第30話 今のハンバーグ
ハンバーグを作ると決めてから,理人が最初にしたのは,材料をもう一度並べ直すことだった。
角猪の肩に近い赤身と,脂の多い腹側。涙玉,パン,乳,卵,塩,それに黒香子。
最初に作ったときと比べれば,材料そのものは大きく変わっていない。
違うのは,使い方だった。
「今日は七と三?」
ぽんたが作業台の下から顔を出す。
「とりあえず」
「もっと脂入れない?」
「先に前と近いところからやる」
「前よりうまくするんだろ?」
「前と条件変えすぎたら,何が良かったか分からなくなる」
「またそういうやつ」
ぽんたは少し不満そうだったが,すぐに作業台の上の肉へ視線を戻した。
角猪の肩肉七,腹側の脂が多い部分三。
以前,ぽんたへ食べさせるために試した比率と同じである。あのときは粗く刻んだ肉の食感を残すことで,最初の失敗とは比べものにならないところまで持っていけた。
ただ,今なら同じ作り方をそのまま繰り返す必要はない。
「ぽんた,今日は細かくしすぎないでくれよ」
「分かってるって」
「押しつぶすんじゃなくて,切る感じで」
「それも分かってる」
「途中で疲れたら言えよ」
「それも――」
そこまで言って,ぽんたが理人を睨んだ。
「俺,前より上手くなってるぞ」
「知ってる。だから頼んでる」
「……ならいい」
ぽんたの耳が少しだけ上がる。
褒められるのは相変わらず嫌いではないらしい。
その横では,クウが角猪の肉へ鼻を近づけていた。
「これがハンバーグになるの?」
「そうです」
「このまま焼くのとは違う?」
「かなり」
「細かくして,混ぜるんだよな」
ぽんたが先に答える。
「それで丸くする」
「丸くないと駄目なの?」
クウが理人を見る。
「絶対ではないですけど,厚みをそろえやすいので」
「味じゃなくて焼きやすさなんだね」
「それもあります」
クウは納得したように一度頷き,今度は涙玉へ鼻を向けた。
「これは前に食べた香草焼きには入ってなかったよね」
「ハンバーグには入れます」
「生だと少し強い匂いだね」
「火を入れると変わりますよ」
「それは楽しみかな」
ぽんたとは反応するところが違う。
ぽんたは最初から肉を見ている。
クウは肉より先に,涙玉や黒香子の匂いを気にしていた。
理人には,その違いが少し面白かった。
◇
涙玉は以前より細かく刻み,弱めの火でゆっくり炒めた。
最初の頃は,どこまで火を入れるべきかもよく分かっていなかった。今でも専門家ではないが,生の辛い匂いが薄れ,水気が少し飛んで,甘い香りが出てくるところまでは待てる。
「これ,もう食える?」
ぽんたが聞く。
「食えるけど,まだハンバーグ用」
「一個くらい」
「駄目」
「けち」
「さっき朝飯食っただろ」
理人は炒め終えた涙玉を平たい木皿へ広げ,片手を皿の下へ添えた。
もう一方の手は,冷たい水を入れた器へ触れる。
《熱交換》。
涙玉から水へ,少しずつ熱を移す。
以前より,どの程度までなら無理なく使えるかは分かってきた。完全に冷やす必要はない。ただ,熱いまま肉へ混ぜれば,せっかく冷たい肉が温まる。
「それ,便利だね」
クウが横から見ている。
「こういうときはかなり」
「火爪熊を滑らせたやつと同じなんでしょ?」
「仕組みは同じです」
「使い方,全然違うね」
「こっちが本来です」
「本来?」
「自分の中では」
理人は少し笑った。
戦うために覚えた力ではない。
肉を冷やしたい。
水を温めたい。
そこから始まった能力だった。
涙玉が十分に冷めたところで,今度は肉へ取りかかる。
「ぽんた,お願い」
「よし」
ぽんたの身体が変わる。
以前に何度も試した,肉を押し込むための簡易的な細断器。穴の開いた部分と,肉の繊維を切るための突起を組み合わせた形で,最初の頃より厚みも安定している。
完全な金属製の挽肉機とは違う。
回転する刃もない。
それでも,手で延々と刻むよりはずっと早い。
「もうちょい穴大きくできる?」
「できる」
「全部じゃなくて,半分くらい」
「半分?」
「粗いのと少し細かいの,混ぜたい」
ぽんたが一度元の姿へ戻った。
「なんで?」
「全部粗いと崩れやすいかもしれないから」
「前は粗い方がうまかったぞ」
「粗いのは残す。でも,少しだけ細かいのも混ぜる」
「……なるほど」
ぽんたは分かったような顔をしたが,本当に分かっているかは怪しい。
「要するに,俺の好きな粗いのは残る?」
「残る」
「じゃあいい」
そこが判断基準らしい。
まず大きめの穴で半分ほどを細かくする。
残りは少しだけ形を変えて,もう少し細かく。
理人は出てきた肉を指先で確かめた。
