第35話 道具を見る目
その日の昼前,理人はぽんたとクウを連れて煮込み鹿亭を出た。
目的地は市場ではない。
「ドランって,あの怖い顔のやつだよな」
ぽんたが理人の横を歩きながら尋ねる。
「怖い顔は余計だろ」
「でも怖いぞ」
「本人の前で言うなよ」
「言わねえよ」
ぽんたはそこまで無謀ではないらしい。
反対側を歩くクウが,二人を見上げた。
「何を作ってる人なの?」
「鍛冶屋です。包丁とか,鍋とか,農具とか。前にぽんたが肉を細かくするときの道具も相談しました」
「私が来る前?」
「かなり前ですね」
理人が答えると,ぽんたが胸を張った。
「俺がまだ名前もなかった頃だぞ」
「そこは自慢するところじゃないだろ」
「昔の話っぽいだろ」
「そんなに前じゃない」
クウが小さく笑う。
ぽんたにとっては,アルカで暮らし始めてからの数日は,理人が思うより長く感じられているのかもしれない。
煮込み鹿亭から鍛冶場までは,市場を横切るより少し外側の道を通る。
人通りは多くない。
三人で歩くにはちょうどよかった。
◇
ドランの鍛冶場へ近づくにつれ,金属を叩く音が聞こえてきた。
一定ではない。
何度か強く響いたあと,少し止まり,再び鳴る。
入口の前まで来ると,熱せられた鉄と炭の匂いが流れてきた。
「暑いね」
クウが足を止める。
「中はもっと暑いですよ」
「外で待っててもいい?」
「もちろん」
「うーん,やっぱり入る」
クウは一度だけ鍛冶場の奥を見てから言い直した。
「見てみたいから」
「無理しないでくださいね」
「暑かったら出るよ」
その横で,ぽんたはすでに入口から中を覗いていた。
「おい,勝手に入るなよ」
「見てるだけ!」
理人が声をかけたところで,奥から低い声が飛んできた。
「入口で騒ぐなら帰れ」
ぽんたが一歩下がった。
「やっぱ怖い」
「聞こえてるぞ」
「ほら!」
「お前が言ったんだろ」
理人は苦笑しながら中へ入った。
鍛冶場の奥では,ドランが火床の前に立っていた。太い腕で鉄を押さえ,作業台には大小の槌や鋏,刃物の途中らしい金属片が並んでいる。
「久しぶりです」
「そうでもないだろ」
ドランは手を止めずに答えた。
「今日は何だ。また妙な道具でも作るのか」
「今日は作ってほしいものがあるわけじゃないです」
「じゃあ何しに来た」
理人は横のぽんたを見る。
「こいつに,道具を見せてもらえないかと思って」
ドランの手が止まった。
ぽんたを見る。
「狸に?」
「俺,ぽんただぞ」
「知っとる」
「なら狸って言うなよ」
「狸だろうが」
ぽんたが何か言い返そうとしたが,理人が軽く肩へ手を置くと,口を閉じた。
「ぽんたの《物質変化》なんですけど,最近,同じ道具の一部分だけ形を変えられるようになってきたんです」
「ほう」
ドランが初めて少し興味を示した。
「見た形をそのまま真似するだけじゃなくて,どう使うか分かってきたからじゃないかと思ってます」
「それで本物の道具を見せろ,か」
「はい」
ドランはしばらくぽんたを眺めたあと,顎で作業台を示した。
「壊すなよ」
「見るだけなら壊さねえよ!」
「触るなとは言ってない」
「いいの?」
「道具は触らなきゃ分からん」
ぽんたの耳が立った。
◇
最初に見せてもらったのは,大きさの違う三本の包丁だった。
肉を切るもの。
骨の近くへ入れる細いもの。
野菜などに使う幅の広いもの。
理人には同じ刃物の仲間に見えるが,並べると形も厚さもかなり違う。
「これ,全部切るやつだろ?」
ぽんたが尋ねる。
「そうだ」
「なんで形違うんだ?」
「切るものが違うからだ」
ドランは細身の一本を持ち上げた。
「こいつは細いところへ刃を入れる。だから幅が狭い。こっちは硬いものに当てるから,背を厚くしてある」
次に幅広の一本を示す。
「こいつは刃の重さも使う」
ぽんたは一本ずつ眺め,鼻先を近づけるようにして見ていた。
「刃が薄けりゃ切れるんじゃないの?」
