第48話 三人分の旅支度
翌朝,理人が目を覚ますと,顔の近くにぽんたの尻尾があった。
以前ならそのまま少し触ってから起きるところだったが,今日は朝にすべきことを思い出し,先に身体を起こす。
「ぽんた」
「ん……」
「起きろ。今日ハリスさんのところ行くぞ」
ぽんたは目を閉じたまま片耳だけを動かした。
「王都?」
「まだアルカだよ」
「肉……」
「朝飯なら下」
その一言で目が開いた。
「行く」
「どっちに?」
「飯」
「だと思った」
理人が寝台から降りると,ぽんたも大きく伸びをして床へ下りた。昨日,自分から王都へ行くと言ったばかりだというのに,朝になれば特別緊張している様子もない。
そこはぽんたらしくて助かった。
部屋を出て一階へ下りると,クウはすでに厨房にいた。
「おはよう」
「おはよう」
昨日,町の外れで王都へ行くと決めたときと変わらない声だったが,理人には少しだけ違って聞こえた。
これからは,王都の話をするときにふたりを外して考えなくていい。
そのことが,まだ少し新鮮だった。
「クウも行くってさ」
理人が何か言うより早く,ぽんたが口を開いた。
クウが振り返る。
「リヒトから聞いたの?」
「今見れば分かる」
「何が?」
「王都行く顔」
「どんな顔だよ」
理人が思わず口を挟む。
「リヒトもしてるぞ」
「昨日から顔で何でも判断されてない?」
クウが小さく笑った。
「ぽんたには昨日のうちに言おうと思ってたんだけど,もう寝てたから」
「起こせばよかっただろ」
「寝てる狸を起こしてまで言うことでもないかなって」
「大事だぞ!」
「今聞けたんだから同じだよ」
ぽんたは少し不満そうだったが,クウが本当に一緒に行くと分かると,尻尾は機嫌よく動いていた。
「じゃあ三人だな」
ぽんたが言う。
理人はその言葉を頭の中でもう一度繰り返した。
三人。
ほんの少し前まで,自分一人で行くつもりだった王都へ,今は三人で向かうことになっている。
「そうだな」
答えると,クウも静かに頷いた。
◇
朝食を食べながら,話題は自然と王都へ向かった。
「市場,アルカよりでかいんだろ?」
ぽんたは煮込みの中から肉を探しながら聞いてくる。
「マルタさんは,パン屋だけでもかなり多いって言ってた」
「肉屋は?」
「知らない」
「何で聞かなかったんだよ」
「パンと乳製品の話をしてたから」
「一番大事なところだろ」
「ぽんたにとってはな」
向かいでは,クウがパンの匂いを確かめるように鼻を近づけている。
「香草の店も多いかな」
「市場が大きいなら,アルカにない種類もありそうだよね」
「海の方とか,森の違う場所からも来る?」
「王都なら,いろんな地方から集まるんじゃないかな」
確かなことは分からないが,中央市場というくらいなのだから,アルカより品数は多いはずだ。
「匂い,すごそうだね」
クウが少し楽しそうに言う。
「クウ,市場入った瞬間動かなくなるんじゃない?」
「リヒトも食べ物見たら止まるでしょ」
「それは否定しづらい」
「俺も止まるぞ」
「ぽんたは毎回だろ」
「じゃあ三人とも同じだな」
「一緒にするな」
そう言いながらも,理人は少し笑っていた。
王都がどんな町なのか,まだほとんど知らない。
建物も,道の広さも,人の多さも想像でしかない。
それでも,三人で話していると,何となく市場だけは思い浮かべられる。
ぽんたが肉の匂いに引っ張られ,クウが知らない香草の前で足を止め,自分は読めない値札を前に店主へ一つずつ尋ねる。
最後だけは,できれば王都へ着く前に少し改善したかった。
「文字,王都行っても読めないよな」
ぽつりと言うと,ぽんたが肉を噛みながら顔を上げた。
「急にどうした」
「市場を想像してた」
「文字関係ある?」
「かなりある」
「店のやつに聞けばいいだろ」
「毎回?」
「今もそうしてるぞ」
