第7話 肉を細かくしたい
木槌は,思ったより疲れる。
翌朝,理人は作業台の上に置いた角猪の肩肉を前に,早くも少し後悔していた。
「これ,何回叩けばいいんですかね」
「細かくなるまでじゃない?」
大鍋をかき混ぜながら,マルタがこともなげに答える。
「その基準が曖昧なんですけど」
「料理なんてそんなもんだよ」
「昨日も似たようなことを聞いた気がします」
「便利な言葉だろ?」
「乱用しないでください」
マルタは笑いながら,大鍋の様子を見る仕事へ戻っていった。
理人も木槌を持ち直す。昨日,市場でガルドから教わったことを思い返しながら,まず目につく筋を取り,脂を分け,硬い部分は包丁で薄めに切った。
それから,肉の上へ木槌を振り下ろす。
鈍い音が厨房に響いた。
何度か叩くうちに肉は少しずつ平たくなり,繊維も崩れていく。だが,力を入れれば入れるほど音も大きくなった。
「……うるさいな」
「自分で始めたんだろ!」
厨房の向こうから,仕入れた品を整理していたバルドの声が飛んでくる。
「すみません」
「作業台まで壊すんじゃないよ」
今度はマルタに釘を刺された。
「急に緊張感を出すの,やめてもらえます?」
「大事なことだよ。壊したら弁償だからね」
「それは困ります」
理人は肉を載せている板を持ち上げ,その下へ厚めに折った布を敷いた。もう一度叩いてみると,先ほどまで店中へ響いていた音が少し鈍くなる。
「これなら,まだ」
何度か叩いてから木槌を置き,肉を指で押してみる。
確かに柔らかくはなっていた。硬かった筋肉の繊維が崩れ,包丁だけで切った昨日よりも噛みやすくなりそうではある。
ただし,細かくなっている場所と,ほとんど塊のまま残っている場所の差が大きい。
「悪くはないけど……挽肉ではないな」
当然といえば当然だった。木槌は肉を潰す道具であって,同じ大きさに切りそろえてくれるわけではない。
そこで今度は包丁を持ち,叩いた肉を刻んでみる。
木槌で繊維を崩した効果はあった。昨日より刃が入りやすく,最初のうちはかなり順調に細かくなっていく。
「お。これなら」
少し手応えを感じて,さらに包丁を動かす。
一定の調子で刃を落とし続けること,しばらく。
「……腕が終わる」
「早かったね」
いつの間にか様子を見ていたマルタが笑う。
「見てたんですか」
「途中からね」
「手伝ってくれてもいいんですよ」
「これはあんたが始めた料理だろ?」
「正論が痛い」
理人は包丁を置き,重くなった右腕を軽く振った。
確かに肉は細かくなったが,まだ一人分にも満たない。宿で何人分も作るとなれば,この作業だけで腕が使い物にならなくなりそうだった。
「ミンサー……」
思わず口から漏れる。
「またそれ?」
「欲しいです」
「昨日からずっと言ってるねえ」
「欲しいものは,何回言っても欲しいです」
「子どもみたいだよ」
「二十五歳です」
「分かってるよ」
理人は刻んだ肉を指先でつまんだ。昨日よりはかなり細かいものの,大きさにはまだばらつきがある。
叩いてから刻む方向そのものは悪くない。ただ,毎回この手間をかけるのは現実的ではなかった。
「ほかに,何か潰す道具ってありません?」
「潰す?」
「石臼みたいなものです」
「穀物用ならあるけど,肉を入れたら掃除が大変だから嫌だよ」
「まだ入れるとは言ってないんですけど」
「その顔は入れる顔だ」
先回りされた。
「じゃあ,もっと小さいものは?」
「香辛料を潰すのならあるよ」
「見せてもらえます?」
マルタは棚の奥から,片手で持てる石の鉢と,それに合わせた太い棒を取り出した。
「これ?」
「自分の国にも似たのがあります。すり鉢みたいなものですね」
「すりばち?」
「そう呼んでました」
せっかくなので,角猪の肉をほんの少しだけ入れてみる。