「薄けりゃ欠ける」
「硬くすれば?」
「硬すぎりゃ折れる」
「じゃあどうすんだよ」
「だから作るんだろうが」
ドランの返事に,ぽんたが黙った。
理人は少し笑いそうになる。
ぽんたが珍しく言い返せていない。
「難しいね」
クウが入口近くの日陰から声をかけた。
鍛冶場の熱気を避けるため,中までは入らずに見ている。
「道具って,形だけじゃないんだね」
「そういうことだ」
ドランは短く答え,今度は金属製の穴あき板を取り出した。
理人には見覚えがある。
以前,簡易的な細断器を相談したときに見せてもらったものに近い。
「狸。お前,今はどんな形になる」
「見せる?」
「やってみろ」
ぽんたは少し後ろへ下がった。
身体が縮み,広がり,やがて普段使っている細断器の形になる。
穴の開いた板状の部分と,肉を押しつけるための形。
以前より確かにまとまっている。
「こんな感じ」
器具の姿のまま,ぽんたが喋る。
「気味悪いな」
「おい!」
「喋る道具なんぞ普通いない」
「俺だって好きで道具のまま喋ってんじゃねえ!」
ドランは気にした様子もなく,ぽんたの表面を指で軽く叩いた。
「前より厚みはましだな」
「だろ?」
「だが,ここ」
穴の開いた部分を示す。
「全部同じ厚さにする必要はない」
「なんで?」
「力がかかるところだけ厚くすりゃいい。何でも均一にすれば丈夫になるわけじゃない」
ぽんたが黙る。
ドランはそのまま,縁の部分と中央を順に示した。
「ここは支える。ここは肉が通る。役目が違うなら,形も厚さも違っていい」
理人はその説明を聞きながら,ぽんたを見る。
器具の表面がわずかに揺れた。
「……こう?」
縁が少し厚くなる。
代わりに,中央の穴の周りが少し薄くなった。
形そのものはほとんど変わらない。
だが,さっきより道具らしく見える。
ドランがもう一度指で叩いた。
「さっきよりはいい」
「ほんと?」
「ただし薄くしすぎだ」
「じゃあここ戻す?」
「少しな」
ぽんたが調整する。
今度は全身を元の姿へ戻さない。
必要な場所だけ,少しずつ変える。
「……部分的な変化,できてるな」
理人が思わず呟いた。
ぽんたが元の姿へ戻る。
「前からできたぞ」
「昨日できるようになったばっかりだろ」
「昨日できたなら,もうできる!」
「そういう理屈か」
ぽんたは得意そうだった。
◇
それからしばらく,ドランは使っていない古い道具をいくつか見せてくれた。
曲がった鋏。
欠けた鑿。
柄を外した小さな槌。
古い鍋の取っ手。
ぽんたはどれも熱心に見ていたが,全部へ変化しようとはしなかった。
「これは?」
ぽんたが鋏を指す。
「二枚の刃を動かす」
「俺,これ無理かも」
「なぜだ」
「二つ動かすの,よく分かんねえ」
以前なら,見た形だからとそのまま真似しようとしたかもしれない。
今は自分から止まった。
「それでいい」
ドランが言う。
「分からん道具になるな」
「でも形は分かるぞ」
「形だけ分かっても,中が分からんなら同じだ」
ぽんたは少し考え,鋏から視線を外した。
「じゃあ,これは今やらない」
「賢くなったじゃねえか」
「前から賢い!」
ドランは鼻で笑った。
だが,口元は少し緩んでいる。
理人もその変化には気づいた。
「ぽんた」
「何?」
「褒められたな」
「褒めてないだろ!」
「今のは褒めてたと思うよ」
入口からクウも加わる。
「そうなのか?」
ぽんたが交互に見る。
「たぶ――」
理人は言いかけてやめた。
「褒めてた」
「だよな!」
ぽんたの尻尾が勢いよく上がった。
ドランは何も言わず,次の鉄を火床へ入れた。
◇
しばらくして,クウが少し外へ出た。
理人も様子を見に続く。
「大丈夫ですか?」
「うん。ちょっと暑かっただけ」
クウは建物の影へ移り,石壁の近くへ伏せた。
舌を出すほどではないが,耳が少し横へ寝ている。
「中にいなくてもよかったのに」
「見たかったから」
「面白かった?」
