第22話 地面の下から
翌朝,理人は厨房ではなく,宿の裏手に小さな木箱を持ち出していた。
中に入っているのは,昨日クウが持ってきた石と土,木の根である。マルタから「食べ物を置く台で土を広げるな」と釘を刺されたため,バルドに頼んで古い板と欠けた器を借りた。
「昨日触っただろ。それ,またやるの?」
ぽんたが箱の横へ座り込み,中を覗く。
「昨日は強いって分かっただけだからな」
「今日は何が分かるんだ?」
「分からないから試す」
「便利な言葉だな」
「研究って大体そういうものだよ」
「研究なのか,これ」
自分でもそこまで大げさなものではないと思う。
温度計も,魔力を測る道具もない。できることといえば,比べて,違いがあるか確かめる程度だった。
理人はまず,黒っぽい小石の一つを水で洗った。
表面についていた土が落ち,灰色の地肌が見えてくる。指先で触れると,昨日と同じように舌の奥へ濃い苦味が残った。
「変わらないな」
「何が?」
「土が付いてるから苦いわけじゃなさそう」
続いて木の根を水ですすいでみる。こちらも多少弱くなったような気はするが,違和感そのものは残っていた。
「じゃあ,石が苦いんじゃないの?」
「それを確かめたい」
「石って食えるの?」
「食わない」
「味なのに?」
「何度説明したら分かるんだよ」
理人が呆れると,ぽんたは「分かってるって」と言いながら鼻先を石へ近づけた。
「俺にはただの石だな」
「匂いは?」
「土」
「だよな」
外から見たところ,何か特殊な鉱石にも見えない。
角猪や火爪熊が残す魔石とも明らかに違う。そもそも,魔石ならガルドやマルタが見れば気づくだろう。
「割ってみる?」
ぽんたが言う。
「宿で?」
「石だぞ」
「飛んだら危ないだろ」
「じゃあ俺が板になる」
「そういう問題じゃない」
理人は少し考えたあと,石を箱へ戻した。
「ドランさんに見てもらうか」
「鍛冶屋?」
「石も多少は分かるだろ。少なくとも俺よりは」
ぽんたは納得したのか,尻尾を一度振った。
◇
「今度は肉切る道具じゃなくて石か」
昼前,鍛冶場で事情を聞いたドランは,理人の持ってきた小石を太い指でつまみ上げた。
炉では鉄が熱せられ,金属を叩く音が奥から一定の間隔で響いている。ぽんたは熱気が苦手なのか,入口近くから中へ入ろうとしなかった。
「森の奥にあったそうです」
「見りゃ森の石だな」
「分かるんですか?」
「この辺じゃ珍しくもない種類だ。似たのなら町の北でも採れる」
ドランは石を明るい方へ向け,表面を眺める。
「魔石じゃないんですよね」
「これが魔石なら,俺は毎日山掘るだけで食っていける」
「ですよね」
あまりに普通の石らしい。
「ただ,こっちの割れ方は新しいな」
ドランが石の一面を指でなぞった。
理人には他の部分との違いがほとんど分からない。
「どこがです?」
「角が立ってる。長く地面に転がってりゃ,もう少し丸くなる」
「最近割れたってことですか」
「少なくとも,何年も前じゃない」
ドランは作業台の端から小さな鎚を取り,石を固定する。
「割るぞ」
「お願いします」
一度。
二度。
三度目で,石が二つに割れた。
新しい断面は表面より明るく,細かな粒が混じっている。
理人は片方を受け取り,断面へ指先を当てた。
その瞬間,眉を寄せる。
「……こっちの方が強い」
「何が?」
「苦味です」
表面へ触れる。
苦い。
今割れた内側へ触れる。
さらに苦い。
「中まで?」
入口から覗いていたぽんたが聞く。
「ああ。むしろ中の方が分かりやすい」
それなら,表面に何かが付着しただけでは説明しづらい。
理人はもう一つの破片にも触れてみた。