棒で上から押し,底へこすりつけるように潰していくと,肉は思っていた以上に簡単に形を失った。
「細かくなったじゃない」
「なりましたけど……」
理人は石鉢の中を覗く。
「細かすぎます」
「注文が多いねえ」
「これ,もう粒というより練った肉です」
繊維はほとんど潰れ,水分と脂を含んだ肉が石の底へねっとりと貼りついている。
細かければいいというものでもないらしい。
木槌では粒がそろわず,包丁だけでは時間がかかる。石鉢で潰せば,今度は細かくなりすぎる。
ならば,必要なのは潰す道具ではない。
「やっぱり,切らないと駄目なんだな」
「包丁で?」
「できれば,包丁より楽に。同じくらいの大きさへ」
理人の頭には,また日本で使った肉挽き器が浮かんだ。
肉を入れる筒があり,中には螺旋のような部品が入っていて,ハンドルを回すと,先端の穴がいくつも開いた金属板から肉が出てくる。
覚えているのは,その程度だ。
中で肉がどう切られ,どの部品がどこへ固定されていたのかとなると,記憶は途端に曖昧になる。
「昨日の絵,もう少しまじめに描けばよかったな」
「そんなに欲しいなら,鍛冶屋に持っていけば?」
「説明できないものをですか」
「見せるだけ見せたらいいだろ」
「馬鹿にされません?」
「されるかもね」
「行きづらくなることを言わないでください」
マルタは楽しそうに笑った。
「でも,道具を作るなら鍛冶屋だよ」
「……ですよね」
結局,そこへ戻る。
ただ,鍛冶屋へ行く前に一つだけ確かめておきたい。
理人は木槌と包丁で細かくした肉へ,少量の脂を混ぜた。
◇
二度目のハンバーグは,最初のものより確実にましだった。
焼き上がった肉を前に,理人はしばらく黙って観察する。
前回のように大きく崩れてはいない。中央に小さな亀裂こそあるが,少なくとも丸い形は保っていた。
今回は脂を少し増やし,硬い筋も前より丁寧に取り除いた。つなぎに使うパンも木槌で細かく砕き,涙玉は量を減らしたうえで先に炒めている。
炒めた涙玉を冷ますときには,《熱交換》も使った。
熱いまま肉へ混ぜるよりは,こちらの方がいい。
「昨日よりは,それっぽいね」
「昨日も,最初の見た目だけは悪くなかったんです」
「慎重になったねえ」
「学びました」
焼き方も少し変えている。
薪の火が強く当たる場所で表面を焼いた後,鉄板の端へ移す。火の色だけではなく,脂のはぜる音や肉の表面も見るようにした。
火が強すぎると感じた場所では,鉄板の縁へ濡らした布を当て,そこへ片手を添える。もう片方の手は,小さな器に入れた水へ触れた。
意識するのは,鉄板から水へ。
ほんの少しだけ,熱を移す。
器の水がぬるくなり,反対に鉄板の一部からは,わずかに熱が抜ける。
「それ,料理だと便利そうだね」
「便利です。ただ,これで火加減を全部どうにかできるほどではないですけど」
大きく温度を変えられるわけではない。それでも,焦げそうな場所から少し熱を逃がす程度なら役に立った。
《熱交換》と呼ぶようになってから,何をしているのか自分の中でも整理しやすくなった気がする。名前をつけたから能力そのものが変わったわけではないだろうが,少なくとも使う側の意識は合わせやすい。
理人は肉の様子を見てから,木べらを差し込んだ。
「そろそろ」
返す。
今度は崩れない。
「お」
「大丈夫そうじゃない?」
「まだ食べてません」
「本当に慎重になったねえ」
理人は少し笑い,中まで火が通るまで焦らず待った。
やがて鉄板から下ろし,皿へ移す。
「完成」
「今度は初号機じゃないの?」
「二号機です」
「名前つけるの?」
「今だけです」
中央から切ってみると,中に赤い部分はない。
「よし」
まずは火が通っている。
一口分を切り,口へ運んだ。
噛む。
昨日よりも,ずっと食べやすい。
「どう?」
マルタに聞かれ,理人はもう一度噛んだ。
