第33話 同じ肉なのに
市場へ行った翌日,理人は前回の続きに取りかかった。
とはいえ,また何種類ものハンバーグを最初から作るつもりはない。確かめたいのは一つだけで,《境界魔法》で囲ったことと,黒香子を最後に混ぜたことのどちらが香りに影響したのか,その切り分けだった。
「今日は二つだけ?」
ぽんたが作業台の上を覗き込む。
「二つだけ」
「小さい」
「試すだけだからな」
「昨日,市場でいっぱい歩いた」
「それと肉の量は関係ない」
ぽんたが不服そうに耳を倒す横で,クウは二つの器へ交互に鼻を近づけていた。
「本当に同じ?」
「肉も涙玉も黒香子も同じ量です。混ぜる順番も同じ」
「じゃあ違うのは私の《境界魔法》だけなんだね」
「はい」
今回はどちらも黒香子を最後に加え,軽く混ぜるところまで同じにしている。一方だけをクウに囲ってもらい,もう一方はそのまま置く。待つ時間も,焼き方もできるだけそろえる。
前回よりずっと単純だ。
それでも,理人にはこのくらいでちょうどよかった。
「じゃあ,こっちね」
クウが片方の器へ意識を向ける。
目に見える変化はないが,しばらくすると理人にも,器の周囲だけ空気の感触がわずかに違うように思えてきた。実際に何かを感じているのか,これまでの経験からそう思っているだけなのかは分からない。
「無理しなくていいですよ」
「これくらいなら平気だよ」
「じゃあ少しだけ」
「また待つのか……」
ぽんたが床へ伏せる。
「待つ」
「その間,何する?」
「仕事」
「聞かなきゃよかった」
ちょうどマルタから空いた皿を運ぶよう声が飛び,ぽんたは渋々立ち上がった。
◇
結果は,前回ほど大きな違いではなかった。
二つを同じように焼き,クウにもどちらか分からない状態で嗅いでもらう。
「こっちの方が少し残ってると思うよ」
クウが選んだのは,《境界魔法》で囲っていた方だった。
理人も食べ比べてみる。
「……確かに,少し違うかな」
「俺,どっちもうまい」
ぽんたは両方を食べ終えたあとで言った。
「それは知ってた」
「違い分かんない」
「分からないなら,それも結果だよ」
「そうなの?」
「誰が食べても分かるほどの差じゃないってことだからな」
横で試食していたマルタも頷いた。
「私も言われなきゃ分からないね。でも,囲ってた方が少し香りは立ってる気がするよ」
「じゃあ,前回の差は混ぜる順番の影響も大きかったんでしょうね」
「両方なんじゃない?」
クウが理人を見る。
「最後に入れたから残りやすくて,私が囲ったからそのまま残った,とか」
「たぶん,それが一番自然ですね」
少し前までなら,ここからさらに条件を変えて確かめたくなったかもしれない。
だが,今は必要ないと思えた。
《境界魔法》は香りの変化を遅らせるらしい。ただし,それだけで劇的に味が変わるわけではない。料理の工夫と組み合わせて,初めて意味が出る。
それで十分だった。
「今日はこれで終わり?」
ぽんたが尋ねる。
「この試しは終わり」
「じゃあ残りの肉焼く?」
「昼の仕込みに使うから駄目」
「終わってないじゃん」
「ぽんたの昼飯作りじゃないんだよ」
◇
昼前,理人はマルタの手伝いで角猪の肉を切り分けていた。
煮込みに使う分と,焼き物へ回す分を分けるだけの作業だ。
以前なら部位の違いすらほとんど分からなかったが,ガルドから教わり,何度も触ってきたことで,筋の多いところや脂の入り方くらいは少しずつ見分けられるようになっている。
「その端は煮込みに回しな」
「はい」
マルタに言われ,理人は厚い筋の近くを切り落とした。
そのときだった。
指先が肉へ触れた瞬間,舌の奥へわずかな苦味が残った。
「……ん?」
理人は手を止める。
「どうしたんだい?」
「いや……」
もう一度,同じ肉へ触る。
苦い。
森が異常だった頃に感じた重いものとは違う。角猪の肉そのものが持つ,いつもの魔力の味だ。
ただ。
理人は少し位置をずらし,同じ塊の反対側へ触れた。
「……違う」
「何が?」
マルタが包丁を止める。
「こっちの方が苦味が薄いです」
「肉の?」
「たぶん」
理人は切り分ける前の塊を見た。
同じ角猪。
同じ部位。
それなのに,触れる場所によって感じ方が違う。
「前からじゃないの?」
「分かりません。今まで,塊の中まで比べたことなかったので」
理人は手を洗い,改めて別の場所へ触れた。
端から中央へ。脂に近いとこも筋の近くも,完全に一定ではない。
「マルタさん,少し借りてもいいですか」
