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【8巻4/15発売】転生陰陽師・賀茂一樹  作者: 赤野用介@転生陰陽師8巻4/15発売
第10巻 打ち出の小槌

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278話 土行の世界

 頭を締め付けるような痛みで、一樹は目を覚ました。

 重い瞼を持ち上げて辺りを見回せば、板張りの天井と煤けた梁が目に入る。

 囲炉裏からは、もう火の気配もなく、灰だけが冷たく残っていた。


「ああ、頭が痛たい」


 昨夜は姫松の太鼓に合わせて、夜もすがら踊り明かしていた。

 亀太郎が持ち込んだ濁り酒を、土瓶で何杯も呷った。

 そんな風に記憶が甦ってきて、一樹は自身の頭痛に得心した。


「喉が渇いた」


 渋々と起き上がった一樹は、床脇に置いてある水瓶に手を伸ばした。

 素焼きの水瓶には、谷川の水を汲んで常に満たしてある。

 そのまま口を付けて飲むと、冷たい水が喉を潤していった。


「ふう、生き返った」


 一樹が暮らしているのは、小山の中腹に建つ古い民家だ。

 かつて小さな集落があったが、妖怪の領域になった。

 そこで妖狐の小集団で集落ごと頂戴して、勝手に住んでいる。

 妖怪の進出を防いでいるのだから、川下の人間は感謝して、文句など言ってこない。


 立ち上がった一樹は、板戸を開けて外に出た。

 軒先には、手拭いが竹竿に掛けてある。

 それを取って顔を拭い、髪を撫で付けた。


「今日も良い天気だな」


 空は青く澄み渡り、小山の緑が朝日に映えていた。

 大きく身体を伸ばした一樹は、板の間に戻って、干し魚を口にする。

 酒でも飲もうかと思ったところで、昨晩に姫松から言われたことを思い出した。


『一樹さん。明日は、亀太郎の家でおとんと合流して、昼までにあたしの家に来て下さい』

『何かあるのか?』

『藤内が、総泉寺の狸を化かすそうです。喧嘩になったら、加勢してほしいんじゃないですかね。だから、お酒は抜いてから来てくださいね』

『藤内か。あいつ宝物頼りだからなぁ』

『それじゃあ、お願いしますね』

『分かった。任せておけ』

『流石は、一樹さん。頼りになります』


 酒を飲んで陽気になっていたところで、そんな風に姫松から頼まれた覚えがある。

 酒を飲むと、どうにも安請け合いしてしまう。

 だが姫松とは囃子仲間で、妖狐の中でも懇意にしているほうだ。

 妖狸に対して連携しようという話でもあるので、不義理もできない。


「怒らせても、怖いからなぁ」


 姫松は暴力に打って出るわけではないが、微笑しながら圧を掛けてくる。

 あちらに大義名分があって、口も達者なので、皆が姫松の側に付くだろう。

 朝酒を断念した一樹は、囲炉裏の火を灰で覆い、家を出る支度を始めた。


 紺色に染めた木綿の着物に着替えて、懐紙と小銭入れを懐に入れる。

 男の所持品など、それで充分だ。

 着物の裾を端折り、脚絆を巻いて、草鞋を履く。

 最後に二尾の尻尾を隠して、完全に庶民の出で立ちとなった。


「やれやれ、行くとするか」


 一樹は板戸を閉め、家を後にした。

 山道を下りながら、谷川の音を頼りに駆けていく。

 妖狐の身体は軽く、飛脚の数倍ほどの速さで、走り続けられる。


 鳥取城には、桂蔵坊という奇特な妖狐が仕えていて、江戸まで三日三晩で往復する。

 一方で人間の場合、幕府公用の継飛脚ですら、昼夜を問わずに交代して10日も掛かる。

 つまり妖狐は、飛脚の数人掛かりと比べてすら、3倍以上の速度で駆けられる。

 そんな桂蔵坊は、おとん女郎の夫だ。

 おとんが悪さをしても陰陽師を呼ばれないのは、殿様に仕える旦那のおかげで、お目こぼしをされているからだったりする。

 たまに、やりすぎたと思ったら人助けもするが、それは打算的な行動だ。


「夫婦の関係なら、好きにすれば良いさ」


 おとんは旦那を困らせて、気を引き、甘えているように思える。

 悪い女狐だが、そもそも良い女狐など、一樹は寡聞にして知らない。

 木の根を踏み、岩を飛び越え、獣道を辿って亀太郎の住処へと向かった。


 余戸小山から出合の森までは、10里(40キロメートル)ほどの距離だ。

 継飛脚が駆ければ2刻(4時間)だが、妖狐が駆ければ1刻と掛からない。

 ヒョイヒョイと駆けていくと、亀太郎が住む家に着いた。


「亀太郎、居るか?」


 一樹が戸を叩くと、中から壮年の声が返ってきた。


「おう、一樹か。今開ける」


 きいきいと戸が開き、中から亀太郎が顔を出した。

 亀太郎は、亀の名が付くとおり、典型的な水行の黒狐である。

 一樹のほうは、狐色の毛並みをした赤狐で、火行だ。

 水行と火行は相剋し、火に水を掛けると消してしまう。

 黒狐が赤狐よりも上位に置かれる所以の一つで、亀太郎は一樹よりも若年ながら、いつも通りに飄々とした態度をしていた。


「昨夜は良く踊ったねえ」


 亀太郎が笑いながら、一樹を家に招き入れた。

 土間には囲炉裏が切ってあり、鉄瓶が湯気を立てている。


「おとんとは、峠の茶屋で待ち合わせをしている。だが、ひとまず茶でも飲んでくれ」

