オマケ・従者のエリクと夫としてのエリク
結婚してからしばらく経ったある日のこと。
「それでは、あの時に選んでいた贈り物は私への贈り物だった……というのですか」
「そうよ。」
「私がどれほど、肝が冷えたことか……」
その言い草は、かつての従者のような口調だった。
結婚を機に、エリクは夫として振る舞おうと努力しているようだけど……こうしてあの時の片鱗が見えるのは、少しだけ懐かしいような、複雑な気持ちもある。
「その言い方…夫ではなくて従者みたいだわ。そう言えば、昔話したわね。『旦那様のいない間に、こっそり貴方と…』なんて。あれがこういう形で現実になるなんて……あの時は夢にも思わなかったわ」
クスクス笑っていると、エリクの視線が変わったように見えた。
「お嬢様、旦那様に何かご不満が?」
ソレはすっかり、従者のエリクに戻ったような口ぶりだった。落ち着いていて従者としての壁を感じるそれだ。しかし、少し面白くて、私はそれに乗っかることにした。
「いいえ、幸せよ? 夫に不満なんて無いわ」
「独占欲の強い、元貧民の旦那様でございますよ? お嬢様に相応しくはございません」
エリクは、心のどこかで今もそう思っている…ということなの?
「いいえ。私の傍にいるために、こうまでしてくれる人はそういないわ。最愛の旦那様よ?」
「酷いお嬢様ですね。私に貴方との幸せな『夢』を見せ、それを気まぐれに捨ててしまう」
かつて交わした会話。それが今になって蘇るように彼は囁く。彼はだいぶ従者だった頃に気持ちが戻っているようだ。
最近では、出会った頃のように笑顔を見せる夫。その瞳を覗けば、光の無いあの頃…従者としての瞳にも見えてくる。
従者としてのエリクも、まだここに残っているのね。そう察すると、彼へ歩み寄り手を伸ばせば、彼は私の掌に頬をそっと寄せた。
私達が主従関係にあったのは、それ程長い時間だったのだから。急に夫となれと言われ、形だけ整えても、追いつかないのかもしれない。
「あれは望まぬ結婚になったらの話だもの。今、私は幸せなの。旦那様がとても愛しいのよ」
「こうして触れて下さるのに、私が……お嫌いですか?」
「そんなことあるはず無いわ。貴方は大切な存在よ。私を一番近くで支え、寄り添ってくれたわ」
従者としてのエリクも大切。しかし、主従の枠を超えて愛を伝えられない関係は嫌。エリクを愛したいし、愛されたかったから、私達は変わったのだ。
そう考える私の前に、完璧な従者の仮面を被り直したエリクが、私の手を取り跪く。それは対等な愛を誓った夫ではない。
「当初の予定通り、旦那様の影に隠れて、ずっと貴方だけの存在でいられたら……」
「…エリク、それはっ」
なんだか不思議な駆け引きをしているみたいだ。
ここで拒まなければ従者であるエリクに戻ってしまう気がしてならない。しかし、私にとって従者であったエリクも大切な存在。拒むだなんて……
「エリク、私は貴方も大切で…旦那様も大切なの。お願い、分かって」
「旦那様への誠実な御心が、そのような言葉を吐くのでしょうか。では、お嬢様のお心がどちらを望んでいるのか、確かめてみましょう」
エリクは、私が頬に触れた手に自身の手を重ねて力を入れた。
「お嬢様、私を求めて下さいませんか? この、ただの従者である私を。」
その手を引かれると、気がつけばベッドの上にいた。
彼と夫婦として生活したはずの感覚が、かつての主従の関係へと変わってしまいそうで怖い。
「…エリク、そんな風に言わないで…」
「お嬢様のお心はこんなにも強く私を求めているのにですか?」
「でもっ、…旦那様はっ、エリク」
「あまり声を荒らげますと、旦那様に見つかってしまいますよ」