「うん。ぽんた,ちゃんと考えて変わってるんだね」
「本人に言ったら喜びますよ」
「じゃああとで言う」
クウは鍛冶場の入口を見る。
中ではぽんたがドランに何か尋ねているらしく,時々大きな声が聞こえてくる。
「ぽんた,楽しそうだね」
「ですね」
「リヒトも?」
「自分も楽しいですよ」
「道具見てるだけなのに?」
「道具がどうできてるか分かるの,面白くないですか?」
クウは少し考えたあと,首を傾げた。
「私は匂いの方が面白いかな」
「人それぞれですね」
「そうだね」
風が吹き,鍛冶場の熱気が少し散った。
クウの耳も元へ戻る。
理人が立ち上がろうとすると,クウも自然に立ち上がった。
「戻ります?」
「うん。もう少し見る」
二人で入口へ戻る。
◇
鍛冶場へ入ると,ぽんたが小さな槌の形になっていた。
「何してるんだ?」
「これ!」
槌の姿のまま,ぽんたが返事をする。
理人が見ると,形そのものは単純だが,握る部分と頭の部分で厚みが違う。
「前よりそれっぽいな」
「ドランが,重いところと持つところ分けろって」
「なるほど」
ドランが横から口を挟む。
「ただ,こいつは重さまで都合よく変えられんらしいな」
「広げると薄くなるし,大きくしても俺の重さは変わらねえ」
「なら道具の形にも限界がある」
「うん」
ぽんたは素直に頷いた。
理人は少し意外だった。
「今日はよく聞くな」
「ドラン,詳しいから」
「最初からそうだろ」
「前は怖かった」
「ついさっきも怖がってだだろうに」
「ちょっとだけ」
「帰れ」
「冗談!」
クウが笑う。
理人もつられて笑った。
ぽんたは元の姿へ戻ると,しばらく自分の前脚を眺めた。
「形見るだけじゃ駄目なんだな」
ぽつりと言う。
「そうみたいだな」
「中どうなってるかとか,どこが大事かとか」
「分かれば変わりやすい?」
「うん。さっきのやつ,前より楽だった」
ぽんたは自分でも少し不思議そうだった。
理人はその答えに納得する。
能力が急に強くなったわけではない。
ぽんたが道具を見る目を持ち始めたのだ。
形を覚えるだけではなく,何のためにその形なのかを考える。
それなら,今後できることも少しずつ増えていくだろう。
「ドランさん,ありがとうございます」
理人が頭を下げると,ドランは手を振った。
「礼ならその狸に働かせろ。次に妙な道具へなるなら,せめて道具として使える形になれ」
「次はもっとすげえのになる!」
「複雑なのはやめとけ」
「なんで!」
「今言ったばっかりだろうが」
最後まで噛み合っているようで噛み合っていない。
◇
煮込み鹿亭へ戻る道で,ぽんたは何度も自分の前脚を見ていた。
「どうした?」
理人が尋ねる。
「いや」
ぽんたは歩きながら答える。
「次,何になれるかなって」
「急に難しいの試すなよ」
「分かってる。分かるやつから」
理人は少し笑った。
その返事だけでも,鍛冶場へ連れていった意味はあった気がする。
「ぽんた」
クウが反対側から呼ぶ。
「何?」
「今日,ちょっと格好よかったよ」
ぽんたが止まった。
「……どこが?」
「道具のこと,ちゃんと考えてたところ」
「そう?」
「うん」
ぽんたの尻尾がゆっくり持ち上がる。
「まあ,俺の《物質変化》だからな」
「それは関係ある?」
「ある!」
急に足取りが軽くなった。
理人は何も言わず,二匹の少し後ろを歩く。
数歩先へ行ったぽんたが,ふと振り返った。
「リヒト,遅いぞ」
「普通に歩いてるよ」
「クウも来い!」
「今行くよ」
クウが小走りで追いつく。
結局,ぽんたは理人たちが並ぶまでその場で待っていた。
三人で再び歩き出す。
今日分かったのは,ぽんたの《物質変化》が少し上手くなったことだけだった。
それでも理人には十分だった。
何にでもなれる必要はない。
使う道具を知り,仕組みを覚え,必要な形へ少しずつ近づいていく。
それは料理を覚えるのと,どこか似ている気がした。