「そうさせてもらおうか」


 亀太郎が土瓶急須に茶葉を入れ、鉄瓶の湯を注いだ。

 それを二つの湯呑みに注ぎ分け、一つを一樹に差し出す。


「すまんな」


 一樹は湯呑みを受け取り、一口啜る。

 ほうじ茶の香ばしい香りが、口の中に広がった。

 人と共生関係にある妖狐の暮らしには、人の文化が染み込んでいる。


「なあ一樹。姫松の話だと、戸上山の藤内が総泉寺の狸を化かすんだって?」

「そうらしい。いつものことだけどな」


 戸上山中の保食神社と、総泉寺とは、わずか1里(4キロメートル)ほどの距離だ。

 一樹の家から姫松の家まで3里、亀太郎の家まで10里、おとんの家まで16里。

 そんな距離にあってすら、祭り囃子で気軽に遊ぶ関係だ。

 わずか1里の至近に妖狐と妖狸の集団が暮らしていれば、争わないはずがない。

 妖狐が狩られて筆毛にされたとか、妖狸を剥いで太鼓の皮にしてやったとか、互いの武勇伝には事欠かない。

 豊川稲荷に新たな石像が増え続ける原因の一つが、狐狸の争いだ。


「あいつら、いい加減に引っ越したらどうなのかねぇ」


 亀太郎は、至極真っ当な意見を述べた。

 一樹も同意するが、実現するためには、絶対に回避できない問題がある。


「それで亀太郎、どちらが引っ越すんだ?」

「そりゃあ、どちらも引かないだろうねぇ」


 先に引っ越したほうが、負けである。

 相手が去れば、残ったほうは末代まで勝ち誇り、馬鹿にするだろう。

 妖狸を相手に引くのは、妖狐にとって有り得ない選択だ。

 もちろん妖狸のほうも、そう考えているに違いない。


「さて、おとんと合流するか」

「おう。行くとしよう」


 二狐は茶を飲み干し、家を出た。

 亀太郎も身軽な格好だが、腰には巾着を下げており、そこには煙管と煙草入れが入っている。

 亀太郎は煙草を嗜む癖があり、たまに紫煙を燻らせている。


「峠の茶屋は、まだ婆がやっているのか」

「息子夫婦に代替わりしたぞ。新しく出すようになった柏餅が悪くない」

「ほう。柏餅とは、粋なことだ」


 柏の葉は、新芽が出るまで古い葉が落ちない。

 そのため家系が途絶えないという縁起を担いで、柏の葉で餅を包んでいる。

 茶屋も途絶えないという意味で包んでいるのだとすれば、粋な話だと一樹は評した。


 獣道を走り、やがて現れた山道を歩いて行く。

 すると峠に茶屋があり、黒髪の女が縁台に座して、茶を飲んでいた。

 瞳は切れ長で、穏やかに細まり、どこか人懐こい微笑みを浮かべている。

 まとっている着物は、草木を思わせる文様が袖や裾にあしらわれた、深い緑色の上物だ。

 一見すると、中級から上級武士の奥方といった印象を受ける。

 そんな位の高そうな女性に対して、一樹と亀太郎は気軽に寄っていった。


「おう、おとみ。待たせたな」


 おとみは、おとん女郎が人に化けたときに使う仮名だ。

 よく悪さをするので、人前で真名は名乗らない。

 亀太郎が気安く声を掛けて隣に座ると、一樹もおとんを挟んだ反対側に座った。

 すると茶屋から前掛けをした男が出てくる。

 夫婦でやるような小さな茶屋なので、おそらく店主だろう。


「へい、お立ち寄りで」

「俺とそいつに、茶と柏餅を頼むよ。一人10文だったかね」

「さようでござんす」


 一樹と亀太郎は、それぞれ懐から寛永通宝の一文銭を10枚ずつ取り出して、店主に渡した。

 それを受け取った店主は奥へ引っ込み、茶を煎れるために湯を沸かす。

 一樹は山道を眺めながら、あくびをした。


「ああ、無事平穏だねぇ」

「あらあら、これから妖狸を化かすのですわよね。無事平穏で済みますの?」

「囃子仲間ではないおとみを呼ぶあたり、無事平穏では済まないだろうさ。だから今だけ、安穏を満喫しておくわけだ」


 おとんは、一樹達の囃子仲間ではない。

 人間の髪を刈り、好戦的で武闘派の二尾だ。

 一樹や亀太郎も二尾で、妖狸と争いになった時には、強力な与力として数えられる。

 そんな妖狐を集めるあたり、姫松も一騒動あることは覚悟しているはずだ。

 しばらくすると店主が、柏餅と茶を運んできた。


「へい、お待ち遠様で」

「ありがとうよ」


 出された柏餅を頬張って、茶を啜る。

 のんびり咀嚼した一樹は、心地良い風と暖かな陽気に誘われて、居眠りをしそうになった。


「あらあら、姫松に怒られるわよ」

「それは困るな。さて、行くとするかな」


 茶屋から姫松のところまでは、再び10里といったところだ。

 茶屋を後にして、三狐は姫松のところへと向かった。

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― 新着の感想 ―
香苗は姫松になってるとして一樹は誰になってるんだ?
>>そもそも良い女狐など、一樹は寡聞にして知らない 姫松さんも一癖あるのかな?楽しみです。 数話前から読み直したんですが、香苗は土行の継承が終われば音楽に続いて当時の芝居や女歌舞伎(作中でも廃れてる?…
>>そもそも良い女狐など、一樹は寡聞にして知らない 誰かにとっての一級秘匿事項がバレてしまったなw
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