オマケ・迎えた初夜3
初夜の翌朝。
カーテンの隙間から差し込む柔らかな朝陽が、夫婦となった私たちの寝室を白く染めていた。
「……ん、」
ゆっくりと意識が浮上する。
それと同時に、身体の節々に残る強烈な気怠さと、下腹部の奥に残るズシリとした重みが、昨夜のすべてが現実だったのだと告げていた。
思い出すだけで顔から火が出そうになり、私は慌ててシーツに顔を埋めようとしたのだけど…。
身体がびくとも動かない。
それどころか、私が目を覚ましたことに気づいたらしい大きな身体が、シーツごと私をそっと抱きすくめてきた。
「……お嬢様。お目覚めですか」
すぐ耳元で響いたのは、酷く甘い声音。
視線を巡らせれば、エリクは私を腕の中にすっぽりと閉じ込め、私の胸元にその端正な顔を埋めていた。擦り寄るようにして、何度も何度も私の肌に鼻先を寄せている。
「エ、エリク……? 苦しいわ、もう朝よ。離しなさい」
いつもなら「畏まりました」と即座に身を引くはずの彼が、今朝は全く動こうとしない。それどころか、ふいっと視線を彷徨わせたかと思うと、私の首筋に額を押し当てて、小さな子供のようにぐずぐずと身体を寄せてきた。
「嫌です……。まだ離したくありません」
「貴方ね……」
その甘えるような態度に呆気にとられてしまう。
十年もの間、私の前では完璧な従者として一歩引き、理性を保っていたあのエリクが、今は見る影もない。大きな身体を丸めて私にすがりつき、離れようとしないのだ。
従者だった頃には絶対にできなかった、あまりにも無防備で、我が儘な甘え。
彼は私の鎖骨に優しく額を擦り付けながら、消え入りそうな声で呟く。
「……昨夜は理性が吹き飛んで、お嬢様に随分と酷いことをしてしまいました。朝になれば、不埒な私に愛想を尽かして、お嬢様が遠くへ行ってしまうのではないかと……恐ろしくてたまらないのです」
私を見上げるその瞳は、捨てられることを怯える仔犬のように潤んでいた。
「……こんな私を、嫌いになりますか?」
そんな潤んだ瞳で、最愛の夫に縋りつかれて、嫌いになれるわけがないでしょうに。
私はため息をひとつつくと、自由になった手で、エリクの地味な色合いで柔らかい髪を優しく撫でた。
「貴方が私を気にかけてほしくて生花を贈り続けていたことも、本当はこんなに我が儘で甘えん坊なところも……全部、私にとっては新発見よ。そんな一面を見れる事も嬉しいのよ。重症だわ」
自分で言っていて恥ずかしくなり、そっぽを向く。
「お嬢様をそこまで狂わせることができたのなら、これ以上の喜びはありません」
途端に声のトーンを落とし、妖艶に微笑む我が夫。
彼は私の髪を一房すくい取って愛おしそうに唇を寄せると、今度は私の腰をさらに強く引き寄せた。
ようやく甘えることを覚えた元従者は、このまま私を一日中ベッドから出すつもりなのかもしれない。
しかし、この甘えん坊なエリクは、ここからどうやって「いつもの落ち着いた大人の男」に切り替えるのだろう。
ふと気になった私は、あえて何も言わず、シーツに包まれたまま彼をじっと観察することにした。
「……お嬢様?」
私がじっと見つめていることに気づき、エリクが首を傾げる。その顔はまだ、私の甘やかしに蕩けきった無防備な夫のままだ。私はフフンと鼻で笑い、彼の広い胸を手のひらで軽く押し返した。
「お嬢様ではないわ、ロザリアナよ。貴方は私を妻と認めてはくれないの?」
「ロザリアナ……様」
「貴方とこうしていられるのも嫌いじゃないけれど、お腹が空いたわね」
いつまでも私に甘えてベッドから動こうとしない夫。その言葉が耳に届いた瞬間、エリクの身体が微かに強張る。すると、ベッドから体を起こし私に背を向けた。向けられたその背中が、ほんの一瞬だけ名残惜しそうに丸くなった。
……可愛い。
そこからの夫の切り替えは、目を見張るほど鮮やかだった。
エリクは乱れたブラウンの髪を手で一かきして後ろへ流した。それだけで、先ほどまで私の鎖骨に額を擦り付けていた甘ったれな気配が一瞬で消えてゆく。
ベッドの脇に畳まれていた衣服を手に取り、立ち上がって袖を通していく。背筋をピンと伸ばし、シャツのボタンを一つずつ、下から几帳面に留めていくその指先は、すでに「いつもの有能な彼」の動きだった。
衣服が身体に馴染むにつれ、彼の纏う空気がどんどん落ち着いた大人のそれへと変貌していく。
「すぐに朝食の手配をいたしましょう。お身体は既に清めておりますが、改めて湯浴みも」
「あら?旦那様がしてくれるの?」
「もちろんでございます。妻の管理をしたい夫の我儘だと諦めて下さい」
向けられた瞳からは、完璧に「大人の男」としての余裕を取り戻した彼の姿に、私は少しだけ寂しさを覚え、そして、なんだか悔しくなった。
「素早い切り替えね。さっきまでの甘えん坊はどこへ行ったのかしら」
シーツを胸元まで引き上げ、からかってみる。
すると、ドアへ向かおうとしていたエリクが足を止め、静かにこちらへ歩み寄ってきた。彼はベッドの脇に跪くと、私の手を取って、その甲にそっと唇を触れさせる。結婚式の日と同じ、紳士的で、けれどどこか煽るような口づけ。
「お嬢様にこれ以上不埒な姿を見せ続けては、夫としての威厳が保てませんので。」
エリクは完璧な大人の笑みを浮かべ、私の耳元に顔を寄せた。
「そんな貴方も好きよ。これからもずっと」
「好き……では足りません」
そうして、先ほどのように甘える夫が愛しい。
「貴方は、私の『最愛』……これからもずっと」
そう言うと、満足げに私の手の甲に額を寄せた。
◇ ◇ ◇




