287話 立派な化け狐【本日第8巻発売】
大名行列が竹林の前を通り過ぎようとしたとき、竹藪の中から妖狸達が現れた。
先頭に立つのは、総泉寺の老狸。
その背後には、個分の妖狸達が続いている。
「何用じゃ」
殿が低く、威厳のある声で問うた。
老狸は、恐縮した風に頭を下げた。
「お殿様、お通りのところ、誠に恐れ入ります」
「申してみよ」
殿が促すと、老狸は慎重に言葉を選びながら語り始めた。
「実は妖狐が、大名行列に化けると申して、ここに我々を呼び出しました」
「何だと」
殿は驚いたような様子で声を上げた。
すると供回りの者達も、緊張した面持ちで妖狸達を見据えた。
老狸は、さらに続ける。
「そこで我々に無礼を働かせ、殿様と我らとの仲を、険悪にしようと企んでおります」
「それは誠であるか?」
殿が厳しい声で問うと、老狸は重々しく頷いた。
「誠にございます。妖狐の奸計に、どうかお気を付けください」
かつて藤内は、実際の大名行列をもって妖狸達を騙した。
幻術が解けたと思い込んだ老狸は、見事な大名行列を見て、妖狐の罠を疑ったらしい。
そのため大名行列に罠を訴え出て、まずは人間を味方に付けるべく動いたようだった。
数十人の大名行列など、妖狸の敵ではない。
だが陰陽寮に所属する陰陽師達は、妖怪と戦える。
老狸の言葉に続いて、手下の狸達も、口々に訴えた。
「我々は、殿様に弓引く気など、毛頭ございません」
「妖狐の悪辣な奸計に、ご用心下さいませ!」
はたして殿は、腕を組んで、黙り込んだ。
供回りも静かに立ち並び、妖狸達は固唾を呑んで見守っている。
やがて殿が、ゆっくりと口を開いた。
「妖狐が化けると言った大名行列は、このように狐火を供回りに変化させたりするのか」
そう言いながら、殿が手を掲げた。
すると供回りの中から、数名の姿が変わり始めた。
挟箱を担いでいた者が、黄色の狐火に変わっていく。
次に槍持ちの一人が同じように狐火に戻り、弓持ちも、次々と狐火の姿に戻っていった。
「なっ」
老狸が驚愕の声を上げた。
付き従う手下の狸も、目を見開いて、行列を見つめている。
狐火はゆらゆらと揺れながら宙を漂い、黄色の光が竹林を照らし出した。
「きっ、狐火」
「化かされたっ?」
手下の狸が、震える声で呟く。
「あははっ」
慌てふためく狸を見下ろしながら、殿が高い笑い声を上げた。
その尻からは、二尾の尻尾がゆっくりと現れる。
狐色の毛並みが、陽光を受けて輝いた。
「これは流石に、騙されたと認めるわよね」
殿から姫松の姿に戻った香苗が、サッと手を振った。
すると30人と犬7匹、馬3頭が、すべて狐火に戻った。
一樹と伊代も、荷運びから二尾へと姿が戻る。
三狐の周囲には、40もの狐火が揺らめき、辺りを幻想的に照らし出した。
青ざめる妖狸達を前に、香苗が楽しそうに笑った。
「さあ、せっかくだから遊びましょう」
香苗が両手を打ち鳴らす。
すると狐火が、宙を漂っていた黄色の光が、一瞬にして姿を変えた。
能管、篠笛、小鼓、大鼓、太鼓、さらに琴や三味線まで。
それらを携えた囃子方が、ズラリと勢揃いする。
「うぬぅ」
囃子方の見事な出で立ちに、古狸が呻き声を上げた。
太棹を持つ者は、黒羽二重の着物に白い半襟を合わせ、格式高い雰囲気を漂わせている。
中棹を持つ者は、茶色の縞模様の着物で、帯には粋な結び方が施されていた。
細棹を持つ者は、紺地に細かい格子柄の着物を纏い、袖を少し捲り上げている。
笛方と鼓方は、能楽師のような白い小袖の上に、肩衣と袴を着けている。
太鼓方は、紺の着物に黒い帯を締め、袖を襷で絡げている。
琴方は、深い藍色の紋付を着ており、袴は濃紺に染められている。
まるで、宮中の御神楽に召された楽人のようだった。
――雪菜達が、混ざっているな。
現れた囃子方に、香苗の式神が混ざっていた。
雪菜は笛方、菜々花は中棹を手にした三味線方、琴里は琴方に加わっている。
装いも普段通りで、囃子方の中でも別格として、一番前にいる。
