02
ある時からヨハンさんが来てくれなくなって、また1人の生活になった。
でも、時々、他の吸血鬼に出会う。
吸血鬼は変な匂いがするから、すぐに分かる。
どうして森の中をうろついているのか。
名前を聞かれるけど、教えても仕方ない。
吸血鬼は好きじゃない。
みんな目が怖いから嫌い。
一緒に行かないか?って言われても、ここが好きだから、って断っている。
大人の男は嫌い、吸血鬼も人も。
ずっと1人でも平気だったのに、寂しい。
寂しくて、大好きだった7色の夜空も色あせてしまう。
「だあれ?」
ぼんやりしていたところに届いた、幼い子供の声。
そこには、濃い栗色のくるくる髪の天使がいた。
教会にあった、聖母様の絵の天使にそっくりだった。
「天使なの?」
「てんしってなに?」
「とってもかわいい子のこと」
「ぼく、かわいくない、ちがう」
天使みたいにかわいいのに、かわいくないなんて。
「1人なの?」
「1人」
「おんなじだね」
天使みたいな子供は、私と同じ目をしてた。
寂しい目。
だから、ちょっとだけ遊んで、それから花のしずくを吸いに行くことにした。
◆
子供は毎日、花園にやってきた。
数日もすると、子供が天使じゃないことも分かった。
小さな男の子だった。
大人は嫌いだけど、小さな男の子は大丈夫。
嫌なことをしないから。
天使じゃなくても、男の子はとても可愛かった。
村で飼っていた子ヤギみたいに。
くるくるの髪の毛は、指をさしいれてみるとふわふわと柔らかくて、そのまま撫でるとするりと抜ける。
男の子は体を動かすのが好きで、髪の毛に枝や葉っぱをつけていることが多い。
絡まった髪の毛を指で梳かそうとすると、男の子は犬みたいに首を振って逃げようとする。
だから、自然と頭を撫でる回数が増えた。
目を離すと、すぐに頭が鳥の巣のようになっているから。
「ママ」
男の子にそう呼ばれて、むず痒くて、嬉しくなった。
ずっと〝あの子〟とか〝あれ〟としか呼ばれなかったから。
毎日、男の子が眠るまで、一緒に夜を過ごす。
男の子のために、街に行って子守唄を覚えてきた。
大きな木に丸太を吊るして、ブランコを作った。
男の子らしい遊びなんて知らないから、花冠の作り方を教えた。
——坊やは、涼しくなって来たら、街へ帰っていった。
どこにも行かせたくない。
そう思ったら、歯がムズムズした。
でも、それは良くないこと。
これまでに歯がムズムズしたのは、いつも人を傷つけるためだった。
ヨハンさんに言われたから、守らなくてはいけない。
「君ならきっと、吸血鬼が危険なだけの存在じゃないって、世界中の人に伝えることができる」
難しいけど、何をしたらいけないかは、それで分かった気がする。
歯がムズムズした時は、それに従ったらいけない。
坊やの笑顔を見たいから、再会を待つ。
会いにいったらいけないから、坊やが来てくれるのを待つ。
◆
坊やは会うたびに少しずつ大きくなっていった。
吸血鬼になった時から変わらない手足を見て、いつか、坊やの方が大きくなってしまうと思った。
嫌いな大人になってしまうと思うと、歯がムズムズする。
だめ、坊やは人なんだから。
でも、坊やはちょっと変わった匂いがする。
ヨハンさんに似てる匂い。
◆
坊やが来ない。
明日も、って約束したのに。
匂いを嗅いで、坊やを探す。
「坊や!」
滝の下で、坊やが岩に乗り上げるようにして倒れていた。
その手には、夜に咲く花。
花を取ろうとして、落ちた?
慌てて抱き上げた体は冷たくて、胸の中の音も弱い。
ずぶ濡れの身体中から、血がポタポタとしたたる。
「坊や、起きて、お願い」
何度声をかけても、坊やの目が開かない。
寝起きのふくれっ面でいいから、見せてほしいのに。
歯がムズムズする。
坊やを助けたい……できるの?
でも、これはしちゃいけないこと、坊やがおかしくなっちゃったら?
坊やを、失いたくない。
かわいい坊や。
ムズムズする。
痛くないように気をつけて、坊やの首筋を噛む。
ぷつり、と柔らかい肌に歯を食い込ませたら、気持ちよくて声が出た。
坊やの血を少しだけ吸って、それから自分の手を爪で切る。
傷からあふれる血を、坊やの口元へと垂らした。
これにどんな意味があるのかなんて、知らない。
坊やを助けられるなら、なんでもいい。
口の中に落とした数滴の血を、坊やは飲んでくれた。
細い喉が動いて、坊やの顔色がみるみる良くなっていく。
よかった、そう思うのと同時に、坊やの匂いが変わっていくことに気がついた。
ヨハンさんみたいな匂いが強くなった。
ヨハンさんは狩人で、吸血鬼に近づく。
もしかして、吸血鬼の血を得ると、匂いが変わる?
どうしよう、もしかして坊やが吸血鬼になってしまう?
恨まれるかもしれない、怖がられるかもしれない、怒るかもしれない、避けられるかもしれない。
そう思ったら怖くなった。
坊やに出会ってから、何にも怖くなかったのに。
壊してしまった。
坊やの呼吸と胸の中の音が落ち着くのを待って、坊やを部屋へと運んだ。
何度も坊やのために子守唄を歌った部屋。
もう、会わない方がいい。
きっと坊やは悲しむけど、吸血鬼と人は一緒にいられない気がする。
だって、坊やの血は、とろけそうに美味しかった。
きっとこれ以上そばにいたら、また飲みたいと思ってしまう。
「ごめんね、坊や。
守ってあげられなくて」
すべすべの額にお休みのキスをして、別れを告げた。
◆
坊やのことが忘れられない。
かわいい坊や、大好きな坊や。
初めて飲んだ人の血は、頬が落ちそうに美味しかった。
他の血なんていらない、坊やの味を忘れたくないから。
でも、ずっと動物を齧らないでいると、動けなくなってしまう。
バラのしずくだけで生きていければ良いのに。
そんな風に過ごしていた花園で、話を聞いた。
吸血鬼が人として認められるようになった、と。
詳しく聞きたいと思ってのぞいてみると、そこでは男が女の上に乗るところだった。
指先と歯がムズムズした。
手を出さずに止めることができたのは、乗られた女が喜んでいたから。
ずっと、男が乗るのは嫌なことだと思っていた。
でも、違う?
分からなくなって、坊やに会いたくなった。
坊やに触れられるのは嫌じゃない、抱きしめて額にお休みのキスをする。
でも、坊やがもしも大人になっていたら?
怖いけれど、会いたい。
ヨハンさんに、どうしたら良いか教えてもらおう。
坊やに守ってあげられなかったことを謝って、狩人のヨハンさんに、坊やに血を飲ませてしまったことを言おう。
坊やに、もう一度会いたい。