「昨日よりは,かなりましです」
「うまい?」
「それは……まだです」
「正直だねえ」
「でも,まずくはないです」
昨日のような,はっきりした失敗ではない。
肉の硬さはかなり減った。脂も増え,パンの粒も小さくなっている。涙玉から余計な水分が出る感じも少ない。
方向そのものは,おそらく間違っていない。
ただ,一口ごとに食感が違った。
「ここは柔らかいのに,こっちは肉の塊が残ってる」
理人は断面を見せる。
「それに,脂が多いところと少ないところもあります」
「そんなに気になる?」
「気になります」
「細かくしてるねえ」
「ひき肉を作ろうとしてますから」
「細かいだけじゃないかい?」
理人はマルタの顔を見た。
「今の,わざとですか?」
「何が?」
絶対にわざとだ。
だが,指摘したところで喜ばせるだけなので,理人は諦めて皿へ視線を戻した。
「やっぱり,問題は肉の細かさですね」
「木槌じゃ駄目?」
「駄目ではないです。ただ,これを毎回やるなら」
理人は重くなった右腕を振ってみせる。
「肉より先に腕が駄目になります」
「鍛えれば?」
「料理のために筋トレするんですか」
「悪くないだろ?」
「否定はしませんけど」
もう一度,二号機を見る。
昨日よりは,確実に前へ進んでいる。
その分,足りないものもはっきりした。
肉を,同じくらいの大きさへ細かくする道具。
今必要なのは,それだった。
◇
午後,宿の仕事が一段落したところで,理人は町の鍛冶屋へ向かった。
一人ではない。
「なんで私が」
隣を歩くミレナが不満そうに言う。
「自分,鍛冶屋の場所を知らないので」
「マルタに頼まれなきゃ来なかったからね」
「助かります」
「じゃあ,飯一回」
「え?」
「案内料」
「お金ないんですけど」
「知ってる」
「じゃあ何を払えば」
「宿で何か作って」
理人は少し考えた。
「ハンバーグ?」
「それ,失敗したやつでしょ」
「情報が広がりすぎてません?」
「マルタが面白そうに話してたよ」
「……」
町中に知られる前に完成させたい。
「今日は昨日よりましでした」
「じゃあ,ちゃんと成功したら食べる」
「分かりました」
交渉成立である。
市場から離れるにつれ,通りには鍋や農具,革製品などを扱う店が増えていく。軒先にはそれぞれ看板が掲げられていたが,理人にはまだ何と書いてあるのか分からない。
結局,鍛冶屋がどこかを教えてくれたのは看板ではなく,通りの先から聞こえてくる金属音だった。
乾いた音が,一定の間隔で響いている。
「あそこ」
ミレナが指した。
店先には包丁や鍬,鍋のほか,剣や金具まで並べられていた。用途の違う道具が同じ場所に置かれているのに,どれも刃や縁はきれいに整っている。
中へ入ると,空気が一段熱くなった。
奥には石を組んだ炉があり,赤く燃える炭のそばへ大きなふいごが据えられている。太い金床の周りには大小の槌や火箸が並び,壁には製作途中らしい刃物や金属部品が掛けられていた。
煤と鉄,それに焼けた油のような匂いが混じっている。
異世界だから技術が遅れている。
そんな単純な場所ではなさそうだった。
「ドランさん! いる?」
ミレナが奥へ声をかける。
「聞こえとる!」
低い声が返り,炉の脇から男が姿を見せた。
理人よりかなり背が低い。だが,肩幅は広く,前掛けから出た腕は太かった。黒い髭の間から,こちらを観察するような目が覗いている。
理人は一瞬だけ黙った。
「何じゃ」
「……ドワーフ?」
思ったことが,そのまま口から出た。
男の片眉が動く。
「そうじゃが。何か珍しいか」
「いえ。初めて見たので」
「お前,どこの山奥から出てきた」
「もっと遠いです」
「リヒトっていう,変なやつ」
横からミレナが補足する。
「その説明,要ります?」
「分かりやすいでしょ」
「否定しづらいのが困るんですけど」
