第39話 うまい
理人が最初にナイフを入れると,表面の焼き色の下から湯気が立った。
中まで火は通っている。
切った途端に肉汁が皿いっぱいへ流れ出すこともなければ,逆に乾いてぼそぼそしている様子もない。粗く残した肉の粒の間を,細かくした肉がつないでいるのが断面からも分かった。
「……大丈夫そう」
理人が呟くと,向かいに座っていたミレナが笑う。
「そこから確認なんだ」
「最初に失敗してるので」
「さっきぽんたが喋ってたよ」
「余計なことを」
「本当のことだろ」
ぽんたは悪びれもせず,自分の皿をじっと見ている。
「もう食っていい?」
「いいよ」
その言葉を待っていたらしい。
ぽんたはすぐに一口食べ,数回噛んだところで耳を立てた。
「うまい!」
「前よりうまいぞ!」
「どこが?」
理人が聞くと,ぽんたはもう一口食べてから少し考えた。
「肉がいっぱいある」
「肉料理だからな」
「そうじゃなくて,前より噛んだときに違う肉がある感じ」
理人は少し驚いた。
粗い肉と,細かい肉。
ぽんたの言い方は大雑把だが,見ているところは間違っていない。
「粗いところ,好き?」
「好き。でも,細かいのも一緒にあるから崩れない」
「そこまで分かるのか」
「俺が細かくしたんだぞ」
ぽんたは得意そうに胸を張った。
その横で,ドランが初めてハンバーグへナイフを入れている。
切った断面をしばらく眺め,それから一口。
すぐには何も言わない。
「どうです?」
理人が尋ねると,ドランはもう一度皿を見た。
「……なるほどな」
「何が?」
ぽんたが身を乗り出す。
「黙って食え」
「俺が呼んだんだから感想聞いていいだろ!」
ドランはぽんたを一度睨んだが,結局もう一切れ口へ運んだ。
「硬い肉を細かくするってのは分かった。だが,ただ柔らかくなるだけじゃねえんだな」
「といいますと?」
「粗いところは噛ませる。細かいところはつなぐ。脂も混ざってるから,硬い肉だけ食うより口に残らねえ」
料理の分析の言葉だった。
けれど,道具や素材を見るドランらしい感想だった。
「それ,俺が変えたやつ」
ぽんたがすぐに言う。
「ああ」
「ちゃんと役に立ててる?」
ドランは少しだけ間を置き,ぽんたを見る。
「道具としては,前よりずっとましだ」
「まし?」
「十分使える」
ぽんたが固まった。
次の瞬間,尻尾が大きく揺れる。
「聞いたか,リヒト!」
「聞いたよ」
「クウも!」
「聞いてたよ」
「もう一回言ってくれ!」
「調子に乗るな」
ドランはそう言いながらも,三口目を食べていた。
◇
クウは,ぽんたほど急いでいなかった。
一口食べるごとにゆっくり噛み,鼻から息を抜くようにしている。
「クウは?」
理人が尋ねる。
「おいしいよ」
「香りは?」
「前より残ってる」
クウは一度皿へ視線を落とした。
「焼いてるときにした黒香子と涙玉の匂いが,食べてる途中でもちゃんといるよ。最後まで同じ強さじゃないけど,急に消えない」
「肉に負けてない?」
「うん。でも肉の匂いもちゃんとある」
理人は自分の皿を切り分ける。
クウの言葉を意識しながら一口食べる。
確かに,最初に黒香子が立ち,そのあと涙玉の甘い香りが重なる。噛んでいくと角猪の肉と脂が前へ出るが,香りがそこで完全に消えるわけではない。
前よりつながっている。
それが一番近い表現だった。
「境界,使った意味あった?」
クウが聞く。
「ありました」
「分かる?」
「全部が《境界魔法》のおかげではないですけど,焼く前まで香りと温度を保てたのは大きいと思います」
「そっか」
クウは少し嬉しそうに耳を動かし,また一口食べた。
自分の力そのものを褒められたことというより,料理の中にちゃんと役割があったことが嬉しいように見えた。
◇
マルタは,ほかの者よりずっと静かに食べていた。
理人が気になって視線を向けると,ちょうど皿の半分ほどを食べ終えたところだった。
「どうです?」
「ちゃんと一皿で出せるね」
「そこからですか」
「そこが大事だよ」
マルタはナイフの先で断面を示す。
「最初みたいに崩れない。硬くない。脂だけ浮いてこない。涙玉も生っぽくないし,黒香子も強すぎない」
「はい」
「それに,食べ終わる前に飽きない」
理人は少し考えた。
「飽きない?」
「肉だけがずっと同じ味で押してこないってことさ。脂も香りもちゃんと変わるからね」
言われてみれば,それは理人が自分では意識していなかったところだった。
隣でバルドも頷いている。
「酒にも合いそうだ」
「そこ?」
マルタが夫を見る。
「大事だろ」
「まあ,客に出すならね」
バルドはもう半分以上食べていた。
「パンと一緒でもうまいと思うぞ」
「それは試したいですね」
「今度だな」
理人が答えると,ぽんたがすぐ顔を上げる。
「今度?」
「今日はそのまま食べる」
「パン挟もうぜ」
「今日はやらない」
「絶対うまいって」
「それは分かるけど」
「じゃあやろう」
「話聞けよ」
食堂に笑い声が広がる。
少し前まで森の異変で静まり返っていた宿と同じ場所とは思えなかった。
◇
ガルドは最初から最後まで,ほとんど黙って食べていた。
理人が感想を聞こうか迷っているうちに,一皿きれいになくなる。
「ガルドさん」
「何だ」
「どうでした?」
「うまかった」
「それだけ?」
ミレナが横から笑う。
「もっと何かあるでしょ」
「ない」