「……そうなんだよな」
横でマルタが笑った。
「王都へ行く前に読み書き覚えようなんて考えるんじゃないよ。あと時間がどれくらいあると思ってるんだい」
「少しは覚えられるかと」
「まず自分の名前くらいにしときな」
「そこからですか」
「そこからだよ」
高校で教えていた人間が,自分の名前を書くところから始める。
相変わらず妙な話だった。
◇
朝の仕事を終えると,三人は市場へ向かった。
目的は二つある。
まずハリスへ,ぽんたとクウも同行すると伝えること。
そのあとで,二匹の分も含めて足りない旅支度を整えることだった。
市場へ続く道は,もう迷わない。
初めて一人で買い物へ行った頃には,宿から右へ出て,何本目の道を曲がるかまで頭の中で繰り返していた。
今は考えなくても足が進む。
パン屋の場所も,香草の店も,串焼きの屋台も知っている。
向こうから来た店主に顔を覚えられていることさえある。
文字はまだほとんど読めないが,それでも町はもう知らない場所ではなかった。
「リヒト」
ぽんたが少し前から振り返る。
「何?」
「俺,王都でも道覚えられるかな」
「最初は無理だろ」
「即答するなよ」
「アルカだって最初から覚えてたわけじゃないし」
「俺,森なら分かるぞ」
「町と森は違うだろ」
ぽんたは少し考えたあと,クウを見る。
「クウは?」
「匂いなら少し分かると思う。でも,人が多いといろいろ混ざるから,王都くらい大きい町だと分からないかも」
「じゃあリヒトが覚えろ」
「何で俺に戻ってくるんだよ」
「人間だから」
「便利な理由だな」
三人でそんな話をしながら歩き,市場の南側へ向かう。
濃い青色の布を掛けた荷車が見えてきた。
「今度は三人って言うんだよな」
ぽんたが確認する。
「そう」
「俺,自分で言う」
「何を?」
「行くって」
「どうぞ」
「私も自分で言うよ」
クウまで続く。
「別に俺が代表してもいいんだけど」
「昨日,自分で決めることだって言ったでしょ」
「そうだけど」
自分の言葉が返ってきた。
理人は何も言い返さなかった。
◇
ハリスは荷車の横で,積み込む予定らしい木箱を確認していた。
理人たちに気づくと,作業をしていた男へ何か指示してからこちらへ来る。
「増えたか?」
第一声がそれだった。
理人は少し笑う。
「増えました」
「俺も行く」
ぽんたが理人の前へ出た。
「私も」
クウも並ぶ。
ハリスは二匹を順に見てから,理人へ視線を戻した。
「三人で王都まで,でいいんだな」
「はい」
「なら,乗る場所も三人分で見ておく。ずっと荷台に座っていられるとは思うなよ」
「途中は歩くんですか?」
「道次第だな。平らな街道なら乗せるが,坂やぬかるみじゃ降りてもらう。荷蜥蜴に無理をさせて,途中で動けなくなる方が困る」
理人は並んでいる荷車へ目を向けた。濃い青色の布を掛けた大きな荷台の前には,太い四肢を持つ荷蜥蜴が繋がれている。アルカへ来た初日に見たものと同じ種類で,馬よりも低い位置に頭を置きながら,地面へ腹をつけるようにして休んでいた。
「これで王都まで十日ちょっと?」
「道が荒れなければな。毎日同じだけ進めるわけじゃない。宿場で荷を下ろす日もあるし,村へ寄ることもある。雨が続けば遅れる」
「思ったより大がかりですね」
「遊びに行く荷車じゃないからな。こっちからは肉と皮,森で採れた物を運ぶ。王都から戻るときは布や穀物が中心だ」
行きと帰りで積み荷まで変わるらしい。
理人は改めて荷車を見る。単に十日間揺られていれば着くわけではなく,いくつもの町や宿場を経由しながら,商売を続けて王都へ向かう。そう考えると,これまで想像していた「移動」より,ずっと旅らしく感じられた。
「荷物はどれくらい持てます?」
「自分で扱える分までだ。荷台に乗せはするが,商売の荷が優先になる。途中で面白そうな物を見つけたからって,何でも積めると思うなよ」