完全に均一ではない。
むしろ,その方がいい。
大きめの粒の間へ,細かい肉が入る。
「前よりつながりそうだな」
「つながる?」
クウが聞く。
「焼いたときに崩れにくくなるかなと」
「細かい方が隙間に入るから?」
「たぶん」
「たぶんなんだ」
「料理は特に多いです」
クウが少し笑った。
◇
肉へ塩を入れる。
最初に少しだけ混ぜて,粘りが出るまで手で練る。
以前は,動画で見た記憶を頼りにやっていたことが,今では自分の手の感覚として少し分かるようになっていた。
完全な感触ではない。
ただ,肉がばらばらの粒から,ひとまとまりへ変わっていく瞬間は分かる。
そこへ冷ました涙玉,細かくしたパン,乳,卵,黒香子を加える。
「黒香子,もう少し入れる?」
クウが尋ねた。
「匂い弱いですか?」
「肉に混ぜたら,思ったより消えそうかな」
理人の手が止まる。
「分かります?」
「今のままだと,涙玉の甘い匂いの方が強いよ」
「なるほど」
理人は少しだけ黒香子を追加した。
入れすぎれば,今度は苦味や刺激が前へ出る。
今までは自分の鼻と舌だけで判断していたが,クウがいると別の基準が増える。
「クウ,鼻いいな」
ぽんたが言う。
「ぽんたも鼻いいでしょ」
「俺は肉なら分かる」
「じゃあ違うところ見ればいいね」
「そういうことか」
ぽんたは妙に納得した顔をする。
理人も同意だった。
同じものを見て,同じことを言う必要はない。
違うところへ気づいてくれた方が,むしろ助かる。
肉だねを小判形へ整え,中央を少しくぼませる。
最初に作ったときほど,手つきに迷いはない。
それでも,料理人のように手早く美しい形へそろえられるわけではなかった。
「これ,全部同じ大きさ?」
クウが聞く。
「なるべく」
「一個ちょっと大きいよ」
「……本当だ」
ぽんたが笑う。
「先生なのに」
「数学教師は目分量の授業しないんだよ」
「じゃあ測れば?」
「秤がない」
「先生なのに」
「それ関係ないだろ」
◇
焼き台へ鉄板を置き,十分に温める。
そこへ肉だねを並べると,すぐに脂の弾ける音が広がった。
香りが立つ。
焼けた肉。
涙玉。
黒香子。
「おお……」
ぽんたが一歩近づく。
「近い」
「見てるだけ」
「鼻が鉄板の上に来そうだぞ」
「来ないって」
クウは少し離れた場所で座っていたが,耳が明らかにこちらへ向いている。
「いい匂い?」
理人が聞く。
「うん。でも,最初に黒香子が来て,あとから肉の匂いが強くなるね」
「順番まで分かるんですか」
「分かるよ」
「すごいな」
「普通だと思ってたけど」
「ぽんたは?」
「肉」
「それだけ?」
「うまそうな肉」
「感想が強くなっただけだな」
片面に焼き色がついたところで返す。
前ほど亀裂は入らない。
脂も多少出ているが,最初の失敗のように中身が流れ出しているわけではない。
理人は火加減を見ながら,必要以上に触らないようにした。
以前なら,焼けているか心配になって何度も動かしていた。
今は待つ。
ただし待ちすぎない。
それが意外と難しい。
「そろそろ?」
ぽんたが聞く。
「まだ」
「さっきも言った」
「まだだからな」
「いつ?」
「焼けたら」
「答えになってねえ」
マルタが横から鉄板を覗く。
「もう少しだけだね」
「はい」
「分かってきたじゃないか」
「まだ見てもらってますけど」
「最初よりはましだろ」
「それは間違いないです」
理人は素直に頷いた。
最初は,見た目だけで焼けたと思い,割ったら中が生だった。
今は火の強さ,肉の厚み,表面の状態を少しずつ見るようになった。
大きな進歩ではない。
でも,こういう積み重ねの方が自分には合っている。
◇
焼き上がったハンバーグを皿へ移し,少し休ませる。
ぽんたがすぐ手を出そうとした。
「待て」
「なんで!」
「焼いた直後より少し置く」
「冷めるぞ」
「少しだから」
「クウ,《境界魔法》で冷めないようにして」
「勝手に私を使わないでよ,ぽんた」
「いい案じゃん」
「まだ試してる途中でしょ」
クウはそう言いながらも,皿の方を気にしている。
理人は少し考えたが,今回は首を横に振った。
「今日は普通に食べよう」
「なんで?」
「能力の効果まで混ぜると,何が良かったか分からなくなる」
「またそれか」
ぽんたが露骨に嫌そうな顔をした。
「今日の目的は,今の作り方でどこまでいけるか確認することだから」
「次は?」
「次は次」
「絶対やれよ」
「何を?」
「もっとおいしくするやつ」
「そのために作ってるんだよ」
ようやく皿を食堂の端へ運ぶ。