ドランは二人を見比べたものの,それ以上は気にしなかった。
「で,何の用じゃ」
「作ってほしい道具があるんです」
「図は?」
「あります」
理人は折り畳んでいた紙を取り出した。
昨夜,日本で見た肉挽き器の記憶を頼りに描いたものだ。
ドランは紙を受け取り,しばらく無言で眺めた。紙を横へ向け,また戻し,今度は炉のそばまで持っていって明るい場所で見る。
やがて,指先で図の中央を叩いた。
「これは何じゃ」
「肉挽き器です」
「どこが?」
「……ですよね」
自分でも分かっていたことだが,職人に真正面から言われると少し悲しい。
「この横の棒は」
「ハンドルです。ここを回します」
「何が回る」
「中にある……螺旋みたいな部品が」
「みたいな?」
「たぶん」
ドランの眉が少し寄った。
「この螺旋が回れば,肉は前へ進むのか?」
「そうだったと思います」
「どこで支えとる」
「……分かりません」
「この先の板は?」
「穴がたくさん開いてます」
「穴へ押しつけただけで肉が細かく切れるのか?」
「いえ。たぶん,その手前に刃が」
「その刃はどれじゃ」
「……そこが,曖昧で」
ドランの太い指が,理人の描いた頼りない線をたどっていく。
「刃は螺旋と一緒に回るのか。それとも動かんのか。穴の前で肉をどう切る。螺旋の形も,これでは角度が分からん」
問われるたびに,理人の答えられることが減っていった。
日本では,肉を入れてハンドルを回せば,細かくなった肉が前から出てくる。それで十分だった。
わざわざ中の部品がどう噛み合い,どう肉を押し,どこで切っているのかまで考えたことはない。
「分かりません」
理人は素直に認めた。
「使ったことはあるんです。でも,中がどうなってるかまでは知らなくて」
ドランはしばらく紙を眺めてから,作業台へ置いた。
「なら,これは作れん」
「はい」
「形だけ似せても,道具にはならん」
「その通りです」
反論する理由はなかった。
知っている道具だからといって,作り方まで知っているわけではない。
考えてみれば当然のことだった。
日本で毎日のように使っていた道具の中にも,自分で一から作れと言われて作れるものなど,ほとんどない。
理人が紙を畳もうとすると,ドランがそれを手で押さえた。
「ただ,お前が欲しいのは,これそのものなのか?」
「え?」
「肉を細かくしたいんじゃろ」
「そうです。できれば,同じくらいの大きさに」
「肉は?」
「角猪です。肩とか,脚の硬いところを使いたくて」
「硬いな」
「はい」
ドランは顎髭を撫でながら,少し考えた。
それから近くにあった木片を引き寄せ,炭の欠片で線を引き始める。
「なら,こんな大げさな筒はいらんかもしれん」
「というと?」
「刃を何枚か,こう並べる」
木片の上に平行な線が引かれる。
「刃を枠へ固定して,肉の上から下ろす。手で押すんじゃ重いから,ここを支点にして長い柄を付ける」
「梃子ですか」
「そうじゃ。肉を置いて,押し切る。一度切ったら向きを変えて,もう一度やる」
ドランは身振りを交え,作業台の上へ置いた肉を刃でまとめて切る動きを示した。
何枚かの刃を同時に下ろせるなら,包丁一本で延々と刻むよりはずっと早い。切った肉を九十度ほど回して何度か繰り返せば,大きさもある程度そろえられる。
理人の頭に,朝の作業が浮かんだ。
「……それなら,できそうですね」
「お前の描いた物ほど細かくはならんぞ」
「それでも,包丁一本よりかなり楽です」
「なら十分じゃろ」
ミンサーを再現することばかり考えていた。
だが,必要なのはミンサーそのものではない。
肉を,今より楽に,同じくらいの大きさへ切ることだ。
「作れます?」
「作れる」
即答だった。
理人の顔が少し明るくなる。
「いくらです?」
「銅貨三十枚」
「……」
今度は即座に黙った。
「高いの?」