そう言われ,理人は少しだけ視線を逸らした。
「まだ何も買ってませんよ」
「顔が買う気だ」
「最近みんな顔で判断しすぎじゃないですか?」
横でクウが小さく笑う。
「リヒトなら増えそうだよ」
「クウまで」
「俺は肉!」
「ぽんたは先に今持ってる分を食べろ」
ハリスは三人のやり取りを眺めてから,話を戻した。
「それと,二匹とも荷車に乗るなら食事だけじゃなく場所も使う。その分は少し見てもらうぞ。ただ,人間二人分取るほどじゃない」
「分かりました」
「俺,小さいぞ」
「飯は食うだろ」
「食う」
「ならただでは乗せん」
ぽんたは少し考えたあと,すぐに胸を張った。
「働く」
「何ができる」
「道具になれる。箱とか,台とか。それと荷物も運べる」
「なら野営のときに水や薪を運んでもらうことはあるかもな」
「飯増える?」
「働き次第だ」
「やる」
「早いな」
ハリスが苦笑する。
「狸が働いてくれるようだから,狐は無理に仕事を探さなくていい。商隊の決まりを守って,勝手に離れなければそれでいい」
「分かったよ」
「夜に森へ入るのもなしだ。魔獣だから平気だと言われても,こっちは人数を数えて動いてる。一匹いなくなれば探す手間が増える」
「そんなことしないよ」
クウは落ち着いて答えた。
理人は横で頷きながら,少し先の荷蜥蜴へ目を向けた。太い尾が地面を一度叩き,その横では別の一頭が目を閉じている。
あれに荷車を引かせ,十日以上かけて王都へ向かう。
途中では宿場に寄り,村を通り,道が悪ければ三人とも荷台から降りて歩く。
ようやく,王都までの道のりが少しだけ具体的に見えてきた。
ハリスは三人を見比べ,何か納得したように頷いた。
「まあ,喋るなら話は早い。出発の日は日が上がる前にここへ来い。荷物は自分で持てる分まで。旅の途中で要らない物が増えても,うちの荷車に勝手に積むなよ」
「王都で買う分は?」
ぽんたが聞く。
「帰りまで面倒見るとは言ってない」
「帰り?」
ぽんたの耳が動く。
理人も少しだけ反応した。
王都へ行くことばかり考えていた。
その先,どれくらいいるのか。
アルカへ戻るのか。
まだ何も決めていない。
「帰ってくるなら,また商隊を探せ。うちがちょうど戻るとは限らん」
「そうですよね」
当然だった。
ハリスの商隊は理人たちのために動いているわけではない。
王都へ着けば,そこから先は自分たちで決めることになる。
理人が少し考えていると,クウが横から聞いた。
「リヒト,帰ってくるつもり?」
「今は,戻ってくるつもりではいるよ」
「いつ?」
「それは分からない」
「王都でどれくらい見るかも分からないもんね」
「そういうこと」
ぽんたも少し考える。
「俺の干し肉,宿に残してっていい?」
「そこ?」
「帰ってくるなら置いとけるだろ」
「マルタさんに聞け」
「食われない?」
「誰がぽんたの干し肉食うんだよ」
「分かんねえだろ!」
ハリスが声を上げて笑った。
「お前ら,本当に旅に出るのか?」
「自分もちょっと不安になってきました」
「リヒト!」
「冗談だよ」
ぽんたが足へ体当たりしてくる。
その横でクウが笑っていた。
◇
ハリスへの報告を終えると,三人は市場の中へ戻った。
「まず,ぽんたの荷物から考えるか」
「俺,肉あるぞ」
「食料以外」
「肉以外の荷物いる?」
「旅を何だと思ってるんだよ」
理人は市場の端にある布や袋を扱う店へ向かった。
ぽんたが森から持ってきたものは,干し肉や木の実が中心で,持ち物らしい持ち物はほとんどない。本人が箱へ変われるからといって,自分の荷物を自分の中へ入れられるわけでもない。
結局,小さな丈夫な布袋を一つ選んだ。
「これくらいなら,自分で背負える?」
店主に紐を調整してもらい,ぽんたの背へ軽く当ててみる。