「肉の仕事してるのに」
「だからだ」
ガルドは水を一口飲み,空になった皿を見る。
「角猪の肩だろ」
「はい」
「焼くだけなら,もう少し噛む肉だ」
「そうですね」
「脂の多いところを混ぜてるのは分かる。だが,角猪じゃなくなってはいない」
理人はその言葉に,少しだけ姿勢を正した。
「そこ,残ってます?」
「ああ」
ガルドは短く頷く。
「柔らかくしたいだけなら,もっと細かくすりゃいい。脂も増やせばいい。だが,それじゃ別の肉になる」
まさに,理人が途中で気にしていたところだった。
食べやすくしすぎて,角猪らしさまで消してはいけない。
魔力の調整も同じだった。
「これくらいなら,角猪食ってるって分かる」
「ありがとうございます」
「礼を言うなら肉に言え」
「そこはガルドさんじゃないんですね」
「俺は持ってきただけだ」
ミレナが笑いながら自分の皿を示す。
「私はこれ,かなり好き。前に食べたのより食べやすいし,でも肉っぽい」
「前の覚えてました?」
「何回か食べさせられたからね」
「言い方」
「でも,これならまた食べたいよ」
素直な一言だった。
理人には,それが一番嬉しかった。
◇
全員の感想を聞き終えてから,理人は自分の皿へ戻った。
まだ半分ほど残っている。
一口。
噛む。
粗い肉の粒が歯へ当たり,その間から脂が広がる。細かな肉が全体をつないでいるから,ぼろぼろにはならない。
涙玉の甘み。
黒香子の香り。
パンと乳が肉汁を受け止め,卵が全体をまとめている。
そして角猪の肉が,ちゃんと中心にいる。
《魔味覚》へ意識を向けると,以前気になった舌を刺すような細い刺激は弱い。
それでも角猪らしい硬質な魔力の味までは消えていない。
丸くしすぎていない。
削りすぎてもいない。
理人はもう一口食べた。
「……うまい」
誰かへ聞かせるためではなく,自然に声が出た。
ぽんたがすぐ反応する。
「だろ!」
「お前が全部作ったみたいに言うな」
「俺も作った!」
「それはそうだな」
否定しなかったせいか,ぽんたが少し驚いた顔をする。
理人はクウを見る。
「クウも」
「私も?」
「もちろん」
クウは一瞬だけ目を丸くし,それから小さく笑った。
「じゃあ三人で作ったね?」
「そうですね」
「俺の方がいっぱい働いたぞ」
「すぐ張り合うなよ」
「だって俺,肉細かくしたし」
「私は匂い見たよ」
「俺は道具にもなった!」
「クウは境界使った」
「俺は――」
「お前ら,食ってからやれ」
ドランの低い声が飛び,二匹がそろって黙った。
その様子を見て,全員がまた笑った。
◇
食べ終わる頃には,八枚の皿はほとんど空になっていた。
ぽんただけは,誰か残さないか最後まで期待していたが,今回は誰も残さなかった。
「一個もない……」
「それだけうまかったってことだろ」
理人が言う。
「それは嬉しいけど,食いたい」
「どっちなんだよ」
マルタが空いた皿を重ね始める。
「今日のは,ちゃんと名前を付けて出せる料理になったね」
「名前ならハンバーグです」
「この辺じゃ誰も知らない名前だろ」
「覚えてもらえばいいです」
「強気になったね」
「そこだけは最初からです」
理人は少し笑った。
最初のハンバーグは失敗した。
二度目は食べられた。
ぽんたと作ったものは,ちゃんとおいしかった。
そして今日のものは。
理人自身が,もう一度食べたいと思えた。
それなら,今のアルカで作れるハンバーグとしては,一度ここで完成としてもいいのかもしれない。
ただ。
理人はテーブルの端に置かれたパンを見る。
市場で見た,王都方面から来た硬いチーズを思い出す。
同じパンでも種類が違った。
乳製品にも,まだ知らないものがある。
角猪以外の肉も,この世界にはいくらでも存在する。
「どうした?」
ガルドが尋ねた。
「いや」
理人は空になった自分の皿を見る。
「おいしくできたなと思って」
「なら難しい顔するな」
「もう一個思ったことがあって」
「何だよ」
ぽんたがすぐ食いつく。
理人は少し考えてから答えた。
「もっとできそうだなって」
ぽんたが顔をしかめる。
「まだ?」
「今日のはうまいよ」
「じゃあいいだろ」
「いい。でも,ここで終わりじゃなくてもいい」
クウが静かに理人を見る。
「何か変えたいの?」
「まだ分かりません。ただ,アルカにある材料だけでもここまでできたなら,知らない食材を使ったらどうなるのかなって」
自分で口にして,初めて少し形になった。
もっと強い魔獣を探したいわけではない。
高価なものを集めたいわけでもない。
ただ,知らないものを知りたい。
食べて,試して,今のハンバーグと比べてみたい。
それだけだった。
「また面倒なこと考えてんな」
ドランが呆れたように言う。
「そうですか?」
「うまいもんできたなら食ってりゃいいだろ」
「それもいいんですけどね」
理人は笑う。
それでも,頭の中にはもう,知らないパンや乳製品,肉や香辛料のことが浮かび始めていた。
今日のハンバーグは,確かにうまかった。
だからこそ。
その先が,少し見たくなった。
ここまで読んでくださり,ありがとうございます。
今回はまず,理人たち三人の「うまい」を中心に描きました。
マルタやガルドたちがこのハンバーグをどう感じたのかは,それぞれの人物らしい形で,また後のお話できちんと描く予定です。
引き続きお付き合いいただけたら嬉しいです。




