練習台
母猫の猛攻から私を守った勲章。そう言って困ったように笑うエリクを見ていたら昔のような懐かしさで胸が一杯になった。
そんな気安い気持ちから、一つの名案を閃く。
ふと、目の前でずぶ濡れになっている上質な練習台が目に入る。
「ねぇ、エリク。私、名案を思いついたのだけど」
「何でございますか、お嬢様」
私の視線に不穏な気配を察したのか、エリクの眉が微かに動く。
「貴方を練習台にして、私が一人で湯あみが出来るように手順を覚えれば良いのよ」
「っ、お嬢様、それは流石に悪戯が過ぎます。私は使用人で」
「命令よ。さあ、洗いやすいように座りなさい。そして、全て脱ぐの」
「しかし…」
「私が全裸なのよ?貴方は脱げないと言うの?」
エリクは完全に動きを止めた。いつもなら流れるように返す抗議の言葉も出てこないらしい。しかし、主人の命令は絶対だ。彼は諦めたように息を吐くと、濡れたシャツに手をかけ、促されるままにその身を覆うものをすべて滑り落とした。
「お嬢様、壁のほうを向いていてください」
「エリクは恥ずかしがり屋さんね」
「こういうものは、女性側が恥じらうものでございます」
エリクがそう言うから、仕方なく壁のほうを向いた。広いこの湯殿の景色を眺め、彼が衣服を脱ぎ終えるのを待つ。
すると。
「脱ぎました」
その声に彼の方へ視線を向けると、私に背を向け座る姿が視界に入った。
それからは、先程私を洗っていたエリクの真似をして事を進めていく。
髪を洗うところまでは、実に順調だった。
紫の瓶、青の瓶。改めてエリクに指示を仰ぎながら、座る彼の後ろから作業を行う。彼の手つきを真似て豊かな髪を泡立てていった。指先から伝わる彼の髪の感触は心地よく、私は「ふふ、案外簡単じゃない」などと調子に乗っていく。
「お嬢様、背にお身体が当たっております」
「少し当たっただけで何よ、我慢なさい」
多少の苦情が来ようとも、エリクを大型犬を洗うように丁寧に洗ってみた。
「こんな感じかしら?痛くはなかった?」
「はい」
「じゃあ、次は体ね」
しかし、いざ「次は身体の洗い方よ」と彼の体に視線を向けると私の思考は完全に停止した。
改めて遮るものなく視界に飛び込んできたエリクの身体は、なかなかの破壊力がある。
衣服の上からでも均整が取れていることは分かっていたが、実際に目の当たりにする殿方の身体というものは、私の想像を遥かに超える。
引き締まった胸板。無駄のない腹筋の陰影。そして、やはり私の肌とは決定的に違う、骨太で逞しい男の体躯。
途端に、心臓がうるさいほどに脈打ち始める。のぼせたわけでもないのに、顔がカッと熱くなるのが分かった。初めて見る「男」という存在に、危うく気圧されそうになる。
しかし、私は公爵令嬢。
ここで怯んでいてはプライドが許さない。
洗うと決めたら洗うのだ!
私はぐっと拳を握りしめて気合を入れ直すと、泡立てた布を両手でしっかりと握りしめた。エリクの引き締まった肩へと布を押し当てた。
「お嬢様。……身体を洗う液体の容器と手順は、十分に把握できましたでしょう? これ以上は私の身が持ちません。ここまでにいたしましょう」
エリクが、どこか困惑の混じった声で私を諭してきた。彼の声はいつも通り冷静に聞こえたけれど、私に触れられているその身体は、先ほどよりも僅かに硬直しているように思える。
しかし、ここで引くような私ではない。
◇ ◇ ◇