「変じゃない?」
「旅っぽい」
「本当?」
「かなり」
ぽんたが少し得意そうに胸を張った。
紐がずれないよう調整すると,胴の横へ小さな袋が収まる。
「入れるものは?」
「肉」
「やっぱり」
「木の実も」
「食料だけだな」
「あとドランに見せるやつ拾ったら入れる」
「旅先で拾う前提なんだ」
「変な道具あったら見る」
ドランから言われたことを覚えているらしい。
形だけではなく,どう動くのかまで見る。
王都には,アルカで見たことのない道具もあるだろう。
「重くなったら持たないからな」
「自分で持つ」
「ならいい」
次はクウだった。
「私は,そんなに持つものないよ」
「でも何か欲しいものある?」
理人が尋ねると,クウは店先に並んだ布袋を見たあと,少し考えた。
「小さい包みが一つほしいかな」
「何入れるの?」
「香草」
予想していなかった答えではない。
「旅先で見つけたやつ?」
「うん。食べられるか分からないものを勝手に取るつもりはないけど,市場で少し買ったり,匂いを覚えておきたいものがあったら入れたい」
「いいですね」
「リヒトもやるでしょ」
「何を?」
「知らない食べ物あったら持って帰る」
「否定できない」
クウには,ぽんたよりさらに小さな布袋を選んだ。
身体へ直接結びつけるのを嫌がるかと思ったが,クウ自身が何度か位置を確かめ,肩の後ろへ軽く掛かる程度なら問題ないと言った。
「邪魔だったら外すよ」
「それでいいと思う」
「私のは香草」
「俺のは肉」
「まだ入ってないだろ」
「これから買う」
ぽんたは当然のように言った。
「昨日も干し肉持ってきただろ」
「あれは宿用」
「何で分かれてるんだよ」
「大事だから」
理人にはよく分からない分類の仕方だった。
◇
保存食の店では,結局ぽんた用の干し肉を少し追加し,クウには香りの強すぎない乾燥肉を選んだ。
理人自身の分はすでにある。
マルタも出発の日にいくらか持たせてくれると言っていたので,買いすぎる必要はない。
「パンは?」
ぽんたが聞く。
「商隊でも用意するだろうし,出発前に買えばいい」
「チーズは?」
「日持ちするのなら少し欲しい」
「買う?」
「今日はやめとく」
「何で!」
「荷物増えてるだろ」
理人がぽんたの背を見る。
小さな袋は,すでに干し肉で少し膨らんでいた。
「まだ入る」
「入るかどうかじゃなくて,持つかどうかだよ」
「持つ!」
「王都まで十日以上だぞ」
「食えば軽くなる」
「確かに」
クウが横から言った。
「クウ,そっちにつく?」
「間違ってないよ」
「間違ってないけど」
理人は少し悩んだ末,小さなチーズを一つだけ買った。
結局,自分も食べたかった。
「リヒトも同じじゃねえか」
「これは三人分」
「便利な言い方だな」
「ぽんたにだけは言われたくない」
三人で笑いながら店を離れる。
最初に市場へ来たときは,宿から預かった金だった。
珍しいものを見つけても,見るだけにした。
今は,自分たちの旅のために必要なものを選んでいる。
同じ市場なのに,並んでいるものの見え方が少し違った。
◇
昼が近づくにつれ,市場の人通りが増えてきた。
理人は二匹がいる位置を自然に確認する。
少し前にぽんた。
右側にはクウ。
以前と同じだった。
ただ,ぽんたの背には新しい袋があり,クウにも小さな包みが掛かっている。
「何か不思議」
理人が言う。
「何が?」
クウが見上げる。
「ふたりとも旅する格好になったなと思って」
「俺,強そう?」
「強そうではない」
「何で!」
「荷物背負った狸だから」
「旅人っぽいだろ!」
「旅狸」
「それ格好悪い!」
クウが笑った。
理人も笑いながら,市場の通りを見回す。
最初にこの場所へ来たときは,値段も食材の名前も分からなかった。
角猪の肉をどうすればハンバーグにできるのか,そればかり考えていた。