横で聞いていたミレナが尋ねる。
「相場が分からないので,高いか安いかも分かりません」
「宿の皿洗い何日分だろうね」
「今,給料まだ出てないです」
「あ」
「忘れてましたね」
「忘れてた」
つまり,どちらにせよ今は払えない。
理人が木片に描かれた道具を名残惜しく見ていると,ドランが言った。
「材料を持ち込むなら,もっと下げられるぞ」
「材料?」
「刃に使える古い鉄があれば,材料代はいらん。その分,工賃だけで済む」
「鉄なんて持ってませんけど……古い刃物でも?」
「物による。欠けた包丁でも,刃に使える部分が残っとればいい」
それなら,可能性はある。
「マルタさんに聞いてみます」
「持ってこい。使えるかどうかは見てやる」
「ありがとうございます」
「使えん物まで押しつけるなよ」
「そこはちゃんとお願いします」
ドランは鼻を鳴らし,再び木片へ視線を落とした。
その横で,理人は店内を見回す。
包丁,鍋,鉄板,留め具。どれも自分には作り方すら分からないものばかりだった。
「ドランさん」
「何じゃ」
「ここより,もっと良い調理道具を作る場所ってあるんですか?」
「良いの意味によるな」
「例えば,切れ味のいい包丁とか,薄くても丈夫な鉄板とか」
「金を出せば,ここでもそれなりの物は作る」
「ですよね」
「もっと上を見たいなら,火山領へ行け」
「火山領?」
聞き覚えがある。
以前,マルタからも,良い鉄道具なら火山の方だと聞いた。
「ここもドワーフの店ですよね?」
「わしは向こうから出てきた者じゃ」
「本場は,そんなに違うんですか」
「炉も違えば,扱う金属も違う。刃物だけ作っとる職人もおる」
ドランは理人の描いた肉挽き器をもう一度持ち上げる。
「こういう妙な物でも,向こうなら似た仕組みを知っとるやつがおるかもしれんな」
「なるほど」
火山領。
理人は頭の片隅へその名前を置いた。
今すぐ行く理由も,金もない。
ただ,この町の外にも技術があり,料理に使える道具がある。
市場で知った食材と同じように,また一つ,世界が少しだけ広がった。
◇
宿へ戻る途中,しばらく歩いたところでミレナが言った。
「楽しそうだね」
「何がです?」
「さっき」
「そう見えました?」
「顔にはあんまり出てなかったけど」
「じゃあ,何で」
「質問が増えるから」
理人は少し黙った。
「教師って,みんなそうなの?」
「自分は,気になると聞く方でした」
「ふうん」
ミレナは前を向いたまま歩く。
少しして,不意に聞いた。
「帰りたいんでしょ?」
理人も前を向いた。
「帰れるなら,帰りたいです」
「なのに,こっちの道具とか食べ物とか,ずいぶん気にしてるよね」
「気にはなります」
「変じゃない?」
「そうですか?」
「私なら,知らない世界にいきなり飛ばされたら,ずっと帰る方法を探すと思う」
理人は少し考えた。
「探したくないわけじゃないです」
「何かした?」
「今のところ,何も」
「探してないじゃん」
「探すための材料がないんですよ」
ミレナが横目で見る。
「材料?」
「どうしてここに来たのか分からない。自分みたいに別の世界から来た人がほかにいるのかも分からない。帰った人がいるのかも,誰に聞けば分かるのかも知らない」
「……うん」
「その状態でずっと考えても,同じところを回るだけです」
「だから肉を叩いてたの?」
「だから肉,というわけではないです」
「でも叩いてたんでしょ」
「それは,まあ」
理人も笑った。
日本へ帰りたい気持ちがなくなったわけではない。
家族のことも,学校のことも,自分がいた生活も忘れてはいない。
ただ,帰る方法が何も見えない今,それだけを考えて立ち止まっていても状況は変わらない。
「今できることをしてるだけです」
「料理?」
「仕事をして,文字を覚えて。この世界のことを知る」
