279話 小出の姫松
山道から里道へ出て、田畑の広がる風景を駆け抜ける。
稲穂が風に揺れ、畦道には菜の花が咲き乱れている。
農夫が鍬を担いで歩く姿が遠くに見えたが、妖狐の足は速く、すぐに視界から消えた。
「姫松の家は、小出の集落を抜けた先の松林だったかしら」
おとんが確認すると、一樹は頷いた。
「そうだ。竹田川の近くになる」
竹田川は、この地を流れる大きな川だ。
仲間達で集まれば、その水を逆流させることすらできる。
酔った勢いで一回やったことがあり、川上の田んぼを水浸しにした。
術を解いたら水が引いたので、あの時は何をしたかったのか、自分達でもよく分からない。
そもそも酔っ払いに合理性など求めても、仕方がないのだ。
小出の集落に差し掛かると、井戸端で洗い物をする女達の姿が見えた。
三狐は人間に紛れ込んで、何食わぬ顔で村を抜けた。
「あそこだ」
亀太郎が指差した先に、こんもりとした松林が見えた。
その中に、姫松が根城とする稲荷社が建っている。
社は小さいが、しめ縄が張られており、神域と人の領域との境目を区切る榊が供えてある。
一樹達が社に近づくと、境内に座っていた少女が立ち上がった。
「皆、待っていたよ。ちょうど良い頃合いになったね」
少女は大きな翡翠色の瞳を輝かせて、幼く無邪気な笑みを浮かべていた。
だが陽光を受けた二尾が、淡く輝いたことで、年齢と力量は無関係だと思い知らされる。
弱者の話など、誰も取り合わない。
姫松が多くの仲間を集められるのは、本人の陽気で気安い性格もあるが、老狐達と対等に話せる力を持っているからでもあった。
「地脈の力を集めて、気を高めていたのか?」
「そうそう。ここは、あたしの陣地だからね」
平然と言ってのけた姫松だったが、それは神仏が、己の神域で行うにも等しいことだ。
姫松は、仙狐に至る修行のうち、第一の『心法を鍛えて内功を蓄える』を終えている。
また多くの妖狐が挫折する第二の『仙に至る霊薬を作って飲む』も突破しそうで、三尾に至る可能性が高い、将来有望な妖狐だ。
もっとも当人は、修行に邁進するのではなく、日々を謳歌しているが。
そんな彼女が纏っているのは、淡紅色の小袖で、帯は深い朱で結ばれていた。
随分と洒落た装いの姫松に対して、一樹は首を傾げる。
「まるで見世物にでも行く格好だな。今日は、そういう集まりだったか?」
「違うと思うけれどね。でも藤内が普通に化けたら、その時は褒めてあげないと!」
「どうせ、七変化の玉を使うだけだろ。あいつがまともに化けられるとは思えんがな」
七福神に化けられる七変化の玉は、七福神の力が宿った宝物だ。
七福神の力の一端を振るえることで、藤内は戸上山の周辺で大きな顔をしている。
ただし、藤内自身は修行が疎かで、未だ一尾である。
宝物を足しての二尾相当であり、群れの長だ。
そのような次第で、一樹は藤内に関しては、あまり期待していなかった。
「でも妖狸も来るんだし、何が起きるのか分からないでしょ」
「それもそうだがな」
姫松が歩き出したので、一樹達もゾロゾロと、後ろに続いていく。
連れ立った四狐は、松林を出て、米子に続く街道へと出た。
姫松の住処から戸上山までは、15里ほど。
次第に四狐は足を速め、妖狐の駆け足になっていった。
「みんなで駆けていくの、楽しいね」
「姫松、完全に隠す気が無いだろう」
一樹と亀太郎だけであれば、足が速くても誤魔化せるかもしれない。
だが、おとんと姫松が小袖姿で疾走するのは、傍目に異様な光景だ。
先程から、荷を担いだ商人、笠を被った旅人、馬子に引かれた馬などすれ違っているが、呆然と振り返られていた。
「人が多いねえ」
「米子は城下町ですもの。賑わうのは当然ですわ」
一樹の後ろで亀太郎が呟くと、おとんが応じた。
しばらく疾走した四狐は、街道を外れ、戸上山の方角へと向かった。
田畑の間を抜け、竹林を通り過ぎて、やがて戸上山の麓に差し掛かった。
「山の中腹の保食神社まで行くのか?」
「違うよ。待ち合わせは、山裾。あっちのほうに、藤内の妖気があるね」
妖気を感じ取った姫松に付いて、山裾の雑木林に入った。
「妖気を隠しているのに、よく分かるな」
「地脈を伝わってくるからね。あたし土行だし、そういうのが得意なのかも」
「お前以外の土行は、誰もできねぇよ」
一樹が呆れながら付いていくと、木陰から、妖狐が姿を現した。
「待ちかねたぞ、お歴々」
現れたのは、白銀に輝く毛並みの妖狐、藤内だった。
