戦いで姫松が落命していなければ、どうなっていただろうか。
いずれ三尾となり、豊川りんの後継者になっていたかもしれない。
彼女の才能を惜しんだ一樹は、だから香苗に魂を継承させて、後に繋いだのかと納得した。
「それじゃあ、行きましょうか。2人は、荷物持ちに化けてね」
自分の呪力で生み出した狐火ではないからか、香苗は打ち出の小槌を出した。
それを振りながら念じると、一樹と伊代の格好が、荷物持ちへと変わる。
「ごほん、皆の者、出立せよ」
口調を改めた馬上の香苗は、かつて大名行列で聞いた殿の声で、号令を発した。
すると整然とした30人の隊列が、山道を進み始めた。
槍組が続く。槍を肩に担ぎ、足並みを揃えて歩いていく。
弓組、鉄砲組、犬追者と犬達、網持ち、荷運び。
全員が自然に振る舞ってで、大名行列を成した。
「どうせなら、路傍で平伏する農夫も出したいのう」
馬上の香苗が、殿らしい口調で宣った。
「ここは狩人くらいしか通らない山道だけどな」
「それが問題じゃ。街道であれば、出すのじゃが」
行列が進むと、やがて道の両脇に、竹林が広がり始めた。
竹の葉が風に揺れて、さらさらと涼やかな音を立てている。
口を結んだまま、気を引き締めた視界の先で、竹林が動いた。
「お待ちください!」
竹林から現れた老狸が、大名行列を呼び止めた。
すると槍組が立ちはだかり、一斉に矛先を向けた。




