同じだった。
「ドランさん,こういう石が魔力を溜めることってあります?」
「石によるな。魔力を通しやすい鉱石もあるし,溜めやすいのもある」
「これは?」
「少なくとも,俺が知ってる限りじゃ普通だ」
ドランは石をもう一度見たあと,鼻を鳴らした。
「ただ,森の奥は元から魔力が濃い。長くそこに埋まってりゃ,多少染みることはあるかもしれん」
「多少なら?」
「お前がどれくらい感じてるのか,俺には分からん」
「そうですよね」
また測れないところへ戻ってきた。
けれど,分かったこともある。
これは特別な魔石ではない。
しかも,土を洗っても苦味が消えず,割った内部の方がむしろ強かった。
魔力らしき何かが,石の表面だけではなく中まで浸透している。
「リヒト」
ぽんたが入口から呼ぶ。
「ガルド来た」
振り返ると,その向こうに見慣れた猟師の姿があった。
いつもより少し険しい顔をしている。
◇
「森の奥で崩れた場所が見つかった」
鍛冶場を出て,人通りの少ない路地へ移ると,ガルドはそう切り出した。
「崩れた?」
「ああ。昨日,別の組が沢沿いを見てて見つけた。お前たちが入った場所より,まだ奥だ」
「人は近づいたんですか?」
「途中までだ。魔獣の気配はなかったが,妙に空気が重いってんで戻ってきた」
理人は手の中の石を見る。
「どんな崩れです?」
「斜面の一部が落ちて,地面に細い割れ目ができてる。大穴ってほどじゃない。ただ,前にはなかった」
「いつできたかは?」
「分からん。少なくとも,猟師が最後にそこを通ったひと月前にはなかったそうだ」
ひと月。
森の異変が起きたのは,もっと最近だ。
なら,崩れができた時期と異変が始まった時期は,まだ一致しない。
「その周りに戦った跡は?」
「ない」
「大きな魔獣の足跡も?」
「ほとんどない。むしろ,避けてる」
ガルドは少し間を置く。
「それと,割れ目の近くから水が染み出してるらしい。その水が下の沢へ流れてる」
理人は思わず顔を上げた。
「沢に?」
「ああ」
初めて感じた,苦い水に,奥へ行くほど濃くなった苦味。
地面や葉,根。
そして,クウが持ってきた,内部まで強く苦い石。
「つながってるかもしれない」
「俺もそう思って来た」
ガルドは理人が持っている割れた石を見る。
「それ,何か分かったか?」
「普通の石らしいです。ただ,中の方が苦味が濃い」
「中?」
「表面に魔力が付いただけじゃなさそうです」
ガルドはしばらく黙った。
「……地面の下からか」
理人も同じことを考えていた。
「可能性はあります」
「地下に何かいる?」
ぽんたが割り込む。
理人は首を横に振った。
「まだ生き物って決めない方がいい」
「じゃあ何だよ」
「分からない。ただ,地面の中を通ってる魔力みたいなものが,崩れたせいで上に漏れてるとか」
言葉にしてみると,いかにも異世界らしい話だった。
けれど,理屈としてはそこまで複雑ではない。
地面の中を何かが流れている。
どこかで道が壊れる。
そこから別の場所へ漏れ出す。
水道管でも,地下水でも似たようなことは起きる。
「魔力が地面の中を流れるってことはあるんですか?」
理人が尋ねる。
ガルドは少し考えた。
「あるとは聞く。森や山じゃ,場所によって魔力の濃さが違うからな。地下の流れがどうこうって話をするやつもいる」
「実際に見たことは?」
「ない」
「ですよね」
「だが,森の奥で急に魔力が濃くなって,しばらくしたら戻ったって話なら,昔の猟師から聞いたことはある」
「よくあるんですか?」
「よくあったら森に入れん」
それもそうだ。
「クウにも聞きたいな」
