離れる決意。
私の眼の前は真っ暗だ。
エリクのいない生活なんて考えたこともなかったのだから。それでも…こうなった以上はやらなければならない。なんとかするしかない。
勝手に物事を進める父に、そして領地の監視を怠った叔父に淡い怒りの炎がメラメラと燃え上がる。罪人になってしまうかもしれない状況を、止める正当な理由が思い浮かばない、情けない主である自分にも…。
浅く息を吐くと、お父様の目を真っ直ぐ見て胸を張る。
「お父様、私を甘く見ては困りますわ」
「?」
「私、エリクがいなくとも問題ございませんもの。最近では身の回りのことはだいたい把握しております。子供ではございません。縁談も、サクッと決めて見せましょう。」
私はそう言い切った。エリクが、私を心配して墓穴を掘られては困るのだ。せめて、安心して焦らず任務に専念出来るように見栄を張った。
「ほう……。随分な自信だな」
お父様は、意外なものを見たと言わんばかりの表情をする。その視線は、強がっている私を見透かそうとするように鋭い。
私は、お父様の美しい瞳から視線を逸らさなかった。
ここで目を伏せれば、私の言葉がただの虚勢だとバレてしまう。エリクに心配をかけてしまう。
「公爵家の娘として、相応しい殿方を見極める目くらい養っております。ですからエリク。貴方は安心して、叔父様の元へ行ってらっしゃい。私のことは、もう心配いりません」
私は努めて軽やかに笑って見せた。一度もエリクの顔を見ることなく。
「……左様でございますか。お嬢様がそう仰るのであれば、私は、任務を完遂することだけに注力いたします」
エリクの声は、いつも通り落ち着いていた。
「話は終わりだ。エリク、準備を整えよ。明朝には出発だ」
「承知いたしました」
私たちは深々と一礼し、執務室を後にした。
重厚な扉が閉まり、廊下へ出ると同時に、張り詰めていた緊張が足元から崩れそうになる。けれど、まだ隣にはエリクがいる。私は必死に、いつもの「完璧な令嬢」の仮面を貼り付けたまま、前だけを向いて歩いた。
「お嬢様。部屋まで、お送りいたします」
いつもの台詞。けれど、この時間が明日にはなくなってしまう。
廊下を歩く二人の足音だけが、虚しく響く。窓から差し込む夕日は驚くほど赤く、私の胸を不安で騒がせる。
自室の前に辿り着きエリクが扉を開け、カチリ、と扉が閉まるその音が耳に届いた。いつもなら「彼に飛び込む合図」だった。
けれど、私は動かない。……動けない。背中を向けたまま、拳を握りしめて立ち尽くすしか今はできなかった。少しでも動けば足から崩れ落ちそうで…。彼に少しでも触れてしまえば、手を離せる自信もない。
「……エリク、もう下がっていいわ。明日も早いのでしょう?準備もあるでしょうし。」
私は本音を必死で押し込んだ。
嫁ぎ先にも付いて来てくれると言ったのに。忍び込んででも行くと。しかし、お父様の決定を誰も覆すことなどできない。ましてや、領地に住む民の為、公爵家の為となれば尚更。
そんな私に、背後から近づく気配があった。
「お嬢様」
「ええ、言いたい事は分かっているわ。でも、私達は今、その言葉を交わしてはならないの。分かるわね。」
そう言うと、エリクもこれ以上何も言わない。多分、私の身を案じる言葉をかけてくれようとしたのではないか…と勝手に想像する。もし、そんな言葉を聞いてしまえば弱音が出てしまう。だから、本音を隠して別の話題を探した。何か……気持ちが明るくなる話題を。
「ねぇ、エリク。一つ我が儘を聞いてくれるかしら?」
「何なりとお申し付けください。」
考えるよりも先に、言葉が出ていた。しかし、よく考えもせずに言ってしまったから先の言葉が出ない。そして、ふと、可愛らしい帽子が視界に入った。その中に隠したものの存在を嫌でも思い出す。最悪の贈り物。
あれを。
贈り物をやり直したい。
「何か…エリクがよく使うものが欲しいわ。持ち歩けるくらいの大きさが良いのだけど。」
そして、私は周囲を見回してから自分の衣服に目をやる。そして、視界の端にチラリと見えた自らの髪を結うリボンを取った。
そこに唇を寄せ、彼に差し出す。
「せっかくですもの。私の物と交換いたしましょう。」
私は精一杯微笑んで見せた。
◇ ◇ ◇