彼の血筋が良いのは、一族が代々『七変化の玉』を受け継いでおり、伴侶選びが有利だからだ。
それでいて力不足なのは、宝物に依存しているからでもある。
一樹達が何かを言う前に、姫松が率先して口を開いた。
「狸を化かすって聞いたからね。今日は一体、どんな寸法なの?」
「総泉寺の狸どもに言い触らしたのさ。『縄張りの境界で、大名行列で化かしてやる』と」
「ほう、大名行列に化けるのか?」
亀太郎が煙管を取り出しながら、興味深そうに尋ねた。
術を覚えた妖狐は、誰でも人間に化けられる。
戸上山の妖狐を集めれば、大名行列の一つくらいは作れるだろう。
「米子荒尾家って、家禄1万5000石だったかしら」
おとんが、藤内が化けると言った大名のことを思い起こした。
因幡国ならびに伯耆国を治めているのは、おとんの夫・桂蔵坊が仕える鳥取藩主だ。
だが伯耆国内では、米子にも城が置かれており、荒尾家が城代家老として委任統治している。
荒尾家の家禄は1万5000石で、城代なので参勤交代は行わない。
狩りなどの行列も小規模な供回りで、おおよそ30名前後になる。
30名前後であれば、藤内と手下の狐達だけでも、充分に化けられる規模だ。
それなら可能かと納得しかけた四狐に対して、藤内は思い違いを訂正した。
「いいや、変化はしない。これから本物の大名行列が、狩りから戻ってくる。道案内に手下を付けているから、道を間違いようがない」
「まさか、本物のお殿様を見せて、あれに化けたと言うの?」
姫松が、驚きに目を見開いた。
「そうだ。狸どもは、本物の行列を見て『狐が化けた偽物だ』と思い込む。先頭の道案内だけは、妖狐だからな。それで近寄ってきて、阿呆なことを言うだろう」
「絶対に、ケチを付けるでしょうね」
おとんが、ほぼ確実に起きるであろう未来を口にした。
亀太郎も、煙管を咥えたまま呟く。
「しかも狩りの帰り道か。鉄砲が揃っているな」
「その通りだ。阿呆な狸どもを、狩りの獲物とでも見なすだろうよ」
藤内は愉快そうに笑った。
「だから藤内は、大名行列で化かすと言ったのか」
「そうとも。化かすってのは、心を迷わして正常な判断を狂わせること、たぶらかすことだ。俺は嘘は吐いていない。約束通りに化かすのさ」
話を聞いた一樹は呆れつつも、納得した。
たぶらかすとは、騙し惑わす、欺くことだ。
確かに藤内は、嘘は吐いていない。まさに化かしている。
「まあ納得した」
これを切っ掛けに、狐狸の大戦争に発展する可能性もあるが、狐狸の争いは今更の話だ。
藤内の一党と、総泉寺の狸達は、互いに犠牲も出している。
妖狐の一樹は、妖狐の藤内に止めろという立場ではない。
納得した一樹や、口を出さない亀太郎らの反応を見た姫松が、藤内に尋ねる。
「それで、あたし達は何をすれば良いのかな?」
「まずは見物だ。狸どもが生き残って、仕返しを始めたら、加勢してくれ」
「用心棒というわけか」
役割を聞いた亀太郎が、理解を示した。
怒った狸が集団で戸上山に攻め込んできたら、藤内の一党だけでは心許ない。
だが二尾の加勢があれば、撃退できるだろう。
「分かったわ。それで、殿様はいつ頃通るの?」
姫松が尋ねると、藤内がいやらしく笑みを浮かべた。
「二刻といったところだ。そろそろ向かうとしよう」
「そうだね。道案内の妖狐も居るなら、早く行ってあげたほうが良いね」
四狐は雑木林を後にして、藤内の後に続いた。
木々の間を縫い、山裾を回り込むようにして、獣道を進んでいく。
この辺りは藤内のナワバリ内で、庭のようなものだ。
鬱蒼とした薄暗い森を抜けていくと、やがて山道が見えた。
「あー。竹林の向こう側に、狸達も居るね」
妖気を感じ取った姫松が、妖狸の存在を伝えた。
「何匹いるんだ?」
「ざっと三十くらいかな。妖狐の大名行列に合わせて、同数を連れてきたのかも」
姫松が場所を伝えると、藤内が先頭を切って、道を挟んだ反対側の竹林に回り込む。
竹の葉が風に揺れ、さらさらと音を立てた。
地面には竹の落ち葉も落ちているが、踏んで音を立てないように気を付けて、静かに進む。
そして真向かいではなく、少し離れた竹藪の中で止まった。
「この辺なら、狸どもには気付かれないだろう」
「えっ、あたし分かるけど?」
「姫松にしか分からないから、大丈夫だ」
一樹の指摘に周囲が賛同した後、五狐は竹林の中で身を潜めた。




