「みんな、準備は良いかな」
姫松の姿をした香苗が声を掛けると、囃子方が準備を始めた。
雪菜を筆頭とした笛方が、唇を楽器に当てる。
菜々花を筆頭とした三味線方(太棹、中棹、細棹)は、撥の角度を確かめた。
琴里を筆頭とした琴方は、右手の指に嵌めた爪を絃に向かわせる。
最初に音を奏でたのは、琴里だった。
爪弾かれた絃が震え、透き通った音色が、竹林に響き渡った。
高音は、水晶が砕ける音のように澄み渡る。
低音は、深い森の奥から響くように重厚だ。
喜び、哀しみ、憧憬、諦念。人の心が持つあらゆる色彩が、琴の音色に溶け込んでいた。
「……馬鹿な」
琴里の演奏を目の当たりにした老狸が、震える声で呻いた。
演奏には、魂が籠められている。
そんなものを狐火で生み出せるわけがないのだ。
そんな常識を打ち砕いて、琴里の前奏が続く。
高音の旋律は、春の小川のせせらぎを思わせる。
低音の和音は、大地の深い呼吸のように響いた。
「それじゃあ、始めようか」
香苗が声を掛けると、菜々花の三味線が、軽やかに跳ねた。
強く弾けば激しく発し、優しく触れれば囁くように、音色が響き渡る。
まるで戯れるように混ざった中棹が、琴の音色と混ざり合っていった。
二人の演奏に混ざるように、後方の琴方と三味線方が演奏に加わった。
主旋律を演奏する本手の琴里に対して、新たに加わった琴方は、旋律を補完したり、対旋律を演奏したりする替手だ。
三味線方は、それぞれが独立しながらも、見事に調和する。
そして雪菜が、能管(横笛)の鋭い音色を入れた。
能管特有のヒシギと呼ばれる、鋭く高い音が、場の空気を一変させる。
雪菜の指が、孔を押さえる位置を微妙に変えながら、音程を揺らしていく。
それは鳥の囁きにも、吹雪の咆哮にも似て、聴いている妖狸の心を鷲掴みにした。
――お前らには、勝てないよ。
香苗と式神達が演奏していた歳月は、少なくとも200年以上。
それ以前に琴里は、琴を奏でて八百数十年の妖怪だった。
菜々花のほうも、歌を歌って三百数十年。
香苗も琴引浜の鬼女に師事し、小白からは弁才天の御利益を受けている。
すでに妖狸達は、完全に演奏に魅入られていた。
鼓が、静かに加わった。
ポンと皮を打つ音は控えめだが、その間合いが絶妙だった。
音楽の呼吸を作り、流れを導く。
それに大鼓が応じて、ドンという張りのある音が、小鼓と絡み合った。
深く、重く、腹に響く音が、妖狸達の身体を震わせた。
「あたしも弾いて良いかな。弾いちゃおっと」
香苗の手元に、琴が現れた。
その弦を爪弾き、さらに揺り手と呼ばれる技法で、音を震わせた。
木行の世界で紡いだ喜びが、そして悲しみが、感情の波となって溢れ出してくる。
それに雪菜達が追随して、音の世界で妖狸達を飲み込んでいった。
音色が絡み合い、螺旋を描くように渦巻いていく。
妖狸達は、まるで石像のように身動ぎせず、呼吸音すら抑えて、聴き入った。
演奏は静謐な調べから、徐々に力強さを増していく。
すべての楽器が一つになり、壮大な音の奔流を作り出した。
――クライマックスか。
曲がどのように変化しようとも、妖狸達は魅入られて、動けなかった。
すべての音が消え去っても、妖狸達は呆然と囃子方達を見つめていた。
しばらく間を置いて、老狸が呟く。
「……良い。今回の化かしは、わしらの負けで良い」
頰を膨らませて不機嫌そうにしながらも、老狸は渋々と負けを認めた。
すると香苗は、素早く手を振って、雪菜達を含めた囃子方を一斉に消し去った。
次いで、おとんの姿が、伊代に戻る。
「それじゃあ約束は守ったから、藤内の娘は狙わないということで」
「よかろう。それを今回の演奏代にしておいてやる」
それは高いのか、それとも安いのか。
一つだけ分かったのは、妖狐の件で妖狸に譲歩させるのは、とても大変だということだ。
いずれにせよ鳥取藩の狐狸騒動は、穏便に解決したのであった。




