ガルドに肉の部位を教えてもらい,ドランの店へ行き,ぽんたと出会った。
森の異変が起き,クウと知り合った。
気づけば,今は三人で王都へ行く準備をしている。
アルカに長くいたわけではない。
日本で過ごした二十五年と比べれば,ほんの短い時間でしかない。
それでも,この町へ来た日のことを思い出すと,ずいぶん遠く感じた。
「リヒト?」
クウが呼ぶ。
「何?」
「また難しい顔してる」
「ちょっと思い出してただけ」
「何を?」
「最初にアルカへ来たときのこと」
ぽんたが振り返る。
「俺いない」
「まだ森にいたからな」
「クウもいない」
「私も森だったころの話だね」
「一人だった?」
クウに聞かれ,理人は少し考えた。
「最初の日はガルドさんとミレナさんがいたし,宿に来たらマルタさんとバルドさんもいたから,一人ではなかったよ」
それでも,知っている相手は誰もいなかった。
この世界のことも何も分からなかった。
「でも今は三人」
ぽんたが言った。
「そうだな」
「王都行ったら,また知らないやつばっかりだぞ」
「そうだね」
「でも三人いる」
理人はぽんたを見る。
本人は深いことを言ったつもりではないらしく,すでに近くの屋台から漂ってくる肉の匂いへ鼻を向けていた。
「……そうだね」
もう一度答える。
三人という言葉が妙にうれしかった。
◇
「ねえ,三人とも」
聞き覚えのある声がして,理人は振り返った。
人混みの向こうから歩いてきたのはミレナだった。
今日は森へ入る装備ではなく,腰に剣を下げた普段の軽装で,片手には小さな革袋を持っている。
「旅支度?」
こちらを見れば分かるらしい。
「はい。二人とも行くことになったので」
「俺も王都行く」
「私も行くよ」
二匹がほとんど同時に答える。
ミレナは少し目を丸くしたあと,笑った。
「やっぱり」
「分かってたんですか?」
「何となくね。市場でも宿でも,ずっと三人でいたでしょ」
「それと旅は別ですよ」
「リヒトはそう言うと思った」
以前から似たようなことを言われている気がする。
ミレナはぽんたの袋を見下ろした。
「それ,何入ってるの?」
「肉」
「一個目から?」
「一番大事」
「王都着く前になくなりそう」
「買う」
「お金は?」
ぽんたが黙った。
ミレナが笑う。
「そこまで考えなよ」
「働くからいい」
「商隊で?」
「そう」
「じゃあ一緒だね」
ミレナが何気なく言った。
理人は一度聞き流しかけて,すぐに引っかかった。
「一緒?」
「うん」
ミレナは腰の剣を軽く叩いた。
「私もハリスの商隊に入るよ。護衛で」
三人とも少しの間,黙った。
最初に反応したのはぽんただった。
「お前も王都行くの?」
「行くよ」
「何で?」
「仕事があるのと,向こうにちょっと用事」
「聞いてませんでした」
理人が言うと,ミレナは肩をすくめる。
「言ってないからね」
「いつ決まったんです?」
「少し前。ハリスが護衛探してるって聞いて,ちょうどよかったから」
それだけ言うと,ミレナは詳しい説明をする気はないらしい。
理人も今ここで問い詰めることではないと思った。
「じゃあ,王都まで一緒なんですね」
「そういうこと」
「安心した」
自然に言葉が出た。
ミレナが少し意外そうな顔をする。
「そんなに?」
「知ってる人が護衛にいる方が安心するでしょう」
「そこ?」
「ほかに何が?」
「もう少し喜ぶかと思った」
「喜んでますよ」
「顔に出てない」
「最近みんな顔見すぎじゃないですか?」
クウが小さく笑った。
「分かりやすいんだと思うよ」
「クウまで」
ミレナも笑う。
「まあ,王都までなら任せな。リヒト一人で旅するよりは,だいぶ安心だから」
「今は三人です」
「そうだった」
ミレナはぽんたとクウを見て,少しだけ笑みを深くした。
「なら,三人まとめてね」
