285話 総泉寺の老狸
打ち出の小槌を回収した翌々日。
一樹と香苗は、依頼人である伊代と共に、鳥取県米子市に向かった。
翌日に向かえなかったのは、打出小槌町で後始末があったからだ。
「打出小槌町の地下は、規模が大きすぎたな」
「町内が、丸ごと入る規模でしたからね」
地上に戻った後、芦屋市立図書館打出分室では、騒ぎが起きた。
多目的トイレの床が崩れ落ちた音は、床が遥か下まで落ちたために、聞こえなかったらしい。
だが千幸を使って舞い上がり、妖糸で塞いでいたドアを開けた後が、大変だった。
廊下で待ち構えていた市の職員が、中を覗き込む。するとトイレが消えており、代わりに大穴が開いていたのだ。
『これは一体どういう事でしょうか!?』
『我々は陰陽師です。兵庫県支部の依頼で、鬼の探索をしていた最中、ここで足場が崩れました』
一応、嘘は言っていない。
兵庫県支部から一樹と香苗への依頼は行われており、それを出した大元は良房だ。
依頼の名目は、打ち出の小槌ではなく、鬼の探索ということになっている。
そして地下には、実際に鬼が出た。
足場が崩れたのも、事実である。
『どれくらいの深さだったのですか?』
『打出小槌町には、打ち出の小槌の伝承があります。『静かな夜中に地面に耳を付けると、地下の遠くからは、宴会の音が聞こえた』という伝承に見合う、大規模な穴でした』
一樹が伝承を話すと、大騒ぎであった。
もっとも、飛べる妖怪を使役していない一般人では、そこから地下には降りられない。
なにしろ地下空間は、高さがビルの30階、100メートルほどはあったのだ。
集まった芦屋市の職員も、懐中電灯で地下を照らすしかなかった。
その間に、兵庫県支部へ丸投げという名の引き継ぎを行って、ようやく解放された次第である。
「あの地下、どうするのでしょうね」
「東京の地下には、川が氾濫しそうになると水を蓄える、神田川・環状七号線地下調節池がある。芦屋市も、タダで調整池を手に入れたと思えば、良いんじゃないか」
一樹は思い付きで、適当なことを口走った。
神田川・環状七号線地下調節池は、最大約54万立方メートル(プール約540杯分)の水を貯留できる。
そして打出小槌町の地下は、高さ100メートルの場合、環状七号線地下調節池の20倍近くの水を貯留できる。
「駄目なら、災害用の備蓄倉庫にでもするとか」
「何をするにしても規模が大きすぎて、扱いには困りそうですね」
それを丸投げして、2人は米子市の総泉寺に赴いた。
その裏山は、かつて藤内狐と争った妖狸が、手下と共に暮らしていた場所である。
「本題に戻るけど、総泉寺自体は、妖狸とは関係ないんじゃないか」
「関係があったとしても、大名行列を襲いましたから、無関係にされたのかもしれませんね」
一樹の疑問に対して、伊代が楽しそうに答えた。
父親が行った騙し討ちについて、まったく悪びれていないどころか、誇っている。
妖狐に対して、妖狸と仲良くするように言ったところで、無駄だろう。
真言宗の開祖・弘法大師(空海)も説法を諦めて、『鉄の大橋が架かるまで戻ってくるな』と、物理的に分けたほどだ。
弘法大師の判断こそが最適解だったのだと、今更ながらに悟った一樹であった。
「香苗、頼む」
「分かりました」
香苗が小槌を振ると、一樹と香苗の衣服が変わった。
一樹は、紺色に染めた木綿の着物で、足首には脚絆を巻き、草鞋を履いている。
香苗は、淡紅色の小袖を着ており、帯は深い朱。
次いで狐火が浮かび上がり、一樹は小山の小狐、香苗は小出の姫松へと、顔つきが変わった。
「あーあ、わしは余戸小山の狐、囃子なけらにゃ小山に帰る」
「あたしは姫松です」
「……香苗、ちゃんと化けろ」
一樹がツッコミを入れると、香苗は渋々と態度を改めた。
「あたしは姫松。まったく総泉寺の狸ってば、藤内の娘に化けて出るなんて困るよね。文句があるなら、あたし達に言いなさい」