その言葉に、慌てて口を噤んだ。今、彼が従者として振る舞うなら、私はそれに抗わなければ「旦那様への愛はその程度」等と思われるかもしれない。必死に反応を示さないように声を堪える。
「…お嬢様、私がお嫌いですか?」
悲しそうに見つめられても答えは変わらない。
「好き、好きよっ…大切な……っ!」
「はぁ、お嬢様っ」
彼は深く息を吐き、逃げ道を塞ぐように覆い被さる。
拒まなければいけない…それなのに与えられる従者としての愛も欲しいと欲が出てしまう。
「子を授かる日が待ち遠しいですね、お嬢様」
◇ ◇ ◇
夜。
「エリク、抱きしめてちょうだい」
「ええ、喜んで。我が愛しいロザリアナ」
昼間、従者に戻ってしまったエリクを心配したけれど、あの後は近頃見せる夫の顔に戻っていた。
隙間を埋めるようにきつく抱き合い、その流れで惜しみなく優しいキスをくれる。額から、そっと涙の名残をなぞるように頬へ、そして、唇へ。全ての仕草から、私を狂おしいほど愛しいと思ってくれている熱が伝わってきた。
とても幸せな時間。
従者に戻ったエリクは、一時的な先祖返りのような、悪戯めいた遊びだったのだろうか。
甘い余韻に浸る中、夫であるエリクが、慈しむように私を抱き寄せる。
肌が触れ合うたびに、心まで蕩けてしまいそうなほどの愛が満ちていく。
しかし。
夫が私の体へ深く触れた時。寄り添っていたその時、空気が一変した。
私の中に残る、昼の残り香。
エリクはそれを確かめるように、私を深く見つめる。
先ほどまで優しく私を見ていた「夫」の瞳から、一瞬で静かな熱が引き、代わりに底知れない、暗い独占欲がその奥底から這い出してきた。
「どうやら、主人の留守を狙う恩知らずの従者が、紛れ込んだみたいですね」
「…え? でも、それは」
それは貴方でしょう? と言おうとした。
だが、言葉は続かなかった。その腕が、私を逃がさないように、深く、執拗に絡め取ったからだ。
「ロザリアナ。貴女の夫は私だ。貴女が誰を想い、何に満たされているのか……その心は誰を受け入れるべきなのか。もう一度正しくわからせてあげなくてはいけませんね」
昼間の「従者」としての行為を、今度は「夫」としての狂おしいほどの愛で上書きするように、彼は私を寝台で抱き寄せる。
再び熱い口づけが降ってくる。けれど今度のキスは、いつもの優しいものとは違った。愛を惜しみなくそそぐように、私の口内を隅々まで奪い尽くされる。
「愛しています、ロザリアナ」
昼の従者の衝動とは違う愛。
「……私の、ロザリアナ」
………
愛を確かめ、結ばれた後。何度も愛おしそうにキスを繰り返したエリク。
気を抜けば、すぐに相手の世界へ落ちてしまう。私達の自分の世界へ引きずり込もうとする攻防は、まだまだ続くのかもしれない。
私は、彼を従者に戻さないように、しかし、従者である彼を傷つけないように抱きしめ返さなければいけない。
なんて難しい駆け引きなのだろう。
けれど、それに付き合おうと思うのは、底なしの愛があるからだ。
「私が求めるのは、最愛の『エリク』だけよ。例えどんな貴方だとしても愛しているわ」
いつでも、いつまでもこの勝負に受けて立つ。
彼の中に残る従者は、きっと飽きられたり、私の心移りを心配しての保険。だからずっと、根気強く愛を伝える。
エリクだけが最愛だと。
彼の中の従者が、そして夫が、完全に満たされて納得するまで。
◇オマケ・終わり◇
読んで下さった皆様本当にありがとうございます。もし少しでも気になって下さいましたら☆評価をよろしくお願いいたします。次の作品を書くうえで励みにします。
※アルファポリスの方は編集の関係上もう少し続きます。