「切る前ならね」
理人は頷き,今度は意識して順番に触れていく。
苦味が強いところと,弱いところがある。
ただ,きれいに層になっているわけではない。脂だから弱いとも,筋だから強いとも限らない。
「何してるの?」
香草を運んできたクウが,理人の手元を覗き込んだ。
「同じ肉なのに,魔力の感じ方が違うんです」
「場所で?」
「そうみたいです」
クウも肉へ鼻を近づけるが,すぐに首を傾げた。
「匂いはそんなに変わらないよ」
「じゃあ,自分が感じてるのは匂いじゃないですね」
「前からそうじゃなかった?」
「まあ,そうなんですけど」
理人は苦笑する。
分かっていたことを,一つずつ確かめているだけだ。
ぽんたもやって来て,肉を見る。
「悪い肉?」
「いや,普通に食べられる」
「じゃあいいじゃん」
「そうなんだけどな」
理人は少し考え,同じ塊から苦味の強い部分と弱い部分を小さく切り分けた。
「マルタさん,この二つだけ焼いて比べてもいいですか」
「味見する程度ならいいよ」
「ありがとうございます」
塩だけを振り,小さな鉄板で焼く。
涙玉も黒香子も使わない。
ただ肉だけ。
「また食える?」
ぽんたの耳が立つ。
「一切れずつな」
「小さい」
「比較だから」
「最近そればっかりだな」
否定はできなかった。
◇
先に苦味が弱かった方を食べる。
角猪らしい,しっかりした赤身の味がある。
次に,強く感じた方。
噛んだ瞬間,理人は少し眉を寄せた。
「……違うな」
「味?」
クウが尋ねる。
「少し」
まずいわけではない。
普通に肉としておいしい。
ただ,後味にわずかな重さが残る。
理人が魔力として感じている苦味と,舌で感じる味覚が完全に同じものなのかは分からない。それでも,強く感じる側の方が,食後の印象も少し重いように思えた。
「ぽんたは?」
理人が聞く。
ぽんたは二切れ目を飲み込み,しばらく考えた。
「こっちの方が濃い」
「どっち?」
「二個目」
「好き?」
「……好きなのは一個目かな」
理人は少し驚いた。
「濃い方じゃなくて?」
「二個目,なんか後に残る」
ぽんたは口の周りを舐める。
「嫌いじゃないけど,一個目の方が肉食ってる感じする」
クウも小さな切れ端を順番に食べた。
「私は二個目の方が,匂いじゃない何かが強い気がするよ」
「クウにも分かる?」
「リヒトみたいに苦くはない。でも,少し重いかな」
理人は二つの皿を見る。
魔力が強ければ,そのままおいしいわけではない。
それは以前から分かっていた。
強い魔獣ほど必ずうまいわけでもない。
だが,今まで理人は「一頭の魔獣が持つ魔力」を,大まかに一つのものとして捉えていた。
もしかすると,それ自体が雑だったのかもしれない。
「同じ一頭の中でも,偏ってる……?」
理人が呟く。
「魔力が?」
クウが聞く。
「たぶん」
「またたぶんだ」
ぽんたが笑う。
「これは本当にまだ分からないからな」
理人も笑い返した。
原因はいくらでも考えられる。
部位による違いかもしれない。
個体差かもしれない。
仕留められる前に魔力を使った場所へ偏っているのかもしれないし,単純に保存している間に何か変わった可能性だってある。
今の段階では,何も断定できない。
ただ,一つだけ確かなことがある。
「今まで,混ぜれば同じになると思ってたな」
「細かくするから?」
クウが尋ねる。
「はい。赤身と脂を混ぜれば,味も均一になると思ってました」
「違うの?」
「魔力まで同じになるかは,考えてなかったです」
ハンバーグは肉を細かくして混ぜる料理だ。
だからこそ,別々の部分が一つになる。
食感も脂も,ある程度なら整えられる。
しかし,もし魔力の偏りまで混ざるのなら。
強すぎる部分が少量混じるだけで,全体の印象を変える可能性がある。
理人は作業台に残った角猪の肉を見た。
「また難しい顔してるよ」
クウが言う。
「面白くなってきた顔です」
「同じじゃない?」
「結構違います」
「俺には同じに見える」
ぽんたまで加わる。
「二対一か……」
「何の勝負?」
「してないです」
クウが小さく笑う。
理人も笑いながら,切り分けた肉を元の作業へ戻した。
今日はもう試さない。
気づいたばかりで,何を変えればいいのかも分かっていない。
それでも,新しい問題は見つかった。
同じ肉なら,同じではないのかもしれない。
ハンバーグを均一に作る前に,そもそも何を混ぜているのか。
理人には,もう少し確かめてみる必要がありそうだった。