「おう、良いじゃないか。それなら行くとするか」
小狐と姫松に化けた一樹と香苗は、伊代を連れて、総泉寺の裏山へと踏み入った。
裏山の木々が、夏の日差しを遮っている。
潮風が吹き抜けて、頭上の葉を揺らした。
小山の小狐に化けた一樹は勿論のこと、妖狐である香苗と伊代の足取りも軽い。
少し歩くと、やや開けた場所に出た。
木の根元に、朽ちた祠の残骸が散らばっていた。
『懐かしい顔触れだ』
低い声が、静寂を破って響いた。
木の根元から、立派な腹をした老狸の霊が浮かび上がる。
その周囲には、次々と手下の妖狸達の霊も現れていく。
彼らは皆、厳つい顔つきで一樹達を見据えていた。
「おぬしらと会うのは、何百年振りかのう」
老狸が、じっと二人を見据えた。
その視線には、積年の恨みが混ざっている。
小山の小狐に化けている一樹は、堂々と言い返した。
「おう、総泉寺の。随分と懐かしいな」
一樹が軽く腰元に手を置くと、老狸は鋭い眼光で凝視した
それから、すぐに視線を戻す。
『藤内はどうした』
老狸の問いに、香苗が姫松として、片手を腰に当てながら答えた。
「藤内だったら、もう鬼籍だね」
そのこと自体は知っているのだろう。
老狸は驚かず、僅かに頷いてみせる。
「両足院の和尚に八変化の玉があるって騙されて、七変化の玉に宝まで付けて交換したんだけど」
『ふむ』
「交換した途端に宝物を壊されちゃった」
香苗が、握っていた右手を開いて、玉が割れたような仕草をした。
すると老狸は、思わず半身を乗り出した。
『あれほどの宝を失うとは、なんと愚かな』
老狸は馬鹿にするのを通り越して、心底呆れた表情を浮かべた。
藤内が所持していたのは、七福神に化けられる先祖伝来の宝物だ。
他所では聞いたことも無い品で、二度と手に入らないだろう。
「実力不足で長になったから、焦ったんだと思うよ」
『一尾であったからな』
「そうそう。それで変化が下手になって、化かそうとした馬子から焼き鍬を尻に押し当てられて、慌てて法勝寺川で尻を冷やしたんだって。その火傷の後、予後が悪かったみたい」
香苗が語り終えると、一瞬の沈黙が訪れた。
潮風で木の葉が揺れて、ざわざわと音を立てる。
次の瞬間、老狸が腹を抱えて笑い出した。
「がはははは!」
老狸の大きな笑い声が、周囲に響き渡った。
手下の妖狸達も、愉快そうに笑い転げる。
『まさか焼き鍬で、ふぐりでも焼かれたのか』
『それは、つらかろうなぁ。うわはははっ』
怨霊達の笑い声が伝播して、木の葉が揺れた。
親を馬鹿にされてムッとする伊代の前で、しばらく妖狸達の霊は笑い続けた。
しばらく笑い声が続いた後、老狸が口を開いた。
『それで、何をしに来たのだ』
老狸の声には、警戒の色が滲んでいた。
香苗は姫松として、堂々と応じた。
「藤内は、七変化の玉を失って、鬼籍に入ったでしょう。だからといって、大名行列の時には生まれてすらいなかった一尾の子供に化けろと言っても仕方がないわよね」
『だが、わしらは納得していない』
「だから代わりに、あたしが再演してあげる」
香苗が、自信に満ちた表情で言い放った。
「妖狐が、大名行列を見せるという話でしょう。藤内は居ないから、代わりに化かしてあげるよ。今度は、ちゃんとした立派な行列をね」
老狸が、値踏みするように香苗を見つめた。
手下の妖狸達も、固唾を呑んで見守っている。
『おぬしがやるというのか。変化が上手いなど、聞いたことが無いが』
「あたしは、騙すのが好きじゃないだけで、どんな術でも得意だよ」
姫松は自信満々の笑みを浮かべながら、手元に狐火を生み出した。
同時に一樹が、懐から絵馬を出す。
「それじゃあ、始めようか。『あたしの舞台へようこそ』」
香苗の声が響くと同時に、絵馬が強烈な光を発した。
その光を浴びたすべての狐狸が、絵馬に引き込まれていった。




