ぽんたが言った。
「前にもっと奥にいたんだろ?」
「そうだな」
理人も頷く。
もし崩れが起きた瞬間や,その直前の変化をクウが感じていたなら,少し情報が増えるかもしれない。
◇
クウは,町の外れにある畑道の先で見つかった。
正確には,理人たちが森側へ向かって歩いていると,向こうから姿を現した。
今日も町の中へ入るつもりはないらしい。
「こんにちは」
理人が声をかける。
「こんにちは。今日はそっちから来たんだね」
白に近い灰銀色の毛並みが,午後の日差しの下では少し銀色に見える。
クウは理人たちを順番に見てから,最後にぽんたへ目を止めた。
「今日は食べ物じゃないの?」
「何で俺を見るんだよ」
「一番持ってそうな顔してるから」
「顔で分かるか!」
ぽんたが抗議する横で,理人は割れた石を取り出した。
「昨日の石を調べました」
「何か分かった?」
「普通の石みたいです。ただ,割ると中の方が魔力の苦味が強かった」
クウの耳がわずかに動く。
「それと,森の奥で新しく崩れた場所が見つかったそうです。地面に割れ目ができて,そこから水も出てるみたいで」
理人が説明すると,クウはしばらく何も言わなかった。
「心当たりあります?」
「……揺れたことならあるよ」
「揺れた?」
「地面が」
理人とガルドが同時に顔を上げる。
「いつ?」
「森が急に嫌になった少し前。夜だったよ」
「どれくらい揺れました?」
「立てないほどじゃないの。寝てたら目が覚めたくらいかな」
クウは森の方を見る。
「そのあと,木の根が何本かきしむ音がしたよ。次の日から,奥の方が少し変だった」
「すぐ今みたいに?」
「ううん。最初は少しだけ。何日かしてから,一気に増えたの」
理人は頭の中で順番を並べる。
地面が揺れた。
どこかが崩れた。
しばらくして,森の奥で魔力が増え始めた。
小さな魔獣や鳥が移動し,やがて火爪熊まで外へ押し出された。
「崩れた直後じゃないんだな」
ガルドが言う。
「うん。少し時間があったよ」
「じゃあ,崩れただけで全部出たんじゃなくて,そこから少しずつ漏れてきた?」
ぽんたが首を傾げる。
理人はその言葉に目を向けた。
「それはありそうだな」
「俺,今いいこと言った?」
「たぶん」
「たぶんかよ!」
ぽんたが不満そうに尻尾を振る。
ただ,理人の中でも仮説はかなり形になり始めていた。
「地面の下を流れてた魔力の通り道みたいなものが,崩れたことでずれた。そこから少しずつ地表へ漏れて,水や土,木に広がった……とか」
「それなら,石の中まで苦いのも?」
ガルドが聞く。
「説明はできます。もともと地下にあった石なら,周囲から強い魔力を受け続けてたかもしれない」
「でも,本当にそうかは分からないんだよね?」
クウが静かに言う。
「はい」
理人は素直に頷いた。
「今のところ,一番つながりやすい説明というだけです」
「なら,それでいいと思うよ」
「いいんですか?」
「分からないのに分かったふりをされるより,ずっといいかな」
クウらしい答えだった。
「で,その割れ目を見に行くの?」
「行きません」
理人が即答すると,クウが一度瞬きをした。
「即答だね」
「近づくだけで空気が重いって場所に,俺が行く理由ないので」
「原因,知りたいんじゃなかった?」
「知りたいです。でも,近づかないと分からないことと,近づかなくても分かることは分けます」
ガルドも腕を組んで頷く。
「俺も今すぐ行く気はない。まず町の連中で範囲を決めて,そこへ入らないようにする」
「倒しに行かないの?」
ぽんたが聞く。
「何をだよ」
「原因」
「相手が魔獣じゃないなら,倒しようがないだろ」