「その中にハンバーグも入ってる」
「入ってます」
「結構,上の方?」
理人は少し考えた。
「そこそこ」
ミレナが吹き出した。
「やっぱり変」
「最近,言われ慣れてきました」
◇
宿へ戻ると,理人はさっそくマルタへ鍛冶屋での話をした。
「古い包丁?」
「刃に使えるものが何本かあれば,材料代を抑えられるらしくて」
「あるよ」
「あるんですか」
「刃が欠けて,使わなくなったのが裏に何本か」
「見せてもらえます?」
案内された物置には,古い鍋や木箱,脚の折れた椅子など,使われなくなった物が雑多に積まれていた。
マルタがその奥を探り,細長い布に包まれた物を引っ張り出す。
中から出てきたのは,刃の欠けた包丁が三本だった。
「これですか」
「もう使ってないよ」
理人は一本ずつ確認した。
錆びているものもあるが,金属そのものはそれなりに残っている。
「ちょうどいいかもしれません」
「本当に使えるの?」
「そこはドランさんに見てもらわないと。ただ,使える部分が残っていればいいって言ってました」
「なら,持っていきな」
「いいんですか?」
「その代わり,できた道具は宿で使うんだろ?」
「もちろんです」
「じゃあ,店の物だ」
「……ですよね」
一瞬だけ自分の道具になる気分でいた。
考えてみれば,材料も宿の物なのだから当然である。
「ただね」
マルタが三本のうち,一番古い包丁を持ち上げた。
「これなんか,かなり欠けてるよ。三本全部使えるとは限らないんじゃないかい?」
刃先を見ると,確かに三分の一ほどは大きく欠け,残った部分にも錆が浮いている。
「……確かに」
「鉄なら,森の外れに拾えそうな場所があるけどね」
何気なく続いた言葉に,理人が顔を上げた。
「森?」
「昔,猟師が使ってた小屋の跡があるんだよ。もう誰も住んでないけど,壊れた道具なんかが残ってるって聞いたことがある」
「森のどの辺ですか」
「浅いところだよ。奥じゃない」
理人は少し考えてから,さらに聞いた。
「町から普通に歩いて行ける場所ですか?」
「行けるよ」
「一人で?」
「行かせるわけないだろ」
「ですよね」
即答されて,少し安心した。
「ガルドさんなら,場所分かります?」
「たぶんね。あの辺は何度も通ってるはずだよ」
「危険は?」
「森なんだから,ないとは言えない」
「角猪も?」
「出る時は出るさ」
理人の脳裏に,この世界へ来た直後の光景がよみがえる。
角猪に追いかけられ,まともな武器もなく森を走った。
あれをもう一度経験したいとは,全く思わない。
「ガルドさんが一緒で,浅い場所から出ない。それでも何か危ない気配があれば,すぐ戻る」
「そうすればいい」
「それなら……」
許容できる範囲かもしれない。
古い鉄は欲しい。
だが,鉄のために命を懸ける気はない。
死んだら,料理どころではないのだ。
「明日,ガルドさんに聞いてみます」
「そうしな」
マルタは古い包丁を布へ戻し,木箱の上へ置いた。
「鉄を拾いに森へ行く皿洗いなんて,初めて見たよ」
「さっき料理人じゃなくなりました?」
「まだ料理人じゃないだろ」
「それはそうなんですけど」
マルタは笑いながら,店へ戻っていった。
一人残った理人は,もう一度古い包丁を見る。
木槌で叩くよりも楽に,包丁一本で刻むよりも早く,同じくらいの大きさへ肉を切れる道具。
その材料が,森にあるかもしれない。
「……安全第一だな」
浅い場所から出ない。
ガルドに同行してもらう。
危険を感じたら,欲を出さずに戻る。
欲しいのは道具であって,命を懸ける理由ではない。
その判断だけは間違えないようにしようと,理人は決めた。
こうして,肉を細かくする道具の材料を探すため,理人は再び森へ行くことになった。
この時の彼が探していたのは,ただの古い鉄だった。
少なくとも,そのつもりだった。