時間は昼と夜の間で,客は少ない。マルタとバルド,ちょうど顔を出したガルド,それにミレナまで加わり,結局いつもより多い人数で試食することになった。
「俺の分,大きい?」
ぽんたが聞く。
「同じ」
「なんで」
「試食だから」
「俺,粗いの作った」
「だから一個あるだろ」
クウは自分の皿を見て,少し不思議そうにしている。
「私も一個食べるの?」
「多ければ残していいですよ」
「残したら?」
「ぽんたが食べると思います」
「食う」
返事が早い。
「じゃあ残さない方がいいかな」
「なんでだよ!」
笑いが起きる。
理人も自分の皿へ視線を落とした。
表面にはしっかり焼き色がついている。
割る。
中は火が通っている。
肉汁も,最初のときのように一気に流れ出さない。
一口。
噛む。
粗い肉の粒が残り,その間を細かい肉がつないでいる。以前の粗挽きだけのものより,確かにまとまりがいい。
腹側の脂が赤身の硬さを補い,涙玉の甘さも分かる。
黒香子の香りも,前より少し強い。
「……うまい」
自然に声が出た。
以前の「ちゃんとおいしい」から,さらに一歩進んでいる。
少なくとも,自分がこの世界へ来て初めて作ったものとは別物だった。
「うまい!」
ぽんたもすぐに叫ぶ。
「前より肉がちゃんといる!」
「肉がいる?」
「噛んだときに肉!」
「何となく分かる」
ミレナも一口食べ,頷いた。
「私は前のより好きかも。崩れないし」
「ちゃんと料理になってるね」
マルタの評価は相変わらず現実的だった。
「最初は料理じゃなかったみたいに聞こえますけど」
「最初は途中から煮込みになっただろ」
「それはそうです」
否定できない。
ガルドも静かに食べながら,二口目へ進んでいる。
「角猪って言われなきゃ,硬い肉だと思わんな」
「それはかなり嬉しいです」
本来なら煮込みへ回すことが多い部位を,別の形で食べられる。
それこそ,理人がハンバーグに求めていたものの一つだった。
「クウは?」
ぽんたが尋ねる。
灰銀色の狐は,まだゆっくり食べていた。
「おいしいよ」
「それだけ?」
「あなたに言われたくないかな」
「俺は肉がいるって言った!」
「意味分からなかったよ」
「リヒトは分かったぞ!」
二匹が言い合い始める。
理人はクウへ聞いた。
「匂いはどうです?」
「焼いてるときの方が好きだったかな」
「食べると?」
「最初はいい匂いがするよ。でも,噛んでると途中から肉の味だけになる感じ」
理人の手が止まる。
「途中から?」
「うん。悪いって意味じゃないよ。肉はおいしいから。ただ,焼いてるときにした黒香子と涙玉の匂いが,食べてる途中では少し遠くなるかな」
「なるほど……」
理人はもう一口食べる。
意識してみる。
確かに,最初の香りはある。
けれど噛むほど,角猪の味と脂が中心になる。
それが悪いわけではない。
ぽんたなら,むしろそちらを好むだろう。
「俺は今のでいいぞ」
予想通りだった。
「分かってる」
「じゃあこれで完成?」
理人は答える前に,自分の皿を見た。
おいしい。
ちゃんとおいしい。
以前なら,そこまで行けただけでも十分だった。
ただ,今は少し違う。
「いや」
「なんでだよ」
「まだ変えられそう」
「もううまいぞ」
「うまいから終わり,ではないだろ」
ぽんたは納得できないようだった。
理人は残った一切れを食べる。
食感は良くなった。
まとまりもある。
脂の比率も大きく外してはいない。
それでも,まだ気になる。
香り。
肉の魔力が持つわずかな苦味。
焼いている間の温度。
パンの量。
涙玉の水分。
どれも,今より少しよくできる余地がありそうだった。
「リヒト」
クウがこちらを見る。
「難しい顔してるよ」
「考えてました」
「おいしくなかった?」
「かなりおいしいです」
「じゃあいいんじゃない?」
理人は少し笑った。
「それでも,もっとおいしくできそうなんです」
クウは一瞬,目を丸くする。
それから,自分の皿に残った最後の一口へ視線を落とした。
「……そういうもの?」
「自分にとっては」
「変だね」
「よく言われます」
「知ってるよ」
クウの口元が少し緩む。
ぽんたはまだ納得していない顔で,自分の空になった皿を見つめていた。
「じゃあ,次も作る?」
「作る」
「いつ?」
「まだ決めてない」
「明日?」
「またそれかよ」
食堂に笑い声が広がった。
理人も笑いながら,残った皿を重ねる。
今のハンバーグは,もう失敗作ではない。
十分においしい。
それでも,完成ではなかった。
今度は何が足りないのかも,少しずつ見えるようになっている。
それが,理人には以前よりずっと面白かった。




