二話 ── 広間での話し合い ──
バルバラとポーレットを従え、一階の広間へと向かう。
開け放たれたままの大きな扉から顔を出すと、中で待機していた老執事のジャックが慌てた様子で振り向いた。
「ポーレット!! いきなり飛び出して一体何を──」
ポーレットの姿を見つけたジャックは噛み付くように怒鳴りかけたが、その背後に続くバルバラとユアンの姿を視界に捉えると、言葉は急速に尻すぼみになっていった。
「……坊っちゃん、来られたのですね。皆を集めました。……奥様が亡き今、貴方様こそがこの屋敷の正当なる長なのです。どうか、私どもにご指示を」
ジャックが、執事にふさわしい洗練された紳士の最敬礼をとる。
その背後には、庭師のステファン、高齢の料理人ギャスパル、そして侍従のロジェが困惑を隠せない様子で控えていた。
この屋敷に勤めるすべての使用人たちが広間に集まっていた。皆一様に顔色が悪く、重苦しい不安を肌に滲ませている。
しかし、ユアン自身、自分がこれから何をすべきなのか、ここで何を発言すべきなのか、まだ何一つ考えが纏っていなかった。
「坊っちゃん……本当に、本当に奥様は亡くなってしまわれたのですか?」
沈黙を守るユアンに、縋るような声を上げたのは料理人のギャスパルだった。
老齢の彼は声を激しく震わせている。落ち窪んだ眼窩から、ぎょろりとした余裕のない視線を、観察するようにユアンへ向けていた。
ユアンは一つ深く息を吐いてから、腹に力を込めた。広間の隅々にまで行き渡るよう、毅然とした声を張る。
「死んでいた。私と、バルバラ、ジャック、ポーレットの四人が死体を確認している。……胸に、木の杭が突き刺さっていた」
「そんな……まさか、あの方が……」
庭師のステファンが、小さな呟きとともにがっくりと項垂れた。その顔からは完全に血の気が引き、まるで使用人たち自身が死体のようだった。
今にも倒れそうなギャスパルの様子を見て、ユアンは自身の侍従であるロジェに目配せをした。
「ギャスパル、椅子に座って下さい。顔色が酷いですよ」
働き者の青年らしい若い雄鹿のような体格を持つロジェは、その俊敏な動きで広間の窓辺にあった椅子を素早く二人へと運んだ。
「……すまないね、ロジェ」
ギャスパルが震える声で礼を言う。
ロジェはユアンと同じ年に生まれ、赤子の頃から共に育った、兄弟とも言える存在だった。
多くを語らずとも、目配せ一つでユアンの意思を的確に汲み取ってくれる。
「憲兵を呼ぶべきだろう。母様の部屋の窓が開いていた。何者かが外から侵入し、殺害した可能性が高い」
ユアンは静かに告げた。
風が吹き抜けていた、あの不自然に開け放たれた格子窓の光景が脳裏を過る。
しかし、自身の声が自然と暗く沈んでいくのを止められなかった。憲兵を呼んだところで、この事件が真っ当に解決するとは到底思えなかったからだ。
「母様は、よく……“夜のご友人”を招いておられた。まともな捜査は期待できないだろう。それよりも、私たちは今後の身の振り方を考える必要がある」
ご友人とオブラートに包んで表現したものの、その場の誰もがその真意を正確に理解していた。リリ・ヴォルテーヌの奔放さは、そういうレベルのものではなかった。
屋敷で最も格式の高い、一階の中央の一室。
日当たりのいいその部屋がリリ・ヴォルテーヌの居室であり、大きな格子窓からは、毎晩のように客人である男たちが人目を忍んで出入りしていた。
それはこの屋敷の使用人のみならず、この街の一帯における公然の秘密だったのだ。
「憲兵を呼んで参ります」
毅然とした声を上げたのはロジェだった。張り詰めた空気の中でも、彼は一番落ち着いているように見えた。
しかし、それを聞いたジャックが「いや、」と、やけにはっきりとした、拒絶を孕んだ態度で首を振った。
「ロジェ。貴方はここに残り、坊っちゃんに……私たちのこれまでのことを伝えてください。憲兵の元へは、私が参ります」
それは、ユアンにとって酷く奇妙で、意味深な言葉のやり取りに思えた。
使用人たちの間で完全に共有されており、自分だけが徹底して蚊帳の外に置かれている「何か」がある。
その不気味な違和感が、広間の空気にじっとりと滲み出ている。
ジャックは真っ直ぐにユアンを見つめ、その手を取った。執事の大きな、厚みのある手にすっぽりと包まれ、ユアンは張り詰めていた緊張の糸がわずかに緩むのを感じる。
「坊っちゃん、ロジェの話を、どうか聞いていただけませんか。この屋敷の、そして貴方様の未来に関わることです」
ジャックはユアンにとって、父親のような存在でもあった。それは共に育ったロジェにとっても同じだ。
ユアンは、自分だけが知らされていない不穏な霧が胸の奥に広がるのを感じながらも、それを無理やり飲み込んで首を縦に振った。
「分かった。私の部屋で聞こう。……皆は憲兵たちの到着を待つ間、少し休んでくれ」
ユアンが命じると、それを合図にしたかのようにポーレットが細く息を吐き、その場に座り込んだ。バルバラが慌てて彼女に駆け寄るのを横目に、ユアンは広間を後にした。
ロジェはいつの間にか、広間の扉の傍らに静かに控えていた。
「私の部屋でいいな?」
「はい、坊っちゃん」
ユアンは一階の広間から、まだ血の匂いが漂う母の居室を遠巻きに眺め、階段を上った。
リリの“客人”たちと鉢合わせぬよう、ユアンの部屋は最初から二階の奥に用意されていたのだ。
階段を上る最中も、母の凄惨な死に顔が鮮明に脳裏に焼き付いて離れない。
彼女は、あの胸に杭を打たれるという異常な現場に、およそ似合わないほど安らかな顔をしていた。
──胸に木の杭など、まるで、おとぎ話の吸血鬼のようじゃないか。
まるで、血生臭い劇場の演目の中に閉じ込められてしまったかのような錯覚に陥る。
階段の手すりにあしらわれた精緻な彫刻も、天井で怪しく煌めく豪奢なシャンデリアすらも、すべてがその不気味な舞台装置の一部に見えてくる。
ユアンは背筋を駆け抜ける冷たい悪寒を誤魔化すように、ポケットの中で強く拳を握りしめた。