「……それもそうか」
ぽんたは妙に納得した顔をした。
クウは森の方へ視線を向けたまま,小さく息を吐く。
「じゃあ,しばらく待つの?」
「そうなると思います」
「戻るかな」
「何が?」
「森」
理人は答えるまで少し考えた。
「戻る可能性はあると思います。ずっと魔力が出続けるとは限らないし」
「止まらなかったら?」
「そのときは,また考えます」
「すぐ全部決めないんだね」
「分からないことが多いので」
「やっぱり変な人だね」
「最近それ,褒め言葉に聞こえてきました」
「褒めてないよ」
「そうですか」
クウの口元がほんの少し緩む。
ぽんたがその横で森を見た。
「クウ,今の場所まだ平気?」
「前よりはね。でも,夜は少し疲れるよ」
「もっと町の近く来れば?」
ぽんたの言葉に,理人が横を見る。
クウも少し意外そうな顔をした。
「あなたが言うの?」
「なんだよ」
「私が近くに来たら嫌がると思ってた」
「別に。森で倒れられても面倒だろ」
ぽんたはそっぽを向いた。
理人は何も言わなかった。
たぶん,照れている。
「宿の近くまで来る必要はないですけど,今の場所がきつくなったら,もっと外へ出た方がいいと思います」
「そのとき考えるよ」
「無理する前に」
「それはあなたにも返しておくね」
「俺は無理してません」
「熊の前で地面凍らせたって,ぽんたから聞いたよ」
理人はゆっくりぽんたを見る。
「何で言った?」
「話の流れ」
「どんな流れだよ」
「リヒトもたまに無茶するって」
「余計な情報足すな」
クウが小さく笑った。
◇
その日の夕方,森側の出入口には新しい立札が立てられた。
文字の読めない理人には何が書いてあるのか分からないが,ガルドによれば,奥の一部区域への立ち入りを控えるよう知らせるものらしい。
猟師や冒険者も,当面は崩れた場所へ近づかない。
火爪熊のような大型魔獣が再び外へ出てこないか,浅い範囲を見張る。
原因らしきものが見えてきたからといって,すぐ解決するわけではなかった。
「結局,待つんだね」
夕食の仕込みをしながら,マルタが言う。
「今のところは」
「リヒトは地味だ」
横で涙玉の皮を集めていたぽんたが言う。
「何を期待してるんだよ」
「森の奥行って,何か見つけるとか」
「行かない」
「知ってる」
ぽんたは笑いながら皮を籠へ落とした。
理人もつられて笑い,刻んだ涙玉を鍋へ移す。
派手ではない。
原因らしき場所へ乗り込むわけでも,魔力の流れを止める方法を思いついたわけでもない。
それでも,最初よりは分かってきた。
森の異変は,火爪熊が起こしたものではない。
クウが起こしたものでもない。
強い魔獣が一匹暴れているわけでもない。
おそらく,森の奥で地面が崩れ,それまで地下にあった魔力の流れが乱れた。
そこから余分な魔力が地表へ漏れ出し,水や土,木々へ広がっている。
まだ仮説だ。
けれど,今まで集めたものは,その仮説なら無理なくつながる。
「リヒト」
「ん?」
「焦げるぞ」
ぽんたに言われ,理人は慌てて鍋へ視線を戻した。
涙玉の端が少し色づいている。
「危ない」
「森のこと考えながら料理すんなよ」
「その通りだな」
理人は火を少し弱めた。
森の問題は,今すぐ自分が解決できることではない。
なら,できることをやる。
安全を確かめる。
情報を集める。
そして,飯を作る。
その順番でいい。
ただ,ひとつ気になることは残っていた。
地面の下から漏れ出した魔力が,このまま少しずつ弱まるのか。
それとも。
まだ,もう一度大きく溢れるのか。
答えが分かるのは,もう少し先になりそうだった。




