それでいい。
手紙にはただ、エリクという狡猾な男に弱みを握られ、嫌々ながらも従うしかない、憐れな公爵令嬢の絶望だけが綺麗に描かれている。
コレを読んだ叔父様は、エリクが私を脅迫して従わせたと考えるだろう。同時に、私のプライドをへし折ったような気分に満たされるのかもしれない。
エリクが言うなら完璧な文章なのかもしれない。
「……ねえ、エリク」
「何でしょうか、お嬢様」
私はペンを置き、椅子の背にもたれかかって、じっと真後ろの彼を見上げた。
私の手紙から「叔父様への甘い言葉」を徹底的に排除した出来栄え…少し意地悪を言いたくもなる。
「貴方……もしかして、ヤキモチを妬いているの?」
叔父様に対して、私が少しでも好意的な言葉を向けたのが、そんなに気に入らなかったのかしら。
からかうような私の視線を受け止めても、エリクは眉ひとつ動かさなかった。ただ、彼はゆっくりと上体を屈め、私の顔の真横まで華はないものの端正な顔を近づけてきた。
「婚約者となるお方ですから」
エリクはそのまま、私の肩から滑らせた手で、私の手元に紙をそっと引き寄せた。
「お嬢様が、私以外の男に向けて『会いたい』などと甘い言葉を書き連ねるなど……見ていて気分の良いものではございません。」
さらりと告げられたその言葉。
彼は、もう私の従者ではないのだと思い知った。
ヤキモチを妬いているのか?と、からかったはずなのに、これでは完全に私の負けではないか。
私は恥ずかしさを誤魔化すように彼から顔を背け、手紙に封をするために、真っ赤な顔のまま蝋を溶かし始めるのだった。
手紙に真っ赤な蝋を落とし、公爵家の紋章が刻まれたスタンプをぐっと押し付ける。
これで、偽りの手紙が完成した。
パチパチと弾けるキャンドルの炎を見つめながら、未だに火照る頬を冷まそうと息を吐く。
そんな私から完成した手紙をそっと受け取りながら、エリクがふと、いつになく真剣な声音で静かに告げた。
「お嬢様。……この手紙を出すということは、もう引き返せないということです」
「今さら何を言うの。覚悟の上よ」
「いいえ、そういう意味ではございません。お嬢様が私の任務を手助けする……それは、この計画が成功すれば、貴女は私と本当に結婚する、ということです」
手紙を収めた封筒を持ったまま、エリクは私を真っ直ぐに見据えた。
計画が成功すれば私はエリクと結婚することになる。そして、叔父様の手に渡った領地は、エリクの手に渡り、お父様と共に治めるのだ。
平民である彼が公子となり、私の隣に立つ。
あまりに真面目な顔で確認してくる彼を見ていたら、少しだけ可笑しくなって、私はわざと傲慢に唇の端を上げた。
「何を今さら。それとも、怖気付いたのかしら?この私との結婚なんて恐れ多いことよね」
私が椅子の背にもたれかかり、挑戦的に見上げると、エリクは一瞬だけ驚いたように目を見開いた。
けれどすぐに、いつもの落ち着いた微笑を浮かべる。彼は深く、恭しく頭を下げた。
「……大変光栄に思います、お嬢様」
彼が本当にそれを望んでくれているのだと分かって、胸の鼓動がまたトクンと跳ねる。
「ならいいじゃない。私はそれがいいわ」
私は恥ずかしさを隠すように、ふいと顔を背けて、冷えた紅茶のカップに指を這わせる。
私が彼を必要としていて、彼が私の隣を望んでくれている。それだけで、私がこの手紙を出した理由は十分だった。
「だから……必ず成功させて帰ってきなさい」
背を向けたまま、私は命じた。今出せる、一番強がりで、一番精一杯の主人の命令。
「貴方がいない間、私はここで最高の令嬢として、貴方の帰りを待ってあげるわ。だから貴方は、安心してあの男を騙していらっしゃい」
私の言葉に、背後で衣擦れの音がした。
振り返ると、エリクは再び私の足元に跪き、私の右手をそっと両手で包み込んでいた。手袋越しではない、彼の掌の確かな熱が伝わってくる。
「――御意に。我が最愛のお嬢様。必ずや、この計画を完遂して参ります」
その誓いと共に、私の手の甲に柔らかな感触が落とされた。
窓の外では、夜の帳が完全に下りている。明日からまた、離れ離れの孤独な日々が始まるけれど、私の胸にはもう、あの時のような不安はなかった。
◇ ◇ ◇




