破廉恥なそれ
やがて辿り着いた自室。
買い物に出る前まで、胸に飛び込む飛び込まないの攻防をしていた部屋。しかし、今の部屋の空気は、冬の夜の底のように冷え切っていた。重苦しい沈黙は果てなく重くのしかかる。すると、扉が閉まるなりエリクが私の前に膝をつく。その面持ちは、主人の身を案じるというよりは、何かを悲願するような痛ましさに満ちていた。
「お嬢様、どうかそれを私にお預けください……。後生ですから」
……到底「実は貴方への贈り物でした!」などと明るく種明かしができる空気ではない。こんな悲劇的な贈り物がこの世にあってたまるものか。
だからこそ絶対に、渡せないのだ。
「嫌よ! 自分で選んで買ったものを、どうしてすぐに取り上げられなきゃいけないの!」
今の私に残されているのは、もはや引き際を失った「意地」だけ。本当は今すぐ暖炉に投げ込みたい。しかし、これは瓶と液体だ。暖炉に投げ込んだ所で憎たらしくも消えることはないだろう。今すぐ、消す方法は無いのだろうか。
「お嬢様…」
自分でも私が持つべきでない代物だとは分かっている。けれど、エリクにこうして「教育的指導」をされる屈辱に耐えることだけは、今の私のプライドが許さなかった。ずっと私の中で年下扱いをしていたのだから。
それなのに…
「っ!?」
エリクは私の油断を見逃さなかった。私が言葉を返そうとわずかに息を吸い込み、贈り物を持つ手を下ろした、その瞬間。
私の指先から、あの呪わしい箱がスルリと奪い去られた。
「あ、待っ……返しなさい!」
私は慌てて手を伸ばすが、彼はそれを高く掲げる。ジャンプしたところで、彼との圧倒的な体格差を思い知らされるだけ…。届かない指先が虚空を掻き、ムシャクシャとした苛立ちが増すばかり。
エリクの肩から、挙げられた手を手繰り寄せるように力を込める。けれど、その腕は下げられることなく、私の足元が少し浮いてしまう。
「お嬢様、この事を旦那様に報告されたいのですか?」
「な、っ……卑怯だわ!」
エリクの最後の手段が出た。
「お父上に言いつけますよ!」という文句には、主である私とて従者に逆らえなくなる決定的な言葉。
「卑怯で結構です。これはお嬢様のためでございます。贈り物でしたら、明日にでも別のものを、私が責任を持って用意いたしましょう」
「それじゃあ意味がないの!私が贈るのだから、贈り物は私が選ぶのよ!」
あまりの言い様に、私はなりふり構わず彼の胸に飛びかかった。しかし、彼は大樹のようにびくともせず、ただ私の突進を受け止める。グググと力任せに押してみるが、彼の体は岩のように微動だにしない。
「お嬢様、諦めてください」
「諦められないわ! きっと別の物を用意しようとあのお店を訪れたところで『あのお嬢様、また破廉恥なものを買いに来たのか?』なんて裏で笑われるに決まってるもの!」
「あの店の店員はプロでございます。決して客の情報を口外いたしません」
冷静な正論をぶつけられ、私は自分の無力さを悟り、はぁ、と力なく肩を落とした。顔を両手で覆い、ヘナヘナとその場へしゃがみ込んだ。
「……鼻をぶつけたわ。全部、貴方のせいよ」
「お嬢様?」
エリクは何も悪くない。悪いのは私の意地…。だけど、エリクへの贈り物を探しに行ってこうなったのだ。多少…彼にも責任があるのでは?…そんな子供じみた言い訳が頭に浮かぶ。
私の弱気になった訴えに、エリクの気配が主を案じたような空気に変わる。エリクも、私に甘いわね…。
今だわ!!
視界を塞いでいた手を離し、前に屈み込んだエリクへと全力で体当たりを見舞う。
「な!? お嬢様、おやめください!」
気がつくと私はエリクを床に押し倒し、彼の体に馬乗りになっていた。これで私の勝ち。力関係を取り戻したわ!!
「……捕まえた! さあ、返しなさい!」
上質な絨毯の上に仰向けとなった彼の胸を、私は両手で力いっぱい押さえつけた。勝ちを確信し、彼を見下ろすのはとても気分がいい。
しかし、そうした私の態度とは裏腹に、エリクは観念したように両手を広げた。主人へ服従を示すようなポーズ。
もっとも、彼が本気を出せば容易く振り払えるはずだ。彼が過剰なほど手加減し、私がこれ以上怪我をしないよう我儘に付き合ってくれているのは、誰の目にも明らかだった。
◇ ◇ ◇




