作戦はある。
翌朝、私の身体には、昨日までなかったはずのけだるい疲労感が残っていた。
ベルで侍女を呼び、鏡の前で髪を整えてもらいながらボンヤリと考える。夜の出来事を思い出し、エリクの指先の残香を探してしまう自分に気づき、小さく息を吐く。
彼はいつ、この部屋を出ていったのだろう。
完璧な従者として、そして未来を誓った婚約者として。お互いに自分の世界へ引きずり込もうと企む関係。
………どういう関係よ。
分かるのは、彼は私に恋などしていない。ただ生涯、私の傍に居ることを望むということ。
私には分からない。そこまで頑なに今の立場を変えたくない気持ちが。
だから…
その場所を奪ってやるの。
気合を入れ直すように息を吐く。
「エリクは、まだ屋敷にいるのよね?」
そう聞くと、その侍女は少し困ったように視線を迷わせた。
「ええと、夜中……お嬢様のお部屋から出ていらしてからすぐに出立されたとか……」
「はぁ……そうなのね」
そう話す侍女はどこか私を気遣うそぶりを見せる。彼に何か無理強いされたのではないか……と心配している?いいや、ただ部屋で何があったのか気になっているだけかもしれない。どちらにしろ、エリクが部屋を出たのは夜中だと使用人の間で噂が広まっているということだ。
そうして最高の身支度を仕上げた侍女へ満面の笑顔を向けた。
「いつも、素晴らしいわ。」
「っ!!ぁ、ありがとうございます。お嬢様」
侍女は、お化けでも見たかのように驚き、慌てて深く礼をした。無理もない。エリクがいなければ笑顔も作れなかったのだから。でも、今の私は違う。
ドレスの襟を正すと、いつもなら自室で済ませる朝食の場へと足を向けた。
向かうは、公爵家の食堂。
ここ十年、私が一度も参加することのなかった、家族揃っての朝食のテーブルである。
豪奢な扉が開かれ私が姿を現した瞬間、食堂の空気が凍りついたように固まる。
席についていたお父様とお母様が、信じられないものを見たというようにフォークを止めて目を丸くしていた。
「皆様、おはようございます。良い朝ですね」
私が優雅に微笑んで席につくと、既に座るお兄様は楽しそうに笑った。
「珍しいこともあるものだな。助言のおかげかな?」
「ええ、お兄様と、わからずやの従者のお陰ですわね」
まさか、私が朝食に訪れるとは思わなかった使用人たちが騒がしくその場を整え始めた。
「これで、ピーピー騒がれずに済む。うっとうしい妹が成長してくれて泣けてくるね」
「ふふっ、これでお兄様は心置きなく婚約者を屋敷に連れて来れますね。まぁ……その性格ではいつになることやら」
微笑むと、お兄様はナイフを皿に静かに置き、口を拭いた。
「あぁ、素晴らしい女性を、やっと、選べるというものだ」
「あら?選べる立場にあるとお考えなのね。現実を見たほうがいいわお兄様」
「ふっ、エリクも可哀想に…傍にいた女性が『たまたま』生意気なロザリアナだったばかりに、素敵な女性だと勘違いをしてしまった。刷り込みとは怖いものだ」
私は、その言葉にムカムカとする気持ちが湧き上がる。
「エリクが幼い頃からの刷り込みにより、私の傍にいると?」
「それ以外に考えられるか?」
朝から火花を散らす私たちの様子に、テーブルの端で縮こまっていた両親が、揃って手を止めて困り果てた顔でこちらを眺める。
「ロザリアナ……。久しぶりに朝食に来てくれたのは、嬉しいのだがね……」
「そ、そうよ。久々に家族で食事ができるのよ?それなのにここ数年で一番殺伐として……。お母様、胃が痛くなってしまいそうだわ……」
困り顔を視界の端に収めながら、私はお兄様を見据える。
本当に、相変わらずイライラさせてくれるお兄様だわ。……でも、ちょうどいい。
私はここで、自分の心の中に一つのイメージを作り上げることにした。
名付けて『イマジナリーお兄様』
これからエリクのいない中、彼の従者としての居場所を奪う目的のため、人脈を広げる事を目標と定めた。怒りで相手をまともに見て話せると分かった今。私の中でお兄様のイメージを飼いならし、そこからもたらされる怒りを胸に、交流していこうという戦法だ。
どんなに人形のように美しい者が来ても、イマジナリーお兄様がいれば怒りが湧き上がり相手の顔も見れるというものだ。
何より、このままお兄様に舐められたくない。
見てなさいよ!私を舐め腐ったお兄様も、従者の枠から出てこようとしない婚約者も!!
イライラと朝食を進めていると、お父様は少し嬉しそうにお兄様に話しかける。
「しかし、お前も婚約者を決める気になったか。釣書の中から何人か会ってみるか?」
するとお兄様は優雅に微笑みお父様に言う。
「父上、それとこれとは話が別です」
「別…なのか?」
「ええ、少し話しただけで泣かれるような令嬢と会っても時間の無駄でしょう?父上は何人の令嬢を泣かせるつもりですか」
「いや…泣かせてるのはお前なのだが…」
困惑するお父様に、お母様も困惑しながら手を握った。こんなに仲睦まじい両親を見て育ったお兄様は、どうしてこうも口が悪いのか。
そんな空気も、私が変えてみせるわ!と、私は極上の完璧な笑みを浮かべてお父様を見据えた。
お父様は、何か警戒するように視線を返してくる。これまでの私と、余りにも違い過ぎるために驚きが隠しきれないのだろう。
「せっかく学園を卒業したのだもの、本格的に孤児院のこと、新しい事業の提案や夜会による交流まで…全て卒なくやってみせますわ。お父様、お母様」
お父様とお母様は、こんなに人当たりの良くなった私に困惑しながら静かに頷いた。
◇ ◇ ◇