「俺,守られなくても逃げられるぞ」
「迷子にはなるかもね」
「ならねえ!」
「王都で?」
ぽんたが止まる。
「……最初だけ」
「なるんじゃないか」
理人が言うと,ぽんたがすぐに言い返してきた。
その横でクウとミレナが笑う。
王都までの旅を想像したとき,そこにミレナまで加わるとは考えていなかった。
けれど,不思議と違和感はなかった。
森で最初に出会った二人のうち,一人が同じ道を進むことになる。
「ミレナさん」
「何?」
「王都の食べ物,詳しいですか?」
ミレナが一瞬黙った。
「最初に聞くの,それ?」
「大事なので」
「肉!」
ぽんたが加わる。
「香草も」
クウまで続いた。
ミレナは三人を順番に見てから,大きく息を吐いた。
「……道中,ずっとこんな感じ?」
「今のところは」
「先が思いやられるなあ」
そう言いながらも,ミレナは笑っていた。
◇
ミレナと別れ,煮込み鹿亭へ戻るころには,三人分の荷物が少し増えていた。
理人が持つ袋の中には塩や香辛料,保存食と小さなチーズがあり,ぽんたの背には干し肉の入った袋,クウの袋にはまだ何も入っていない。
「クウの空だな」
ぽんたが言う。
「王都までに入れる必要ないよ」
「何か入れようぜ」
「何を?」
「肉」
「あなたの袋に入ってるでしょ」
「分ける」
「嫌だよ。匂い移るから」
「肉の匂いいいだろ」
「香草入れるの」
「香草も肉に使える」
「そういう問題じゃないよ」
二匹が話している横で,理人は少し笑った。
見慣れた通りを歩く。
もう何度も通った市場から宿までの道である。
出発の日まで,まだ少しある。
明日も宿で働き,食事をし,必要なら市場へ来るだろう。
旅が決まったからといって,日常が急に終わるわけではない。
むしろ今は,いつものこと一つ一つが少しだけ違って見えた。
「王都着いたらさ」
ぽんたが前を向いたまま言う。
「最初,何する?」
「中央市場に着くんだから,まず宿探しじゃない?」
「飯じゃないの?」
「荷物置いてから」
「そのあと?」
「市場を見る」
「やっぱり飯じゃん」
「市場は飯だけじゃないだろ」
「道具も見る」
「私は香草かな」
二匹がそれぞれ言う。
「リヒトは?」
クウに聞かれ,理人は少し考えた。
パン。
乳製品。
チーズ。
肉。
調味料。
知らない料理。
見たいものはいくらでもある。
「まず,市場を一周したい」
「全部?」
「できれば」
「絶対途中で止まるぞ」
「ぽんたもだろ」
「俺は肉で止まる」
「私は匂い次第かな」
理人は笑う。
「じゃあ,一周するのに一日かかるかもな」
「それでもいいじゃん」
クウが言った。
「急いで帰るって決めてないんでしょ?」
「そうだね」
理人は歩きながら,前方に見えてきた煮込み鹿亭の看板を見上げた。
相変わらず,文字を全部読めるわけではない。
けれど,もうあれが何と書いてあるのかは知っている。
アルカへ来たときには,読めない看板の下へ連れてこられただけだった。
今は,自分で市場からここへ帰ってくる。
そして数日後には,ここから三人で知らない町へ向かう。
「リヒト,何見てる?」
ぽんたが聞く。
「宿」
「毎日見てるだろ」
「そうだな」
「変なの」
「最近それ,よく言われる」
理人は笑って扉へ手をかけた。
旅支度は,少しずつ整ってきている。
王都がどんな場所なのかは,まだ分からない。
それでも,そこへ向かう三人の形だけは,もう決まっていた。
三連休の更新はここまでです。
たくさん更新しましたが,ここまで追いかけてくださった皆さま,本当にありがとうございます。
理人,ぽんた,クウ。
ようやく三人で王都へ向かう準備が整いました。
明日からは一日一話,夜の更新を予定しています。
アルカで過ごす時間も,あと少し。
最後まで見届けていただけたら嬉しいです。




